ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

新戦争論 平和主義者が戦争を起こす 小室直樹

2024-10-02 09:04:58 | 

世界史の教科書に銘記すべきことがある。

戦争は平和主義者が引き起こすことがある。この単純にして明快な事実が日本の歴史教科書に記載されていないことこそ、戦後の日本の学校教育が如何に問題が山積されているかを示している。

以前にも書いたが、私は小学生の時、先生もグルになったいじめを受けている。先生が私を嫌ったののは無理もないと思う。なにせ私はその先生が陶酔して語る平和主義が大嫌いだったからだ。

私は幼少時を米軍基地の隣町で過ごしている。白人の子供たちの日本人を見下す目線は今でも思い出せる。英語なんて全然分からないが、白人のガキどもが言っていることが、日本人を馬鹿にしていることぐらいは察せられた。

理屈もへったくれもない。目が合えば怒鳴り合い、取っ組み合っていた。恥を忍んで云えば負けたほうが多い。なにせ奴らは身体がデカい。ケンカの強さ=体格だと思い知らされた。でもデカいってことは、弱点も大きいってことだ。

私が狙ったのは首であり、足の甲や脛だった。一番得意だったのは、奴らのどてっぱらに頭突きを食い込ませ、足の甲や脛を拳に握りこんだ小石で削る。そして背後に回って首を絞める。締めながら数を数えて、十数秒ごとに力を緩める。これを何度か繰り返せば、大半の奴らは負けを認める。

我ながら汚い喧嘩だと思うが、あの街ではそう珍しい遣り口ではなかった。だから転校先で突っかかってきたクラスメイトを、小石入りの靴下で殴り倒した時も、別に悪いことだとは思わなかった。それが周囲から嫌われる遣り口だなんて知らなかった。

もっとも転校一年目のクラス担任はしっかりした人で、喧嘩両成敗だと拳で教えてくれた。おかげですぐに転校生いじめは収まった。しかし翌年の進級後の新しい担任とは相性最悪であった。

このアホは「世界の人たちが笑顔を交わして手を取り合えば、戦争の無い平和が実現する」と理想に酔い痴れている世間知らずであった。碌に言葉も通じない白人のガキどもと散々やり合い、喧嘩して後お互いの遊び場所を確保することが当然の街で育った私は、のっけから「こいつ馬鹿なのか?」と呆れた。

戦って互いの存在を認め合い、無駄に傷つかないように均衡を保つことが実際の平和の実相だと、今なら言える。当時、まだガキで知識も知恵もなかった私には、まともな抗弁などできやしなかった。

そんな私にガンジーの無抵抗主義や、国連の理想を説く若い教師は、すぐに気が付いた。私がろくに話を聞いていないことを。だから私は嫌われた。そうなるとクラスの目ざとい奴らは、私をターゲットにしたイジメという遊びを始めた。

さすがに一対多数では勝ち目がない。だから放課後、帰宅時を狙い相手が一人の時に襲い掛かってやり返した。おかげで幾度となく交番に連れ込まれた。母は仕事だったので、おばあちゃんが迎えにきた。ありがたいことに、おばあちゃんは私を一切叱らなかった。だから私はおばあちゃんには頭が上がらない。

ただその後、若い担任は大騒ぎした。男のヒステリーは実にみっともないものだと、この時知った。校長室に呼ばれて、教頭や校長の前で盛んに「こんな悪ガキは施設に入れるべきだ」と騒いだが、私が涙ながらに必死で抵抗する姿を見た校長は、私を別室に下げて、なにやら若い担任に説教していたらしい。

おかげで私に対するイジメは激減したが、周囲からの無視といった村八分扱いであった。その後、母は教職に就いている叔父と相談したらしく、家族ぐるみで引っ越すことになった。母はなにも言わなかったが、引っ越しの原因は間違いなく私だろう。せっかく友達が出来た妹たちには悪いことをしたと思う。

