鉄砲伝来は天文年間(1543)のこと、種子島は門倉岬に漂着したポルトガル人から領主種子島時尭にもたらされたというのが定説。
疑ってしまうとキリがないが、この説には異論続出。
「普及が早すぎる」「それ以前から南蛮貿易で入ってきた」等々。
鉄砲の実戦投入は富裕な戦国大名が細々と開始。
石山合戦(1570)あたりが集中運用の草創期とすると30年足らずで大量生産、流通できていたことになる。
平成28年を起点に考えれば平成元年あたりの伝来ということになる。
同じような時間軸で考えるとPCやインターネット、携帯電話などが考えられよう。
そう考えると爆発的普及、コモディティ化の時間軸は鉄砲も「ありえる」かなあと思ったりもする。
ともあれ戦国大名が鉄砲を「種子島」と呼んでいたことは確かであり、種子島ブランドが鉄砲の代名詞ではあった。
真実はどうせわかろうはずもないので、読み解く人の勝手でいい。
一帯は公園として整備されており紀功碑や銅像、展望台などがある。
門倉岬は想像していたように断崖絶壁である。
雨交じりの潮風が強く渺々たる海原と相まって凄絶な風景。
この一瞬を実感するために今回の旅があるようなものであり、大きな達成感があった。
南蛮船が漂着したという浜は岬から東の砂浜だといい、岬からは見おろす形になる。
漂着の知らせを受けた番人は役人を呼びに走り、西村某がポルトガル人明人と筆談したという浜がきれいにみえる。
その後の物語は種子島家がまとめた「鉄炮記」に詳しい。
公園から少し行くと伝来の浜に降りられる階段があったので行ってみた。
種子島家の末裔の揮毫による記念碑があった。
手抜きのない、いい仕事である。
他は何もない砂浜でしかないが伝説の地というのは立っているだけで妄想がわらわらと湧いてくるものである。
この妄想を連載に使おうと思う。
さて、門倉岬を堪能して時刻は13:00。
次は種子島宇宙センターに行ってみる。
10kmほどの距離なのですぐに到着。
間抜けなことにツアーの申込みを忘れており参加できず。
発射場は少し北にある。
併設の資料館に寄って終了。
次に東海岸にある広田遺跡を訪ねる。
弥生時代後期の遺跡で付属するミュージアムが何とも心地よかった。
これで今日の予定は終了。
レンタカーを返して宿に歩いて行く。
宿は割烹ホテルいのもと併設のビジネスホテル。
夕食は近所にぶらぶらと出かけ、適当にすませた。
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