ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

マイナンバーに思うこと

2014-10-31 12:04:00 | 社会・政治・一般

少し迷っている。

現在、各省庁ではマイナンバーの施行に向けて、省令などの整備にとりかかっている。マイナンバーとは国民総背番号制度のことだ。この法案自体は、民主党政権時代に国会に提出され、一度時間切れで廃案になっている。

しかし、自公連立政権になり、再び同様の法案が提出され、マスコミも野党も問題視することなく国会を通過している。この経過をみても、霞が関の各省庁が皆、賛成し導入を期待していたものであることが良く分かる。

具体的な実施は、平成28年からであり、現在は準備期間である。具体的には来年、各市町村から申請の慫慂があり、写真付きのICカード配布といった形でマイナンバーは実施される。

これは市民生活のみならず、様々な場面に大きな影響を与えると考えられる。たとえば年末調整である。毎年、年の暮れになると、扶養家族等の収入を確認したり、生命保険料控除証明書などを経理部や総務に提出していると思う。

税務上の扶養家族には所得の制限があり、パートやアルバイト収入が103万円以上あると、控除対象から外れる。この扶養家族の記入にも、28年からはマイナンバーが必要となる。

そうなると、家族が黙ってパートなどをして103万円以上稼いでいると、税務当局はそれをマイナンバーにより容易に把握できるようになることが予測される。

それだけではない。銀行等の金融機関に預けてある預貯金等についても、マイナンバーの登録が必要になるとされている。これは大変なことだ。個人の金融資産のすべてを政府が掌握できることになる。

現在、あるはずがないとされる架空預金などは、このマイナンバー制度により洗いざらいさらけ出されることを当局は期待しているようだ。政府が国民をすべて数字で管理できる時代が近づいてきている。SF小説などで警鐘がならされていた管理社会が、本当に実現されんとしているのだ。

勉強のよく出来る霞が関のエリート様がご満悦の様子なのが、手に取るように分かるではないか。

だが、私は思い通りにはいかないだろうと予測している。いかにシステムを完璧に作っても、そこから逃れようとする人間の本能を甘くみている気がするのだ。

まず、現金取引が今まで以上に増えるはずだ。幸い日本の通貨、紙幣に対する信用度は高い。政府が一番把握しずらいのが現金取引なのだ。そして次に予測できるのは、裏経済が今まで以上に拡大することが。

裏経済というと、まるで犯罪社会を思い浮かべるかもしれないが、決してそんな単純なものではない。これは世界中のどこでも見られるものだ。有名なのはイタリアだろう。このラテンの先進国は、公表される統計数値だけで判じると、ひどく貧しい国となる。

しかし、実際には衣食住ともに、かなり豊かな社会であることは、実際にイタリアで暮らしていた人には明白である。マフィアなどの犯罪組織の経済活動もあるだろうが、むしろ普通の一般市民による裏バイト、裏副業などがイタリアの豊かな暮らしを裏付けているのが実情である。

イタリアは、そのラテン的なイメージとは裏腹に政府の規制がかなり厳しい国である。その厳しさ故に、法制度を潜り抜けた裏経済が発達してしまった。実のところ西欧の国々の多くで、このような裏経済は存在する。

規則一点張りのイギリスはもちろん、融通の利かなさで悪名高い厳格なドイツでさえ裏経済は存在する。自由経済市場を謳う西欧でさえそうなのだから、社会主義の残滓がまだ色濃く残る東欧などは、裏経済こそが真の実態だと云われるほどである。

私の知る限り、裏経済というか裏社会が存在しない国はない。世界で最も管理型の市場経済が成功したと云われる日本でさえ、裏経済は存在していた。いささか守秘義務に関係してくるので、具体的なことは書けないが、政府が把握しえない裏経済は今も健在である。

人というものは不思議なもので、他人を管理したがる一方で、自分が管理されるのを嫌がる傾向が強い。マイナンバーの実施は、それが厳格であればあるほど、裏経済、裏社会を育ててしまう可能性が高いと私はみている。

私自身は、仕事柄マイナンバーによる管理を受け入れざる得ない。実際、今年から来年にかけてマイナンバーへの対応をクライアントに説明していくつもりである。

だが、その一方でマイナンバーは日本の社会を拘束してしまい、それを厭うが故に裏経済を育んでしまう可能性への対応も考えざるを得ない。それが良いこととは言えないと思う一方で、必然性もあると考える自分がいる。

