扶桑往来記

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伝説の戦艦 -記念艦三笠-

2012年11月29日 | 自動車・自動二輪など

走水神社から北西に5kmほど行くと三笠公園。

日露戦争で活躍した戦艦三笠がある。

三笠の建造は1899年から英国で建造が開始され1902年(明治35年)に引き渡された。

1904年(明治37年)2月8日の旅順口における日露戦争開戦時から連合艦隊旗艦として参加。

その後の主力艦同士の海戦で常に陣頭にあった。

日本海海戦を完全勝利で終えた三笠はしばらく現役艦であったが災難続きだった。

終戦直後に佐世保港で火災事故を起こしすんでのところで爆沈を免れたものの、修理後7年にしてまたも火災、大正10年にもロシアで座礁している。

そしてワシントン軍縮条約で廃艦となった三笠は記念館として品川に係留される予定となり、横須賀に係留中に関東大震災に遭う。

揺れて岸壁に衝突した三笠は浸水して着底、解体しようにも二度と動けない状態となった。

この災難は三笠にとって解体を免れた点においては幸となった。

三笠は軍艦としての機能を喪失することで条約上の制約を逃れ、周囲を固められ船体にコンクリートを注入することで記念艦として第二の人生を歩み出す。

ところが太平洋戦争後のGHQによる武装解除の中で三笠も標的となり、艦橋や砲塔などが撤去された。

 

さらに三笠の艦上には水族館やダンスホールが造られ、もはや戦艦の風貌はなくなってしまう。

東郷平八郎を尊敬したニミッツ提督らもこの惨状を嘆いて復元活動が起こり1961年に外観は復元されて日本海海戦が行われた5月27日に記念式典が行われた。

日露戦争時に現役だった軍艦がことごとく消滅した中、残っているのは三笠のみである。

 

さて実物をみた印象は「意外に小さいなあ」ということ。

現在の全長122m、全幅23m。

海上自衛隊のイージス艦の全長が160mくらいなのでそれよりもひとまわり小さい。

とはいえ連装30cm砲を艦首から艦橋と共にみるとまさに戦艦の威容。

艦橋にはタラップで上ってみることができる。

日本海海戦時の艦橋にいた人の立ち位置がマークされている。

 

艦長室なども再現されていて、調度品も当時のものが一部戻されている。

これは米軍関係者など戦利品で持っていったものを返してもらったようだ。

日本海海戦時の乗組員の名前が部署と共に掲げられている。

 

さて現代においては第二次大戦以前の軍艦はそうは残されていない。

三笠をみてしまうと「大和・武蔵を見たかったなあ」と思ってしまう。

 

 

 

 


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