-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ヤマアカガエル

2013-10-19 14:37:46 | 自然

 私から言わせてもらえば、この蛙もただの「ビッキ」でした。先日、トノサマガエルを紹介しましたが、この蛙との区別もできませんでした。この蛙は、畑沢の屏沢の水路で見たものです。最近は少し蛙のことが分かるようになり、トノサマガエルを覚えました。写真の蛙を見て、直ぐにトノサマガエルと思いました。写真を見ると、後足に黒い縞模様が見えます。背中の模様が見えないようですが、「飾り気のない蛙」ということにしてしまいました。この後足の模様だけでトノサマガエルと断定してしまいました。決して、図鑑と比べて確かめてから判断するような賢さはありません。

 ところが、ブログに投稿する段階になって、あらためて写真を見ますと、トノサマガエルよりも模様が少な過ぎるように見えます。しかも、棲んでいる場所がかなりトノサマガエルと違いがあります。冷たい水に棲んでいます。しょうがないので調べることにしました。トノサマガエルに似ているのだから、アカガエルの仲間だろうと、インターネットで画像を検索したところ、ちゃーんと「ヤマアカガエル」と書いてあります。そういうことだったんですね。失礼しましたアカガエル殿。

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和裁用の鏝(こて)

2013-10-18 12:58:00 | 民具

 

 現在でも和裁をなさる方は、同じような物を電気式で使われているようですが、昔、電気のアイロンがなかった時代には囲炉裏の熱で温めて使っていたそうです。「そうです」という表現をしているのは、私はこの道具が衣類の皺(しわ)を伸ばすために使われていたのを見たことがないからです。ただ、どこの家でも備えていたように思います。

 私たち「畑沢の男の子」は、別の用途に用いました。スキーの手入れは頻繁に行う必要がありました。今のスキーは、グラスファイバーかカーボンのFRPになっていて、縁には細い鋼板が埋め込まれていますので、一度手入れをすると、しばらくの間はそのまま継続して使用することができます。ところが昔のスキーは木製で、縁の木部はすり減って丸くになっていました。いくらワックスを塗っても縁の方から直ぐにになくなってしまいました。そこで、畑沢の賢い子どもたちは工夫します。ワックスや蝋(ろうそくの蝋)を鏝で溶かしながら、スキーの板に浸みこませます。囲炉裏の灰に鏝を突っ込んで熱くします。熱くなった鏝を使って、ワックスや蝋をスキー板の上に伸ばします。手で伸ばすよりも、しっかりとスキー板にワックスなどが付着します。

 何処かの国で「一番でなきゃいけないんですか。二番では駄目なんですか」と言っていました。今や懐かしい言葉です。でも私たち畑沢の子は、一番でなくてはならなかったのです。常盤小学校のスキー大会では、畑沢の子は、皆さん一番でした。私が初めて出た大会では、二番でした。秋の運動会では、いつも後ろから一、二番でしたから、スキー大会で前の方から二番はとんでもないことです。意気揚々と帰り道で畑沢っ子に報告したところ、鼻で笑われてしまいました。全員、一番だったのです。

 そんな訳で畑沢っ子にとってスキーの手入れは、命の次に大事なことでした。畑沢っ子の名誉を守るためです。鏝を目的外使用してもです。

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唐箕(とうみ)

2013-10-17 09:08:30 | 民具

 清水畑の古瀬S氏の農具です。普通の箕(み)は、両手で持って上下に扇ぐように振って、豆などの穀物に混じっている殻や枝その他のゴミを取り除くものですが、「唐箕」は手動ながらその作業を自動化したものです。上の四角い漏斗から出てくる穀物に、ハンドルで大きな風車を回して風を送り、穀物以外の邪魔なものを吹き飛ばしてくれます。「唐」という文字が使われているのは、昔、中国から伝わった技術からかもしれません。

