Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

広島単身日帰り旅行記 2009年5月1日

2009-05-01 15:06:05 | 日記・エッセイ・コラム

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行楽日和の広島での昨日一日をシッカリ満喫して帰って来た、とにかく足早によく動いた一日だった、時には時間を惜しんで走り回った、その広島での思い出のすべては2本のフィルムに収められた、駆け巡ったこの一日を振り返るとまるでフルマラソンを走り終わったような達成感があった、このような一人旅をよくやっていた若き日々が懐かしく思い出される・・・

夜10時半頃帰宅した後、家内に一日の出来事をざぁ~~っと報告し、肩からかけていた旅行カバンの中味を取り出し、お方付けして、眠かったが入浴し疲れた身体を癒してから12時半寝床に雪崩れ込んで深い眠りに着いた・・・今朝目覚めたのが7時半であった、よく寝た~~~・・・

今回の旅のもう一つの目的は毎年1月の第3日曜日に行われる都道府県対抗男子駅伝のコースを生で観たかった、

またやっちまったよ!!この後小まめにアップするのを忘れて一気に投稿記事を書き上げ“確認”をクリックすると・・・ ♪ 全て ぱ~~なのよぉ~~!! バカにしやがってバカにしやがって!!コッノヤロウ~~!!♪ アップする前にメモ帳にコピペするべきだったと後悔の念が残る、ガァ~~~ん!!昨夜はガックリり落ち込んだが・・・今朝の晴れやか爽やかな天気のように平静を取戻して中味は少し変わるだろうが再度挑戦することにしよう、つら~~~(>_<)

前日JRみどりの窓口で加古川⇔広島間の往復切符を購入した際、朝の出発に少し余裕をかませた、ひかりRailStar545号が姫路を静かに滑りだしたのは7時20分だった、そして1時間ちょっとで広島に8時23分に着いてしまった、早~~~!!1番ホームに急いで岩国行きに飛び乗った、25分で宮島口に9時頃に着いてしまった、ちなみに広島電鉄で宮島口に行くと46分かかるとのことだった・・・

あっ!!ここら辺でアップしないとまた旧(もと)の木阿弥になってしまう、“確認”→“保存”をクリック!!・・・よしよし順調順調☆☆ 閑静な駅前通りには人影はまばらだった、あっ!!ここで姫路駅でRailStarのカモノハシのような容姿をカメラに収めようとしたときスタートボタンが動かず撮れなかったことを思い出した、カメラ屋を捜せど人に訊けど宮島口にはカメラ屋がなかった、JR駅員に訊けば広電で一つ戻った廿日市のスーパーに行けばあると教えられ急いだ・・・

スーパーは開店していたがカメラ屋さんは10時開店で網が張られていた、暫らくすると背広姿の店長らしき男性が網の隙間から店に入って行くのを見付けた、まだ15分前だったが快く小生のカメラを診てくれた、どうやらスタートボタンが硬くなっているのもあったが、何処かにぶつけたかレンズが出にくくなっているようだった、ぽんぽん叩いて何とか作動するようになった☆☆お礼を言って宮島口に戻って行った・・・

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フェリー乗り場に行くと小生お目当ての“錦堂”がテーブルを出してもみじまんじゅうの宣伝セールスをしていて小生にも一個振舞ってくれた、お陰で空腹が緩和された、自動販売機でフェリーの往復切符を買ってそれを係員に見せフェリーの桟橋に向かおうとすると止められた、そこはJRの乗り場で小生のは隣の松大フェリーのものだった、やがてフェリーに乗船して目の前の松島/天橋立と並び日本三景の一つ宮島に向かったのは10時半頃だった・・・

グングン近づく宮島にカメラを向けたがいっこうにあの大鳥居が現れてこない、さては2004年の台風18号でぶっ壊れたままなのか??乗船客に訊くと右の入り江の方を指差してくれそこにあるとのことだった、小生が狙いを定めたのは同じ平安回廊調もどきの桟橋とデッカ~~いフェリー乗り場の建物だった、あちこちに観光客からは餌を遮断された、おとなしく礼儀正しい鹿達がのんびり日光浴を楽しんでいた・・・

