ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

新銀行東京に思うこと

2008-03-13 12:28:27 | 経済・金融・税制
バブル期の不良債権処理と、相次ぐ銀行の合併が行われて以降、気がつくと銀行員の外回りが減っていた。

私が税理士として、町の零細企業を回っていると、時折銀行員と鉢合わせになることがあった。当時の銀行員は、足しげく町の零細企業に通い、雑談まじりに経営者の相談相手になっていたものだ。私はけっこうライバル意識を燃やしていた。

ところが、相次ぐ合併・統合で銀行の名前が次々と変わりだした頃から、銀行員の姿を外で見かけるケースが減ってきた。経営者も愚痴をこぼす。集金に来てくれないから、自分で銀行まで足を運ばねばならないと。

同時に、この頃から銀行融資のやり方が変わってきた。その企業を担当する支店が審査をするのでなく、本店の審査部または別会社の審査専門機関が、企業の財務状況をチェックして、融資の可否を決めるようになった。

もちろん、バブル期の不良債権の増加に懲りての反省からきた対応策だと思う。分らないでもないが、財務内容のしっかりしている大企業ならいざ知らず、町の零細企業に適切な審査方法だとは思えなかった。

この目で見ずして、零細企業への融資を決めるやり方に、私は不信感を持たざる得なかった。私は税理士として、企業の決算書を作る立場にある。だからこそ、よく分る。決算書の示す企業の価値は、せいぜい5割程度に過ぎないことを。小さな会社の価値を知ろうと思ったら、まず社長に会うことだ。そして、その仕事ぶりと、その成果(製品や現場の状況)を見てみなければ、決して分らないと思う。

株主が企業の経営を役員に任せられる大企業なら、その決算書を精査することで、かなりの企業価値を判断できると思う。しかし、街中の零細企業を大企業と同じ手法で判断するのは無理だ。経営者の技量と、従業員の質に拠る部分が大きい零細企業では、決算書では、本当の企業価値は分らない。だからこそ、足を運び、社長に会い、現場を見せてもらう必要がある。

今、話題になっている新銀行東京の実質的経営破たんだが、私は当初から予想していた。決算書の審査だけで融資を決める、その手法では、騙されるのも当然だと考えていたからだ。デスクワークの得意な官僚たちの机上の経営なんて、その程度のものだろう。経済は数字だけでは分らない。

バブル期前の銀行員は、そのあたりの事情を分っていた。だから、支店長が自ら足を運び、社長と会い、その働く現場を見て、その上で融資を決めた。日本の経済を支えてきたのは、町の中小企業だった。その実情を知るには、実際にこの目で見なければ分りはしない。

実際、決算書が赤字でも、その企業の社長を信じ、可能性に賭けた銀行の決断あってこそ、高度成長は達成された。だからこそ、当時の経営者は銀行を経営のパートナーとして信じていた。メインバンクという言葉は、決して虚構ではなかった。

でもね、今の経営者で銀行を経営のパートナーだと考える人はいない。メインバンクなんて言葉は信じていない。新銀行東京の失敗を、偉そうに論じている銀行経営者たちは、よくよく自身を振り返るべきだ。企業への資金融資の実力は、以前よりはるかに低下していると私は思う。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「LAコンフィデェンシャル」 ジェームズ・エルロイ

2008-03-12 13:15:52 | 
単純明快な楽しみも確かにあるが、複雑で難解であるがゆえの楽しみって奴も確かにある。

数多在るミステリーのなかでも、その事件の複雑さ、織り成す人間模様の絡み具合、場所は近いのに時間のずれからくる不明瞭さなど、一ひねりも二ひねりも工夫を凝らすのが、表題の著者エルロイの特徴だ。

白状すると、一時は嫌っていた。読みにくい、分りづらい、長いの三重苦のミステリーだからだ。ところが、しばらく時間を置くと、またも読みたくなるから不思議な作家だ。

個性の強いカクテルのような作家だと思う。アルコールが強目の上に、フルーツの甘みと、隠し味のスパイスが絶妙で、千鳥足でふらつきながら、二日酔いの予感に怯えつつも、ついつい飲みすぎてしまう。

他に同じ味わいの作家を読んだことがないから、それだけ個性的だと言えるのだろう。ただ、ロス暗黒史4部作が代表作と言われるように、人間の心の奥の暗い部分を好んで取り上げるので、連続して読みたい作家ではない。

少し時間を置いて、心を休ませないと、次の作品には取り組めない。読者の心にも、相応のダメージを与える罪な作家なので、覚悟を決めて読んでみてください。強いてお勧めはしませんがね。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話せば分かる?

