ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「吉祥天女」 吉田秋生

2008-04-30 12:18:52 | 
戦えない奴は信用できない。

十代後半まで、私はそう思っていた。さすがに年齢を重ねると、いろいろな生き方があり、戦いを回避するやり方も、相応の効能があり、認めてもいいと考えている。

戦い方にも色々やり方はある。印象的だったのが、表題の漫画でヒロインが言う「男の防御と、女の防御は違う」の一言。たしかに違う。あれは男には出来ないやり方だと思った。

ヒロインは、私の好みのタイプではない。むしろ苦手なタイプだった。だから、この漫画も読んだ当初は、好きになれず、読み流していた。

ところが、難病で身体を壊した頃から、私自身の心根が微妙に変わってきた。このヒロインのような、お綺麗なタイプは敬して遠ざかるはずが、何故か惹かれるようになっていた。

多分、心身が弱ったことで、逆に凛々しさを感じさせるような美人に、改めて魅力を感じるようになったのだと思う。ただ、結果的には連戦連敗であった。見事に振られたというか、歯牙にもかけられなかった感じ。まったくの対象外とされ、むしろすっきりした。もちろん、相応に落ち込んだのだが、後を引くことはなかった。

私は知らなかったが、その女性には数多くの男が声をかけていたようで、いろいろトラブルがあったらしい。病気療養を優先していた私は、昼間の講義の後は、さっさと帰宅していたが、夜の自習室では彼女を巡った事件があったと聞いた。

けっこう強引に迫った輩もいたらしいが、手ひどいしっぺ返しを喰らい、講義に出られなくなった奴もいたらしい。詳しくは知らないが、事情通に言わせると、綺麗な薔薇には棘があるとのこと。

まったく相手にされなかった私としては、むしろ自分をいささか情けなく思った。棘を刺す価値もないのか、俺は・・・

あれから十数年、とある研修会場で彼女に再会した。もう若いとは言えない年だが、その美しさはむしろ輝きを増していたかもしれない。ただ、少し険を感じたのは気のせいか。

驚いたことに向うから声をかけてきた。どうやら覚えてくれてたらしい。ちと、驚いた。研修後食事に行くことになったが、周囲の男性の視線が痛い。

話しているうちに分ったが、けっこう厳しい環境で仕事をしているようだ。だからこそ、張り詰めたものを感じたのだろう。私は今更下心はないし、気軽な気持ちで雑談に応じたので、彼女も安心して話せたらしい。

彼女の左手の薬指の指輪を眺めながら、どんな男性を伴侶に選んだのだろうと思っていたら、急にショックなことを言われた。受験生当時の私は講義が終わると、平日休日を問わずさっさと帰宅していたので、待っている人がいるのだと思っていたそうだ。彼女、私のことを妻帯者だと思い込んでいたらしい。

病気療養中だった当時の事情を話すと、えらく恐縮された。えてして美形も過ぎると、冷たくみえてしまうものだが、今の彼女は温かみを感じる笑顔が似つかわしい。

読んだ当初は、あまり好感を持てなかった表題のヒロイン小夜子だが、今では穏やかに再読できた。人間、変わるものなのだなあ~
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「夜間飛行」 サン・テグジュベリ

2008-04-28 09:46:30 | 
少し旧聞になるが、ある老齢のドイツ人が戦時中にサン・テグジュベリの飛行機を撃ち、墜落させたことを告白したそうだ。

それが事実かどうかの判断は、専門家に任せるが、当時の厳しい世情を思えば、おそらくは事実であろうことは、容易に推測できる。やはり・・・というか、そのドイツ人はサン・テグジュベリのファンでもあったとも述べていた。

嘘ではあるまい。パイロットなら、そしてサン・テグジュベリの本を読んだことがあるのなら、敬意と羨望から逃れることは出来まい。飛行機の操縦などしたことのない私でも、夜の暗闇のなかで飛行を続け、数々の偉業を成し遂げた彼の偉大さは分るのだから。

当時の飛行機操縦は、目で見て飛ぶ視認飛行だ。昼間はともかく、夜間はレーダーに頼って飛ぶのでなく、月の輝きと星の瞬きに目を凝らしながら、空を飛ぶ。暗闇になお暗い闇から、山稜を見出して回避し、単調な海上を眠気と戦いながら、ひたすら飛び続ける。星明りのある晩だけとは限るまい。曇り空や風雨の夜も飛んだのだろう。

