ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今年を振り返って

2006-12-31 11:31:24 | 日記
平成18年も、あと数時間で終りです。

思い返すと、あっという間の一年でした。年を重ねる毎に、月日の過ぎ去る速さに唖然とします。子供の頃は、一年どころか、一日ですら永遠に続くと思っていたことを思うと、大人になるとは、時間を認識する感性がにぶくなることなのかと妙な考えを抱いてしまいます。

仕事的には、13年間師事してきた所長がセミ・リタイアしてしまい、分担していた仕事が一気にのしかかる事態に陥り、悪戦苦闘の毎日でした。とりわけ税務署との戦いの日々はきつかった。苛烈な仕事のなかから勉強する時間をつくることに四苦八苦した一年でもありました。

なんといっても会社法改正!これほどの大改正ですと、対応する側も大変です。更に過酷だったのが、税法改正でした。財務省の独り善がりな思い込みには怒りを禁じ得ませんが、泣く子と地頭には勝てないので、致し方なく後手後手の対応に終始している次第。

仕事と勉強のバランスに悩んだ一年であったというのが、率直な感想です。

反面、私生活では安定した一年でした。現在2ヶ月に一回の通院ですが、これ以上良くなることは期待薄の難病ですから、安定しているだけで十分幸せです。多分もう少し体重を減らせば、数値的にはわずかに改善するかもしれませんが、多くは望みません。酷な仕事に、よく付いて来てくれたと思います。

そしてブログというか、インターネット全般で言えば、少々悩みどころです。実は今年の年頭において、目標に掲げたのが「インターネットは一回15分!」でした。出来てない・・・気が付いたら一回当たりの平均アクセス時間は20分を超えている有様。ブログの原稿自体は、仕事の合間や休日に書き溜めていますから問題ないのですが、コメント書きに予想以上に時間がかかったのが想定外でした。さりとてレスをつけないのも失礼ですから、困ったものだと悩んでいます。

まあ、勉強や仕事に差し支えるほどは、やっていないので、当面はこのままのペースで構わないと考えています。15分という設定に無理があったのでしょう。反面ブログを通じて、交流が広がり、様々な意見を頂戴できるようになったのは、予想外の果報でした。皆が皆、同じ考えである必要はないし、自堕落な自己満足に陥る危険性を避ける意味でも、皆さんからのコメントはありがたいものでした。あらためてお礼申し上げます。

お!一つ大問題があるのを忘れてた。私の部屋に、未読の本がたまって山と化している。これをなんとかしなければ。うん、これは来年に持ち越しの問題とします。先送り、先送り~♪

それでは皆さん、良いお年をどうぞ。
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諸人こぞりて もう一つのクリスマス・キャロル

2006-12-29 13:32:31 | その他
師走の街並みは、いつだって忙しない。工場からの騒音と、排気ガスを撒き散らすトラックの轟音にも気が付かぬ風で、その女は産業道路の歩道を必死でリアカーを引いていた。3ヶ月前、工場からの帰り道、酒気帯び運転の車に跳ねられて夫は死んだ。4人の子供と妻を遺して死んだ夫を跳ねた車は、そのまま壁につっこみ運転者は即死だった。

涙も枯れ果てた目に映ったのは、腹を空かせた4人の子供たちだった。「生きなければ、働かねば、誰がこの子たちを・・・」工場主の紹介もあり、工場から出る廃品の回収で、日々の生活を養うこととなった。コメツキバッタのように頭を下げ、廃品を貰いうけ、それを廃品業者へ卸す毎日。

汗と埃で自慢の黒髪は、くすんだ灰色となり、廃品よりも疲れた身体に鞭打ち、日々の暮らしを賄う毎日だった。楽しみといえば、子供達の笑顔と安タバコをくゆらすだけ。それでも夜になり子供達が寝付くと、声を押し殺して泣くのであった。

いつしか、上3人の女の子たちは家事を手伝うようになり、リアカーは軽トラックになり、少しは暮らしも上向いた。ところが石油ショックとやらで仕事は激減し、軽トラックのローンが重くのしかかる。中学を卒業した娘達が働くようになり、なんとか夜逃げは避けられたが、末っ子が登校拒否になり、悩みの種は尽きない。

学校へろくに通わなかった末の子は、仕事につくでもなしブラブラしていたが、ある日派手な赤いリボンが不似合いな娘と恋に落ち、止めるのも聞かずに家を出た。目に入れても痛くないほど可愛がった末っ子だけに、さすがに失望したが、近所に住まいを構えた娘夫婦達に孫が産まれ、女の人生にもくつろぎが出てきた。

そんなある日の朝、女は血を吐いた。救急車で運ばれ入院した。診断は癌だった。レントゲンの図面を説明され、真っ黒になった肺の写真を他人事のように眺めていた。せめて自宅で死にたいと病院を抜け出したが、またも血を吐き、連れ戻された。

病室のベッドの脇の窓から見る冬の空は、青く澄み切っていた。思えば、スモッグで薄汚れた空しか見てなかった気がする。「もう、いいわ」と力なくつぶやき目を閉じた。辛く苦しい人生であった。もう終りにしてもいい。心残りは末っ子の行く末だが、それも致し方ないことかもしれない。薄れていく意識が、子供の歌声で引き戻された。

目を開けると、幼き末っ子の姿が見える。よく見ると、幼子を抱きかかえた末っ子が立ちすくんでいる。笑っているのか、泣いているのか。かすみがちの目には、よく見えなかったが、その腕に抱かれた幼子には、在りし日の末っ子の面影が濃いのだけは良く分かった。彼女の意識を引き戻したのは、その幼子の歌うクリスマス・ソングであった。女を悩ませ失望させた末っ子の、最後の親孝行だった。