2008-03-11 12:36:13 | 日記
話せば分る、分かり合えるはずだと言う人がいる。私には信じられない。

中学一年の時の級友にSがいた。小柄で細っこいが人懐こい奴で、仲は悪くなかった。正直発育不良気味だったが、運動神経は良く、野球などは達者なものだった。ただ、ちょっと性格が子供っぽかった。

体育の授業でのサッカーの試合中だった。ボールをドリブルしながら駆け上がるSに、私が後ろから追いつき、ショルダーチャージで揺さぶって、ボールを奪い取った。前線にボールを蹴りだし、振り返ると、顔面を真っ赤にしてSが殴りかかってきた。

なに、熱くなっているんだ、と声をかけつつ、パンチをかわした。先生が割って入り、Sを投げ飛ばした。で、振り返って私にビンタ一発。ちと憮然としたが、喧嘩両成敗がお約束なので我慢した。でも、喧嘩した気ないぞ。

驚いたことにSは、再び私に飛び鰍チてきた。が、先生に組み止められ、裸締めで落とされた。私にSを保健室まで運ぶよう命じ、なにごともなく試合は再開された。

授業を終え、更衣室で着替え、クラスに戻る途中の渡り廊下で、再びSに襲われた。まだ体育着のままで、保健室から飛び出してきたらしい。多少、むかついていた私は斜め後ろにかわしぎわ、足払いをかけて転倒させた。再び起き上がって、殴りかかるのを見計らって、腹に膝蹴り一発。宙を舞ったSは、そのまま地面に叩きつけられ、腹を押さえて悶絶していた。

気分の悪い喧嘩だった。小柄すぎるSと私では、当時体重差は10キロ以上あった。中学生の10キロ差は、ほとんど勝負にならない。やはり体格差によるハンデは大きい。だが、何故に彼は私に激情したのか?

察するに、Sは私が喧嘩に弱いと考え、格下に思っていたらしい。これには訳がある。当時、私はいきがりたい年頃で、頻繁に喧嘩を繰り返していた。基本的に自分と同格か、それ以上の強い奴と喧嘩をしていたので、連戦連敗。いつも顔面を腫らし、拳を痛め、びっこを引くことが多かった。そんな私にSは「弱いのに無理するなよ」と邪気なく笑っていた。

格下と思い込んでいた私に、ショルダーチャージで弾き飛ばされたのは、相当に悔しかったらしい。私はSを嫌いではなかったので、苦悶する彼を更衣室の裏まで運び、休ませると、そのまま教室に戻った。給食の時間だったしね。

ところが、給食の最中に、再びSは駆け込んできて、私に殴りかかった。もう、うんざりだ。しかも、不味いことに担任が教壇で一緒に食事してやがる。

Sのパンチをかわしつつ、背後を取って、廊下に引っ張り出す。「いい加減にしろよ」と宥めるが、勝負しろ~と叫ぶばかりのSに閉口した。担任がやってきて、まず私にパンチ一発。続いてSにも一発。ところがSは収まらない。日大相撲部出身の担任の先生は、慌てずSの首筋に手斧一発。うちの先生、こんな人ばっかり。

結局、教員室に連行され、体育の先生ともども事情を聞かれた。一通り聴取が終わると、担任が一言。「ヌマンタ、お前、中途半端な優しさは駄目だぞ」と。私は休み時間にトイレ掃除をいつけられ,Sは再び保健室行きだ。

