扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

北関東周遊 #2 続日本100名城No.119 杉山城

2020年11月04日 | 取材・旅行記

菅谷館から北へ5kmに杉山城、続日本100名城に指定された。

近年発掘調査が行われて山内扇谷両上杉氏の抗争下で山内上杉氏により築かれたと考えられている。

さらに地元ボランティアの方々によって草刈りなど整備が行き届いており山城愛好家の間で高評価という。

 

駐車場は城山の北側にあって中学校の間を抜けていくと大手口に続く外郭が現れる。

市野川沿いの独立丘陵の尾根を削平して丸ごと要害化されており尾根の頂上が本郭、尾根筋に沿って曲輪が配置され北へ抜けると搦手口に至る。

杉山城の縄張は非常に凝った作りをしており敵兵の進行をいかに妨げいかに横矢を入れるか入念に設計されている。

一見、自然地形にみえるが人工的に深く空堀を設け、切岸を作っている。

 

杉山城の素晴らしい景観は人手によって整備が行き届いているところにある。

土の城にとって一番厄介なのは樹木、雑草。

特に巨木は眺望を損なうだけでなく縄張の妙をわかりにくくする。

その点、杉山城は南側は完全に樹木が伐採され地肌がよくみえる。

これは発掘調査が行われてまもないからと思われるがいつまでも維持していってもらいたい。

三島の山中城と並び中世城郭を学ぶ上でいい教科書といえるだろう。

嵐山町のこのあたりには中世城郭がいくつも築かれ国の史跡として菅谷館、杉山城の他に小倉城、松山城が選定されている。

松山城は北条氏が受け継いで要害化、秀吉の北条征伐時に北からやってきた上杉前田の連合軍によって陥落した。

真田昌幸、信幸親子も参加している。

 

https://www.youtube.com/watch?v=JNYzme-Y75U

 

 

 

 

 


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