ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

兜の緒

2019-11-29 11:58:00 | 社会・政治・一般
あまりコリアねたは書きたくないのに、今回書いたのは、日本にも似たような悪癖があることを再度指摘したいからです。

勝って兜の緒を締めよとは、昔から良く言われる事です。良く言われるのは、それなりに理由がある。やはり、この警句とは逆のことが横行しているからでしょう。

日本にとって日露戦争がその典型的な例でした。

日露戦争は、世界史的にも非常に意義の高い大事件でした。近代以降、非白人国家が、白人国家に戦争で勝った最初の事例です。この戦いでの日本の勝利に、欧米に植民地化されたり、制圧されている世界中の国々が歓声を上げたことは良く知られています(日本以外ですが)。

もちろん、日本でもこの勝利は大々的に宣伝され、国を挙げてのお祭り騒ぎになったほどです。私も一人の日本人として、この勝利を誇らしく思っています。そして同時に悔やんでいます。

なぜ、勝って兜の緒を締めなかったのか、と。

たしかに日本はロシアに勝ちました。でも、その中身はかなり問題があるものでした。一言で云えば、失敗続きの日本以上に、ロシアが大失敗を繰り返したが故に日本は結果的に勝った。それが日露戦争でした。

少しだけ具体例を記しておくと、ロシアは要塞に立て籠もり、日本軍の攻撃を防いたのだが、糧食に野菜が少なく、その結果ビタミン不足から将兵の多くが壊血病にかかり、まともに戦闘が出来なくなった。皮肉なことに倉庫には大豆の豆があった。これを発芽させてモヤシとすれば、ビタミンを採れたのだが、その知恵はなかったようだ。まァ、おかげで兵力に劣る日本軍は旅順要塞を奪取できたわけだが。

他にもいろいろあるが、それはロシア側が反省すれば良いこと。ちょっと弁護しておくと、当時のロシアは共産主義革命前夜であり、ロシア軍を率いる将校たちはロシア貴族であるがゆえに、故郷のことが心配でしかたなかった。それゆえに、すぐに撤退したがるのも無理はないかもしれない。実際、革命が起きてロシア貴族は皆殺しの目に遇っているのだから。

それはともかく日本軍である。とにかく、ひどい作戦指揮であった。司馬が美化したせいか妙に英雄的に語られる児玉総参謀長なんて、お気楽、能天気で、現場からくる慎重な意見はすべて却下して、いけいけドンドンで進軍させている。おかげでロシア軍の猛反撃に遇い、多くの日本将兵が死傷している。遼陽での戦いだけでも、日本側の被害はロシア側の二倍以上である。如何に作戦指揮が不味かったのかが分る。

日露戦争は新兵器のお目見えと披露の場でもあった。なかでも10年後の第一次世界大戦で戦場を支配した機関銃が、主役として登場した最初の国家戦でもある。機関銃はその後の戦術を一変させたと言われるほどの革新的な兵器であった。

なにしろ引き金を引き続けている限り、その銃口から途切れなく銃弾が発射される。機関銃が戦場に撃たれる度、死傷する敵兵が戦地を埋めていくのだから凄まじく悲惨である。後の塹壕戦は、この機関銃あってこそである。

もちろん日本軍もフランスから、ロシアもドイツから新式の機関銃を持ち込み、戦場で使用したのだが、その使用法はだいぶ違った。ドイツから派遣された技術者の指導の下、効果的に日本兵を撃滅するロシアに対し、日本はうまく使いこなしているとは言い難かった。もちろん日本の事情もある。まだ経済的に小国の域を出ない日本では、銃弾を雨あられの如くまき散らす機関銃は、あまりに金食い虫であるため、上層部が嫌がった。

おかげで日本兵は、ロシアの機関銃の前に死傷者の山を築くありさまである。日本軍の参謀本部にとっては、日本兵の若き命よりも、高額な機関銃用の銃弾の使用を減らすことのほうが大切であったようだ。

またこの戦場では、新型の榴弾砲も導入された。大型の砲弾を上空に放ち、敵陣地に落ちて爆発する榴弾砲弾は威力絶大であり、戦局を大いに左右する重要な兵器であった。もちろん日本軍も導入していた。

