扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

薩摩紀行5日目② 阿多の姫、コノハナサクヤヒメ

2019年05月28日 | 取材・旅行記

加世田からさらに北上して万之瀬川を渡ると金峰町。

一帯は坊津のようなリアス式地形と全く違う。

万之瀬川が造った河口の沖積地で山を背負い水が豊富な平地として鹿児島には珍しく農耕に向いていた。

海上交通を利用した交易や漁労にも適していただろう。

縄文時代に人々が定住した栫ノ原遺跡がある。

休憩のために道の駅「きんぽう木花館」に寄ったら隣が「歴史交流館金峰」だった。

立ち寄ってみると割と新しい郷土資料館だった。

エントランスにはシラスで造ったコノハナサクヤヒメが置かれている。

コノハナサクヤヒメはオオヤマヅミの娘でニニギと出会い結婚、ひ孫が神武天皇となる。

一帯を「阿多」といいコノハナサクヤヒメの本名はカムアタツヒメすなわち「阿多の美しい姫」という。

資料館でいろいろ解説を読むといわゆる「隼人」、すなわちヤマト政権にまつろわぬ民には「薩摩隼人」「大隅隼人」そして「阿多隼人」の3つがあった。

阿多隼人の祖は「海幸彦」。

薩摩の伝説解釈を使うなら海幸彦の釣り針をなくした山幸彦は開聞岳の近くで乙姫と出会い竜宮城に行く。

そして野間岬のあたりで金峰山の神の娘と出会い、炎の中で海幸山幸兄弟を産む。

天孫降臨や海幸山幸の神話はヤマト王権が隼人を従属させる話といえようが神話の地をいろいろ想像しながら通って行くのはそれだけで楽しい。

 

道の駅にはコノハナサクヤヒメの銅像が立っており、作者は伊集院の島津義弘公像の作者、中村晋也氏だった。

私的な感想としては「好みの女性」ではないことがちょっと残念。

 

 

 


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