扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

種子島行 #5 種子島家のこと 

2016年10月16日 | 取材・旅行記

種子島二日目、夕方高速船が出るまで近隣を散歩。

種子島は戦国以来、種子島家が治め続けその城下が西之表港あたりにある。

 

ホテルの裏山を登っていくと種子島家の本源寺墓地。

 

隣に栖林神社があり、ここは種子島に甘藷をもたらした藩主を祀っている。

甘藷は要するにサツマイモであるが薩摩には琉球から伝わった。

琉球では飢饉対策として大いに耕作されたが、本土に伝わり大いに伝播したのは青木昆陽の時。

薩摩イモよりも琉球イモと呼んだ方がいいのだろうが、琉球は公式に日本ではなかったからだろうか。

本源寺の裏手、さらに丘を登ると赤尾木城跡。

種子島家の本城である。

種子島家は平清盛の孫行盛の子信基が祖というらしく、北条時政の養子となって種子島に封じられたという。

家紋は三つ鱗である。

 

種子島の戦国時代はのどかなもので隣の屋久島も含め、小さな相続争いくらいしかなかった。

よって鉄砲が伝来しても使用の機会がなく、親分の島津家がそれを運用した。

江戸時代の種子島は種子島家が島津配下の臣として治め、無難に明治になった。

 

 

城址はすっかり小学校となっていて土塁の面影が残っているくらいである。

 

城山の西側に「鉄砲館」なる資料館がある。

 

ここは鉄砲関係の資料が豊富にある。

伝来経緯ももちろん、製造方法から運用まで。

さらに古今東西の飛び道具の変遷など実物で学ぶことができる。

ぜひ東京に出開帳してもらいたい。

 

 

幕末維新の戦闘で使われた洋銃などこのように展示されており壮観。

中でも万感の想いは「初伝銃」。

本物かどうかなどは無粋なことで門倉岬の景観と初伝銃の実見でこの旅は満腹。

 

次に鉄砲館から城山の北側に廻ってみると「月窓亭」という旧家がある。

羽生道潔という人が1795年に建てたもので明治維新により島を離れた種子島家当主が島に戻る際、屋敷として使われた。

現在は市の所有となり公開されている。 

 

 

 

 

司馬遼太郎の傑作エッセイ集、街道をゆくシリーズに「種子島みち」があり、司馬さん一行が月窓亭で種子島家の人達と酒宴をはった話がつづられている。

二階部分の小さな部屋がその会場で司馬さんの色紙が飾ってあった。

係の人と話などするうちにスコールが来た。

 

できれば種子島の鉄で鍛えたハサミなど土産にしようと思ったがよいものに出会えず、安納芋のお菓子をあれこれ買い込んで港へ。

 

今日は種子島から指宿港に行く。

船は「ロケット」という船名。

出港時は雨が止んでいたものの薩摩半島がみえてくるころには結構な雨。

指宿港に入港前には晴れ間が出て虹が出た。

 

 

思えば種子島とは鉄砲伝来の地であると共に現代のロケット発射の島でもある。

いずれも何やら「ぶっ放す」代物でその辺、コラムのオチにしようと思ったりした。


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