Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

昨夜、今上天皇が“生前退位”の意向を表明される! 2016年7月14日

2016-07-14 16:22:15 | 日記・エッセイ・コラム

昨日夕刻に入ってから、ここ加古川にも、やっと待望のまとまった恵みの雨が降り、カラカラの大地を潤してくれた!今朝は、また晴れたが、昼から一天にわかに掻き曇り、ゴロゴロ雷鳴とともに、もう一降りあった、だが、雷雨は通り過ぎ、今は小雨が降ったり止んだりしている、少しは涼しくなったような気がする、めでたし、めでたし!・・・

昨夜、ズムスタでの巨人13回戦に黒田博樹が先発し、7回3分の2を投げたが、6失点を喰らい、打線の援護もなく、広島は0-6で破れた!野茂英雄に次いで日本人二人目となる黒田の日米通算200勝は再度、お預けになったが、次回3度目の正直で達成すればいい、時間の問題だから、慌てない、慌てない!これで、広島はセ・リーグ、ダントツの52勝33敗2分けでリーグ戦前半を折り返した!15日(福岡ヤフオク・ドーム)と16日(横浜スタジアム)のマツダ特別協賛で開催されるオールスター戦の後、18日海の日から我が広島はズムスタに中日を迎えて、3連戦を戦い25年ぶりの優勝へ向かってリーグ戦後半を発進する!・・・

昨夜遅く、82歳と云うご高齢の第125代明仁・今上(きんじょう)天皇が、2年ほどの内に皇室典範(てんぱん)にのっとって、天皇の位を、摂政(せっしょう)を司る皇太子・徳仁(なるひと)新王に譲って“生前退位”される意向が発表された、これまで天皇陛下は、ご高齢の上に、気管支肺炎による入院、心臓冠動脈バイパス手術、A型インフルエンザ感染などの病魔を克服されてこられたが、あらゆる公的行事に参列され、数々の国内外の戦没者慰霊の旅に出かけられたり、相次ぐ大震災の地に被災者を見舞われるなどの激務をこなされてきた!しかし日々の健康面の衰えと負担軽減を考慮されて、この度の皇太子様への生前退位を余儀なく決断された!これからは、厳しい公務から解放され、しっかり療養されれ乍ら、余生を送ってもらいたいものである、天皇陛下ばんざ~~~い!・・・

今日、何と21人もの候補者が届けられ、7月31日投開票の東京都知事選の告示がなされた!残念ながら野党支持が得られなかったのか?鳥越氏に野党支援を譲ったのか?何故か、元日本弁護士連合会長の宇都宮健児(69歳)氏は前日13日に出馬を取り下げたが、事実上の選挙戦争いは、自民・公明の推薦を得た元総務大臣・増田寛也(64歳)氏と、無所属出馬の元防衛大臣・小池百合子(64歳)と、民進・共産・社民・生活から野党推薦を得たジャーナリスト鳥越俊太郎(76歳)氏の3人に絞られるであろう!小生を含む多くは、保守分裂を余儀なくされる小池・増田の両候補よりも、野党共闘で推薦された鳥越候補の有利を観ているだろう!?小生は、長年、公平な目を持つジャーナリストの鳥越氏を尊敬してきた、久しぶりに野党推薦の東京都知事が誕生することを願っている!(祈り)・・・

昨日午後1時から、東加古川公民館で山田烈子先生の講義を受けて来たばかりだが、先程“ほほえみ”の 坂田かほり先生から電話があり、一旦“こだま”に入会登録を済ませた小生の“ほほえみ”への転入は受け入れがたい旨の話があった、もう一度、“こだま”復帰を考え直してくださいとのお達しがあった!その場を適当に繕ったが、『もう、いいか!』、これで小生は朗読ボランティア活動断念を決意しサッパリした!極一部ながら、プライドばかりが先に立つ女性が、のさばる異様な女性社会で、生きることの難しさを痛感した小生は次の様に決断した!もうこれからは、社協のボランティア活動には一切係わらず、長年、趣味としてきた合唱一筋に邁進していくことに決めた!・・・