同じパイロットなら、その偉業に敬意を持つのは当然のことだ。その偉人を撃ち落してしまったことは、戦時でなら大いに宣伝すべきことにも関らず、そのドイツ人は沈黙を守った。今日までの沈黙こそが、そのドイツ人の苦悩を物語る。

私が夜の暗闇の怖さを知ったのは、まだ十代はじめのことだ。いつもパーティを組んで山に登る私だが、その時は虫取りのため奥多摩の山小屋に一人泊まり、暗闇の中をヘッドライトを灯しながら山中を駆け巡った。

深夜3時に一人小屋を出て、雑木林のなかをクヌギや楢の木をめぐり、カブトムシやクワガタの採取に夢中だった。そんな時に、木の根っ子に足を取られて、転んでしまった。その際、ヘッドライトを壊してしまった。

さすがに慌てた。予備は山小屋のザックのなかだし、夜明けには2時間はかかる。うっそうとした森の中は、月の光も届かず、星明りも頼りない。おまけに山中の斜面なので、下手に動き回れば転倒や転落は十分ありえる。

その場に座り込んで、暗闇に目を慣らすため目を閉じて黙想。静かだと思っていた夜の山は、意外にも様々な音が飛び交う。フクロウの声、虫の鳴き声、カサカサと微かな音を残す小動物。

目を閉じたままでいると、微かな気配までが感じ取れる。・・・何かが居る。音はしないが、何かが私を見ている。静かな恐怖が、じわじわと心を侵食する。何故か膝が震えた。

そっと目を開けると、思ったより暗闇は濃くはない。ただ、動けるほどの明るさはない。動かなければ大丈夫なはずだ。仕方なく腹を決めて、その場に寝転ぶ。さっきの気配が気になるが、ポケットナイフを握り締めて、その堅さに安心感を覚える。

空を見上げると、木々の梢の隙間から星空が覗ける。思ったよりは空は明るい。ほんの小さな隙間だったが、私の心に平静をもたらすには十分だった。

そのままこ一時間、横たわって時間を過ごす。空が明るくなってきたのを見計らって、再び虫取りを再開。すぐに夢中になり、暗闇の恐怖を忘れる。戦果をナップザックに詰め込んで、山小屋に戻る。さすがに疲れて一休み。以来、夜の山中に一人で行くことはやらなくなった。危険すぎる。

明け方が近い時間の暗闇だったからこそ、私は耐えられたと思う。光のない暗闇は、なにもなくても恐浮トび込む。そんな夜の空を飛ぶ夜間飛行は、勇気を必要とする行為なのだろう。それが分った夜の虫取りだった。
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「知的生活の方法」 渡部昇一

2008-04-25 12:21:43 | 
とりあえず書いてみる。

土日、休日以外はほぼ毎日書いていると、時折よくそんなに書けますねと言われることがある。たしかに我ながら、よくもまあ、これだけブログの記事を毎日書いていられるものだと思わないでもない。

しかしながら、実のところ書き出してしまえば、けっこう書けるものだ。基本的には、再読してから記事を書いているが、再読の途中で中断して、先にブログの記事を書いてしまうこともある。すぐにはアップせず、読了して修正を加えてからブログにアップする。

実を言うと、PCのドキュメントファイルには、ちょっとだけ書いて、放置してある原稿がけっこうある。この本を読もうと決めたら、とりあえず書いておく。一行で終わることもあるし、最後まで書き切ってしまうこともある。それから再読して、全部書き直すこともあるし、部分修正で終わることもある。ただし、この方法は再読の場合しか使えないが、けっこう実用的。

書き出すことで、再読のペースも上がるし、調べなおしたりする意欲も湧く。このやり方は、表題の本を再読した時に、身につけた。なかなか使える方法ですね、渡部先生。

実を言うと、渡部昇一を少し嫌っていた。今でも好きでない部分はけっこうある。あるが、それでも学ぶべきところは、学びたいと思う。

好きでないと分っている人の文を読むのは、けっこう苦痛なことが多い。それでも傾聴に値する意見を学ぶ努力はしたいと思う。ますます嫌いになることも、ないではないが、歳月を経てから再読すると、意外な発見もあることが楽しい。

多分、読書に限らないと思う。とりあえず会ってみよう、とりあえず行ってみようは、案外役に立つかもしれません。
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「さる るるる」 五味太郎

