ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ザッケローニ・ジャパン総括

2014-06-30 12:54:00 | スポーツ

私なりにザッケローニ監督に率いられたサッカー日本代表を総括してみたい。

まず戦績から 2010年8月から2014年6月までの公式試合の戦績は、31勝13敗10引分となる。特記すべきは、2011年アジア杯の優勝と、2013年ブラジル大会アジア最終予選一位通過であり、同年のコンフェデレーション杯での3敗である。

ブラジル大会での敗退のショックから、本田選手が「4年間は間違っていた」などと述べているが、それほど悪くはないと私は思っている。日本のサッカーが進むべき方向性として、攻撃主体の早いパス回しと、機敏さを活かした連動性は世界に通じる可能性を秘めている。

ジーコもオシムも、日本人の俊敏さを活かしたサッカーに可能性を認めていたし、ザッケローニも同様であった。ただ、岡田にはそれが指導できなかったので、土壇場で弱者の原点に戻っての守備的なサッカーで結果を出した。

勝った、勝ったと浮かれていた方には共感できないだろうが、南ア大会での日本のサッカーは退屈であり、凡戦が多かった。私が良かったと思ったのは予選リーグ第三戦のデンマーク戦だけだ。パラグアイ戦なんざ、見るのも苦痛な凡戦以外のなにものでもない。

それは何よりも選手たちが感じていたことで、だからこそ攻撃サッカーを掲げるザッケローニに付いていった。たとえ負けた試合であろうと、日本の俊敏さと連動性を活かした試合は、観ていて決して凡戦とは思わなかった。

ただ、レベルの高い試合の経験値が不足していた。アジアで如何に真剣勝負を重ねようと、それは所詮アジアレベルでのもので、欧州やアフリカ、中南米のレベルには届いていないことは、日本だけでなく、今回敗退したイラン、オーストラリア、韓国が立証している。

やはり公式試合であろうと、親善試合を積み重ねても得られないものはある。アジア以外の国々との真剣な試合を積み重ねないと、誰が監督をやろうと、今以上の結果を残すのは難しい。

もちろん、徹底的に守備を固め、カウンター攻撃だけの退屈なサッカーをするなら別だが、これは元祖イタリアでさえ今はやらない。アリゴ・サッキ監督がいみじくも語ったように「カテナチオはイタリアが弱かったからこそ採用した戦術に過ぎない」なのだ。

だが、負けない試合に喜びを見出さない日本人の気質からして、この守備偏重の試合は合わないだろう。実は今回、ケイロス監督の下で徹底的に守備を磨いたイランが、これに近いサッカーをしていたが、それでも世界には通じなかった。多分、イランも攻撃が好きなのだろう。試合ではやはり攻めてしまっていた。

守備には自信をもっている韓国でさえ、徹底的な守備的戦術は嫌がる。やはり攻めて勝ちたいと思っている。もちろん、日本だってそうだ。

そうなると、地道に自国のリーグのレベルを上げて、選手個々人の能力を上げることこそが王道である。幸い、日本のJリーグは地味ながらその役割を果たしていると今回で確認できた。

今回、遠藤や長谷部を押しのける勢いで成長した山口蛍や青山は、海外のチーム経験がない日本育ちの選手だが、立派に世界相手に通用したと思う。既に基盤は出来ている。後は海外のチームとの親善ではない、真剣な戦いの場だ。

返す返す残念なのは、2012年のコパ・アメリカ(南米選手権)大会に招聘されながら、日本サッカー協会が断ったことだ。南米各国の代表チームと真剣勝負が出来る数少ない機会であったのに、欧州偏重のサッカー協会の馬鹿幹部どもが断りやがった。

ザッケローニ監督は既に責任をとって退任していますが、この大馬鹿な日本サッカー協会の幹部どもは居座っています。まずは、この馬鹿どもを大掃除することが、日本サッカー再建の第一歩だと思いますね。

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白昼の死角 高木彬光

2014-06-27 13:10:00 | 

オレオレ詐欺だか、母さん助けて詐欺だか知らないが、相も変わらずこの手の詐欺は多い。

以前は銀行などのATMを使って振り込ませる手口が主流であったが、金融機関から警戒され、現在は金を取に行く手法になっているとニュースが報じていた。

いつの時代もそうだが、法の網目を掻い潜って、人を騙して金を奪う詐欺師の絶えたことはない。そして、いつも思うのだが、日本はこの詐欺犯罪に対する刑罰が軽すぎる。

刑罰が軽すぎるだけではない。本来、世間から同情されるべき被害者が、軽蔑の目で見られてしまうのも詐欺犯罪の特徴だ。すなわち、騙される奴も悪いってやつだ。

分からないでもない。たしかに豊田商事事件などをみても、被害者が欲に走って騙された面はある。それを世間から嘲笑されてしまう風潮が、ことさら被害者を苦しめる。一人暮らしの寂しさを埋めることで騙した詐欺師の卑劣さよりも、騙された被害者が苦しむ。それが詐欺犯罪の厭らしさだ。