島全体に扇のように広がる弥山(みせん)をバックにその麓には到底半日では廻り切れない無数の重要文化財の宝庫の名所旧跡が点在する、太古の昔から宮島は神の宿る島として崇(あが)められてきた、まず小生が300円払って拝殿したのは、何と言ってもこの島の一押しである6世紀の神仏習合時代、593年女帝・推古天皇が全国各地に建立した天照大神父系直属の三姫(イチキシマヒメノミコト、タゴリヒメノミコト、タキツヒメノミコト)を御神体とする厳島神社の総本山・安芸の国の一の宮である、1168年には平清盛が平安京を偲ばせる現在の社殿を造営している、1996年には世界文化遺産に登録されている☆☆

また宮島はインド渡来、学問・音楽・財福の神“弁天さん”の大願寺も5大“弁財天”(大和の天の川、近江の竹生島、相模の江ノ島、陸前の金華山)の一つとして知られているらしい、清盛神社裏にある、“清盛茶屋”で濃縮甘酒を頂いたが、そこの女将が個人の“生誕記念御札”を申込みに大聖院に行くよう薦めてくれその申込書を1枚くれた、表参道であるお土産もの通りを歩いているとやたら“しゃもじ”の陳列が多いのに気付き、店頭に立っていたおばあさんに訊くと光明院の誓真上人が徳を召し取るをモットーにこの宮島オリジナルとして全国に広めたと教えてくれた、小生も300円のを1本買った・・・その店から少し歩いたところに7~8mもあるだろうと思われる“マンモスしゃもじ”が展示してあり、その前で多くの観光客が記念写真を撮っていた、ロープウエーだの水族館など上げれば切がない程見所満載の宮島である・・・

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空腹がぐうぐう~~昼になったのでフェリー乗り場の向かいにある食道に入って“かきめし”丼を注文した、テーブル横の壁に“厳島合戦”を取り上げた新聞の記事が張ってあった、どうやら安芸の国(今の広島西部)の領主・毛利元就(もうり もとなり)と周防(すおう)の国領主・大内氏の重臣・陶晴賢との水運路争奪合戦だったらしい、毛利元就は卑怯にも伊予(愛媛)の村上海軍にも援軍を求め圧倒的勝利を収めている、小生“陶晴賢”の読み方に悩んでいた、注文の品を運んできたおばあさんに訊くと“すえ はるかた”だと教えてくれた、あれで“すえ はるかた”と読める人が何人いるだろうか??かきめし丼をペロッとたいらげ、12時半頃島を離れ対岸に向かった・・・

小生のこの度の旅のもう一つの目的に毎年1月第3日曜日に開催される、あの都道府県対抗男子駅伝のコースを辿って観ることだった、宮島口のフェリー乗り場の直ぐ前にあの4区(高校生区間阿品までの5km)に繋ぐ宮島街道第3中継所となる宮島口ロータリーがある、ロータリーとJR駅が見渡せる駅前通りをバックに通りすがりの地元の同世代の男性にシャッターを2枚切って貰った、さぁっ!!広電に乗ってのんびりと宮島街道の駅伝コースを眺めながら市街地に向かおう・・・

JR阿品駅前から広島工大高前までの5区8.5km、広島工大高から草津橋までの6区3kmと進み、そして草津橋から最終区7区13kmアンカーにタスキが渡り優勝かけて市街地に向かう、やがて平和大通りに入り、ランナー達は最後の粘りに歯を食いしばり平和記念公園前を一旦素通りして駅前大通を左にとり広島駅ビル“Asse”近くの城南通りを左折して行く、広島城天守閣を右に見て進んで行くと中広通りにぶつかる、そこを左折し進み西観音電停東を左折し再度平和大通りに入って行く、平和記念公園前のゴール目指してあと600mのデッドヒートの火花が飛ぶ!☆

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小生の乗った広電市街電車はやがて相生通りに入り太田川から枝分かれした本川と元安川をまたぐ相生橋を渡ると原爆ドーム前で停まった、そこで下車して目の前の元広島県産業奨励館だった原爆ドーム(世界文化遺産)を相生橋の上からカメラを構え何枚もシャッターを切った、そして平和記念公園の方向へ脚を進めて行った、被爆の時刻“8時15分”に『No more Hiroshima!!』のチャイムが鳴り響く平和の時計から平和の鐘→原爆供養塔→平和の泉→平和の灯火(ともしび)→原爆死没者慰霊碑と進み、やがて広島平和記念資料館に入って行った・・・