マイナンバー制度は長い目でみると、日本の社会を変えていく分岐点になるかもしれません。

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今回の日本人拉致問題交渉に思うこと

2014-10-30 12:06:00 | 社会・政治・一般

いささか嫌な予測をすると、おそらくもう生きている拉致日本人はいないと思う。

現在、日本政府の代表団が平壌にて交渉しているが、成果はほとんど期待できない。本来、外交交渉の場に堂々出ることはないはずの秘密情報部関連の人間まで北朝鮮は出してきたが、それもメ[ズに過ぎない。

なぜなら、北朝鮮は人治国家だからだ。二代目の金正日が生きていたら、今少し情報はあったと思う。しかし、現在の三代目のお坊ちゃんに政権が移行した以上、拉致にかかわったはずの北朝鮮政府関係者の立場は危うい。

もう既に政府から追われている可能性さえある。拉致問題は北朝鮮にとって、のど元に刺さった骨のようなもので、この問題があるが故に日本から金や資材の流れが途切れてしまっている。

拉致にかかわった人間にとって、この問題は可能な限り触れたくないはずであり、金正日が死んだ今となっては北朝鮮政府が守ってくれる可能性は少ない以上、知らぬ存ぜぬで通すのが、あの閉ざされた王国で生き残る術である。

日本に帰国した拉致日本人は、北朝鮮内部では特権階級に近い暮らしをしていたからこそ、拉致を認め面会すら許せた。よもや帰国させる気はなかったようだが、当時の小泉首相と安倍晋三の強硬さにしてやられたのが実情なようだ。

その結果、北朝鮮が予想だにしない事態、すなわち日本国内における拉致問題への怒りとなり、日本からのお金と物資の流れが途絶えてしまった。寛大な処置を施してやったはずなのに、このような事態になったことを相当に悔やんだはずである。

私が金正恩ならば、拉致日本人はすべて殺してしまい、死人に口なしの状態にしておく。過酷な環境に置かれていたことを知られて、これ以上状況を悪くするような事態は避けたいと考える。

上がそうなら、実際に拉致に係った実行犯たちは、自分たちに害が及ばぬように証拠隠滅を図るのが当然である。拉致にかかわっていない北朝鮮政府関係者だって、余計なリスクは負いたくないはず。

だから、拉致問題とは可能な限り距離をおきたいと考える。そこにきて金正日は死んでしまい、なにも知らぬ三代目が政権トップに就いた。人治国家では、最高権力者は自分の信頼できる部下を、政府各機関に配置するのが通例だ。

おそらく現在の北朝鮮の秘密情報部は、すべて三代目の息のかかった人物に牛耳られているはずだ。当然に拉致問題にかかわった人間は、冷や飯を食わされるのが普通だと想像できる。

独裁国家では、人治ゆえに最高権力者の意向しだいで、黒は白になり、あるものが無かったものとされる。だから、予想される結果は明白だ。

すなわち、全力で調査したが拉致日本人は既に死亡しており、現在は遺骨の探索をしている最中である。

当たって欲しくない予測だが、生きて再び日本の地を踏める拉致日本人は、今回は出てこないと思います。せいぜいが、拉致に協力したとみられる日本人(拉致ではなく、自らの意思で北朝鮮に入国)の、日本への里帰りくらいでしょうね。

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飼うか飼われるか 桑田乃梨子

2014-10-29 13:14:00 | 

見つめ合ってはいけない。

山でクマと遭遇したら、絶対にしてはいけないのは背を向けて逃げ出すことだ。これをやると、追いかけられて、突き飛ばされ、噛みつかれ、そのまま空中に何度も投げられて、いたぶるように殺される。

だから、正面切ってクマと落ち着いて対峙する必要がある。ただし、絶対にクマの顔を睨むような真似をしてはいけない。見つめ合うようなことはしてはいけない。それは敵意を示すことであり、野生においては戦いの前哨戦となるからだ。

クマは相手を威嚇するために、立ち上がり、自らの巨躯を見せつけて威圧する。そうなったら、いきなり動いてはいけない。クマの全体を俯瞰するように眺め、そして落ち着いて声をかけろ。

敵意を感じさせるような言葉は避けて、世間話をするように穏やかに語れ。意味は分かるわけもないが、案外とクマはその言葉に耳を傾ける。敵意がないと分かると、周囲を見渡して他の敵を探したりして、目の前の人間から注意をはずす。

そうなれば、こっちのもの。ゆっくりとクマを見ながら、転ばぬように慎重に後ずさる。隙をみせず、ゆっくり後退しながらも、穏やかに話すことは忘れずに。こちらがクマの警戒範囲を超えれば、クマのほうから姿を消す。

そこで油断してはいけない。クマは耳を澄ませて、こちらの動向を探っているはず。だから、ゆっくり確実にその場から立ち去る。絶対に戻ってはいけない。忘れ物があっても諦めろ。それはもう、クマのものだ。

