ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ヒグラシ

2012-08-31 12:12:00 | 日記
喧しいほどの蝉の鳴き声に、いささかウンザリしている方は少なくないと思う。

地面の下で数年間を過ごし、ようやく地上に出て声を限りに鳴けるのは、わずか数週間。そのはかなき生涯を思えば、蝉の鳴き声くらい我慢してあげたいが、最近の蝉は夜中でも鳴く。その鳴き声の大きさに、快眠を妨げられる場合もある。こうなると、やはりウンザリせざるを得ない。

うちの近所だとアブラゼミ、ミンミンゼミが中心なので、より大声のクマゼミに悩まされるよりは、多少マシかもしれない。たまにツクツクホウシの声を聴くと、なんとなくホッとした気持ちにさせられる。

でも、一番の美声はヒグラシだと思う。漢字だと日暮と書くように、本来は夕刻から宵の口にかけて鳴く蝉なのだが、近年は夕刻でも十二分に暑くて、ヒグラシもなかなか鳴かない。

この夏、驚いたのは、ヒグラシが明け方に鳴いていたことだ。蝉は温度によって鳴く時間を認識するらしいが、最近はあまりに暑くて、夕刻になってもさっぱり気温は下がらない。

夜になっても熱帯夜が続くせいで、蝉の大半が夜も休まずに鳴く始末。ようやく気温が下がる明け方になって、ヒグラシが涼しげな鳴き声を上げるのだから、温暖化とは喧しいものだと思う。

ちなみに、ヒグラシの鳴き声は「カナカナカナ・・・」と少し悲しげに、でも軽やかに聴こえる。他の蝉のやかましさに比べると、清涼感さえ漂う美声だと私は思っている。少し悲しげに聴こえるのは、ヒグラシの鳴く時間になると、遊びを止めて家に帰らねばならなかったからだ。

子供の頃、夏休みは無限に長く感じられ、一日中遊んでいられる幸せを満喫したものだ。でも、夕暮れが近づき、腹ペコの虫が鳴くころになると、それを察したかのようにヒグラシが泣き出す。

カナカナカナ・・・

あァ、もう家に帰る時間なんだと思い、友達と家路についたあの頃は、今より時間は長く感じたものだった。

あれから40年以上たち、今や一日の時間が過ぎ去るのが速いこと、速いこと。夕暮れになっても仕事は終わらず、そのまま残業となり、仕事を終えた時間には既にぴあホールも閉まっている。

仕方なく寄り道もせずに帰宅して、一風呂浴びてのビールが美味い。時間の過ぎ去るのが速く感じると同時に、朝起きるのも早い。こう熱帯夜が続くと、5時前には目が覚めてしまう。

少し早く起き過ぎたとボヤいている私の耳に聴こえるのは、かつて夕方に聴いていたはずのヒグラシの鳴き声。微妙な違和感と、過ぎ去りし日々を思い出す不思議な朝。もう既に9月に入ろうというのに、未だ熱帯夜は続く。

でも、後少しなのだろう。蝉の鳴き声が途絶え、空に赤とんぼが舞い、スズムシやコオロギの鳴き声が夜を彩る季節が巡ってくるのは。

一日の過ぎ去るのが速く感じると同じく、季節の移り変わりも速く感じる。ぼうっとしていると、それさえも忘れてしまいそうだ。日本人らしく、季節感は大事にしたいと思うな。
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IOCの不手際

2012-08-30 12:02:00 | スポーツ
子供の頃から式典って奴が嫌いだった。

入学式から卒業式に至るまで、とにかく式典で無駄な時間を費やすのが大嫌いだった。根本的に、じっとしているのが嫌いな子供だった。それは今でも多少は名残が残っている。

ただ、さすがに社会人ともなれば、形をととのえる式典の重要さぐらいは理解できる。でも、面白くもない話を長々と聞かされる退屈さは、やっぱり好きになれない。それでも、式典をしっかりとやっておく必然性は認めている。

正直言って、それほど関心はなかったのだが、今回のロンドン五輪、いささか不手際が目立った。

毎回オリンピックの入場式典の最後を飾るのが、点火の儀式であり、開催国は華麗さと独自性を競って、この華やかなフィナーレを演出してきた。ところがだ、今回の点火を日本選手団は会場で観ていないらしい。

