播磨一ノ宮伊和神社から北へ向かい、但馬国に入る。
但馬は山陰道、丹波→丹後ときて但馬から因幡→伯耆へと続く。
播磨は山陽道、伊和神社は山陽道と山陰道の間に位置することになる。
そして同じ間にあるのが生野銀山であり、両道を抑える要衝が竹田城だ。
さて但馬国一ノ宮はふたつあり朝来市山東町に粟鹿神社、豊岡市出石町に出石神社。
粟鹿神社は竹田城の東にある。
街道を北上すると左手に竹田城の石垣がみえた。竹田城を東へ向かうと粟鹿神社、さらに東が福知山になる。
粟鹿神社の創建は4世紀のことともいう。
祭神はヒコホホデミ、ホオリともいい要は山幸彦である。
粟鹿の由来は鹿が粟三束をくわえて現れ農耕を教えたことによる。
境内のあちこちに盛り土がされていた。
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