ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今こそ強制労働

2012-05-31 12:59:00 | 社会・政治・一般

暴論との謗りを受ける覚悟で敢えて言うが、今の日本に必要なのは強制労働キャンプだろう。

仕事柄、いろいろな人の財布の中身を覗くような機会が多い。実際に覗くのではなく、その人の一年間の所得を計算するがゆえのことだが、不思議で仕方ないことがある。

率直に言って、まるで稼ぎがない。いや、あるにはあるのだが、どうみても生計が立つ稼ぎではない。まともに暮らせる稼ぎではない。それなのに、中古とはいえ高級外車に乗り、外食の比率は高く、しかもパチンコなどの遊行支出もかなりあるようだ。

親の援助で暮らしている場合もある。ひどいのになると、年金の支給日を狙って親を訪ねて、金をむしり取っていく。失業手当をもらっているケースも少なくないが、そのくせ仕事を別個していることもある。

私は断っているが、役所にばれないため、仕事の稼ぎを別の人名義で申告して欲しいなどと言ってくる輩もいる。断ったら断ったで、失業手当を打ち切られたら先生のせいだと食って掛かってきた人もいる。腹が立つので正論かまして断固断っている。

さらに腹が立つのが、生活保護を受けているくせに、相応の稼ぎがある輩だ。だいたいが日雇いとか現金商売が多く、容易に所得がバレないよう悪知恵を絞っている。幸か不幸か、私は気の利かない頑固者との悪評判がたっているせいで、私の元にはやってこない。

気が利かなくて、大いに結構である。

だから、思いっきり偏見込めて言わせてもらうと、この手の悪質な生活保護受給者は、ブヨブヨと肥えていることが多い。少なくても食うに困っていないことは、外見からして明らかだ。

その逆に痩せ衰えているような気弱な貧困者ほど、生活保護を受けていないことが散見する。私からすると、こちらこそ生活保護の対象とすべきだと思うが、生きる気力が弱いのか、自分から強く申請することがない。

追い詰められて役所に赴き生活保護を申請しても、冷たい受付の役人の眼差しに耐え切れずに逃げてくる有様だ。たまに新聞等の片隅に載る孤独な餓死者なんて、このケースが多いのではないかと思っている。

皮肉なことに、生活保護担当の役人の冷たい眼差しをものともせず、厚かましく生活の困窮を訴えているような輩ほど、逞しく見えてならない。単に厚かましいだけでなく、暴力的な雰囲気をまとっていることが多く、それに怯えて申請を認めてしまうケースもけっこうあると思う。

ひどいのなると、集団で役所に訪れて、数の力で役所を威圧して生活保護を勝ち取る輩もいるそうだ。誰とは言わないが、この手の貧困者への救いの手を差し伸べることで、歪んだ正義感を満足させる偽善者たちが支援しているらしい。

いい加減にして欲しい。

この悪質な生活保護受給者は、仕事がないのではない。仕事をしないで、ぬけぬけと生活保護費をせしめている社会のダニ、寄生虫に過ぎない。働かずに金がもらえると、ほくそ笑んでいるだけだ。

腐ったミカンが入っていると、他のまともなミカンまでをも腐らせる。働けるくせに働かないのは個人の自由だが、このような輩に生活保護費を支給するのは間違っている。

偽装、不正により生活保護費を受けているような輩が見つかったのなら、強制労働に就かせて不正受給した金額を働いて返納させるべきだと、あたしゃ声を大にして言いたいね。

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宇宙兄弟 小山宙哉

2012-05-30 15:31:00 | 

夢は食べられない。

真剣にそう思っている。夢にうかれ、夢にとりつかれ、夢に自滅する人生なんて真っ平ごめん。本気でそう考えて生きてきた。

叶わぬからこそ夢。手に届かないからこその夢。遠くから眺めてこそ美しいのが夢。そうに違いないと信じ込んで生きてきた。

意識して夢に冷淡であるべく生きてきた。

夢が嫌いなわけではない。むしろ、私の本性は夢見がちな楽天家でさえある。だからこそ敢えて夢に距離を置いてきた。そうでないと、何時夢に呆ける怠け者の本性が顔を覗かすか分からないからだ。

そんな私でも夢に恋い焦がれ、夢の実現に真摯に努力を重ねる姿に感動を覚えないわけではない。やもすれば、羨望よりも嫉妬が勝るかもしれない。あるいは自己嫌悪かもしれない。だから、あまり夢には係りたくない。

ただ、困ったことに仕事柄、夢を実現しようと意気込む気鋭の起業志望者に会うことが偶にある。なるべく心を凍てつかせて話を聞くように努めている。冷静に客観的に話を聞くと、創業のプランの甘さなどの欠点が見えてしまうのが辛い。

だが、水を差すようなことは控えている。夢をつかもうと第一歩を踏み出した者に、余計な忠告は耳に入らない。どんなに誠意を尽くして説明しても納得してくれない。夢に賭け、夢をわが手につかもうとする情熱が、他人の忠言なんぞ価値を認めはしない。

当然である。きっと今まで散々言われてきたことだからだ。その逆風を乗り越えてきたからこそ、夢を実現する第一歩を踏み出したのだ。今さら後に引けようか。

それが分かるので、今は余計な差し出口は叩かぬことにしている。ただ黙って話を聞き、実務的な助言に終始する。内心の不安や懸念を顔に出さず、穏やかな表情を保って送り出す。

本当は成功して欲しい。これは嘘偽りのない本音だ。これまでに夢に賭け、夢に破れ、敗退していった者たちを少なからず見てきただけに、心から成功を祈りたい。

だが現実は甘くない。誰にでも成功の機会はあるが、誰にだって失敗の陥穽は待ち受けている。本当の勝負はこれからだ。失敗して夢を諦めるのは致し方ないが、それでも夢を諦めずに、再起を誓う者たちもいる。

敢えて言おう。失敗を知らずして成功は勝ちえない、と。失敗した時にこそ、その人の真価が見て取れる。失敗を恐れるものは、成功の栄誉をつかむことはない。失敗から学ばぬ者は、やはり成功の祝杯を飲み干すことは出来ない。

失敗するにせよ、成功するにせよ、夢の行先を傍らで見守ることは、案外つらい。これまでもそうだったように、これからもその葛藤は続くのだと覚悟はしているのだが、それでも迷うあたりが私の気の弱さなのだろう。

表題の作品は、幼い頃の夢を実現した弟と、途中で夢を諦めた兄の物語を描いた漫画だ。隠れたヒット作として知られていたが、ついに映画化までされてヒットしている。私は漫画のほうをじっくり読んできたので、映画はどうよと思っていたが、かなり評判は良いらしい。

たまたま機会があって映画館で観てきたが、上手にまとまっていたことに感心した。多分、原作を知らなくても十分楽しめると思う。でも、映画だけで楽しむのは、あまりにもったいない。是非とも原作の漫画も読んで欲しいです。

私は夢に冷淡ですが、夢がない人生なんて空しいとも思っているのです。まぁ、私の夢は決して叶わぬものであることも分かっているのですがね。

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早起きの理由

2012-05-29 10:15:00 | 日記
最近、やたらと目が覚めるのが早い。

原因はベランダの物音だ。まだ朝も明けきらぬ暁の時間帯になると、ベランダでなにやら物音がする。犯人は巣作りのための材料探しにやってきたカラスである。ベランダの物干し竿の脇にかけてある金属製のハンガーを持ち去ろうとして、ガチャガチャと物音を立てる。

クリーニング屋からのもらいものであり、高価なものではないが、カラスに取られるのは悔しいので、とれないように一工夫がしてある。ざまぁみろ、カー公である。

ただ、執拗に我が家のベランダを訪れるので、その物音で目が覚めてしまう。一度起きて、ベランダに顔を覗かせば、カラスは逃げ去ってその日はやってこない。

で、目が覚めてしまった私の朝の快眠はどうしてくれる。

起きるには、いささか早すぎるので、もう一眠る。早起きは三文の得だと分かっているが、4時台に起こされてもさすがに困る。でも中途半端な睡眠なので、寝不足を感じてしまう。二度寝するなら昼前まで熟睡したいものだ。

そう、私は二度寝が好き。週末の悦楽だと思っている。まぁ、たいがい9時には寝るのに飽きて起きてしまうが、そこを無理矢理寝るのがまた楽しい。このあたりの怠け者ぶりが、私の本性なんだろうな。

とはいえ平日は、そんな怠けぶりをさらすわけにもいかない。日頃は寝起きの良い私だが、どうも春だけはイケない。二度寝はかえって寝不足の不満をため込むので、最近は寝るのは諦め、朝食作りに時間をかけることにしている。

いつもなら20分程度でトーストとサラダを中心にした朝食を作るが、カラスに起こされた朝は米を研いで、ご飯と味噌汁を作る。時間はかかるが、これはこれで贅沢な朝だと思っている。そしていつもより早めに出社して、静かな事務所でゆっくり新聞を読み、コーヒーを飲んで仕事の準備にかかる。

ただ、こんなゆったりした朝を過ごすと、どうしても夜が早くなる。下手すると10時前には床に就いてしまう。あたしゃ小学生か?

まぁ、もうじきカラスの早朝訪問も止むだろう。そうすれば又、いつもの朝だ。今少しの辛抱だな。
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チーム・バチスタの栄光 海堂尊

2012-05-28 16:54:00 | 

時として、ヒネクレ者は損をする。

私は自他ともに認めるひねくれ者だ。世間一般の常識に逆らう癖がある。なかでも流行ごとが大嫌い。流行っている、今人気がある、そんな科白一つで足を止めて身を魔オて世間に背中を向ける。

ベストセラーなんて、以ての外だ。こんなランキング、収益至上主義の企業にかかれば、如何様にも変わるものだと思っている。実際、なんでこんな駄文の羅列が売れているのか理解しかねる実例を、過去に何度も読んでしまったことがある。

だから、私は今売れている本、今人気がある作家には、決してすぐには手を出さない。古本屋の棚に並び、古書店主たちの評価が定まった後でからでないと、まず読むことはない。

ただ、そんな頑固なヒネクレ者の私でも、これは多分面白そうだと感じることはある。だから、その作品が馴染みの古本屋の店頭に並ぶのを待ちに待っていた。頑固に過ぎると思うが、これも十代の頃の手痛い失敗の積み重ねから練られた姿勢なので、なかなかに変えられない。

そんな私が、久々に自分のヒネクレ度合を後悔する羽目に陥らせたのが表題の作品だ。「このミス」でも、ぶっちぎりでトップであり、200万部を超すヒット作でもあり、TVドラマ化もされたようだ。

たしかに面白い。読まずに我慢した自分の依怙地ぶりを後悔したくなるほどの出来栄えだ。率直に言えば、やはりヒネクレ者は損をしたと認めざる得ない。

悔しいので一点だけケチをつけると、あの白鳥技官である。あのような人材を許容するような度量はないよ、日本の官庁には。いや、民間の大企業でも難しいだろうと思う。モデルがいるかどうかは知りませんがね。

さて、続編はいつ読もう。またまた悩みが増えてしまったねぇ。まぁ、嬉しい悩みではありますが。

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老人ホームで死んだ時は

2012-05-25 11:55:00 | 経済・金融・税制
ここ数年、相続税の相談を受けると気が重くなることが少なくない。

何度も書いているが、相続があっても、相続税が発生するようなことはごく希なことだ。4%程度の確率に過ぎない。その原因は二つある。一つは基礎控除(5000万円プラス法定相続人一人につき1000万円)が手厚いことだ。

もう一つの要因が、不動産評価の特例にある。例えば土地の評価額(路線価)が一億円だとしても、居住用の減額特例(小規模宅地の減額特例)を受けると、要件さえ満たせば2割の評価で済む。つまり8000万円が減額されるので、預貯金等他の相続財産と合わせても楽々基礎控除の枠に入り、結果非課税となる。

もっとも財務省は、この基礎控除を減額して相続税の納付が増えるよう狙っているが、改正法案自体は継続審議状態で今年の国会を通過するかどうかは、いささか不透明だ。

ところが、小規模宅地の減額特例は国会で詳細を審議することがないせいか、年々要件が厳しくなっており、この特例を受けられないケースが増えてきている。まだマスコミ等にはあまり知られていないようだが、けっこうな問題となっている。

相続税は、人が死んだことにより生じる税金だ。実のところ、人が死ぬとき自宅で死ぬケースはそれほど多くない。大体100人に5人程度が家で死に、事故などで外で亡くなる場合を除けば、そのほとんどが病院等で死ぬこととなる。

病院で亡くなる場合はいい。問題は「等」の部分、すなわち老人ホームで死んだ場合だ。これが税務上、大問題となる。

例えばだ、ある高齢者が配偶者に先立たれ、子供は遠方に住んでいる上、幼い子供を抱えて余裕はない。年々一人暮らしがつらいが、狭い子供の家に世話になるのは現実問題無理だ。そこで少し高いが保証金などを払って老人ホームに入ることにした。

ちなみにこの老人ホームは、介護付き終身利用型有料老人ホームであり、隣地に病院が併設されている。また部屋は個室(38平米)あり、プライバシーも守られるタイプで安心して入居できる。

さて、実際入居してみたが、やはり高齢から何度か隣の病院に入院することはあっても、自宅に戻ることはなく、その老人ホームで亡くなることとなった。親を見舞う時に、自宅を聡怩オていつでも戻れるようにしていた子供たちは、高額な老人ホームであったが、それで良かったと納得していた。

ところがだ、その後相続税の申告の後、いささか厄介な事態に陥った。税務署から調査の知らせがあり、自宅において調査官から申告内容に問題があるので修正して欲しいと言われてしまったのだ。

まず問題の一つは、老人ホームに入居する際の保証金だ。約款をよく読むと、毎年15%づつ償却され、一定期間内に退所した場合には、未償却の保証金が返戻されることとなっていた。実際、これは相続人である子供さんの口座に入金されている。

この減額されて返金された保証金は相続発生時(死亡時)にはなかったものだから、遺族は申告不要だと思っていたそうだが、請求権はあるのだから立派な相続財産である。これは致し方ない。

だが、最大の問題は自宅の評価額であった。このお宅は古い家だが立派な日本庭園を構えた高級住宅地にある。老人ホームに居たとはいえ、住民票はこちらにあり、この家に長年住みづづけていたことも間違いない。

だから小規模宅地の特例の一つである居住用の8割減額を適用して申告していた。ところが税務署が言うには、この方の場合、住まいは老人ホームであるから特例の適用は認められないそうだ。

お子さんたちは、税務署の言い分に納得がいかず、最終的には裁判に至った。

実のところ、このようなケースでの争いが全国で多発した。その判決が平成22年、23年に幾つも出たが、結論から言うと大半が納税者敗訴であった。つまり国側(税務署)の主張が認められたのだ。

では、国側(税務署)が負けたケースとはいかなる内容だったのか。(正確には裁判ではなく、国税不服審判所の裁決です)

それは老人ホームへの入所が強制的である場合だ。現在、痴呆老人などが徘徊するような時は、条例により特別養護老人ホームへ強制的に入所されるようになっています。これは自らの意志による入所ではないので、病院への入院と同様に自宅はあくまで家であり、一時的な老人ホームへの滞在だと考えられる。それゆえ、特養老人ホームで死亡したとしても、生活の本拠はあくまで家である。税務署はそのように考えているようです。

これは国税庁のHPの質疑応答集にもアップされています。

私自身、いろいろと思うことはあり、必ずしも納得してはいませんが、現行の税務がこのような考えで行われてる事実は正しく認識したうえで仕事をしなければならないと考えています。

それゆえ、相続の相談を受けると、いささか気が重くなってしまうのです。だって、高齢等で痴呆までいかなくても自宅介護が難しく、やむなく老人ホームに自らの意志で入る高齢者は少なくないことを良く知っているからです。これを住まいの本拠を老人ホームに移したとして、居住用の特例から除くのは、いささか情がない気がしてならない。

困ったことに、今後もこの悩みは増える一方だと思う。それなのに、世間一般ではまるで知られていない問題でもある。やっぱり気が重いなぁ。
コメント (3)
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