もちろん、入場行進はしていた。当然に会場に並んで、点火の儀式も観ているはずであった。ところがだ、IOCの担当者の間違いで、入場行進の途中で会場を抜け出てしまい、点火の儀式を日本選手団は生で観れなかったという。

ちょっと、ひどくないかい。

いくらイギリス庶民が日本嫌いだからといって、この扱いはあんまりだ。そりゃ、点火の儀式を見る、見ないはオリンピックの成績には関係ない。あいかわらず役人気質濃厚なJOCは、事なかれ主義を発揮して、今回のイギリスIOCの不手際に対する抗議を見送ったそうだ。

私としては、この怠惰な事なかれ主義のほうが腹が立つ。

人間だからミスは仕方ない。詳しくは分からないが、入場式典の途中退場は珍しくはあるが、可能であり、実際それを申し入れていた国もあったらしい。ただし、今回の日本選手団は当然に途中退場の申し出はしていない。

だからIOCの担当者のミスであることは明らかだ。別に賠償しろとは言わないが、正式に抗議ぐらいするべきではないのか。しないのは、何か理由でもあるのか?

大体、日本選手団の参加者のなかには、少なからず競技に出場しないJOCの役員様ご一行が多数含まれていることで悪名高い。あまりに多すぎる関係者ご一行に嫌気がさして、会場の外に放り出したのかと勘繰りたくなるではないか。

別に点火の儀式に大した価値があるとは思わないが、抗議ぐらいするべきだったと私は思うぞ。既にオリンピックが終了してしまったので、おそらく何もやらずに済ます気満々なのが実に不愉快だな。
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ハマコーの死

2012-08-28 12:04:00 | 社会・政治・一般

まじめに評するのに困る政治家だった。

自ら広言していたように、やくざ上がりの政治家である。戦後、横暴を働く朝鮮人暴力組織と戦ったと語るが、それだけではない。元々港町富津の出であるだけに、千葉沿岸の工場用地買収で漁師たち相手に交渉に乗り出して大儲けしたことは、なぜかあまり語られていない。

豊かな漁場であった東京湾の漁業権を買い取り、埋め立て用地を確保して工業地帯の開発に寄与したと言っても、そう間違いではない。でも、漁業権買い取りや用地買収に反対する漁民たちを脅かし、だまかし、あげくに賭場に誘い込んですってんてんにさせた。

そうして弱みを握って、役所や大企業がまとめることが出来なかった用地買収、漁業権買い取りに成功した。この活躍で政治のうま味を知って、右翼の大物であった児玉に師事して政治家への転身を図り、見事に当選した。

当選後のことは、既によく知られている通り。

困ってしまうのは、この御仁、人相が悪人面だけでなく、やることも乱暴横暴このうえない。それなのに、妙な正論を吐くことがしばしばあり、そのせいで長く国会の場に留まった。やくざから足を洗った以上、政治家になるのは自由だし、有権者の支持を得て議員となった以上、やくざ上がりと非難は出来ても議員としては正当である。

よく選挙がらみで買収を疑われた人だが、すべての有権者を買収できるはずもなく、間違いなく一部の有権者からは愛された政治家でもある。悪人面と書いたが、けっこう愛嬌のある笑顔をもち、憎めない一面も確かにあった。

でも、この人が長年国会議員でいられたのは、当時のマスコミの多くが左派思想に染まっていて、まともな保守の思想を語る人が少数派であったからだ。断言するが、私はハマコーをまとまな保守思想の持ち主だとは認めていない。

だが、ハマコーが怒りを示して暴れる姿に、一定の理解と共感を感じることがあったことは否定しない。たしかに彼の暴言には、マスコミが封殺していた国民の本音を代弁する部分があった。

その発言は乱暴で乱雑で品位の欠片も感じさせないが、よくお勉強のできるエリート役人たちが事なかれ主義を発揮して無視し、真面目で善人そのものの左派政治家が見ないふりをしてきた真実の一部を語ってきたのも事実だった。だからこそ、有権者は彼を支持した。

もっと言えば、ハマコーの暴言が許されたのは、当時のマスコミが左派思想に染まっていたからこそだ。なにしろ、アメリカの核兵器はダメで、中ソの核兵器は対アメリカの防衛用だから許されるなんて暴論が、当時の新聞には平然と載っていた。