万が一、その忘れ物を取り返せばクマは激怒して襲ってくる。だから諦めろ。

もし、クマが襲ってきたらどうするかって?その時は戦え、石を投げても、ザックを振り回しても、なんでもいいから戦え。絶対に逃げるな。逃げる相手には、本能的に襲ってくる。むしろ激しく抵抗したほうが、クマのやる気を削ぐ。それで助かった人は少なくないぞ。

そう語ってくれたのは、丹沢の山中であった猟師の人だ。沢登を終えて、藪漕ぎをして峠に出たところでお茶を沸かして休憩していた時、突然藪の中から現れて私たちを仰天させた。

連れていた犬たちが、いずれも筋骨逞しく、都会のペット犬とは別種としか思えなかった。お茶を振る舞ったところ、嬉しそうに飲みながら話してくれたのが、クマと遭遇してしまった時の対処法だった。

私はクマと遭遇したことはないが、野生動物を恐れる気持ちは人一倍もっている。可愛いだなんて感傷はありえなかった。夜の山道を、か細いヘッドランプ一つで歩いてみれば分かる。

自分が見つめられていることを。ここでは人間は歓迎されざる侵入者であることを、夜の闇の向うからの敵意から実感せざるを得なかった。クマが怖いのはもちろんだが、クマも人間に遭遇したいとは思っていないらしい。

むしろ怖いのは、人を恐れないサルと野犬だった。それとイノシシが嫌だった。沢登の後の藪漕ぎは、どうしても獣道を通るため、ここでイノシシと遭遇する可能性が高い。私自身、藪漕ぎ中にイノシシの鼻息と思われる音を聞いたことがあり、背筋が凍る思いをした。

以前、書いたが沢沿いでイノシシの子供、つまりウリ坊を見かけたときは、すぐに登れる木を探して、そこに皆を集めて息を潜めてやり過ごしたものだ。ウリ坊はヌイグルミのようにかわいいが、その母イノシシの怒りの牙にかけられるのはまっぴらごめんである。

また私が幼少期を過ごした街は、米軍基地の隣町であり、当時は在日米軍基地に勤務する米兵の家族が多数住んでいた。彼らの大半は数年で転居するのであるが、問題は彼らが飼い犬を放棄することであった。

なにせ飼い犬といってもドーベルマンなどの大型犬が多く、この犬たちが野犬化して群れを作っていることがあった。街中といったが、当時は武蔵野の原生林がかなり残っていたので、森の中に潜んでいるとなかなか発見しずらい。また日本人が入れない広大な米軍基地のなかにも生息していたらしい。

うろ覚えだが、何度か保健所から警告があり、外遊びを我慢した記憶がある。多分、猟友会かMPあたりが野犬を処理したのだと思う。野犬とペットは別の生き物だとの認識は、子供の頃から叩き込まれている。

だからこそ、野生動物を可愛いと平然と口にする無神経さに、いささか苛立つことがある。感性なんて、人それぞれだし、安全なところから無邪気に口にする感傷に過ぎないと分かってはいる。でもなァ~と思ってしまうのはやめられない。

率直に言って、野生で人間に懐くのは犬か猫ぐらいだと思う。捨てられた犬や猫の目線には独特なものがあり、まれに憎しみと不信感を感じることがある。でも、大半の捨て犬、捨て猫には人間に馴染んだ痕跡があり、その潤んだ瞳に見つめられると困ってしまう。本当に、ホントウに困ってしまう。だからこそ言いたい。犬や猫を捨てるな!

表題の作品は、ペットに関する漫画エッセーである。桑田節さく裂の、ほんわか、まったり漫画なのだが、時折鋭い指摘があるのが楽しい。そのなかで興味深かったのは、レッサーパンダに関する記述であった。

そうか、皮がぶよぶよで、爪が鋭いんだ。こりゃ、あぶねぇな、やっぱりクマの仲間なのだなと納得できた。たしかグズリとかも似たような体の構造になっているはず。

適当な予想だけど、遠い将来劇的な環境変化により多くの生物が死滅しても、案外クマの仲間はしぶとく生き残る気がします。クマ、侮りがたしだと思いますよ。

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特別分配金

2014-10-28 13:01:00 | 経済・金融・税制

厭らしい・・・

なにがって、特別分配金という言葉である。

株取引をする人や、証券投資信託などの金融商品を保有する人なら、目にする用語だと思う。株式などを保有していると、配当金が交付される。この配当金には源泉所得税が課税され、天引きされて入金されている。

ところが、特別分配金には課税されず、そのままの金額が入金される。ちょっと不思議ですね。

種を明かすと、これは分配金と記載されているので誤解を招きがちですが、その正体は元本の戻りです。つまり出資した金額が一部戻ってきただけ。だから課税の対象ではないだけです。

ならば、出資金の戻りと記載しろと言いたくなります。紛らわしいというか、誤魔化すなと私は言いたい。

要するにタコ足食いです。配当のようにみせかけながら、実は元本取り崩しにより如何にも配当していますよと誤魔化しているだけ。十分な利回りを出せるだけの実績がないから、こんなことをする。嗚呼厭らしい。

私と同じように思う方はけっこういるようで、現在金融庁と証券業界との間でうちうちに話し合い中だとのこと。

敗戦を終戦と誤魔化したり、軍隊を自衛隊として憲法違反を誤魔化したりするのは日本のお家撃ニも言えますが、どうも感じが悪い。上がこうだから、下もこのような言葉遊びで本質を誤魔化すことが横行するのだと思います。

その典型ですね。あゝ、嫌だ。

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るろうに剣心 伝説の最後編

2014-10-27 13:06:00 | 映画

教育は国の根幹をなす大切なことだと思う。

昨今は英会話教育の早期導入などが持て囃されているようだが、私は若干懐疑的だ。海外留学(っつうか、遊学だと思う)の成果だろうが、英会話は出来るが、仕事が出来ない若い人を数人見ているせいか、外国語教育が過剰に評価され過ぎだと思っている。

反面、幼少時にこそ導入すべきことに心身の鍛錬があると確信している。体育ではない、あれは運動能力の向上だけだ。やはり日本人なら武道こそ必修科目にすべきではないかと考えている。

私自身は中学の体育の授業で柔道をかじった程度だが、その程度でも影響は大きかった。剣道や空手、合気道などをやっていた連中を知っているが、どこか違うと思っていた。

単に身体や技を鍛えているだけではない。心に一本柱が建っているいるかのような印象がある。云うまでもないが、武道とは、つきつめていけば人を殺す技術体系である。

それなのに、決してそれだけではなく、心身の鍛錬に繋がっている。殺す覚悟があるからこそ、命の大切さを痛感し、大切なものを守る気持ちが芽生える。武術は、その技術だけでも恐ろしいが、心に武の覚悟を据えた人間は強い。武道は間違いなく、心を強く鍛える。

これは日本人だけが感じるものではない。日本の場合、武士道という形が残っているので殊更目立つが、似たような例は世界各地にある。たとえばフェンシングに代表される西洋剣術は、日本の剣道に劣らぬ長い歴史と伝統をもっている。

西欧では、今でも単なる趣味や嗜みとは言いかねるほどの気持ちを込めて、西洋剣術のクラブが残っている。またイランやトルコでは、中世以来の伝統武具を用いた肉体鍛錬の風習が残っており、それは今日でも敬意を払われる存在である。

言うまでもなく、銃器や携行ミサイルなど近代兵器の前では、剣術や格闘術などは意味をなさない。軍隊格闘術は世界各国にあるが、実際の戦場でその技術が行使されることは稀である。

しかし、世界中どこの軍隊でも格闘術、剣術などの鍛錬は欠かさない。特殊部隊においては必修なのは当然だが、兵站部門を担う兵士でさえ決して無関心ではなく、むしろ積極的に学びたがる。武術は生き残るために心身を鍛える有効な手段だと、兵士たちは認識しているのだろう。

明治維新で刀を持つことを禁じられた日本ではあるが、今でも剣道は廃れることなく活きている。明治当初は廃止される剣道場が数多くあったというが、決して滅びることなく、今日でも剣道場のない町は珍しい。

柔道も空手も、時代の変化により多少の流行り廃りはあれども、今日でも生き残っている。私はこれらの武道場を日本の伝統ある無形文化資産だと考えている。この先人から受け継いだ貴重な遺産を、今に活かすことは日本人の義務だと思う。

現在の学校教育では、ダンスや料理教室など文化教育も取り入れているようだが、私としては武道をもっと積極的に取り入れて欲しいと考えている。ただ、学校の先生に全面的に任せるのは、少々無理があるので、外部から講師といった形で武道の熟練者に基礎指導を取り入れたほうが安全だと思う。

表題の映画は、週刊少年ジャンプで連載されていた漫画の実写版だが、私は殺陣の場面が気に入っている。かつての侍映画に比べると、格段に実戦的で、えげつなく、それでいて派手な演出での戦闘場面。これだけでも観る価値がある。

ただ、ファンの方には申し訳ないが、剣心の師匠は余計だったんじゃないのかねぇ。まァ、人気がある人なのは私でも知っているけど、若すぎるよ・・・

コメント (21)
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