導入はしていたが、戦場ではあまり活躍していない。なぜか?榴弾砲は大型砲であり、その重量も相当なものだ。ロシアは簡易線路を引いて、移動を容易にしていたが、攻める側である日本軍は牛と馬に榴弾砲を牽引させていた。

日本よりもはるかに寒い中国東北部での戦闘である。雪が降ったら牛や馬は使えない。そのため、戦闘を急がざるを得なかった事情は分かる。しかし秋の雨が道をドロドロにしてしまい、戦場に榴弾砲を運ぶのに四苦八苦。結局、最後は人力で運搬していた。でも戦闘には間に合わないことが多く、あまり役に立たなかった。

他にも沢山あるのだが、日本軍はとにかく事前の想定と、実際の現場での違いから戦場で無用の努力を繰り返している。これで勝てたのが不思議なくらいである。戦闘での戦い方よりも、戦闘に至るまでと、戦闘後の処理など後方での失態が多いのが日露戦争での日本軍であった。

戦争に勝ったのは良い。しかし、死傷者にあふれる過酷な戦争であり、その死因は間接的には日本軍の稚拙さにあるのだから、本来ならば大いに反省すべきであった。まさに、勝って兜の緒を締めるべきであった。

しかし、反省をしなかった。とにかくあの大国ロシアに勝ったのである。勝ったのだから、良いではないかと反省をしなかった。勝って兜の緒を締めるどころか、放り出す醜態である。

日露戦争における反省点は、戦場ではなく、戦前の情報収集、その分析、そして実際の兵站での運用の失敗である。はるばるユーラシア大陸を横断してきたロシア軍よりも、はるかに距離的に近い戦場での日本軍の失態が、より愚かであるのは明白である。

でも反省しなかった。勝ったのだから良いではないかと誤魔化した。

もちろん改善した部分もある。三〇式小銃は不具合が多過ぎたので、三八式小銃へと改良された。これは良いが、その反面、小銃以上に多くの敵兵を殺したはずの機関銃には冷淡であった。この金食い虫の武器を積極的に評価しようとしなかった。この判断がのちのアメリカ軍との戦いで致命的なほどの差を産んでしまった。

重い榴弾砲の運搬をしくじったことも改善されなかった。日本軍の失態を閲覧していた各国の武官たちは、移動手段としてキャタピラ装備のトラックなどを提案したのとは大違いである。

情報入手の失敗と、その情報分析の失敗はなかったことにされた。参謀本部の判断ミスはなかったことにされただけでなく、意見を差し挟んだ現場の将官たちは、戦後更迭されたり、重要部署から外されている。その一方で判断ミスをしたほうが出世するのだから、その後の日本の迷走も止む無きことなのかもしれない。

日露戦争の勝利は、日本に重大な問題を生み出してしまった。一つは、上層部(エリート)の判断は結果責任を問われないとした悪しき前例を作ってしまった。これは今日に至るまで踏襲されていることは、是非とも覚えておいて欲しい。今も霞が関のエリート官僚たちは、自分たちの政策ミスを決して認めないし、その結果責任をとろうとはしない。その第一歩が日露戦争なのだ。

もう一つは、悪しき精神主義を確立させたことだ。兵器の技術で劣る日本が勝てたのは、日本人の精神力、大和魂のおかげである。そう精神論に逃げて、技術面での遅れを誤魔化した。そして軍隊内部における上官から部下へのイジメを正当化させた。後々、日本軍の伝統だとされた、意味なきシゴキは日露戦争の後から本格化したことも覚えておいてほしい。

歴史上の事実を直視せず、机上の理想論に逃げたが故に、日本はその後、大陸での戦争に向かい、遂にはアメリカに牙を向けて原子力爆弾の前にひれ伏した。

いきなり飛躍したように感じる方もいるだろうが、世界大恐慌からシナへの侵略、アメリカとの開戦の始まりは、不快な現実に目を背け、麗しき精神論に逃げた挙句の失態であったと私は考えています。その始まりが日露戦争という偉業であったのです。