正直言って、日本の刑法が詐欺犯罪に対して甘いと思う。被害者の苦しみを思えば、もっと厳しい刑罰が下されるべきだと思う。詐欺犯は、いくら厳しい刑罰を下されようと、決して更生なんかしない。次なる一手を考えることはあっても、詐欺を反省することはない。それは分かっている。

だが、今のように詐欺に対する刑罰が軽いと、自分もやってみようと軽い気持ちで詐欺に走る輩は増える一方である。詐欺により失った財産は、まず取り戻せないことを考えれば、現在の刑罰は軽すぎる。

騙された被害者に過失があったにせよ、騙した加害者への処罰はより厳しいものでなくては、社会の信が立たない。ところが、司法関係者には、案外と理解がなく、被害者も加害者も人権は同等などと意味のない理想論を持ち出す馬鹿が多い。

人権が平等であろうと、その過ちは平等ではない。騙した方が悪いに決まっている。世の中には人権よりも大切なものがあることが何故に分からない。

ただ、第三者の目から見ると、騙し騙されの物語は面白いのも事実。詐欺に対する倫理的な問題はさておいても、騙す側を主人公にした物語は案外と多い。

表題の作品なんか、その典型だと思う。この作品でも当然のように騙される側の哀れさ、可笑しさが描かれ、騙す側の狡猾さが賢く見えるように描かれている。エンターテイメントとしては、当然の手法であり、それを非難する気はない。実際十代の頃、私もけっこう夢中になって読んでいた。

ただ、年齢を重ね、財産をだまし取られる側の人々をよく知るようになると、若いころほど楽しめなくなったのも事実。むしろ、騙されないために、深読みしながら学ぶつもりで読んでいる自分に気が付く始末である。

臆病になったもんだ。

書かれたのは40年以上前だが、今読んでも十分楽しめるのはさすが。ただ、この作品に限らず書店に行っても、高木彬光の本はあまり見かけない。かつてはベストセラー作家として、どこの本屋にいってもコーナーが設けられていたことを思うと、いささか残念ですね。

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聖闘士星矢LEGEND of SANCUTUARY

2014-06-26 12:04:00 | 映画

漫画の新たな発展系だと考えるのが相応かもしれない。

ちなみにこの映画の原作となった漫画は、私が大学4年生の時に週刊少年ジャンプで連載が始まった。当時、私は就職活動に勤しんでおり、その合間にこの破天荒な漫画を楽しんでいた。


もっとも社会人になってからは、それほど熱心な読者ではなかったが、この漫画は車田作品としては異例なほど世界的な大ヒット作となった。玩具メーカーと組んでの販売戦略も良かったが、TVアニメが原作以上に国際色豊かであったことが、人気を広める一因となっていたようだ。

あれから30年あまりが経ち、CGによるアニメ映画として復活したのが表題の作品である。たいして期待していなかったのだが、映画冒頭で監督総指揮に作者の車田正美の名前が挙がっていたことに驚いた。

私は予備知識なしで映画を観たので、正直驚いた。映像としては実写に限りなく近づけるCG映画は、「フィアナル・ファンタジー」という先駆者があり、あまり成功したとは云えないと聞いていた。

この映画も登場人物はすべてリアルなCGで描かれているのだが、表現力は格段に上がっている。とはいえ、本物の俳優を使わずに全てCGにしたせいで、やはり違和感は否めない。

もっとも原作の漫画も、相当デフォルメされており、デザインが漫画的に誇張され過ぎなので、本物の俳優を使っての実写にしたら、相当な違和感があることは間違いないと思う。

現在、世界的な大ヒットをしている「アナと雪の女王」もそうだが、アニメによる描写といえどもリアルな人物造形が好まれる傾向が欧米では強い。この映画も単純な漫画のCG化ではなく、リアルな人物造形に拘ったのは、世界市場を意識しているのかもしれない。

私自身はこの漫画を週刊誌で読んでいたので、どうしても違和感はあるが、漫画の発展の形としてこのような映画は、今後ますます増えるような気がします。

なおストーリーは原作の十二宮サガの乱編をなぞっていますが、映像の派手さは原作の漫画以上です。特に華麗なサンクチュアリの映像は一見の価値あり。私はこの作品のファンというわけではないのですが、アニメ映画としてその迫力ある画面は十分楽しめましたよ。

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ゴミ拾い

2014-06-25 12:34:00 | 社会・政治・一般

ワールドカップ・ブラジル大会でも、日本人サポーターのゴミ聡怩ェ話題になっている。

これは今回が初めてではなく、初の出場となったフランス大会でも行っており、毎回の名物になっている。その記事を読んで、日本人のモラルの高さを喜ぶ方は多いと思われるが、私は如何なものかと思っている。

別にワールドカップ会場での日本人の美徳を誹謗する気はない。あれは、あれで立派なことだと思う。だが、その反面、人目があるからこそではないのかと思ってしまうのも確かだ。

ここ数日、車で都市近郊の農地や雑種地を見て回っていると、どうしても目につくのがこっそりと捨てられたゴミの山だ。道路わきの窪地とか、少し奥まった空き地に足を運ぶと、必ず目にするのがゴミなのである。

