ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

災害時の酒盛り

2018-07-31 11:55:00 | 社会・政治・一般
正義に酔い痴れると、自分を客観視できなくなる。

西日本を襲った未曾有の大雨の最中、青天の東京では、国会議員宿舎の一角で、与党の議員たちが酒盛りを楽しんでいた。安倍首相も参加しており、参加者がその様子をネット上にアップしていた。

数日後、多くの被災者が苦しんでいる最中に、飲み会で騒ぐなんてと、野党議員から批難の声が上がり、それに追随するかのように与党議員からも批難の声が上がった。

その報道を見ながら、私は違和感を禁じ得なかった。確かに西日本の大雨は、多数の死傷者、行方不明者を出し、住宅や道路、橋、線路などを破壊した大変な災害であったと思う。

でも、その大雨の最中、東京に居た私は、むしろ暑さにウンザリしていた。帰宅して西日本の惨状をみて、むしろ驚いたぐらいだ。そんな大雨だったのかァ?!

冷淡に思えるかもしれないが、おそらく東日本から北海道までの人たちは、私とそう変わらないと思う。台風情報でもあれば、今少し印象は違ったかもしれない。でも、当時は前線に刺激された大雨なのだろう程度の認識しかなかったのが普通だと思う。

だから賢しげに安部政権を批難している野党議員たちの姿に、どうしても違和感を禁じ得なかった。

ところが、呆れたことに、その大雨の最中、野党議員たちも同様にパーティの席で酒を楽しんでいたことが報じられてしまった。

なんだよ、同じじゃねえか。

野党議員たちの軽率さに蔑視を禁じ得ないが、同時に浮「とも思った。

災害の最中に、酒盛りをすることが良いことだとは云わない。でも、あの晩の段かいでは、あれほどの災害だとは予想出来なかったほうが普通であろう。被害の規模がとんでもないことが判明したのは、翌日以降なのだ。

日本政府が動き出したのも、翌日以降であるからして、野党にせよ、与党にせよ災害当日の夜の酒盛りを批難することは、いささか酷に過ぎる。

それなのに、賢しげに安部内閣批判を繰り返していた野党議員たちは、その段階では自分たちは正しいことを主張していると盲信していたのだろう。

正しいと思うことを主張し、間違っていることを批難すること自体は間違いではない。ただ、本当に正しいのかを、立ち止まって良く考えてた上で発言しないと、今回のような滑稽な主張になってしまうのだろう。

私もよく時事問題を、このブログで取り上げている。だからこそ、当初の野党議員の勇み足の発言は、私自身がやりかねない軽率さであることが良く分かる。

自分は正しいことをしている、良いことをしているとの思いは、けっこう気持ちが良い。正義感に酔い痴れているのだと思う。一歩立ち止まって、本当に正しいのか、それを自らに問う慎重さが必要なのだと痛感しました。
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キックの鬼 中城けんたろう

2018-07-30 11:58:00 | 
この記事、少し書くのが辛い。

1970年代だが、当時の日本に「キックボクシング」という新しい格闘技が大流行した。その立役者がチャンピオンとして偉大な記録を打ち立てた沢村忠である。その沢村を主人公にして、キックボクシング・ブームに大きな役割を果たしたのが、表題の作品だ。

このキックボクシング・ブームの影響は計り知れない。当時、酒場の多い繁華街では、酔っぱらったサラリーマン同士の喧嘩でさえ、お互いに首を抑えて、膝蹴りを繰り出していた。

私の記憶では、膝蹴りを喧嘩に使う人が増えたのは、このキックボクシング・ブーム以降である。そのくらいに影響が大きかった。余談だが、膝蹴りは、空手や少林寺拳法などのをやっている人には普通の技だが、本来素人が実戦で使うべき技ではないと思っている。

膝蹴りに限らないが、蹴り技はその使うときに、どうしても片足立ちになるため不安定になる。蹴りを躱されて、タックルを受ければ簡単に唐黷トしまう。路上の喧嘩で、地面に唐ウれたら、その段階で勝負は決まってしまう。

だから膝蹴りなど蹴り技は、使うべきタイミングが重要になる。でも、それはある程度、格闘技を習得した人の話。素人同志の喧嘩ならば、蹴り技を使うくらいならば、フットワークでかわし、いなすほうが実戦的だと私は思っていた。