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そこには眼を覆いたくなる被爆地広島の惨状が生々しく横たわっていた、多くのアメリカ人、西洋人、外国人と共にそこに広がる余りにも悲惨な出来事の生き証人となった、よくも現在の広島に復興できたものだと広島県人を含む日本人の力に感服し心の中でひれ伏した、想像を絶する大きな犠牲を払い日本平和の礎(いしずえ)否、世界平和の礎になった被爆地、広島・長崎に手を合わせた(祈り)・・・赤道直下の紫外線の100倍もの熱線を浴びた被爆犠牲者の染色体は回復不能のずたずたに切り裂かれ皮膚や内臓の奇病に苦しめらた!!・・・

小生の肌は今日一日結構強い紫外線を吸収しただろうな、もし“エフライム”のUV強度によって色が変化するという“UVチェック扇子”あったらよかったのになぁ~~、“voigeオーガニックタオル”があったら汗を拭けたのになぁ~~、ほしい~~!☆

元安橋を渡って原爆ドームの裏側から相生通りを渡り旧市民球場から広大な中央公園を抜けた、そこには第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議全権大使・加藤友三郎第21代内閣総理大臣、小生にもお馴染みの長期にわたり厚生大臣と文部大臣を務めた灘尾末吉との郷土の名士・二体の立派な立像が鯉の塔の近くに立っていた、内掘りにかかる橋を渡って表御門から1589年毛利輝元築城の毛利家の居城・広島城内に入った、五層の天守閣は時間の都合で省いたが平櫓や太鼓櫓や多聞櫓を繫ぐ回廊を見学した・・・

そして最終区の周回コース途中にある城南通りを逆向きに広島駅に向かった、今夜巨人戦のあるマツダ・スタジアムへの地下道へ降りて行ったが、地下道はAsse附近だけで、また地上に出てJR線路沿いに設けられた舗道を2連勝と意気挙がる多くの広島ファンとともにスタジアムに急いだ、8分ほど歩き5時頃MAZUDA ZoomZoomスタジアム広島に到着した・・・

空席状況パネルを観てから当日券発売窓口に並んでバックネット裏最上段に広がる内野自由席1600円を買ってスタジアムの中に納まった、グランドでは巨人のシートノックが始まっていた、内野も外野も芝生に覆われやがて6基の照明塔に照らされ緑が鮮やかに浮かび上がった、各階に軒を連ねるフードスタンドで広島風お好み焼きを捜し求めてビールを添えてゲットした、3階の内野自由席に上がって行きほぼ満席の中から一つぽつんと空いている通路側の空席に腰を降ろした、やれやれ・・・

カープのマスコット“スライリー”が先導してYMCAのリズミカルな踊りが終わり、6時少し前に試合が始まった、3連戦3連敗を避けたい巨人は松本、脇谷の出塁の後3番・小笠原が先発・前田健からいきなりライトスタンドに3ランホームランを叩きこみ先制した、しかしカープも先発・福田から3回天谷の2ランなどで同点に追いついた、5回に1点を追加された前田は6回からコブロスキーに継投された、そのコブロスキーが乱調で脇谷等に打たれて2点を献上して1回も持たずに降板した・・・

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その裏のカープの反撃も不発に終わり大差3対7となり勝負あったと見て、少しカープうどんを食する余裕も持たして席を立った、ホールに出ると2階も3階もカープうどんのスタンドの前には長蛇の列が出来ていた、いい時間にもなっていたのでカープうどんをあきらめて、ざわめく声援と煌煌と光るマツダ・スタジアムをあとにして広島駅に向かった、駅内の売店で錦堂のもみじまんじゅうの他にビールとつまみを買ってから20時46分発ひかりRailStar582号に乗り込み家路についた・・・

車両入り口上部に流れるニュース速報テロップ(telop: Television Opaque Projector テレビ実物投影機)からお知らせとニュースが次々と流れていた、今世界を騒がしているメキシコの豚から人に感染し、更に人から人へも感染すると言う新型H1N1インフルエンザA型の速報が一番頻繁に流れていた、WHO(世界保健機構)は毒性は低く“弱毒性”で“低病原性”あるもののPhase 3→Phase 4→今ではパンデミック(世界的流行)手前のPhase 5に警戒レベルを上げている、日本には確か3万人分のタミフルとリエンザの備蓄があるらしいが、WHOは目下5月中本格的製造目指して新型ワクチンの開発を急いでいるとか、毎年世界ではインフルエンザに感染して1万人の命が失われているらしい、一体いつになったら収まるのだろうか??自然消滅して行くのだろうか??・・・

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