よくよく見れば、高速道路の中央分離帯とか、インターチェンジの脇の草むらにもゴミが放り捨てられている。これは今日昨日の話ではなく、以前からあったものだ。処理業者や行政が処理しているので目立たないだけなのだ。

日本人は恥を知る民族だという。綺麗好きな民族としても有名だ。それは嘘ではないが、やはり全てではないと思う。人目につかないところでは、平然とゴミを捨てる。わざわざ人目につかないところを探して、ゴミを捨てる。

それもまた、日本人の一面なのだと思う。

サッカー場でのゴミ拾いの美談に浮かれるのもいいが、日常に目をやれば、案外恥ずかしい日本の姿が目に入ると思う。

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ブラジル大会、雑感

2014-06-24 12:42:00 | スポーツ

まだ二戦を終えた段階だが、今回のワールドカップは時差の関係で中継が深夜から早朝なので、なかなか観れないのが辛い。

だから週末にTV観戦を堪能したのだが、改めて気が付くのはアフリカ勢の復権だ。前回の南ア大会では地元にもかかわらず、アフリカ勢は低調に終わった。日本とて初戦のカメルーン戦に勝てたからこそ勢いに乗れた。

本来、ワールドカップは欧州で開催されれば欧州勢が強く、南米で開催されれば南米が強い。だからこそ前回大会でのアフリカ勢の敗退は異例であったのだが、今回のブラジル大会では本来の実力を発揮している。あのドイツがガーナに勝てないのだから、これは驚くしかない。

もっとも日本が苦戦したコートジボアールでさえ南米の雄・コロンビアには勝てない。やはり地元というか、中南米勢は今回は強い。フロリダでテストマッチで日本が大勝したコスタリカは、その今大会の目玉の一つになっているほどだ。実にいいサッカーをしているではないか。やはり日本戦では手抜きしていたようだ。

だが、なんといっても困るのはアジア勢の低調ぶりだ。日本、韓国、イラン、オーストラリアいずれも苦戦している。未だ一勝もアジアのチームは上げていないのだ。現時点で一番いいサッカーをしているのはイランなのだが、それでも勝てない。

もっともアルゼンチンとの試合では、あわやのシーンが幾つもあり、アルゼンチンが困惑するほど強固な守備を見せた。だがアルゼンチンにはスーパースターのリオネル・メッシがいた。この一人の天才が、後半ロスタイムに挙げたミドルシュートには、深夜にも関わらず大声を上げてしまった。

やっぱりメッシは凄い。あの土壇場で、ほんのわずかな隙から得点できるのだから、やはり天才としか言いようがない。チームに柱となるべきスター選手がいるチームは強い。やはりアルゼンチンはブラジルと並ぶ優勝候補だと思う。

もしメッシのあのスーパーゴールがなかったら、イランは引き分けであったかもしれない。しかし、負けは負け。このままでは、アジア勢はすべて予選敗退の憂き目に遇いかねない惨状である。現状の4、5枠が減らされる可能性は大きいと思う。

我が日本代表の試合は、後コロンビア戦を残すのみ。正直決勝トーナメントに出れる可能性は低い。既に2勝してトーナメント行きを決めているコロンビアは、主力を休ませて、控えの選手を出してくると思われるが、それでもおそらく勝てまい。私は得点あっての引き分けなら上等だと考えている。そのくらい日本のレベルは低い。

ただし、それは監督の責任ではない。試合の采配を非難されるのは致し方ないが、選手個人の資質は、むしろ育成した日本サッカー全体の問題だ。いくら名監督でも選手の基本性能まで引き上げることは出来ない。

ただ、返す返すも残念なのは一昨年のコパ・アメリカ大会への招聘を断ったことだ。理由は分かっているつもりだ。公式には東北大震災の被害とJリーグの日程優先としている。でも本当の理由は、南米にチームを派遣しても、スポンサーが喜ばないからだ。

これが欧州のチームとの対戦ならば、スポンサーはいくつもつくだろう。世界的な知名度の高いスター選手が数多くいる欧州は、広告的には非常に有望である。反面、いくら実力あれど知名度高い選手が少ない南米では広告効果は薄い。

日本では強硬な交渉力をもっていたトルシェは別格として、ジーコもオシムも、そしてザッケローニまでもこのスポンサーの壁に阻まれて、南米での試合をほとんど組めずにいた。さすがにジーコはブラジルでクラブチームと試合させたが、他の代表監督ではスャ塔Tーを説得できなかった。

いくらキリン杯で南米のチームを呼んでも、本気の戦いはしてくれない。日本サッカー協会がスポンサーの意向に忠実であったことが、南米の地、南米のチームに対する経験値を選手に与えなかった。

返す返す残念である。

さて、明日早朝にコロンビア戦が控えている。多分、最後の試合になりそうなので、今夜は早めに寝て明日はTV観戦しましょうかね。負けてもいいけど、戦う姿勢だけは見たいと思います。

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