ところで、このブームを受けて日本各地にキックボクシングジムが乱立したが、このブームの仕鰍ッ人はボクシングのプロモーターである野口修氏であり、プロキックボクサーの第一号は沢村忠である。沢村一人で、日本全国を沸かせたキックボクシング・ブームは作られた。

だが、あれから40年以上たち、もう既に化けの皮は剥がされている。

沢村忠がチャンピオンとして戦った試合は、200戦を超えるが、その対戦相手の大半は、タイの素人である。タイの国技であるムエタイこそが、キックボクシングの原点である。

ムエタイは、立ち技系の格闘技では世界一を謳われるほどの強さを誇る。タイ本国では、ムエタイのプロ選手は数万人といわれる。タイの男性ならば、一度はムエタイの真似事くらいはやっている。

その素人たちを日本に連れてきて、沢村の相手をさせて無敵のチャンピオンとしてキックボクシングブームを巻き起こした。ちなみに沢村は空手出身であり、空手では実績を残している本物である。

沢村の戦績は数字上は凄まじいが、大半が素人相手である。ただし、稀(9人くらい?)に本物のムエタイ選手がいた。これはかなり激しい試合となった。沢村は、得意技とされた「真空飛び膝蹴り」は使わず(使える訳ないのが本当だろう)に、パンチ、肘、キックで地味に戦っている。

私はその試合にシナリオがあったかどうかは知らない。だが、沢村が実際に強かったことは分かる。ただし、その他の戦績の大半は、キックボクシングという新しい興行を成功させるための手段であった。

黎明期のキックボクシングが如何に胡散臭い世界であったかが、知られるようになったのは1990年代以降だと思う。もっとも当時から、その試合がおかしいことは格闘技経験者には明白であったらしい。

上記の作品の原作者である高森朝雄とは、あの梶原一騎の別名である。つまり梶原も、キックボクシングの売り込み興業に一役噛んでいたことが分る。

かくも怪しい日本のキックボクシングであるが、驚くべきことに、沢村忠本人を悪く言う人には会ったことがない。沢村本人は過酷な連戦から身体を痛めて引退し、その後キックボクシングの世界には姿を現さなかった。

だから、悪口の言われ放題なのかと思いきや、むしろ敬意を払われていた。それは沢村自身の人としての謙虚さ、誠実さなどが評価されてのことであろう。沢村は野口や梶原から託された企画の忠実な実行者であったに過ぎない。それは格闘技興業などに関わりを持つ人たちには理解できることだからだろう。

沢村の引退後、キックボクシング・ブームは衰退を迎えたが、むしろ本物のキックボクサーが日本で育っていた。タイのムエタイの本場で、藤原敏男がチャンピオンになった時、タイではムエタイ初の外国人王者ということで大騒ぎになったほどである。

現在では、女性のキックボクサーも生まれている。沢村忠が虚構のチャンピオンを演じて、キックボクシングの土壌を育ててくれたからこそだと評しても良いのではないか。私はそう考えています。

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西日本の大雨に思うこと

2018-07-27 11:52:00 | 社会・政治・一般
梅雨といえば、シトシト雨であったのは昔話となってしまった。

近年の梅雨の雨は、シトシトどころか、ジャバジャバと降ることが珍しくない。それどころか轟々と降り注ぐ豪雨になってしまったのが、7月初旬に西日本を襲った未曾有の大雨であった。

台風直撃なら、まだ分る。しかし、当日の天気は、前線があるばかりで、あれほど凄まじい豪雨になるとは思わなかった。その後、詳細に調べたら、北と南に大変に強い高気圧があり、その狭間にあった低気圧が挟まれたが故により強い低気圧となった。

雨を含む雲は、気圧の高いところから低いところへと降りてくる。水分をたっぷりと含んだ雲は、西日本上空で次々と降りてきて大雨を降らせた。しかも、北にこれまた強い高気圧が居座っていたため、雲は通常よりも長くその場に止まり、結果的に山を崩し、堤防を決壊させるほどの大雨を降らせたようだ。

TVなどでも、ご高齢の方々がこんな大雨、記憶にないと応えるほどの大雨。まさに未曾有の大災害となったのも頷ける。

科学的な根拠のない風説は避けるべきだが、これは温暖化の影響ではないだろうか。

元来、日本列島は北極海から流れてくる寒流と、赤道上から流れてくる暖流の交差する位置にあるため、昔から降水量が異常に多い。中緯度地方にある地域としては、桁外れに降雪量、降雨量が多い。