教室に戻り、クラスのなかでも腕っ節の強さに定評あるMに相談すると、担任と同じ事を言われた。「お前、なんで渡り廊下で倒した時、徹底的にぶちのめさなかったんだよ?あの時ケリをつけておけば、こんなに長引かねえぞ」と。

そう、私はみぞうちに膝が入って苦悶するSに、止めをさす気になれなかった。あの時に、しっかり「参った」をとっておけば、こんなことにはならなかったと思う。

結局、Mに事後の処理を頼むことにする。条件は私が、皆の目の前でSにしっかり謝ることだ。放課後、MはSを私の目の前に連れてきた。Sの顔には、二箇所ほど青あざがある。これはMの得意技、拳骨ヘッドロックの痕に違いない。Mの拳は石のように堅い。普通のヘッドロックに、この拳をはさんで締め上げるこの技は、拷問技といっていい。とても我慢できるものではない。

涙のかすかな痕が残るSに対して、私はしっかり頭を下げて謝罪した。これで一応、決着はついた。Sとの関係が冷え込んだのは致し方ない。その後、クラス替えがあり、自然と縁遠くなった。

一年後、私は真面目っ子になることになり、元の遊び仲間から裏切り者扱いされ、苦闘の毎日を送っていたある日のことだ。腫れ上がった顔を冷やすため、水のみ場で顔を洗っていると、久しぶりにSが声をかけてきた。「よう、相変わらず喧嘩弱いな。でも、もうすぐ奴らも飽きると思うから辛抱しろよ」。思いもかけない一言だったので、呆然としていると、Sはニヤっと笑って「勉強頑張れよ」と言い、立ち去っていった。それがSとの最後の会話だった。

もし、あの渡り廊下での喧嘩で、徹底的にブチのめし、参ったをとってケリをつけていたならば、Sとは友達でいられただろうか。児戯めいた頑迷さを持つ奴だから、いくら話し合っても和解はなかった事は断言できる。やはり、私が甘かったのだろう。思い出すと、いささか苦い悔恨が胸をかき乱す。

私は話し合いを否定しているわけではない。話し合いで済むなら、それに越したことはない。しかし、世の中話し合いでは済まない場合もある。その場合は、実力による対決が最も有効だろうと考えている。そして、やるなら、徹底的に覚悟を決めてやるべきだ。中途半端な優しさは、むしろ却って遺恨を残す。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「100匹目のサル」 船井幸雄

2008-03-10 12:40:46 | 
最初の印象が悪いと、その後の評価がやりづらい。

なんといっても、あの船井総研のカリスマ的創業者だ。日本全国に4000を超える顧客を持ち、10万を超えるファンを抱えていると称される。外資系のコンサルティング・ファームが幅を利かすなか、純国産のコンサルティング会社として、最もよく知られた会社の一つだと思う。

私の知る範囲でも、パチンコ屋やスーパーのチラシ作成、ラーメン屋の店舗レイアウト、定食屋の献立作成とその仕事の範囲は広いというより、庶民的ですらある。まさに中小企業が多い日本の実情に即した会社だといえよう。

船井氏の著作も多い。一体、何冊本を出しているのか知らないが、本屋の経営関係の書棚には、必ずと言っていいほど、船井氏の本は置いてある。

ただ、私の印象は悪い。最初に読んだ本の印象が、凄く悪いからだ。その本が表題の本である。読み出して、こ一時間もしないうちに、私は不快に思っていた。

この100匹目の猿の話は、動物好きの間ではけっこう有名な話だ。私もこの本を読む数年前には、既に知っていたぐらいだ。ところが、船井氏の書き方は、まるで自分が見て、自分が気がついたかのような書きぶりなのだ。

巧妙に書いているので、知らない人は、船井氏の慧眼に感心すると思う。でも、既にこの話を知っている人は、故意に出典をぼかして書く、このやり方に不快を感じると思う。要するにパクリなのだ。

船井氏は、この話の第一発見者と自分を位置づけているわけではない。あくまで話のネタとして、引っ張ってきたにすぎない。それは分る。分るけど、少しあざとくないか?