あれから半世紀たった今だからこそ分かるが、担任の未熟さはともかく、イジメを見て見ないふりをしていた他のクラスメイトも共犯者だと思う。実は私に同情的なクラスメイトも確かに居た。でも、彼らはどうしたら良いのか分からなかった。だから無関心を装ったのだと思う。

白状すると、私はイジメっ子たちに逆襲して怪我させたことを悪いとは、まったく考えていない。それは今も当時も変わっていない。私が逆襲したからこそ、イジメは一応収まった。孤独ではあったが、安全を確保できたと考えている。もっともあの学校に居続けたら、私は間違いなく不良となっていたとも思う。実際、他校の悪ガキどもと一時期つるんで悪さをしていたぐらいだ。本格化する前に転校したので、真面目な子供に戻れただけだ。

戦わなければ守れないものがある。私の子供時代に刻まれた手痛い教訓であった。それが正しかったのだと確信できたのが表題の書を読んだ時だ。第一次世界大戦における悲惨な戦いの記憶が多数の平和主義者を産んだ。

そして、その平和主義者たちが政権をとることを許したが故にヒットラーは増長した。明確な敵意をもって迫ってくるヒットラーを早期に軍事的圧力で抑えていれば、第二次世界大戦は避けられたと著者は主張する。それが正しいか否かは確証はない。しかし、平和に囚われて戦うことを忘れれば、他者の侵略を許すことになることは、歴史の教訓として学ぶべきことだと思う。

その事実から目を逸らす日本の教育界は、いつか手痛い目に遭うと、私はほぼ確信しています。そのことを教えてくれたのが、表題の書でした。何故か再販されていませんが、図書館か古本屋で探してみてください。それだけの価値はある書だと思いますよ。

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投資なんか、おやめなさい 萩原博子

2024-09-17 09:13:46 | 

私は投資をほぼやらない。

やるとしたら自己投資のための勉強会、講習会への参加くらいだ。広い意味では読書もそうだし、ドキュメンタリーを視ることも含めて良いとも考えている。

逆に絶対にやらないと決めているのは、証券会社や銀行、郵便局などが薦める金融商品への投資である。その中でも一番記憶に残っているのがグローバルソブリン、通称グロソブである。

相当なヒット商品であり、儲けた人もかなり居ることは承知している。私も随分と勧められたものだ。だが、私にはどうにも納得できないものであった。

確かに毎月の配当は嬉しい。でも、なんで毎年管理手数料を払う必要があるのか。いや、儲けさせてもらう以上、ある程度の手数料を払うのは当然だ。しかし、利益を出していない時、つまり配当が特別分配金という名の原資の払い戻しの場合でも手数料を払うのが納得いかなかった。

第一、このことは最初説明してないよね。最終的に断った。なんだってタコ足配当やってる投信なんぞ買わねばならぬのだ。しかも赤字であっても手数料を払うだと。なんで失敗した奴に払わねばならぬのだ。

はっきり言いますけど、投資信託とは販売する証券会社、銀行、郵便局は絶対に損をしない金融商品です。損をするのは投資信託を買った人だけ。もちろん中には投資家が儲かった投信もあります。あまり聞きませんけどね。

今も巷で売られている金融商品の大半が似たり寄ったりです。特に生保がらみと、外貨型はヒドイですね。まぁ円高時に外債運用タイプの投信を買った方は、かなり儲けられたはずです。だから私も完全に否定はできません。

投資にリスクは付きものです。リスクを一方的に購入者に押し付け、販売するだけ、赤字でも手数料取るだけの金融商品が巷にあふれています。あな恐ろしや。どうせリスクを覚悟するならば、自由に売り買いできる株式が良いと思います。

もっとも投資をやらない私が勧めても価値ないです。あくまで自分の知識と経験で判断して投資してください。

間違っても販売業者の名前で判断してはいけません。メガバンクであろうと、巨大保険会社、郵便局であろうと、彼らは売るだけでなんも責任とってはくれません。あくまで投資は自己責任。

表題の本は、FP(ファイナンシャルプランナー)の先駆けとして著名な著者が、かなり分かり易く投資の危うさを教えてくれます。投資を始めようとする方、必読だと思いますね。