それにしても、昨日、山田講師が朗読講義の教材として取り入れたエッセイ書、松尾文雄著“リンデンの葉、散り逝きて”は頭の隅に鮮明に残り、犬好きの小生にとって生涯忘れられない感動的な読み物となった!先週、そのコピーを頂き製本し、3回ほど読破してから昨日の講義の場に参列した、それは著者・松尾文雄(82歳、学習院大政治学科卒、共同通信社に入社以来、各国の特派員・支局長を歴任したジャーナリスト/エッセイスト)夫妻が、1945年の第二次世界大戦終戦後以来、まだドイツが東西に分裂されていた1989年11月、フランクフルトからケルンに向かう列車で、たまたま同席し親しくなったヒルト夫妻との出逢いに始まった!・・・

ヒルト夫妻の住まいがあるケルンに到着後、翌日の再会を約束した松尾夫妻が宿泊していたホテルに、『今、ベルリンで大変なことが起こっている!すぐ家に来て一緒にテレビを観ないか?』ヒルトさんから誘いの電話があった!それは小生の記憶にもはっきり残っているベルリンの崩壊だった!と云うより、東ドイツが自立不能となり崩壊したのだ!テレビ画像には、東ベルリンの検問所を越えて数万の人々が、西ベルリンのチャアリーへ、津波の様に押し寄せる様が映し出されていた!人々は歓喜極まって抱きあい、シャンパンで乾杯し、壁にハンマーを狂ったように振って、人々は自由への解放感を爆発していた!・・しかし、ヒルト夫妻は、その群衆の歓喜に馴染まず、やがてヒルト夫人が嗚咽(おえつ)を漏らし始め『もう一年早ければ・・私たちの子供を見殺しにせずに済んだのに!』と絶叫した!・・・

ヒルト夫妻は辛い過去を話し始めた、実はヒルト夫妻は東ドイツからの脱出者だった!東ドイツの首都・チューリンゲンで生まれた犬好きの幼馴染の二人は、1987年の春に結婚し、記念に生後三か月の雄犬、俊敏で、精悍な目つき、逞しいジャーマン・セパード“アシュラー”を子供の様にして飼っていた!アシュラーは特にヒルト夫人を母親のように慕っていた!旦那のヒルトさんは、ケルンに本社が在る西ドイツ最大の自動車部品メーカーの、エルフルト東ドイツ工場に勤めていた、度々技術習得のため会社から特別通行証を与えられ、東西ドイツを行き来していた、そして西ドイツマルクで支給してくれた現地手当を本社にデポジットしていた、そのことが東ドイツの秘密警察“シュタージュ”に密告され、外貨不正取得の容疑がかけられ、逮捕されれば生命の危険が迫った!当時、親兄弟、親戚、友人も密告者に成りゆる監視国家東ドイツであった!・・・

1988年10月15日、ヒルト夫妻は、ライプチッヒを経てアイゼナハの検問所から西ドイツ・ベブラへの逃亡を決行した!予定通り検問所の1キロ手前で、後部座席の隠れ場に夫人が入り、その上に、名目上、西ドイツの友人へのプレゼントとなるアシュラーが座った、だが、検問所に達すると、この日に限って、ヒルトさんは、警備兵から車の外へ出て、後部座席を開けろと命じられた!密告があったに違いない!もはやこれまで!覚悟を決めた!警備兵が後部座席に入った瞬間!アシュラーが猛然と警備兵に体当たりして、絶に離すまいと腕にかみついた!アシュラーの目が『ここは自分に任せろ!直ぐ逃げるんだ!』と必死にヒルトさんに訴え続けた!とっさにヒルトさんは運転席に戻りアクセルを踏んだ!その時、ロシア製自動小銃“AK47”が火を噴き、ヒルトさんの左足に激痛が走った!・・・