そんな偏向した言論が主流を占めていた時代だからこそ、極論で暴論であったとしてもハマコーの存在が許された。だからだと思うが、ベルリンの壁が崩されてソ連が解体されると、ハマコーに対する風当たりは急速に強まり、本人もやる気をなくしたのか、いつのまにやら政治評論家まがいの存在になっていた。

率直に言って、その言論はいささか極論に走り過ぎであり、そもそも論理で勝負するタイプではないので、政治評論というより、政治暴論といった方が適切だったと思う。だが、それだけに良識あるまともな政治評論家が黙っているところも我慢できずに、TV番組で暴走するあたりが受けていたように思う。

私は今でもハマコーを政治ゴロの一人だったと思っているが、彼の存在が許されたのは歪んだ市民平和主義があったからこそだとも思っている。これこそ、民主主義の困った側面でもあろうかと思うし、衆愚政治の一面でもあったのは確かだろう。

最近見かけないと思っていた矢先に訃報が報じられたので驚いた次第。真面目に取り上げるタイプの政治家ではないと思うが、さりとて無視するには印象的過ぎる政治屋でもあった。

息子さんが政治家業を継いだようだが、体格こそ立派だが政治家としての存在感は、親父に遠く及ばない。まァ、及んでもらっても困る部分も多かったので、息子さんとしても難しいところだろう。

決して高い評価は出来ないが、時代が産んだトリックスターであったと思う。

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トンデモ偽史の世界 原田実

2012-08-27 11:35:00 | 

相手が欲しいと願っているものを与えて幸せにしてあげるのが私の仕事です。

そううそぶいた詐欺師がいたそうだ。訝る刑事に向かってその詐欺師は更に言い張った。

幸せにしてあげたからこそ、私は報酬を戴いたのです。なにが悪いのですか、と。

実際問題、詐欺を立証し逮捕するのは案外難しい。なにより騙された被害者が、騙されたと認めないことが少なくないからだ。騙されたと思うどころか、その嘘を心の底から信じ切っていることさえある。

多分、そのほうが幸せなのだろう。

厳密な事実は、時として残酷でいたわりもなく、ただ心を傷つけるだけ。ならば、嘘でもいいから虚構の世界で幸せでいたい。そう考える人は驚くほど多い。

それは歴史の世界でもよくあること。我が日本でも「竹内文書」とか「東日流外三郡誌」あたりの偽書が有名だ。これを真に受けて、日本は太古の昔より偉大な国であったと悦に入る日本人がどれほど多かったかを思えば、偽書の威力には驚かされる。

多くの場合、偽書の大半は緻密な検証作業と論理的考察の積み重ねにより、その嘘が露呈する。偽書はやはり偽書でしかない。

しかし、問題がある。信じたいものが提示されて、それに飛びついた人にとっては、事実か否かよりも、自身の心を満足させてくれたことこそが重要なのだ。この信奉者には、偽書は真実の書以外の何物でもない。

更に付け加えるのならば、偽の歴史が偽書により語られたからといって、誰が傷つくのか。むしろ人々に誇りを与え、明るく元気づけられるぐらいではないか。そう考える偽作者は少なくない。

だが、本当にそうなのか。いつわりの栄光ある過去が与えられたからといって、人は本当に幸せなのか。むしろ実力不相応な過剰なプライドを育み、矮小な自分を客観視することが出来ない不適応者を創るだけではないのか。

率直に言って、私はこの手の偽書を嫌悪する。過去を着飾って、今の自分を取り繕う無様な生き方を軽蔑する。

先祖は偉大でなければいけないのか。先祖が偉いからといって、今の自分が偉いのか。

先祖の栄光がなければ、今の自分が不安なのか。

歪んでいると思う。過去の虚飾にすがるより、今の自分を何とかしてみろと言いたくなる。親や祖先を大事にしたいのなら、その過去を美化するよりも、今の自分が祖先が誇りに思うような業績を上げるほうがイイと思う。