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看守眼 横山秀夫

2024-09-11 09:18:53 | 

どちらかといえば、過去に囚われるのは男の方が多い気がする。

私は過去を悔いるのが嫌いな性分で、過去の失態、醜態を可能な限り忘れるようにしていた。幸か不幸か、私の人生は毀誉褒貶が激しく、いちいち過去を悔いている暇はなかった。いや、現在の悩み、未来への不安が大きすぎて過去を省みる余裕がなかったのが実態に近い。

で、人生の終盤に入り、多少余裕も出てきた今頃になって何故に貴女は私の夢に出てくる。私としては忘れたはずの記憶であり、思い出す動機もない。なのに夢に出てきて話しかけてくる、あの得意な科白で。

「うぅ~ん、いいじゃない」

甘えているのか、それにしては強引なあの科白で私を振り回した。不快になるには心地よすぎる甘い科白であり、怒るほどにはなれない程度の強引さ。まだ十代前半の未熟な私はどれほど困惑したことか。今だから分かるが、私が従うことを確信している科白だった。

で、私は不満と微かな甘い予感を伴った奇妙な気持ちで、貴女の意向に従っていた。だから完全に関係が途切れた時、奇妙なほどに安堵感を抱いた。これで新しい人生に踏み出せると。

もう忘れていたのだ。それなのに還暦過ぎて何故に思い出すのか。私は自分が分からない。

昔、ある女性歌手が「女はみんな、さよなら上手」と歌っていたが、そうなのだろうと思う。それに比べて男どもの未練がましいこと甚だし。未練なんてないつもりだったのだが、心の奥底に沈殿していたのだろうか。

そんな微妙な気持ちにさせられたのが表題の短編です。長編に秀作の多い横山秀夫ですが、この短編集はなかなかに珠玉の作品集だと思いましたよ。機会がありましたら是非どうぞ。

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HUNTER×HUNTER第38巻 冨樫義博

2024-09-05 09:21:48 | 

主人公、どこいった。

ほぼ二年ぶりで出された単行本である。通例だとこの後、週刊少年ジャンプで連載が再開されるはずだ。それはそれで嬉しいが、主人公のゴンはどこいった。まだクジラ島にいるのかな。

いや、ゴンだけじゃない。キルアも出ない。前巻まで活躍していたクラピカもレオリオもいない。まぁヒソカや幻影旅団とヤクザ3組との絡みは面白いから良いけど。

雑誌連載中も思っていたが、最近のハンターは挿絵過剰のライトノベルかと言いたくなるほど文章や科白が多い。正直鬱陶しいほどに文章だらけの漫画であり、熟読しないと物語が分からない煩雑さもあるのだけれど・・・・悔しいことに面白い。

4日発売なのだが、私は三日の夜には入手していた。そして今日までに2回読み直している。2年近くも待たせやがって、この野郎との気持ちは確かにあるのだが、やはり面白い。科白と文章ばかりと書いたが、絵の上手さは相変わらずである。

幻影旅団の創設時のクロロの表情の凄み、ヤクザを追い詰めるノブナガたちの怖い雰囲気、そしてあの悪魔的な第四皇子の普通の学友たち。伏線の回収もあるが、それ以上に新たな伏線が引かれているのが恐ろしいほどだ。

あぁ、続きが読みたい、早く読みたい。この漫画の麻薬的魅力にはまっていることを自覚している私です。

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人口で語る世界史 ポール・モーランド

2024-08-29 08:50:37 | 

穏やかに衰退すること。

それが21世紀の日本に求められる課題だと私は考える。一応確認しておくが、日本の衰退は確定事項である。その原因は一言で云えば「人口減少」であり、もう少し詳しく云えば「高齢化社会の到来」と「少子化社会による社会負担の増大」である。

人類史において人口が減る原因は概ね戦争と飢餓であり、地震や大規模な気候変動であった。少子化による人口減少は近代以降に発生した特殊なものだと表題の書の著者は主張する。逆に言えば、人口の増大は軍事力と経済力の増加に他ならない。