2008-04-24 12:19:53 | 
やっぱり人間って、面白い。

今、私が興味を持っている人物が、表題の絵本の作者だ。この作者は、絶対に面白いと思う。この発想がどこから生まれたのか、知りたいと思う。

表題は絵本は、たまたま知人の家に置いてあったのを読んで、そのユニークさに驚いた。小学校に入る前の子供向けなのだと思うが、そんな前置きをぶっ飛ばすほどパワーが感じられた。きっとこの作者、自分も楽しみながら描いているのだろうと想像できた。なんたって、そのノリがいい。語感からして楽しいよね、るるる~♪

先日、図書館に行って調べたら、絵本以外にも著作があると分った。是非とも読みたい。たまたま貸し出し中だったので、とりあえず予約したら3人目だった・・・きっと、その本は当たりだと思う。この手の予感には自信あり。

ちょっと調べたら、アメリカで500万部売れたヒット作があるらしい。タイトルは「みんなウンコ」トリビューン紙絶賛だそうだ・・・なんだ、なんだ?!これも絵本かい。こりゃ是非読みたい。

いやいや、世の中広い。私がまだ知らない、面白い本がきっと沢山待っている。
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プロレスってさ ダスティ・ローデス

2008-04-23 14:49:57 | スポーツ
プロレスって、演劇だよなあと実感したのがローデスの変貌ぶりだった。

TVや映画と異なり、演劇ではダイレクトに観衆の反応が舞台に伝わる。優秀な役者は、観客の雰囲気を掴んで、その演技に彩を添える。これは、プロレスにも通じることだ。

アメリカのプロレスラーにとって、日本巡業は出稼ぎの扱いだ。しかし、若手のプロレスラーは、一流の選手と同行することで、一皮剥けることが多い。また技術の高い日本人レスラーとの試合を通じて、プロレスラーとしての技術を向上させることもある。そのため、日本帰りは出世するといった風潮を生むようになった。

ところが、アメリカで既に超一流としての評価を得ている選手は、そのスタイルに固執して、日本では人気を得れないことが少なくない。派手なショーマン・シップを求められるアメリカとは異なり、日本では格闘技志向があり、パフォーマンスは嫌われることさえある。

70年代後半から80年代にかけて、アメリカでは超一流の人気レスラーであったダスティ・ローデスは、日本で自分のスタイルが受けないのが不思議でしょうがなかった。年に100万ドルは稼ぐといわれたローデスだが、どうも日本では観客の受けがよくない。彼はそれに気がついていた。

金髪で太っちょのローデスは、金ラメ入りのゴージャスなガウンをまとい、おかまチックな腰使いで観客を沸かせ、陽気で激しい暴れっぷりで人気を博していた。技といえば、フライング・エルボードロップだけだが、派手なパフォーマンスと、陽気なふるまいで全米各地で引っ張りだこの人気レスラーであった。

ところが日本では、どうも観客の受けが良くない。大概のアメリカのレスラーたちは、ここで諦める。帰国すれば、大うけするのは分っているから、無理に努力する必要を感じなかったのだろう。

しかし、ローデスは違った。超一流のプライドが、このままでいることを許さなかったのだろう。地方巡業の時も他の試合を観察し、日本人が好むプレースタイルが格闘技志向にあることに気がついた。ボクシングの素養があったローデスは、それを活かすことに決めた。

ずんぐりむっくりのローデスだが、実は動きは俊敏だ。テディーベアのような体格にもかかわらず、素早くフットワークを刻み、鋭いジャブを連発して、決めの右ストレートを放つ。この意外性が、日本の観客にも受けた。

TV放送時、テレ朝の古館アナの隣で解説していた山本小鉄は、当初ローデスが気にいらなかったようだが、シリーズ終盤になると、ローデスを褒めていた。研究熱心だと盛んに褒めはやした。

日本語なんぞ分らないはずのローデスだが、観客の反応を読む技術には長けていた。頭のいい彼は、観客を沸かせるための努力を惜しまない苦労人だった。だからこそ、成功したのだろう。

もっとも、格闘技志向は彼の好むところではなかったらしい。その後は、あまり日本に来なかったのが少し残念だ。技なんぞ、ほとんどないローデスだったが、演技は達者なものだった。そのコミカルなふるまいだけで観客を沸かせた芸達者ぶりは、もっと観たかった気がする。
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