ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ある日の報道

2015-04-30 12:07:00 | 社会・政治・一般

【名護】新基地建設に向けた作業が進む名護市辺野古沖で27日、建設に反対する市民らの抗議船1隻が、海上保安庁のゴムボートに衝突され、船体の一部が損壊した。衝突の際に船長が右手をけがした。(沖縄タイムス)

この記事に、沖縄におけるマスコミ報道の異常さがよく表されている。基地反対の市民らを乗せた船に、ゴムボートが衝突して、船体の一部が損傷?しかも、船長が怪我した?

一応書いておくと、海上保安庁のゴムボートは、高速を出すためのエンジンこそ搭載していますし、ゴムは強化ゴムでもあります。でも、ゴムはゴム。一方、プロ市民らを乗せた船は、強化プラスチックを用いた一般的なものです。

ゴムボートがぶつかって破損したのが事実だとしらた、どれだけ老朽船なのかと思うし、ゴムボートにだって損傷が出るはず。衝撃の大きさは、どう考えても、ゴムボートのほうが大きいはず。

そもそも、基地建設に反対するプロ市民らは、侵入禁止海域に無許可で突入して、当然に海上保安庁の船が妨害に入ることは分かっていたはず。いわば、不法侵入の確信犯でしょう。

こんなド素人の似非テロリストに対応しなくてはならない海上保安庁こそ、いい迷惑であり、お疲れ様である。プロ市民は騒がれてこそナンボの人たちなので、こんなおバカな記事でもありがたいのでしょう。

今はネットがあるから、こんな間抜けな記事が、沖縄マスコミ界では当たり前である現実が簡単に露呈してしまう。不快ではありますが、ありがたい時代なのかもしれません。

追記、この報道、他でもかなり馬鹿にされたせいか、現在はほとんど目にしません。マスコミ様の報道姿勢を疑いますね。

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白き瓶ー小説・長塚節 藤沢周平

2015-04-28 12:05:00 | 

私はそそっかしい。

それは読書も同様で、物語の流れを優先した読み方をするため、一つ一つの文章を吟味した読書は滅多にしない。だから読むのは早いが、案外と細かいところは把握していないことはよくある。

ただ、気に入った作品は繰り返し読む癖があるので、そのような作品だと詳細にわたり記憶に刻まれる。だが、そうでない作品だとストーリーを覚えていればマシなほうで、内容すら忘れていることがある。

だから熟読しなければならないような文章は苦手であった。好きな作家ではあるが、開高健のような硬質な文章は読むのに時間がかかる以上に、読むことに普段以上に疲弊する。

また、このストーリーを追うことを優先した読書癖は、詩文を苦手としてしまった。実際、詩を読むのは苦痛に近く、小学生の頃はほとんど読まなかった。中学になって、異常なほど本を読むようになっても、詩にはさっぱり関心を持てずにいた。

唯一の例外は、漢詩であったが、これにはストーリーが感じ取れたので読めた。ただ、それでも本当の意味での詩の楽しさを分かってはいなかった。そんな私が少し変わったのは、高校の国語の授業での正岡子規の俳句を知ってからであった。

教科書というものは、けっこう良く出来ていて、私は教科書から幾多の名作、名作家を学んでいる。文法の勉強は嫌いであったが、教科書で知ったことを契機として、私の読書は大きく拡がっている。

写実を大切にした正岡子規であるが、私はどちらかといえば万葉はあまり好まず、新古今は華美に過ぎ、古今集が一番感性にあったように思う。もっとも、それは多感にして未熟、知識過剰にして知性不完全な十代の頃のものであり、当時と今では大きく変わっているはず。

まだ、ほとんど手を出してないが、いずれは古典の再読にも取り組みたいと思っている。

十代の頃、なにが面白いのだと疑問に思っていたのが、表題の作品の主人公である長塚節である。写実性に溢れた俳句はいざ知らず、小説「土」は退屈に過ぎて、読むのが苦痛だったほどだ。以来、関心を失くしていた作家である。