実際、第一次世界大戦はもちろん第二次世界大戦の主要参戦国は、人口の増加が著しい国が中心であった。では、人口が増加する原因はなにか。

まず第一に幼児死亡率の減少である。近代前はどこの国でも幼子の死亡率が非常に高い。しかし国が経済成長を始めると衣食住の環境が整備される。特に上水道の整備が大きい。結果、無事大人へと成長する幼児が増える。加えて食料事情が好転すると、必然的に寿命が延びる。すなわち軍隊へ入隊する兵士は増え、そこである程度の訓練を受けた兵たちが除隊後に貴重な労働力となる。

日本は近代前から教育がかなり普及し、識字率も高かったので実感が薄いと思うが、多くの国の軍隊は教育機関としての役割をもっていた。軍隊で簡単な読み書きを学び、集団での行動訓練を培った人材が、民間に戻って経済発展の一助となる。軍事力と経済力は意外と密接な関係を持つ。

しかし、ある程度幼児死亡率が減り寿命が延びると、女性が産む出産数が減少してくる。近代社会は女性の労働の機会を増やし、学校教育の普及により教育訓練を受けた女性の増加は、結果的にだが沢山の子供を育てることを厭う傾向が強い。これは民族や宗教などにも影響されぬ不思議な傾向となる。そして、必然的に将来における人口減少を招く。

人類社会において、このような現象が起きたのは、産業革命以降すなわち生産力の飛躍的増大により社会が豊かになってからだろう。だからこそ、成長の限界点に達して逆に人口が自然減してくる事態は前代未聞のものとなる。

当然に先駆者はイギリスであり、既に20世紀中にこの人口減少は始まっている。しかし痩せても枯れても大英帝国であり、旧植民地からの人の流入が多いが故に人口減少はまださほど目立ってはない。ただ英国のEU離脱には大きく影響はあったようだ。

その英国に代わって人口減少が顕著に目立ってきたのが他ならぬ日本である。表題の書の著者も日本についてかなり詳細に研究している。詳しくは読んでみて欲しい。

現在の日本は外国からの人材導入に積極的ではなく、また少子化対策も小手先のものばかりで成果は上げていない。はっきり言えば少子化問題にお手上げ状態である。その一方で高齢化は着実に進行しており、ますます政治判断力は硬直化している。

茹で上がるカエルのように気が付かずに衰退するのが日本の未来である。幸いなのは島国であることだけだ。ただこの先、人口が減少すれば空き家は当然に増加し、不動産市場は暴落すると予測される。新築は大幅に減り、リフォーム工事が主流になると私は予測している。

政府と、その下請化しているマスコミの宣伝のせいで勘違いしている人が多いが、実は日本は金融資産を膨大に持つ超大国である。負債である国債、地方債のほとんどは国内にあるため金融危機に陥る可能性は極めて低い。

ただ金融資産にはかなりの割合で外国債、とりわけアメリカ国債がある。アメリカがデフォルトに陥れば日本も追随して金融危機が陥る可能性があることは頭の片隅に銘記すべきであろう。

それと人口減少に政府は無為無策ではあるが、現実には外国人との国際結婚の増加による夫婦が増えており、それに伴いファミリービザで入国してくる外国人が増えている。社会が安定して治安がよく、学校教育も充実し、医療制度も確立している日本で暮らすことを求める外国人は少なくない。インターネットの普及により情報が飛躍的に増えて、日本の良さを認識している外国人が増えている。

外国人が増えれば必然的に生活面でのトラブルは増加する。その先駆的役割を果たしている群馬の大泉や静岡の磐田などに日本各地の自治体が視察に訪れているのも当然だと思う。その現実を知りつつ目を逸らしているのが霞が関のエリート様と永田町の先生方である。

私は21世紀中に日本はかなり混迷すると予測しています。だが、この混乱を上手に乗り切れば衰退を穏やかに迎えることが可能ではないかと若干楽天的にみています。

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