今、隣の半島に現実忌避の理想逃避をやっている馬鹿な国がありますが、あれを見ると私は日露戦争後の日本の迷走を思わずにはいられません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲劇の英雄

2019-11-28 12:01:00 | 社会・政治・一般
秀吉の朝鮮出兵に対して戦った英雄である李舜臣は、コリアでは知らぬ人のいないと断言できる。

しかしながら、私からすると良く言って悲劇の英雄、下手すると憐れな英雄に他ならない。

元々この人は支配階級(両班)ではあっても、決してエリートではない。科挙に合格したのは30代だし、その後も対女真族という過酷な最前線に送り込まれている。おかげでコリアとしては珍しく実戦で鍛えられた武人となれた。

一応触れておくと、朝鮮半島北方に勢力を張っていた女真族は、きわめて精強であり、あの加藤清正が試しに戦ってみて、散々打ち破られている。後に清という中華史上でも特筆すべき強大な帝国を築き上げたのだから、その実力は本物だったのだろう。

話を元に戻すと、李舜臣は中央に帰任してからも上司との折り合いが悪く、かなり苦労している。対日本軍の海軍司令に任じられたのも、実力だけでなく、上司に疎んじられた影響が強い。

当時の朝鮮海軍は、軍とは名ばかりで、実際には対海賊のための海上警備隊に近い。その戦い方は、遠方からの許薰ナの攻撃や、今でいう火炎瓶の陶器版である焙烙玉を活用してのものが多い。

そのせいで、当初海戦を予定していなかった日本の艦船に対して序盤では優位に戦いを進めている。当時の日本は、接近して相手艦に乗り込んでの戦闘法が主流であったので、朝鮮海軍は有利に戦えた。

しかし船足が遅い上に、相手艦に乗り込むような接近戦が苦手なので、機敏な日本船を沈めることが出来ず、徐々に対応策を練られて苦戦する。はっきり言えば、序盤だけ戦って、後は逃げ回る戦い方に終始している。

おかしなことに、これは明軍が救援に駆けつけて共同戦線を張っても同じであった。まァ、遠方から駆け付けた明兵にすれば、異常に接近戦に強い日本兵との近接戦闘は避けたいのは理解できるが、故国防衛の朝鮮兵がそれでいいのか疑問である。

ところで李舜臣だが、日本に対して軍功を挙げたことから余計に上司に嫉まれてしまったようだ。中央に戻されると捕縛されて拷問を受ける始末。日本軍が再び現れたので、仕方なく釈放され前線に追いやられたのが実情だろう。

この人、決して無能ではないと思う。狭い海峡に船を並べて、多数の日本船を相手に奮闘するなどしているあたり指揮官としての優秀さが覗える。コリアの史書では、少数の船をもって日本船を殲滅したと記されているが、実際は日本船に追い回されて敗走し、遂には日本兵の汲ノ射殺された悲劇の将でもある。

最終的には日本は自らの意志で撤退しているのだが、戦闘で日本に打ち勝っての勝利ではない。普通、敗走する敵兵を追いかけまわして、二度と戦う気が起きないように徹底して打ち破る。

しかし、明も朝鮮もそれをしていない。停戦が決まって後、平気でそれを破り日本軍に襲いかかってきたが、逆に打ち破られて敗走している間に、日本軍は悠々と帰国の途に付いている。

戦国時代の末期、実戦経験が豊富な日本軍と異なり、安全な距離からの遠方攻撃しかやりたがらない朝鮮兵の弱さの証左である。でも朝鮮兵が脆弱な訳ではない。儒教の影響が強い朝鮮では、武官よりも文官有利の大原則が活きており、軍隊軽視の姿勢があったからこその弱さである。

そんな社会で、少し日本に勝っただけで妬まれて貶められた李舜臣は、本当に不幸な軍人であったと思う。彼にとっての本当の敵は、日本軍ではなく伝統的な儒教社会であった李氏朝鮮の社会そのものであった気がしてなりません。

最後は日本との戦いのなかで戦死していますが、もし生き残って凱旋したとしても、おそらく無実の罪で貶められての不幸な最後が待っていたように思えます。

そして最も不幸なのは、そんな彼の実態を知らせず、単に抗日の英雄として祭り上げるコリア社会の在り方でしょう。

他人事ではありませんぞ。日本だって同じようなことをやらかして、結果的に日本を敗戦に追いやっていますから。それは次回書きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