その長塚節を改めて取り上げたのが、時代小説の大家である藤沢周平である。この練達の作家の手にかかると、私が退屈に感じた長塚節の人間像が、生き生きと甦ってくる。

もし長塚節が若くして死すことなく、人生を積み重ねてきたのなら、どんな小説を書いたのだろう。そう思わせた藤沢周平の手腕に感服でした。ただし、一言加えて置くと、時代小説での藤沢の読みやすい文を期待すると裏切られます。むしろドキュメンタリーに近いほどの、回り道の多い文章です。

そして、この読みにくい文章ゆえに、歌人であり作家でもある長塚節の実像が浮かび上がってくるのです。なかなかの逸品だと思いますよ。

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世田谷区長選挙

2015-04-27 12:06:00 | 社会・政治・一般

いささか諦め気味である。

週末に行われた統一地方選後半戦が終わった。私が長年住んでいる東京・世田谷区では、あの「いちゃもん質問」で悪名高かった保坂が区長に再選されてしまった。

区内に原発もないにも関わらず、反・原発を連呼して初当選した前回とは異なり、今回は四年間の実績を看板に選挙戦を戦っていた。対する自民、公明の与党陣営は、地元世田谷の商店主を担ぎ上げての戦いであったが、保坂の圧勝に終わった。

無理もないと思う。4年間の区長としての保坂は、反原発政策など区政ではやりようがない。同様に再生エネルギー活用でも区政では、たいしたことはやりようがない。

だが、そんな保坂でも出来ることはあった。それが待機児童問題であった。これならば、保坂の出身母体である社民党のみならず、民主や自民、公明でさえ反対できない。

私としては意外ではあったが、口先ばかりが目立つ保坂は、この問題に限っては地道に行政の長として取り組んでいた。他にすることがなかった、あるいは出来なかったからではあるが、その実績を頭から否定するほど私は頑迷ではない。

実のところ、世田谷区政において、早急に手を打たねばならぬ問題はあまりない。下北沢駅の再開発は、保坂のような口先政治家が介入する隙間はないし、小田急線の高架工事問題は既に司法で解決済みである。外環道路建設は、国政の補完であり、今さら手を出す訳にもいかない。

世田谷の有権者は、昔から地道な問題にしか関心を持たない。日ごろの生活に差し障りがなければ、誰が区長でも問題がないほど安定した地域である。だから、単純に知名度の高い保坂が圧勝してしまった。

対立候補には悪いが、あまりに知名度がなく、実績もない人を担ぎ出した自民が悪い。私は意地でも保坂には投票しなかったが、保坂の勝利は堅かった。そんな訳で、私は少々憂鬱な月曜日を迎える羽目になった。

だが、ものは考えようである。保坂のような反日、自虐の口先煽動政治家が国政にいるより、また在野の政治屋として自由に活動させるよりも、出来ることの少ない地方政治において、地道に働かせるほうが案外日本のためになるかもしれない。

まして待機児童問題は、区政でも十分できる政治課題である。せめて、このくらいの問題は、しっかりとやって欲しいものである。

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ゴールデンカムイ 野田サトル

2015-04-24 12:34:00 | 

もうすぐGWであり、この時期に北アルプスは上高地へ赴くと、春の芽吹き輝かしいほどに目に映る。

雪解けの水を一杯にたたえた清流である梓川は、その透明な水質と、川面に映る雪山と芽吹く緑のコントラストが映えて、目を奪われる。

しかし、この梓川の水をそのまま手にすくって飲んではいけない。実は大腸菌がかなりあり、たいていの人は腹痛を起こし、腹を下すこと請け合いである。

実は梓川は、上流に人気の山小屋やキャンプ地を抱えており、その汚水が流れ込んでいる。はっきり言えば人糞である。もちろん槍小屋などは浄化施設をもっているが、登山者のなかには川沿いの草むらで用を足す人が少なくない。

槍ヶ岳や穂高連峰で降った雨、溶けた雪水は、谷に流れ込む。その際に人糞をも取り込んで下流の梓川へ、水が流れ込むので、必然的に大腸菌が含まれた、見かけだけの清流となってしまう。

人は食料がなくても一週間くらいなら生きられる。しかし水なしでは、三日ともたない。自然のなかでは、その水を確保することすら難しい。ましてや、食料、医薬品などを野山から採取するのは容易ではない。