一刻の猶予もない、ヒルトさんは全速力で車を走らせた!遠ざかるバックミラーには、必死に戦うアシュラーが見えた、やがて、倒れて道路に横たわるアシュラーが見えた!涙が止まらなかった!有り難う、アシュラー!身を犠牲にして助けてくれたアシュラーの好意に応えて、ヒルトさんは必死にアクセルを踏んだ!そして西ドイツの検問所ベブラに着いた途端、ヒルトさんは気を失い、病院のベッドに横たわっていた、後部座席に隠れたままの奥さんも無事助かった!ヒルトさんの左足は切断手術を受け義足となった!・・『ベルリンの壁の解放が1年早ければ、アシュラーは無事だった!』・・この話を聞いて、松尾夫妻はヒルト夫妻にかける言葉を失い、ただ頭(こうべ)を垂れるだけだった!・・・

その後、松尾夫妻は3年ほど暫く、ヒルト夫妻に会う機会が無かったが、1991年の秋に再び会うことが出来た!ヒルト夫妻は、驚くほど快活になって居た!ベルリンの崩壊の翌年、1990年10月に東西ドイツは正式に統一され、東西の壁は完全に消滅した!その翌月、ヒルト夫妻はアシュラーの墓前に花を手向けようとして、忌まわしいアイゼナハ付近の農家を訪ね、アシュラーの埋葬場所を探した、何と、主人の脱出を助けたアシュラーの美談はアイゼナハ中に知れ渡っていた!銃床で殴られ、瀕死の状態になっても、直も攻撃を止めず戦い続けたアシュラーを、銃殺しようとした警備兵に「犬には罪はない!主人を助けるため、身を犠牲にしょうとした尊敬すべき犬ではないか!」と諭(さと)したビンツガーと云う隊長が、何と、アシュラーを家に引き取ってくれていたのだ!・・・

元々職業軍人でなく大学の教授をしていたビンツガー氏は、今も、すぐ近所に住んでいた、ヒルト夫妻が其の住まいを訪ねると、ビンツガー氏が出て来て言った「犬の飼い主の方でしょう!お待ちしてました、貴方方が玄関に来られた時、普段は吠えないのに、あの犬は飛び起き、一声吠えました、お待ちください連れて参ります!」、えっ!かなり衰弱しているが、アシュラーは生きていたのだ!連れて来られたアシュラーは一瞬、立ち止まり、ヒルト夫妻を伺った、とっさに奥さんが叫んだ『アシュラー!わたしよ、わたしよ!アシュラー!』、名状(めいじょう)しがたい唸り声をあげて、アシュラーがヒルト夫人に跳びついた!『御免ね、アシュラー!もう絶対に離さないからね!』 、アシュラーは夫人の顔をなめ回して、喜びを全身で表した!肩の荷が下りた犬大好きなビンツガー氏の顔が晴れやかだった!・・・

アシュラーを直ぐ、ケルンに連れて帰ったヒルト夫妻は、アシュラーを動物病院に入院させ、出来る限りの治療をほどこした!だが、手当の甲斐もなく、その半年後、最愛のヒルト夫人の膝の上で、アシュラーは安らかに息を引き取り、全四年半の短い生涯を終えた!だが、最後にヒルト夫妻と過ごした半年間は、アシュラーにとって、何十年間にも相当する至福の時間だったに違いない!・・松尾夫妻はヒルト夫妻に案内されてアシュラーが眠る墓地に案内された、アシュラーの亡骸(なきがら)は、ハーブ菩提樹・リンデンの大木の下に埋葬されていた!乱反射して四方に散乱する晩秋の光線に照らされて、黄金色に煌(かがや)きながら、風に舞うリンデンの葉が、何かを語り掛ける様に、ハラハラと、若かりし頃の精悍なアシュラーの写真が刷られた墓石の上に、降りかかっていた!アシュラー、Sleep in peace!・・・

 

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