それゆえに風雨に伴う災害が多い反面、その豊かな水資源で、耕地面積が少ないにも関わらず、農作物の豊富である。また寒流と暖流の交差する海域が、近海にあるがゆえに、豊富な漁獲量を誇る。

だからこそ、日本人は古来より天候など気象情報には敏感で、豊富な水を資源として活かすことと、その水による災害を避ける知恵を学ばざるを得なかった。

しかしながら、最近は古来より積み重ねられてきた知恵を遥かに凌駕するような、異常な大雨が珍しくなくなった。梅雨の雨は、どちらかといえば、亜熱帯地方のスコールに近くなっている。

もはや過去の経験からくる対策では不十分であることが、200名を超す死者により証明されてしまった。

化石燃料の燃焼により生じた二酸化炭素が大気中に増えたことによる温室効果が、地球を暖めており、それが降雨量の異常な増加により実証されている。未だこの温室効果ガスを減少させる有効な手段がない以上、今後もこのような過去に類例のない大雨が降ることは、ほぼ確実と思われる。

東日本大震災以降、日本は原子力発電を止めている為、火力発電に過剰に頼っている。つまり温室効果ガスを大量に発生しつづけている。

日本では反・原発はある種の信念的なものとなっているが、冷静によく考えてもらいたい。放射能の危険性を無視しろとは言わない。でも、現実には放射能で死ぬ人間よりも、温暖化による大雨で死んでしまう人のほうが多いのが実情ではないか。

なにも新しい原発を作れとは言わない。せめて一時的に原発を復活させて、その間に温室効果ガスの排出がより少ない火力発電所の建設ぐらい検討すべきではないだろうか。

前から書いているが、放射能廃棄物を安全に処理する技術がない以上、原子力発電は未完成の技術である。これ以上、同じものを作るべきとは思わない。しかし、古い火力発電所をフル稼働させている今の現状が良いことだとは、到底思えない。

温暖化は今後も続く。つまり今回のような大雨と災害は、世界各地で増えていくことは必然の結果となる。大雨で亡くなった人を悼むだけでなく、ろくにメンテナンスも出来ず、古い火力発電をフル稼働している日本の現状を考え直す契機として欲しいものです。
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ロシア大会を終えての総括

2018-07-26 11:56:00 | スポーツ
フランスの優勝の終わったロシア大会は、予想外に盛り上がると同時に、期待外れが相次いだ大会でもあった。

一次リーグから手堅い勝ち方をしてきたフランスは、決勝トーナメントでも90分以内で勝ちを決めた。一方、予想以上の快進撃であったクロアチアは、延長での勝利が続き、遂に決勝戦では力尽きてしまった。

もし、ベストコンディションでの一発勝負だったら、案外クロアチアの勝利もあった気がする。でも、トーナメントを勝ち抜く力も実力のうち。フランスの堅実な選手育成が実った成果でもあり、素直にその勝利を祝したい。

ロシア大会は波乱の多い大会でもあった。常連のイタリア、オランダが出場できず、小国のアイルランド、パナマが出場。また上位を伺えると期待されたセネガル、コロンビアが敗退し、アジア勢は日本のみが決勝トーナメント進出。

大会前の予想を覆す波乱の最たるものは、ドイツの敗退であろう。韓国の奮起を賞したいが、その一方でヨーロッパの複雑な事情が露呈した結果でもある。これについては、別の機会に論じたい。

Cロナウドや、メッシというスター選手がさすがのプレーをみせつつも、チームとしては十分に機能せずに敗退した大きな要因は、戦術の進化にある。いくら才能あふれる優秀な選手がいても、それを妨げる守り方をされたらチームは勝てない。

この大会で機能したのは、堅い守備と隙を伺っての超高速のカウンターアタックであった。日本がその実力を見せつけられたベルギー、イングランド、そしてフランスの縦の攻撃の速さと上手さ、強さは異次元であった。

中盤のパス回しとゲームメイクに力のあるスペイン、ャ泣gガルの敗退は、一つの時代の終わりを告げていたように思う。予選で敗退したものの、モロッコやエジプト、イランなどは将来に期待が持てる底堅い実力を示したとも感じた。だが、まだまだ足りないものがあるのだろう。

