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まらずもうの歴史(14) 天智天皇と額田王

2020-05-12 10:00:00 | まらずもうの歴史

 あいかわらず外出自粛生活がつづいております。やることがないので、古い歌の話でもしたくなりました。

 

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手はつゆにぬれつつ (天智天皇)

 小倉百人一首の第一番ということで、とても有名な歌ですね。わたくし暗記が苦手なもので、百人一首はおぼえきれなかったのですが、さすがにこの歌は覚えております。ざっくり現代語訳すると


 秋の刈り入れの終わった田んぼの仮小屋のとまぶきの目が粗いので、わたしの袖はつゆで濡れていく


 なんだか、わかったようなわからないような感じですが、だいたいこんな意味でしょうか。高校の古文だとふつうは「袖が濡れる=涙で濡れる」という公式めいたことを暗記させられるわけですが、ここでは「泣く」という意味で解釈している参考書は見当たりません。つゆで濡れてゆく……ってだけです。

 涙じゃなかったらなんで濡れているのか? 屋根や壁のすきまが粗いとなぜ袖が濡れるのか。解釈がむずかしいですね。雨漏りで濡れるなら「雨にぬれつつ」と言えばいいものを、わざわざ「つゆ」と言う以上は、雨で濡れているわけではない。では「つゆ」とはなんのつゆなのか。

 そうです。「精液」です。天智天皇は露出趣味があったので、誰かに見られながら自慰をすると興奮する性癖があったのです。


 秋の刈り入れの終わった田んぼの仮小屋のとまぶきの目が粗いので、だれかに見られているようなスリルから自慰もはかどり、わたしの衣や手は精液で濡れていく


 こういう解釈が成立するわけです。この解釈をふまえると、額田王のつぎの歌の解釈も変わってくるかもしれません。

 

 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る (額田王)

 額田王は天智天皇の愛人であり、天智の弟の天武天皇とも恋愛関係にあったと言われている、よくいえば「恋多き女性」、今風の言葉でいえば「ビッチ」です。美人だったとの伝説もあり、いまでも文学少女たちから人気がある万葉歌人ですね。

 この歌もすごく有名で、高校の教科書で読んだというひとも多いと思いますが、これをふつうに現代語訳するとこんなかんじでしょうか。


 明るくかがやく紫草の野を行ったり御料地の野を来たり。野の番人が見ていないでしょうか。あなたが手を振っているのを


 わたくしの学力不足のため、どうもうまく訳せませんでしたが、だいたいの意味は伝わりますかね。天智天皇が主催して宮中のみんなでピクニックに行った折、額田王が天武天皇に「私に手なんか振ったら、二人の不倫関係がばれてしまいます。手を振るのはやめて」と呼びかけた、ちょっとお昼のメロドラマっぽいシーンだという解釈が一般的です。この時代においては「袖を振る」というのが求愛行動だった、という解説もよく見かけます。

 これもたしかに読者の想像力をかきたてるおもしろい解釈だとは思うんですが、「不倫関係がばれるからやめて」って大っぴらにアピールするってのは、なんか不自然ですよね。歌になんかしたらかえって自分から不倫関係を宣伝しているようなものです。

 というわけで、べつな解釈の可能性も考えてみたいところ。このときに「秋の田の」の歌の解釈が補助線のように働いてきます。これは不倫相手の天武天皇に呼びかけた歌ではなく、天智天皇への呼びかけだと考えてみましょう。

 ピクニックでひさびさの外出、息苦しい宮殿を離れて解放感にひたる天智天皇。生来の露出趣味もあり、公然と自慰行為を始めてしまいます。いっぽう、自分の旦那がしこしこと袖を上下させているのに気づき、あわてたのが額田王。「ちょっとあんた! 人前でなにやってんの!」という気分を表現した歌だと考えると、解釈は以下のように変わります。


 外が明るいってのに、紫草の野原に射精! 御料地に射精! 野の番人が見てるんじゃないですか! あなたが袖を振ってオナニーに励んでいるのを!


 旦那の公然わいせつをあわてて制止する額田王と、愛人にきつく叱られてますます興奮する天智天皇。二人の表情を想像すると、ちょっと微笑ましいですね。

コメント
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