調味料の質と味

2019-11-27 11:09:00 | 健康・病気・薬・食事
私の作る料理は、あまり美味しくないはずだ。

原因は分かっている。私は自身の健康のため、20代の頃から減塩を心がけている。これこそが、料理を不味くする原因である。

さらに付け加えるなら油である。カロリー減量のため、油の使用も控えめを心がけている。これもまた料理を不味くする原因である。

言い換えれば、塩と油こそが料理の事。を引き出す重要な要素である。

先日、ある方から塩を頂いた。普段私が使っている塩の8倍のお値段である。自分ではまず買わないと断言できる某ブランド塩である。こいつが本当に美味かった。

野菜炒めに少し振りかけただけなのだが、味が一段と引き締まった。自分の料理の腕がワンランク上がったと勘違いするほどである。塩が食材の事。を引き出していることが良く分かった。

油もまた同じである。油というかバターなのだが、某飲料メーカーで出しているバターは、そのお値段が千円を軽く超える高級バターである。割と出回っているので使った経験のある方も少なくないと思う。

これは自分で買った。蒸しジャガイモを作る際に使ってみたが、ステーキハウスの付け合せのジャガイモもかくやの美味しさである。思わずバターを追加したくなるほどの美味さである。これはさすがに我慢した。

ちなみに油も最近は少しお高めのものを買い、使う量を減らすことでカロリー減量に役立てている。

やはり料理は美味しい方が楽しい。減塩も大事だし、カロリー量を減らすことも大事だとは分かっている。でも無理なことをしてストレスをため込むと、結局量を増やしてしまう。これでは意味がない。

だから最近は少し高めの調味料に変えて、調味料の使用量自体を減らすことで折り合いをつけている。実際、美味しい塩だと、少量でも満足できる。これには本当に驚いた。量ではなく、質が大事なのね。

白状すると、4年前の心筋梗塞以来、体重の減量に努めてきたのだが、あまりにストレスが多く、また怪我したりして運動が出来なくなったせいで再び体重が増加している。

このままではダメだ!

そう考えて、自身の食生活の改善を目指している。その一つとして、調味料、特に塩と油を減らすことを狙った。ところが、これが難しい。料理が確実に不味くなったからだ。そこで少量でも満足できるよう質の高い塩と油を取り入れることにした。

大雑把な私は料理の際、計量スプーンなどは使わないが、それでも意識の上で減らすことを心がけている。私が最近、蒸し料理をよく作るのは、油を減らしたいからであり、ャ盗を多用するのも塩を減らしたいからである。

でも難しい。特に魚の蒸し料理は加減が難しい。パサパサでは美味しくない。ャ盗だって塩分がないわけではないので、使い過ぎればダメである。

そんな訳で、ここ最近は料理が下手になったと自覚せざるえない。でも実はけっこう楽しんでいる。不味くなった料理を食べるのは、さすがに苦痛だが、新しい調理法にトライするのはけっこう楽しい。

下手は下手なりに楽しいのである。でも、もう少し上手くなりたいとも願っているんですよ。まぁコツコツとトライ&エラーを繰り返すでしょうけどね。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亀甲船

2019-11-26 12:15:00 | 社会・政治・一般
空想に逃げていてはダメだと思う。

おそらくコリアの人以外からすると、今回のGSOMIA終結騒動は理解できないはずだ。如何にシナとの貿易が増加しようと、基本的に南コリアは西側社会の国家である。特にアメリカと日本に対する依存度は非常に高い。

一例を挙げれば、貿易の際に必要となる信用状というものがある。遠く離れた国の企業との間の取引は、どの企業にとっても不安がある。そこで銀行が介在して安心させて取引をさせる仕組みがある。それが信用状なのだが、韓国の銀行は国際的に信用がないので、日本の銀行が信用状の発行を代替している。

みずほ銀行が有名だが、別にコリアに肩入れしているのではなく、手数料収入が高額なのでやっているだけである。これを客観的にみれば、韓国経済は、まだまだ世界市場での信用度が低いことの顕れでしかない。