今回の大会で、大きな役割を果たしたのは、あのビデオ判定である。おそらく、今後更に一般化するのではないかと思う。反則もサッカーのテクニックと考える傾向が強い南米の国々や一部のアジアの国などは反対するだろう。

でも、このビデオ判定により悪質な反則による負傷が大幅に減ることは、この大会で立証されたと思う。優秀な選手が、悪質なファールにより傷つき、選手生命を縮めてきた過去を振り返れば、このビデオ判定は有益ではないかと思う。

なお、一次リーグ終了の時点での私の優勝予想は本命フランスで、次点でベルギーかウルグアイであった。日本を負かせたベルギーに期待したい思いもあったが、これは些か捻くれた期待だと思う

一方、ウルグアイの堅い守備とテクニカルなカウンター攻撃は、観るべき価値のあるものだと思っていたので、敗退は残念であった。機会があったらユーチューブなどで見てみると、高速カウンターとは違う、味のある技巧的な攻撃はサッカーの魅力の一つだと感じ入ると思います。

正直に言えば、堅実だけど、堅すぎてつまらなく感じたフランスの優勝は、基本の大事さを思い出させてくれました。しかし、まァ、よくぞあの悪童どもを、あそこまで躾けたものだと感心したのも事実。

次は中東初の開催であるカタール大会。日本のメディアはあまり熱心に報じていないけど、サウジとの冷たい戦争は今も継続中のカタールです。本当に開催できるのかしらと、少し不安に感じています。

そして、それ以上に不安なのは、今後の日本代表でしょう。はっきり言いますけど、日本人監督で、ワールド杯の決勝トーナメントを勝ち抜くなんて夢は、20年早い。今回だって、最終的には、10人の相手(コロンビア)に一勝しただけで、二敗一分けです。これが今の日本の現実。

まだまだ海外から優秀な指導者を招聘する必要はあると、私は考えています。というか、最近の若い世代は、世界大会(U17やオリンピックなど)で、たいした結果を残していません。ちなみに監督はいずれも日本人。

コミュニケーション云々を理由に日本人監督を推す方々は、この散々な結果を忘れているのでしょうかね。サッカーに関する報道のレベルの低さは、確実に世界水準を下回っていることだけは確実だと断言できます。

まっ、文句言いつつも、あたしゃ気長に日本代表の応援を続けるつもりですけどね。
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なんちゃって鰻

2018-07-25 12:54:00 | 健康・病気・薬・食事
率直に云って、これを本物だと勘違いする人は、そう多くないと思う。

「うな次郎」という商品をご存じだろうか。現在、絶滅が危惧されるほど数を減らしているが故に、鰻のかば焼きは値上がりが相次いでいる。元々、高額な鰻ではあるが、じわじわと値上げしており、私も滅多に食べなくなっている。

そんな時代だからこそ、作られたのが疑似・鰻食材を使った商品、それが「うな次郎」だ。白身の魚を加工して、鰻に似せて作られている。見た目だけなら、十分鰻で通用する出来栄えである。

近所のスーパーで売られていたので、試しに買ってみた。週末、さっそく食べてみたのだが、やはり本物には、遠く及ばない。かば焼きの魅力は、あのタレであると思っていたが、本物の鰻の持つ食感までは似せられなかったようだ。

でも、見た目は本当に良く出来ている。知らなかったら、鰻のかば焼きだと信じる人は多いと思う。ただし、口に入れれば分かってしまう。これ、鰻じゃないよね?と。

「うな次郎」を非難する気はない。あの値段で文句を言う謂われはない。でも、やはり本物の鰻とは違う。「うな次郎」は見た目も相当な努力をして鰻を模している。身だけでなく、皮の部分の表現にも凝っている。凄い技術革新だとも思っている。

でも、食べてみると似ているけれど、食感が鰻と違うことがすぐに分る。それが残念であると同時に、だからこそ鰻は貴重なのだと実感できる。

少しずつ解明が進んでいる鰻の生態だが、未だ未解明の部分も多い。その養殖もまだまだ途上技術である。鰻のかば焼きの模造商品を食べて、改めて鰻の希少性に気が付いた。

でも、数を減らしている本物の鰻が早々簡単に回復するとは思えない。この「うな次郎」はきっと今後も改良が続けられると思うし、類似の商品も出てくるだろう。

本物が気軽に食べられなくなる時代は、もう目の前なのだろう。食品メーカーの更なる努力に期待したいと思います。

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