この本のせいで、私は船井氏個人及び船井総研自体に、妙な偏見を持たざるえなくなった。私が今、働く税理士業界でも、どうもトラブルがあったらしいことは、聞き及んでいる。詳しくないので書く気はないが、私の悪印象は、今も変える必然性が感じられない。

本、一冊で全てを決めるのはどうかと思うので、これからも注意しておこうと考えている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネットカフェ難民に思うこと

2008-03-07 12:26:26 | 社会・政治・一般
冷淡と誹られる事を承知の上で言わせてもらうと、ネットカフェ難民ってバカだと思う。

初めてその言葉を知ったのは、雑誌週刊SPAだったと思う。日雇い仕事と派遣で食いつなぎ、寝泊りは漫画喫茶やネットカフェで済ます人々。マスコミが面白可笑しく、一部の変わり者を取り上げただけかと思ったら、本当に実在していた。

漫画喫茶はたまに行くが、それも昼間か宵の口まで。ネットカフェには興味はない。そんな私でも、浮浪者独特のあの異様な臭いを漂わせた若者が、漫画喫茶などに出入りしていることには気がつかざる得ない。

そりゃ、いろいろ事情はあろうと思う。思うけど、働ける身体がある以上、金をためればいいだけのこと。今の日本で、それが出来ないとは言わせない。

私が痩せこけた中国人青年のA君を知ったのは、とある外国人バブだった。ボーイとして働いていた彼は、なかなか気が利くボーイさんで、キビキビと働く様が印象に残っていた。私はその店のボーイの時給が、おそろしく安いのを知っていた。他のボーイさんたちは、最低限の仕事しかしていないだけに、彼の機転の利く働きぶりが気に入っていた。チップを渡したこともあると思う。

ある日、仕事を終えて一杯飲もうと件の外国人パブへと向かう山手線のなかで、A君に出くわした。なんと彼、電車のなかで寝ていた。おそらく不法入国者である彼は、住まいがなかったのだと思う。暖かい電車のなかが、A君の唯一の憩いの場であったらしい。多分、降りる駅は同じだと思っていたら、本当にそうで彼の鞄のなかからアラームが鳴り、彼は目を醒ました。

声をかけ、一緒に降りて、ついでに食事に誘った。遅刻にならないよう、店には客の私と一緒だと伝える。彼が美味しいと太鼓判を押す中華の店に連れて行ってもらう。歌舞伎町の裏手の雑居ビルのなかにあった小さい店だが、たしかに美味しかった。しかも二人で3000円でおつりがくる。5品は頼んだはず。これには驚いた。

A君はやはり家はなく、電車のなかが寝室代わり。日本は安全だから出来るんですと、はにかみながら語る彼の眼には希望があふれていた。昼間はホテルの清掃、夜はボーイ。深夜は他の店でボーイと、一日に3っの仕事を掛け持ちしていた。

その数年後、彼は店を任され、アパート住まいに昇格した。私がその店に行かなくなったので、近況はよく分らないが、人づてに一戸建ての家を買ったと聞いている。あの頑張りを思えば、別に不思議ではない。

店を任せたオーナーの話では、彼は中国人には珍しくギャンブルをやらないから、信頼して任せたという。多分、しっかりと蓄えていたのだと思う。

敢えてネットカフェ難民は愚か者だと断じたい。無駄金使わず、しっかりとためてアパートくらい借りろ。漫画を読んだり、ネットゲームに呆けている暇があるなら働け。新聞の求人欄をみれば、仕事はまだまだある。

単に頭が悪いだけではないはず。なにより心構えの問題だとも思う。人間、一度堕落すると、そこから抜け出すのは難しい。おそらく極度に貧しい環境から来たA君にとっては、働けば稼げる日本は天国なのだろう。しかし、それなりに普通の生活を送っていたはずの日本人は、一度生活レベルを落として、それに馴れてしまうと、なかなか脱出できない。

よほどの覚悟を決めて、遊びを止め、無駄金を使うのを止め、しっかり貯金して半年頑張れば、ネットカフェ難民からの脱出は難しくない。問題は、その覚悟がないことだ。中途半端な同情は、むしろ状況を悪化させると思う。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする