ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

犬が吠える時

2020-02-28 11:45:00 | 日記
犬が吠えるのには理由がある。

個別の事情があることもあるだろうが、犬が見知らぬ人に吼えることがある。多分、犬は分かっている。その人が犬を好きでないことを。あるいは苦手で、犬を遠ざける人であるかもしれないことを。

犬は言葉を解さないはずだ。名前を呼べば反応すると言うが、それはおそらく名前を呼んだ人の声に反応しているのであって、その名前が自分のことだと理解して反応しているのではないと思う。

言葉は理解できなくても、その言葉を発した人の声は、確実に認識しているのが犬だ。つまり、犬の理解と、人の理解は似ているようで違う。

子供の頃から、私は犬に吼えられた事がほとんどない。今でも、外で見知らぬ犬とすれ違うと、犬と目線が合うことがよくある。無言のまま、通り過ぎることになるのだが、多分声をかければ遊んでくれると思っている。

ちなみに、声を鰍ッないのは、傍にいる飼い主の人に悪いからだ。飼い犬のご主人が傍に居る場合は、極力邪魔しないよう心鰍ッている。もちろん、飼い主の了解があれば別であるが。

そんな私だが、幼い頃、一度だけ犬に吼えられたことがある。それも当時、うちで飼っていた犬に吼えられた。吼えられた経験がなかった私は驚いてしまい、どうしたら良いか分からず、その場に立ちすくんで泣いてしまった。

犬と吼え声と、子供の泣き声の大合唱である。近所の人が気が付いて、幼馴染のジュンちゃんのお母さんが駆けつけてきて、私と犬を家まで連れ帰ってくれたと思う。実はよく覚えていないのだ。

だが、今なら分かる。何故ルルが吼えたのかが。

おぼろげな記憶だが、あの時私はルルを連れて散歩に行ったはずだ。しかし、途中で友達と会い、ルルを木につないで友達と遊び呆けていたのだ。

遊び終えて戻ってきたら、ルルが私に吼えまくるのは、ある意味当然だろう。でも、吼えられた経験がなかった私は、驚いてしまい、なにがどうなっているのか分からず、混乱して泣いてしまったわけだ。

ルルにしてみれば、せっかく散歩に行ったのに、放り出されて、無視されてしまったのだから怒るのは当然であろう。ただ、幼い私はそれを理解出来なかった。子供って勝手だな。

多分、翌日には仲直りしていたと思う。もっとも私が、その事件を理解して反省していた訳ではない。実際、何故にルルが私に吼えたのか、数十年分かっていなかったのだから。

私がルルの吼えていた理由を理解したのは、40代も半ばを過ぎてからだ。今、住んでいる町の一角に、やはりよく吼える犬がいたからだ。近くを通りかける人に良く吼えるので、あまり評判が良くなかった。

でも、私は吼えられた経験がなかった。近くを通る時、私は自然とその犬と目線を合わせて、軽く挨拶していたからだと思う。そして、吼えられるのは、もっぱらその犬を浮ェるか、嫌がる人ばかりであった。

その家には、ちょっと足の悪い老人が居て、そのせいであまり犬の散歩などはしていなかった。その代り、庭のすべてを柵で囲って、犬が自由に動けるようにしていた。その犬は、老人と仲良しで、老人が不在の時は、門の傍に陣取って、文字通り番犬の役割をこなしていた。

だからこそ、怪しい奴(要は犬が好きでない人)が通ると、吼えまくっていたのだと想像している。実際、私はその老人と面識こそあったが、別に親しくはなかった。でも、あいさつ程度は交わしていたので、その犬は私を怪しい奴だと認定していなかったのだと思う。

ある年の冬のことだ。その犬がやたらと吼えまくっていた。昼も夜も吼えていた。ただ、その声が少し哀しげに感じた私は、近所の自治会長と連れだって、その家を訪れた。

犬は私たちが来ると、吼えるのを止めて、さかんに家を振り返る仕種をみせた。自治会長が呼び鈴を押しても、まったく反応がない。よもやと思い、交番に連絡して警察官立会いの下で庭に入り、窓から覗いたら、その老人が唐黷トいた。

結局、窓を割って鍵を外して、無理やり入り込んだら、既にこと切れていたそうだ。私は警官に言われて、犬を抑えていたのだが、もう吼えることもなく、ただ尻尾を垂れて大人しく座り込むばかりであった。

気が付いて、玄関にあったペットフードを警官の了解を得て、犬に与えた。でも、犬は食べようとしなかった。私はそれが無性に悲しく思えてならなかった。

その後のことは良く知らない。噂では親族が犬を引き取り、家は解体されて更地で売りに出されていた。

犬が吼えるのには理由がある。その理由を探すことなく、騒音だと思い込まないで欲しいです。
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おかしな報道

2020-02-27 11:57:00 | 社会・政治・一般
八つ当たりもほどほどに。

新型肺炎であるコロナ・ウィルスの拡散に伴い、世界各国の政府、マスコミなどがやたらと奇妙な非難を繰り返している。

日本に対してだと、例の豪華客船に対する防疫措置がやり玉に挙がっている。

狭い船内に感染者を閉じ込めておけば、健康な人も感染してしまう。だから日本政府の対応がおかしい。

神戸大学の先生だかなんだかがユーチューブを使って告発したらしいが、バカじゃないかと思う。いや、その告発に便乗したマスコミも同罪である。

まず豪華客船ダイアモンド・プリンセス号の責任者は、日本政府ではない。船のオーナーがおり、船を管理する会社があり、クルーズの企画運営をしている会社もあるはずだ。

で、これらの会社のオーナーや経営責任者はどこいった?ちなみに船籍はイギリスであり、オーナー会社はアメリカである。国際海洋条約などでは、船内に伝染病などが発生した場合の取り決めは決まっていない。

日本政府としては、我が国に寄港してきた外国旅客船において伝染性の強い新型肺炎の患者が複数いると思われる場合の、緊急的な対応をするのが自然な流れである。つまり受動的な立場である。帰港を断ることも出来たが、日本人船客が多いため、人道上の立場から受け入れている。

本来の責任者たる船のオーナーや船長たち、クルーズの企画運営者たちこそが、船内感染について強い責任を持つべきではないのか。

ところがマスコミ様ときたら、憎むべき安倍政権を批判することに躍起になっているせいか、おかしな批判報道ばかり繰り返す。おかげで世界的には、まるで日本政府が現在管理(?)している豪華客船こそが、新型肺炎の発生源であるかのような報道がされている始末である。

別に武漢の地方政府を非難しろとまでは言わないが、日本政府を新型肺炎の拡散の責任者であるかのような報道は如何なものかと思う。なんでもかんでも、すべて安倍政権が悪いのかねぇ。

もっとも私はBBCやCNNのような外国の報道を中心に視ているので、日本のTV報道などは飲食店のTVなどで視る程度である。もしかしたら、船のオーナーやクルーズ企画会社への取材もあるのかもしれないが、私は知らない。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかもしれないが、日本のマスコミの報道の仕方って、かなり変だと思いますよ。
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ドレッシング

2020-02-26 15:55:00 | 健康・病気・薬・食事
日頃からTVをほとんど観ないことを公言している私だが、なんとなく観てしまう番組もある。

その一つが、マツコ&有吉の「かりそめ天国」で、この番組で紹介されるグルメ情報が私の気を引く。2月14日放送では、日本国内で販売されているドレッシングの中から、百貨店やスーパーのプロのバイヤーが選んだTOP10であった。


どのドレッシングも美味しそうだ。多分、どこでも売っているキューピーのイタリアンテイストは私も愛用している。またピエトロの和風ドレッシングは私の評価も高い。個人的には、高級焼肉チェーンの叙々苑のドレッシングも入れて欲しかった。

それはともかく、私が呆れたのがマツコの発言「あたし、ご飯にドレッシングかけて、それを海苔で巻いて食べちゃう」である。

やったことはないが、聞いただけで美味しいと分る食べ方だ。すかさず有吉が「その結果が、その身体だね」と突っ込んだには笑ったが、無理もないとも思った。

私もここ数年、ダイエットをかなり気にするようになった。それで分かったのだが、食事の美味しさは、塩と油で決まるってこと。昔から減塩を心がけていたので、塩味が美味しさを引き出すことは知っていた。私の作る料理がイマイチの味なのは、このせいである。

ところが、油もまた美味しさを引き出す大きな効用があることを近年知った。いや、マジで油を減らすとカロリーは確実に減るけど、美味しさも減る。

だからこそ、私は最近、食材の素の味を大事にしている。蒸し料理が増えたのも、そのせいである。でも、やっぱり塩と油が恋しくなることもある。私が偶にジャンクフード的な料理を食べたくなる所以である。

番組のなかで、ドレッシングを使ったチャーハンやパスタも紹介していた。これなら私も作れるな・・・繁忙期で仕事のストレスが貯まっているので、ここらでちょっと油多めの料理、作っちゃおうかなァ。

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平明丸母国トルコへ帰るとき

2020-02-25 11:43:00 | 映画
この映画は、トルコの映画監督であるハイリイエ・サバシュチュオール女史が製作したもので、埋もれていた日本とトルコの交流史を取り上げたものです。

1918年ロシアに捕虜として勾留され、ウラジオストックに残置されていた千人のトルコ人を故国に帰すことが日本政府に移管されました。その任を担ったのが、日本帝国海軍将校である津村中佐でした。

彼は平明丸を率いて遠く地中海まで航海しますが、トルコに着く直前、ギリシア海軍に勾留されてしまったのです。ギリシアはトルコとは犬猿の仲であり、ギリシャ政府は津村中佐にトルコ人の引き渡しを命じます。

しかし、津村中佐はそれを拒みました。次第に乏しくなる食料事情、遠い故国からの支援もないなか、与えられら使命を守り、頑としてトルコ兵の引き渡しを拒んだ態度に感銘を受けたイタリア政府の仲介で、彼らトルコ兵はイタリアへ送還され、一年後に無事トルコに帰国しています。

実は表題の映画は、東京の一部の映画館でのみ上映されていたので、ほとんどの人は知らないと思います。知られざる日本とトルコの交流史であり、もっと知られるべき話だと思います。

私見ですが、この美談が世に広まっていないのは、平明丸を率いた日本人が軍人であるからだろうと思います。日本のマスコミは、敗戦後やたらと戦争を否定し、軍隊を否定し、軍人が良いことをしても無視する傾向が顕著です。

どうも、日本には相変わらず、戦争を否定することが平和につながると思い込んでいる愚者が、相当数いるようです。しかもマスコミや教育関係者に多いことが問題です。

実際のところ、トルコ人捕虜の引き渡しを要求したギリシャ政府の背後には、イギリスやフランスなど日本の躍進に脅威を覚える思惑がありました。一方、西欧との対決を将来の課題と認識していた日本側にも、トルコを始めイスラム諸国との友好関係を推し進めたい思惑があったのも確かです。

そのような軍事的、政治的背景があったことは確かですが、だからといって平明丸事件をなかったことにする姿勢が、日本を平和にするとは到底思えません。現実問題、この映画が上映されて以降、トルコ政府はこの歴史的事件を大きく取り上げて、日本領事館前の通りの名称を変えているほどです。

日本とトルコのつながりは、エルトォール号事件だけでなく、平明丸事件でもつながっていたのです。イラクのフセインが、イラン発着の航空機を撃ち落とすと脅し、欧米各国が自国民をイランから脱出させた時、なにも出来ずに逃げ出した日本の外務省に替わって日本人を救出したのはトルコ航空でした。

イスラム圏では屈指の大国であるトルコ、イラン、インドネシアなどと地道に交流を重ねてきたことが、欧米側でありながらイスラムから一目置かれるのも、過去の実績あってのこと。

いくら津村中佐が軍人だからといって、平明丸事件を無視する日本のマスコミの報道姿勢はおかしいと思います。

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さかなクン、国会へ行く

2020-02-21 12:14:00 | 社会・政治・一般
怒っていいと思う。

先週のことだが、さかなクンの愛称で知られる東京海洋大学の准教授である宮澤正之氏が国会で発言する機会が与えられた。

コミカルな姿ではあるが、彼の魚への愛情は本物だと思うし、実際海洋学者として恥ずかしくない実績も残している。そんなさかなクンが国会の水産資源委員会で参考人として現在の日本をとりまく海と魚の問題を発言したことは、ニュースなどで報じられたとおりだ。

私が腹が立って仕方がないのは、その報道の仕方である。さかなクンといえば、あのコミカルなハコふぐの帽子がトレードマークになっているのは、よく知られている。

国会には、様々な規制があり、過去にもアントニオ猪木の赤いマフラーとか品位を貶めるような服装を禁じる規定がある。今回のさかなクンについては、あのハコふぐの帽子が、その規制に抵触するかどうかが報道の中心になっている。

馬鹿者! 大馬鹿者!

報道するならば、水産資源委員会でさかなクンが発言した内容こそ報じるべきであろう。さかなクンはマスコミの低俗な記事を埋めるために国会に呼ばれたのではない。

私が、さかなクンを高く評価するのは、難しいことを優しい言葉で解説できるからだ。これ、難しいのだぞ。

難しいことを難解な専門用語を駆使して解説するのはバカでも出来る。だが、難しいことを専門知識のない人々に分かりやすく解説するのは非常に難しい。それが出来ない、お偉い専門家なんて沢山いる。

現在、日本を取り巻く漁獲資源の実情は厳しい。死滅した珊瑚礁、海藻をウニに食べ尽くされた沿岸、北海道での昆布の激減など断片的にしか報じられない重要な変化が起こっている。

日本は人口減少していくが、世界は違う。増大する人々の胃袋を満たす為、これまで見向きもされなかった海洋資源が狙われている。にもかかわらず、その海洋資源を守る努力の足らない日本の実情。

さかなクンという世間の耳目を引く参考人の招致は、水産庁にとっても貴重な機会であるはずだった。それをバカなマスコミが潰しやがった。

潰したのは、おそらくマスコミの政治部の記者、それも国会担当のエリート記者様であろう。これが文化部や地方編集部の記者ならば、水産業や水産資源の厳しい実情を知っているから、もっとまともな記事が書けたと思う。

しかし、出世街道の先頭を走る政治部国会担当記者様は違う。水産業の実態も知らず、漁獲資源の惨状も興味はなく、ひたすら愚かな国会議員どもを上から目線で叱りつけて、自らの見識の高さをアピールするだけ。

大マスコミが視聴者や購読者から見放されるのも当然だと思う。

さかなクンのせっかくの国会での熱弁も、その内容はまともに報じられていない。日本のマスコミの程度の低さには、ほとほとウンザリします。

コメント (2)
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