 写真の唐箕は、コンパクトにまとまった形をしていますし、躯体の木材と金具が新しいものです。農機具メーカーで最近に作られたようです。私が実家でみた頃の唐箕は、金属は一切、使われず、躯体は殆ど杉材で作られていたようです。もちろん、製作はメーカーでなく、地元の大工さんの手によるものだったようです。そのため、各家の唐箕には、それぞれ特徴がありました。私は昔、唐箕が面白くて、おもちゃ代わりに遊んでいました。ハンドルを回して風を作り、風の出口に顔をあてて風の感触を面白がっていました。手伝いでハンドルを回すのは、全く面白さがありません。根っからのヘヤミだったのですね。

 ところで、写真の唐箕は斑な模様らしきものが見えますが、実は私が不注意にも濡らしてしまった跡です。またもや、古瀬氏に迷惑をかけてしまいました。

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ニガ ザッコ

2013-10-16 16:29:49 | 自然

 目のテストをします。良く見てください。この写真には魚が6匹写っています。数えることができたでしょうか。これは昨日、セキショウを紹介した水路の中です。魚はアブラハヤで間違いないと思います。「アブラハヤなんて魚は聞いたことがない。どこの魚だ」とおっしゃる方もおられるかもしれません。私に言わせると、「この魚を知らずして畑沢出身者と言うなかれ」です。畑沢で最も馴染みの魚です。これでお分かりでしょう。そうです、「ニガ」ザッコです。千鳥川にも小さな水路でも、どこにもいました。釣るのは簡単です。御飯粒があれば、直ぐにニガが寄ってきます。しかも警戒心が薄いので、下手でも簡単に釣り上げられます。まさに釣りの入門編にはうってつけです。釣り上げたニガは、あまり食欲をそそりません。ニガと言うくらいですから、不味いことこの上ありません。釣っても、また水路などに放流してしまいます。あの頃でもキャッチ・アンド・リリースでした。なかなか高尚に聞こえますが、唯、不味いだけです。

 そのニガザッコが、殆どいなくなった時代がありました。1960年ごろから始まった農薬の大量使用と過剰な河川改修の影響のようです。ところが、最近は、よく見られるようになっています。今年、石仏調査で畑沢のいろんなところ見たところ、少なくとも千鳥川、南坊沢、西の沢そして上田沢の延命地蔵堂の下で生息を確認することができました。農薬の種類が変わり魚への影響が少なくなったこと、河川改修工事がなくなってきたことによると思います。半ば軽蔑していた魚でしたが、今は「水辺復活の象徴」のようにさえ見えてきました。アリガタヤ、ニガ様。

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セキショウ

2013-10-15 16:08:02 | 自然

 上畑沢の延命地蔵の近くを流れている水路で見つけました。特に珍しいというものでもないのですが、これまで畑沢の色々な水路で何度か見たことがあり、気になっていました。最初に見たのは、中畑沢の水路です。千鳥川を堰き止めて水田へ引いている水路の岸に生えていました。私は水辺が好きなものですから、セキショウを他の地域の池で観察したことがあります。そのた・セキショウは知っていました。そもそも私はセキショウを園芸用の植物であると思っていました。従って、庭園の水辺でみることができても、少なくとも畑沢の自然な場所で見ることはできないと思っていました。それが、目の前に現れたときは驚いてしまいました。そこから私の奇想天外な空想が大きく展開しました。セキショウが見つかった場所は、今は水田地帯だが昔は大きな邸宅があったのではないか。その後に建物はなくなったが、セキショウだけは水辺のそばで生き残ったのではないか。実は、セキショウが最初に見つかった場所には、はるか昔の土台と思われる栗の木の大きな杭らしきものが出土してたからです。確かに私の推察は、推察の範囲を越えて、まさに奇想天外な空想になります。しかし、栗の木の遺物とセキショウを結びつける気持ちもお分かりいただけると思います。無理からぬことと憐れんでくださればありがたいことと思います。

 ところが、畑沢の別な水路にもあり、今回、上畑沢でも見つかりました。セキショウは畑沢に普通にあるようです。セキショウは菖蒲の仲間で、根がしっかりと土を掴んでいますので、セキショウが生えている岸は頑丈です。水路の岸を守るために、昔、畑沢の人達が植えたのかもしれません。これも私の想像です。それとも勝手に生えたのでしょうか。確かめたいところです。

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