私が偽書を嫌うのは、それが後ろ向きの努力だからだ。私は歴史を学ぶのは好きだ。だから、誤解や誤読による間違った歴史があることは分かる。政治的意図をもって、事実がゆがめられた場合(日本書記なんて、かなり怪しい)もある。シナの正史だって、政治的偏向は相当にある。でも、そこに書かれた事実から真実の一面を推測することも出来る。

だが、偽書が書かれた場合、そこにあるのは過去を歪めて今を美化しようとする歪んだ虚栄心が必ずある。だからこそ、私は偽書を憎む。

表題の本は、そんな偽書について代表的な作品を幾つか取り上げて解説しています。著者の原田氏は、現在は「ト学会」のメンバーですが、かつては「東日流外三郡誌」を真実の書として信じていたこともあり、やがて偽書だと納得した経歴の持ち主。オカルト系書物で有名な八幡書房の編集者であり、雑誌「ムー」に寄稿していた経歴もあるだけに、偽書を暴き出す手法にも慣れている。

偽書入門としても悪くないので、興味がありましたら是非どうぞ。

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柔道の失墜

2012-08-24 12:04:00 | スポーツ

柔道が日本で生まれた格闘技であることは間違いない。

しかし、柔道が世界に広まった結果、もはや柔道は柔道とはいえず、JUDOに変貌したと認めざる得ない。

予兆は十数年前からあった。へーシングに破れた時は、まだ驚くだけで済んだ。しかし、オランダのみならずフランス、ロシアなどは独自の柔道を編み出すに至った。当初、日本の柔道関係者は、その変わった柔道をレスリング崩れとして蔑視していたように思う。

だが、ヨーロッパにおける柔道の変質はそんな表面的なものではなかった。日本人ら黄色人種とは明らかに異なる上半身の強さを活用して、綺麗に組もうとする日本人選手にその柔道をさせなかった。

組み合っても、日本人選手同士とは明らかに異なる試合展開は、日本的な柔道では通用しない現実を示していた。もはや柔道は日本のお家撃ニは言い難い。ヨーロッパを中心に独自のJUDOが花開いたと言わねばなるまい。

それでも日本の柔道界は伝統的な柔道に拘った。変化する世界の流れに目を背け、ひたすらに伝統的柔道に固執した。その結果が、今回のロンドン五輪におけるメダルの数に現されている。

これは柔道に限ったことではない。元々、格闘技というものは、きわめて現実的なものだ。勝たねばならぬが故に、勝つための方法にこそ価値を見出す。たかだか100年程度の歴史しか持たぬボクシングでさえ、その技術の変化と戦い方の変貌は著しい。

ルールの制約がきわめて少ない総合格闘技ともなれば、5年前に無敵と思われた技が現在では通用しない。打撃にせよ寝技にせよ、毎年のように新しい技が編み出され、その対応技が開発されていく。

柔道という格闘技はきわめて実戦的なものだ。それは総合格闘技において、柔道出身者たちの活躍ぶりをみれば分かる。元々、武道なだけに相手を唐キ格闘技として、おそるべき実力を秘めている。

ただ、日本の伝統的柔道はその怖い部分を隠して、綺麗な投げ技等に集約して普及してきた。しかし、総合格闘技において柔道出身者たちの活躍は、柔道の怖さを世界に知らしめた。それがゆえに、柔道技に対抗するための技術を世界は編み出した。

事実、アテネで金メダルを獲り、その後柔道界を離れた石井選手は期待されながらも、総合格闘技の世界では苦戦が続く。忘れている方も多いと思うが、石井選手は日本人選手としては、柔道よりもJUDOを強く意識して戦い、遂に頂点に立った異能の人でもある。

従来の伝統的柔道から決別したがゆえに、石井選手が総合格闘技に転身を遂げた時、日本の柔道界は冷たく見放した。もちろん、柔道の世界の変化には気が付いているから、世界相手のサーキットに参戦したりして、日本独自の強化策にチャレンジしたりもしていた。

しかし、すべてが中途半端であったことが、今回のメダルの少なさに現れている。どんな建前を並べようと、結果がすべてだよ。

日本で生まれた柔道は、今や世界に広まりJUDOとして確立した。伝統を守るのは結構だが、オリンピックでメダルを目指すなら、JUDOに対応する戦略をとらねば、今後も本家の日本柔道は失墜を免れないと思う。

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