しかしコリアの人たちは、この惨めな現実を直視しようとしない。相変わらず造船世界一、スマホは世界一、液晶TVも世界一だと胸をはる。別に嘘ではないけれど、他に認識すべきことがあると思うが、それはなかったことにしている。

このおかしな傾向は、昨日今日のことではない。私に言わせれば千年以上にわたる病理的な現実逃避である。

その一例として亀甲船を取り上げたい。

豊臣秀吉による朝鮮侵攻の際、日本軍を殲滅した主力艦船として知られている。しかし、専門家筋からは、その実在を疑問視されていたことは、あまり知られていない。

日本から朝鮮半島への移動は、伊勢の九鬼水軍が担っている。九鬼水軍といえば、信長の本願寺包囲戦において鉄甲船を持ちいて、当時日本最強を誇った村上水軍を打ち破ったことで知られている。

もし本当に亀甲船が日本水軍を殲滅したというのならば、そのことは間違いなく九鬼水軍により記録されているはずだ。普通の平船とは違うことは、よく分かっているはずだからだ。

しかし、朝鮮の亀甲船に関しては、日本側の記録には一切登場しない。それどころか、当初、海戦を想定していなかった日本軍が、朝鮮水軍の攻撃を受けて被害を受けたことは記録されているが、その後はむしろ撃退している。

この朝鮮水軍を率いた李舜臣については、また改めて書きたいので割愛する。ただ、はっきりと分かっているのは、朝鮮水軍の活動により日本から半島への兵糧補給などが滞った事実はないことだ。

これは明軍が参戦してからも変わらず、朝鮮及び明の主たる将兵が海戦により死亡した事実は記録されているが、日本側の主たる将兵については海戦での戦死の記録がないのが現実である。

一言で云えば、秀吉の朝鮮侵攻からの撤退は、明及び朝鮮の妨害にも関わらず粛々として行われ、二回とも無事帰国している。現在、韓国側で宣伝しているような日本軍の殲滅なんざあり得ない。

あの撤退は、あくまで日本国内の事情(秀吉の死去)が原因であり、明及び朝鮮軍との戦闘の結果ではない。もっと言えば、半島で駐留していた日本軍が最も苦労したのは、正規軍との戦闘ではなく、奴婢たちの背信とゲリラ活動である。

元々、朝鮮半島では武人は軽視され、文人優位の社会が築かれていた。これはこれで平和な社会を実現したと評価しても良い。しかし、そのせいで軍事力が著しく低い。そのせいで、最初の侵攻では、あっという間に京城まで行けてしまった。

ただ日頃、海賊(倭寇)対策で強化されていた水軍だけが、かろうじて軍としての体裁を為していた程度である。李氏朝鮮の支配階級(両班)は、肉体的に貧弱なだけでなく、実戦経験が乏しく軍としては極めて弱かったのが実態である。

しかしながら過酷な農作業で鍛えられた奴婢階級は違う。筋骨たくましく、農機具を武器に夜間に日本軍を襲ってきている。このゲリラ活動には、戦国時代を生き抜いた日本の武士もほとほと悩まされたようである。

にもかかわらず、彼ら奴婢たちの戦いは、朝鮮側の記録からは抹殺されている。誇り高い両班たちは、奴婢たちが自分たちより活躍した現実を認めたくなかったのだろう。かろうじて日本側の記録にのみ、彼らの活躍は残されている。

余談だが、少し前に韓国では亀甲船を再建するイベントが実施された。記録を元に建造したのだが、いざ亀甲船を海に浮かべると沈んでしまい、今では陸上に残置されたまま展示されている。

どうやら500年前のほうが建造技術が高かったらしい。造船世界一が聞いてあきれるが、おそらく500年前も、ほとんど活躍はしていないのではないかと思う。

それでも現実よりも空想を重んじるコリアでは、今でも亀甲船は日本水軍を打ち破ったと宣伝されている。率直に言って秀吉の朝鮮侵攻は事前の準備不足もさることながら、どうみても失敗である。

