軌道エレベーター派

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賢者の石と化したサイコフレーム

2018-12-30 16:44:52 | その他の雑記
 先日、『機動戦士ガンダムNT』を観てきました。2018年も明日で終わりですが、本作の感想を含め、宇宙世紀のガンダムの行く末について思う所を少々書こうと思います。ネタバレ全開ですのでご注意下さい。

 本作は小説『不死鳥狩り』をベースに、ニュータイプの素質を見出された(誤解を含む)3人の少年少女の運命を描いたお話です。『機動戦士ガンダムUC』の続編でもありますが、ちゃんと1本で完結していて、切なさのある物語や、私好みの二面性のあるキャラクターも出てきて充分に楽しめました。
 ただし「うーん」と考え込んでしまったのが、前作以来の オカルト色が一層強まっていることでした。特にサイコフレーム。

 『NT』(以下「本作」と呼びます)では、主人公のヨナが、サイコフレームの試験機ナラティブガンダム(コクピットむき出しで危険すぎ)に乗り、神出鬼没のユニコーンガンダム3号機フェネクスを鹵獲しようとします。その中で袖付(ネオ・ジオン)も介入してきて、彼等とも対峙することになります。

 もともと、ニュータイプの能力に反応する素子をモビルスーツの構成部材に封じ込め、サイコミュの性能を上げたり、敵のサイコミュ兵器を早期に感知したりするという設定だったサイコフレームが、『UC』ではパイロットの精神を物理的なエネルギーに変換したり、触手のように変形や増殖をしたりするという、何でもアリの謎物質になってしまった。推進剤もなしに宇宙空間を飛び回るのも可能です。
 本作ではその性質がさらにグレードアップし、死者の魂(?)を保存して、死後の世界と交信を可能にする触媒と化しています。それにより永遠の命を得られるだの時間を遡れるだのみたいな見解も飛び出してきます。

 これではまるで賢者の石ではないか! (゜д゜)

一体どういう製法で作ってるんでしょうか? 生きた人間が材料じゃあるまいな?
 賢者の石といえば、錬金術において卑金属を金その他の貴金属に変換する触媒として知られる架空の万能物質です。ファンタジー作品などでは、これが長じて不老不死の妙薬や、あらゆる望みをかなえたり、世界を破滅に導いたりする力を秘めた魔術の道具など、デウス・エクス・マキナ的な物質として使われることが多い。

 本作では、フェネクスのパイロットに選ばれた少女リタの精神が、死後もフェネクスの機体に宿り続けており(あるいは、死後の世界からサイコフレームを介して機体を操作する?)、死後の世界の実在が前提になってしまっていて、まるで科学的に証明されたかのような話し方をしている。 
 原作の福井晴敏氏は、TV放映された『機動戦士ガンダムUC RE:0096』の副音声解説で「ニュータイプは死者と交信できるイタコみたいなもの」といった意味合いの発言をされており、氏が描くガンダム世界では、死後の世界の実在が大前提になっているようです。
 なので本作を観て、「このままオカルト路線を突っ走って行くのかなあ?」と少々心配になってしまいました。サイコフレームがエネルギーの保存則に反する効果を発揮するのは、死後の世界からエネルギーを得ているのかも知れません。もう サイコフレームで聖杯でもつくっちゃえよ。

 ニュータイプというのは、齟齬なく意思疎通と相互理解ができる人々であり、このため、自分の中に相手のほぼ完全なバックアップを保存することができる。登場人物が死者と対話するのは、自分の中に残された相手の人格データをシミュレートして答えを引き出しているのであり、すべて生者の脳内の現象である──私はニュータイプについて、漠然とこんな風に考えていました。
 アムロがララァの死後も彼女と対話したのは、「アムロの中にいるララァ」とやりとりしているのであり、シロッコが見た、カミーユに肩入れする女性たちの姿は、カミーユが自分の中で行った、女性たちの人格の演算結果をシロッコに送信した結果ということにしておこう、なんて思っていました。

 もちろん、すべて私の勝手な解釈であり、いかなる公的な設定や発言もありません。ニュータイプの定義を、視聴者それぞれに任せる自由度というか遊びの部分が、宇宙世紀のガンダム作品には必要ではないかと思うんですよね。

 本作は『UC』に続き、その辺をはっきり定義してしまい、風呂敷を広げ過ぎ、なおかつ袋小路に作品を追い込んだという印象を受けました。死後の世界を当然のように肯定する世界というのは、戦争の成立にさえ影響してくると思うんですよね。パイロットが「死んだっていいじゃん」とか考えて、真面目に闘ってくれないかも知れないし。『UC2』も作られるという話ですから、果たしてどうなるのやら。
 
 宇宙世紀の物語は、この後『機動戦士ガンダムF91』、『機動戦士Vガンダム』、『機動戦士クロスボーンガンダム』などに続いていくわけで、その諸作品ではサイコフレームは登場しない以上(先に制作されたんだから当たり前だが)、何らかの経緯でロストテクノロジーになってしまうようです。
 『UC2』では、スプリガンみたいに「今の人類の手に負えない」などと、サイコフレームの技術を封印するまでを描くのかも知れませんね。宇宙世紀のガンダムの行く末が、期待と不安が入り混じりながら気になるところです。 

 余談ですが、バナージは本作では、袖付きの中で、ミネバの息のかかった独自のグループにいるという感じですね。キンケドゥとベラの関係みたいだと思いました。
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