すべての子供達が無事であることを知った女は、安心しきったのか、その日の夜には息を引き取った。末期癌の苦しみなど、どこにも見当たらない穏やかな死に顔であった。

葬儀の場には、どこからともなく無数の人が集まった。自分の食事を切り詰めても、困っている人に助けの手を差し伸べた、その女を慕ってのことだろう。4人の子供達ですら見知らぬ人の弔問は、途切れることなく夜更けまで続いた。

葬儀が終り、静寂を取り戻した自宅の一室で、遺影を前に末っ子は号泣した。涙を止めることなど、出来やしなかった。親孝行したい時には親はなし、さりとても墓石に毛布はかけられず。悩んでも、悔やんでも、想いは満たされず。ただ、ただ泣くしかなかった。
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「クリスマス・カロル」 C・ディケンズ

2006-12-28 13:34:31 | 
読み続けられる本って、たしかに凄いと思う。

表題の本は、小学生の頃、子供用に書かれたものを読んだきりであったから、原作の翻訳本を読むのは初めてだった。もっと早くに読めば良かった。

産業革命後の、凄まじく発展したイギリス・ロンドンの裏町の風情と、そこで貧しくも逞しく暮らす市井の庶民の暮らしぶりが、なんともいじましい。

幸せを求めて仕事に邁進するうちに、仕事に取り付かれ、仕事しか見えなくなり、幸せとは何であるかさえ分からなくなった老人に訪れた一夜の奇跡。

誰の元にも本当は幸せはあるのだろうが、それに気が付かず、気が付いても手を伸ばすことさえしなくなり、気が付いたら不幸を撒き散らす、不幸な老人になっていた。幸せの温もりを忘れ、不幸の殻に閉じこもる老人。

そんな老人の元を訪れた4人の幽霊たちが、老人の目を開かせ、耳を開かせ、幸せの存在を教える。幸せになろうと思ったら、他人を幸せにする人間であらねばならない。ただ、それだけのこと。それだけなのに、それに気が付かずに人生の大半を過ごしてしまう。

私自身、どちらかといえば仕事に邁進して、埋没するタイプだから、もし20代で難病に冒されなければ、幸せの何たるかを忘れていたかもしれない。

この話は、子供向けの本に思えるが、実際は働き盛りの大人にこそ相応しい本ではなかろうか。ちなみに、初版から100刷を数える新潮社の文庫版だが、なぜに「キャロル」でなく「カロル」と表したのだろう。ちょっと疑問です。
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中華・銀座亭 

2006-12-27 09:26:02 | 健康・病気・薬・食事
私の職場は、東京・銀座にある。日本有数の繁華街だ。しかも高級繁華街。

羨ましいと言われることが多々あるが、裏通りの雑居ビルで働く身にしてみると、けっこう難儀な街だと思う。

マスコミにも数多く登場する有名店も多いし、隠れ名店も少なくない。金さえ出せば、美味しいものには不自由しない街であることは確かだ。

しかし、毎日の昼食にそうそう贅沢なんて出来やしない。率直に言って、昼食の平均単価は隣りの新橋、京橋、築地界隈と比較して2割は高いと思う。もっと過激に言えば、安くて美味いは有り得ない街でもある。けっこうシンドイぞ。

まあ、幸いデパ地下が充実しているので、お弁当にすればなんとかなる。せめて定食屋でもあれば良いのだが、なかなか獅「店は少ない。他の街なら普通にある、普通のお店が少ない街、それが銀座。

それでも平日はいい。問題は休日だ。観光客や買い物客用のお店しか営業していない、困った街でもある。まあ、たいがいはお弁当で済ませる。それでもたまには暖かいものが食べたい時だってある。

そんな時に、時折足を運ぶのが銀座7丁目のはずれにある「中華・銀座亭」だ。いわゆるラーメン屋さんだ。それも普通のラーメン屋さんだから嬉しい。有名店ではないと思う。グルメ・ガイドに載るような店でもない。どの町にも一軒はある、普通のラーメン屋さんだ。

実はここは肉野菜炒めと餃子が美味しい。資産家であり、高収入であろう銀座の貸しビルの大家さんたちも密かに通う店でもある。金を出せば、もっと美味しい店はあると思うが、多分この普通の味が好ましいのだろうと思う。

ただし、わざわざ行くような店ではない。多分がっかりすると思う。だって、普通の味だもの。だからこそ私は行く。銀座では、この普通が貴重なのだから。
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「賢者の贈り物」 オー・ヘンリー

2006-12-26 09:30:47 | 
贈り物って、難しい。

相手に本当に喜んでもらえる贈り物がしたいが、これが難しい。

相手が欲しがっているものにしたいが、何を欲しがっているかを知るのが難しい。

相手が驚く贈り物がしたいが、呆れられては困る。

相手を良く知り、相手を良く考え、相手を良く観察することだよと正論を吐かれたが、それが簡単に出来れば苦労はしない。

悩んで、迷って、省みて、それでも決められない。

普段、見ることはまずない女性のファッション誌なんぞのページをめくってみるが、参考になるんだがならないんだか・・・本当にこんなもの欲しいのか?(広告主の舌なめずりが聞こえてきそうだ)

多分、こんな悩みは世の多くの人たちが共有していると思う。

表題の話(短編集のなかの一作)を読んだ十代始めの頃は、これほどまでに贈り物に悩んだ事はなかったと思う。改めて読み直して、けっこう感動したものです。うん、やっぱり気持ちだよなあ~。

で、かえって不安になったりする。これでいいのかな?

あぁ、きりがない。
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