ただし、その失敗は明及び朝鮮軍に敗れたからではなく、あくまで日本国内の事情による撤退である。実際、その撤退中に幾度も戦闘が起きているが、日本軍は見事に敵を打ち破って堂々帰国を果たしている。敗走とは程遠いものである。

しかし、今もコリアではその事実を認めない。あくまで朝鮮軍と援軍の明軍により日本を打ち破り、殲滅して追い出したと声だかに叫ぶ。日本人としては、いい加減現実を直視しろと言いたい。

でも無理でしょうね。コリアは世界一との幻想に浸りきっているので、その麗しき理想と相反する現実は断固認められないのでしょう。今回のGSOMIAの件も、自分に都合の良いシナリオを描いて、その通りにならない現実に右往左往しているだけ。

日本にとって良かったのは、コリアの本質がよく分かったはずで、国際親善に夢を見る脳内平和愛好市民に冷や水を浴びせることが出来たことでしょう。アメリカにしたところで、オバマの時に終わったと思っていた事案が、未だに続いていることに呆れ果てているようです。

多分アメリカ国防省は、本気で半島からの撤退を考えているのではないかと思います。日本にとっては悩ましいところです。コリアの実態をアメリカに理解してもらえる反面、日本列島が最前線となる訳ですから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェネリック薬品

2019-11-25 12:10:00 | 健康・病気・薬・食事
余計なお節介だとは自覚している。

でも、やっぱり気になるのが最近のジェネリック推奨の広告だ。たしかにジェネリック薬品は安い。国民健康保険の赤字に悩む政府としては、ジェネリック薬品の普及に努めたい気持ちは理解できす。

実際、年間で数十万円の医療費に悩む私は、少しでも安くしたい気持ちはもっている。ジェネリック薬品も使っている。決して否定している訳ではない。

オリジナルの薬品と、ジェネリック薬品は基本的な内容は同じである。ただ微妙に成分が違っている。その効果は同じだとされているが、医療の現場では必ずしもそうは思われていないのをご存じだろうか。

私は二十代の頃に難病治療の為に、副作用の強いステロイド剤を大量に服用していた。私の治療生活は、このステロイドを如何に減量するかがャCントであった。飲んでいれば確実に病気を抑えられた。しかし、そのステロイドの副作用は各自に身体を蝕んでいた。

それが分かっていたので、主治医のN先生はなんとか減らそうと悩んでいた。一日6錠のプレドニン(ステロイドの薬剤名)ならば病気を抑えられた。しかし、ここからの減量が大変だった。何度も失敗した。ステロイドを減量すると、難病が再燃してしまう。幾度となく失敗した。

N先生も悩み、漢方薬を併用したり、免疫抑制剤を併用したりと試行錯誤を繰り返した。そのうちステロイドもプレドニンではなく他のジェネリック薬品に変えることも始めた。たしか3種類くらい変えた記憶がある。

どの程度、効果があったかは私には分からない。ただ気が付いたら、それまでの限界とされた量を下回っても再燃しないで済んでいた。もっとも、赤信号(再燃)にならないだけで、黄色信号(再燃一歩手前)の状態は時折あった。

そのせいで、最終的にステロイド剤を切ることが出来たのは、最初の発病から12年ほど経っていた。ほとんど依存の状態であったので、ステロイド薬を飲まずに済むと分かっても、不安のほうが先だってしまい内心は怯えていた。

結果論ではあるが、ジェネリックを始めとして複数の薬を使ったことが、難病の治療に役立っていたのかもしれない。つまりジェネリック薬は、基本的な成分がオリジナルの薬と同じではあるが、微妙に成分に違いがあるのです。

このような経験があるので、私はジェネリック薬が必ずしも本来の薬と同じでないことを知っている。長期治療を必要とする患者にとって、薬代は経済的に非常に負担がキツイ。だから安価なジェネリックを使いたい人の気持ちは良く分かる。

でも、ジェネリックは本質的に疑似コピーであることも、心の片隅に刻んでおいて欲しいとも思う。もし医者がジェネリックの使用を渋るようだったら、それは医療の専門家としての迷いの証である可能性が高い。

余計なお節介だとは思うのですが、ちょっとだけ覚えておいて欲しいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする