戦争で失ったものは、戦争で奪い返す。
自信喪失したアメリカを甦らせた戦争が、あの湾岸戦争であった。
イラクの独裁者サダム・フセインのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争こそ、アメリカが正義の看板と勝利を高々と謳い上げることを可能ならしめた。
思い返せば辛いことばかりであった。ヴェトナムの敗戦以来、イランとイラクに振り回され、中米への麻薬戦争で成果を挙げられず、悶々とした日々を送っていたアメリカである。
本来ならベルリンの壁が崩壊し、ソ連は解体され、開かれたヨーロッパが華々しくアメリカの勝利を彩ってくれるはずであった。それなのに旧東欧諸国は西欧になびき、かろうじて中央アジアの貧困国が受け入れてくれただけ。
アジアでは経済成長させてやったシナが押し隠していた反抗心を、ちらほらとみせつけてくる。朝鮮半島では情勢はまったく変わりなく、悩みの種は尽きない。
そんな最中に始まった湾岸戦争では、アメリカ軍の全力をもって勝利をもぎ取った。ステルス攻撃機でイラクのレーダーサイトを破壊し、後続の攻撃機で地上を狩り払う。通信網を断たれてパニック状態のイラク兵を、クウェートの解放という美名の下に終結させた国連軍に、七面鳥狩りよろしく徹底的に打ち滅ぼした。
イラクを壊滅させなかったのは、お情けだ。いや、ウソウソ。
次の戦争(フセイン捕縛)に向けて、余裕を残して撤退してやっただけ。正義の名の下に誇らしげに敵地にアメリカ国旗がはためく光景はいつみても良いものだ。これで世界はアメリカを見直したことだろう。
地下に隠れていた北朝鮮の独裁者が流し目を送ってきたのが、その最たる証拠さ。でもサウジでオハマ・・・なんたらやが騒いでいるようだが、どうせ小物だろう。もう少し大きくなってから叩けば良いだけだ。
次の戦争でも、アメリカの強さを世界に見せつけて、更なる繁栄を享受しようではないか。敵を徹底的に潰さず、残しておいて次の戦争の目を残しておくところが、アメリカの賢いところさ。もちろん次の戦争でも勝利者はアメリカである。
こうして、自信を回復したアメリカは、グローバリズムの名の下に、勝利の果実として世界市場を食い荒らしていくことになる。みんなアメリカ流のやり方(グローバリズム)でやればいいのさ。
かくして、アメリカは20年にも及ぶ好景気を満喫することになる。だが、強すぎるアメリカに反感を抱いたイスラム教徒らが、アルカイーダで神風特攻を仕鰍ッてきたり、イスラム社会内部でISSといった反逆児が登場したりと、むしろ小規模な戦争が増加した時期でもあることは銘記すべきこと。
今一つ、この湾岸戦争で語るべきことがある。それがマスコミ管理である。ヴェトナム戦争でアメリカ軍が誹謗された大きな原因の一つは、マスコミによる戦争報道であった。
米軍の投下したナパーム弾で背中に火傷を負った半裸の少女の写真は、一目で戦争の悲惨さを世界中に訴えた。ダラダラとした戦争は、最前線近くまでフリー記者の取材を可能にしてしまった。
いくらマルクス主義からの防衛を訴えても、ヴェトナムの農民たちの悲惨さを訴える映像には敵わなかった。その結果が、ヴェトナム帰還兵への残酷な誹謗である。あれで心が折れたアメリカの若者たちが如何に多かったことか。
その反省を踏まえて、アメリカはマスコミを巧みにコントロールした。アメリカ軍広報部隊による刺激的な映像が世界に駆け巡る一方で、戦場の悲惨な敗残兵の死体がマスコミの目に触れることは稀だ。破壊されたイラク軍の戦車の映像はあっても、燃え盛る戦車から逃げきれずに焼死したイラク兵の映像はない。
まして民間人が戦闘に巻き込まれての無残な遺体など、まったく報道されなかった。夜間爆撃で炎上するバクダットや、投降するイラク兵の映像はウソではない。でもこれは見事な報道管制であった。
しかし、如何に隠してもその後のイラクの混乱をみれば、あの戦いでイラクの国民が負った悲惨さがあったことだけは確実だと推測できる。その恨みがあるからこそ、フセイン後もイラク国民は、アメリカを許容できずにいるはずだ。でも報道されなかったので、世界は気が付かずに済ませた。マスコミ対策も完璧な戦争であったのだ。
20世紀後半のアメリカを語る上で、絶対に避けて通ってはいけないのが、「忘れられた戦争」こと朝鮮戦争であり、「忘れたい戦争」ことヴェトナム戦争と、この「忘れがたき戦争」である湾岸戦争でした。
自信喪失したアメリカを甦らせた戦争が、あの湾岸戦争であった。
イラクの独裁者サダム・フセインのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争こそ、アメリカが正義の看板と勝利を高々と謳い上げることを可能ならしめた。
思い返せば辛いことばかりであった。ヴェトナムの敗戦以来、イランとイラクに振り回され、中米への麻薬戦争で成果を挙げられず、悶々とした日々を送っていたアメリカである。
本来ならベルリンの壁が崩壊し、ソ連は解体され、開かれたヨーロッパが華々しくアメリカの勝利を彩ってくれるはずであった。それなのに旧東欧諸国は西欧になびき、かろうじて中央アジアの貧困国が受け入れてくれただけ。
アジアでは経済成長させてやったシナが押し隠していた反抗心を、ちらほらとみせつけてくる。朝鮮半島では情勢はまったく変わりなく、悩みの種は尽きない。
そんな最中に始まった湾岸戦争では、アメリカ軍の全力をもって勝利をもぎ取った。ステルス攻撃機でイラクのレーダーサイトを破壊し、後続の攻撃機で地上を狩り払う。通信網を断たれてパニック状態のイラク兵を、クウェートの解放という美名の下に終結させた国連軍に、七面鳥狩りよろしく徹底的に打ち滅ぼした。
イラクを壊滅させなかったのは、お情けだ。いや、ウソウソ。
次の戦争(フセイン捕縛)に向けて、余裕を残して撤退してやっただけ。正義の名の下に誇らしげに敵地にアメリカ国旗がはためく光景はいつみても良いものだ。これで世界はアメリカを見直したことだろう。
地下に隠れていた北朝鮮の独裁者が流し目を送ってきたのが、その最たる証拠さ。でもサウジでオハマ・・・なんたらやが騒いでいるようだが、どうせ小物だろう。もう少し大きくなってから叩けば良いだけだ。
次の戦争でも、アメリカの強さを世界に見せつけて、更なる繁栄を享受しようではないか。敵を徹底的に潰さず、残しておいて次の戦争の目を残しておくところが、アメリカの賢いところさ。もちろん次の戦争でも勝利者はアメリカである。
こうして、自信を回復したアメリカは、グローバリズムの名の下に、勝利の果実として世界市場を食い荒らしていくことになる。みんなアメリカ流のやり方(グローバリズム)でやればいいのさ。
かくして、アメリカは20年にも及ぶ好景気を満喫することになる。だが、強すぎるアメリカに反感を抱いたイスラム教徒らが、アルカイーダで神風特攻を仕鰍ッてきたり、イスラム社会内部でISSといった反逆児が登場したりと、むしろ小規模な戦争が増加した時期でもあることは銘記すべきこと。
今一つ、この湾岸戦争で語るべきことがある。それがマスコミ管理である。ヴェトナム戦争でアメリカ軍が誹謗された大きな原因の一つは、マスコミによる戦争報道であった。
米軍の投下したナパーム弾で背中に火傷を負った半裸の少女の写真は、一目で戦争の悲惨さを世界中に訴えた。ダラダラとした戦争は、最前線近くまでフリー記者の取材を可能にしてしまった。
いくらマルクス主義からの防衛を訴えても、ヴェトナムの農民たちの悲惨さを訴える映像には敵わなかった。その結果が、ヴェトナム帰還兵への残酷な誹謗である。あれで心が折れたアメリカの若者たちが如何に多かったことか。
その反省を踏まえて、アメリカはマスコミを巧みにコントロールした。アメリカ軍広報部隊による刺激的な映像が世界に駆け巡る一方で、戦場の悲惨な敗残兵の死体がマスコミの目に触れることは稀だ。破壊されたイラク軍の戦車の映像はあっても、燃え盛る戦車から逃げきれずに焼死したイラク兵の映像はない。
まして民間人が戦闘に巻き込まれての無残な遺体など、まったく報道されなかった。夜間爆撃で炎上するバクダットや、投降するイラク兵の映像はウソではない。でもこれは見事な報道管制であった。
しかし、如何に隠してもその後のイラクの混乱をみれば、あの戦いでイラクの国民が負った悲惨さがあったことだけは確実だと推測できる。その恨みがあるからこそ、フセイン後もイラク国民は、アメリカを許容できずにいるはずだ。でも報道されなかったので、世界は気が付かずに済ませた。マスコミ対策も完璧な戦争であったのだ。
20世紀後半のアメリカを語る上で、絶対に避けて通ってはいけないのが、「忘れられた戦争」こと朝鮮戦争であり、「忘れたい戦争」ことヴェトナム戦争と、この「忘れがたき戦争」である湾岸戦争でした。