しかし、都市文明の発達が早く、また農村でも技術革新が少なくなかった日本では、いい意味で水や食料の確保は当たり前のように用意されてきた。国内流通が発達していたためでもある。

逆に言えば、野山の中で文明の恩恵を受けずに生き延びる技術は衰退していた。おそらく山岳地帯で生きる猟師や薬草採取を生業とする民を除けば、ほとんどの日本人は、古くから都市文明に保護されたひ弱な存在であった。

唯一、例外といえるのが遠く北海道の地で生きていたアイヌの民である。自然のなかで、その猛威に曝されながらも逞しく生きてきた荒野の民である。彼らアイヌの持つ、野生で生き抜くための知恵は凶暴なヒグマ、日本狼、荒れ狂う暴風雪、極寒の猛威にも耐えうる。

そんな野生の知恵を持ったアイヌの少女を相棒に、北海道の地で黄金を求める退役軍人が、表題の漫画の主人公だ。203高地の激戦を生き抜いて、不死身の男と呼ばれた男が、夢あるいは野望を胸に北海道の荒野に分け入り、黄金の在処を探し求める。

その黄金を欲する危ない軍人や、競争相手たち、そしてヒグマを始めとした野生の驚異に曝されながら、逞しく、図太く大地を駆け抜ける。昨年に週刊ヤング・ジャンプ誌上で連載が開始されて以来、欠かさず読み続けている作品でもある。

どのような結末を迎えるか分からないが、目にする機会があったら是非どうぞ。

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愛川欣也の訃報

2015-04-23 12:01:00 | 社会・政治・一般

先週のことだが、愛川欣也の訃報が報道されて驚いた。

肺がんであることを隠して、直前まで仕事を続けたその態度には敬服する。司会者、俳優、声優など多彩な顔を持つが、私としては十代の頃に夢中であった深夜のラジオ番組であるパック・イン・ミュージックのDJとしての印象が一番強い。

ただし、あまり好きなタレントではなかった。

なんとはなしだが、押し隠した高慢さが感じられることがあり、それが私の反感を買った。全共闘世代にはよく見られることなのだが、とにかく反政府=平和だと思い込んでいる。

熱い血潮をたぎらせた多感な青年時代に、反安保闘争や公害問題など傾倒した人たちでもある。だから、反政府、反自民、反権力こそが正義の世代でもある。もっとも全員という訳でもなく、会社員として、あるいは公務員として組織の一員に染まり、若き日の情熱を失う人のほうが多い。

しかし、教職員やマスコミ、そして券\関係に進んだ人には、少なからず拝見する。私からすると、失敗に終わった安保闘争であり、国民の多数派は自民支持であり、高福祉国家への希望ゆえに権力になびく日和見派が、戦後の日本の多数派であった。

だが、彼らは決してその現実を容認しようとしなかった。決して自分たちが少数派であり、多数派にはなれなかった現実を直視しようとしなかった。自分たちの考え、主張が正しいと決めつけたが故に、異なる考え、主張との妥協が出来なかった。

キンキンとの愛称で知られた愛川欣也も、その典型的な反権力志向の持ち主であり、決して現実を直視し、現実との妥協を避け、安全な場所から正義の主張を繰り返す愚者であった。

自分たちが少数派である現実を突きつけられると、多数派は愚かにも気が付いていないと傲慢に見下げて、自らのプライドを固守していた。自分たちこそが正しいが故に、それが多数派から支持されない現実に苛立つ人であった。

「ぼかァ、断固認めないよ」と、怒りを噛み殺した態度で政治的見解を口にしていたが、生活のため人気TV番組の司会者を務めている時は、決して口にしない程度の誤魔化しは出来るようだった。

戦後、多数出没した平和原理主義者であり、政府に反対することが正義だと思い込んでいた、頑なな愚者であった。だからその訃報を耳にしても、あまり積極的にお悔やみを言う気にもなれない。

でも、ガンを押し隠して晩年を精一杯過ごした、その剛毅な生き方には素直に敬意を払いたいと思います。

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