ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今年を振り返って

2009-12-30 00:35:00 | 日記
早いもので、後数日で今年も終わりを告げます。恒例ですが、この一年を振り返ってみて一番印象に残った本を上げてみたいと思います。

まず、再読の本ではフィッツジュラルドの「グレート・ギャツビー」ですね。村上春樹が翻訳したというので読む気になった本でした。十代の頃は反感が募るばかりで、名作との思いはなかったのですが、改めて読んでみてフィッツジュラルドの文章の冴えに感激しました。私が貧乏育ちゆえの反感は確かにあるのですが、それを押し殺すだけの価値はあると思いましたね。

一方、初読の本ではクックの「緋色の記憶」でしょうか。最後の3ページには絶句するしかなかったですね。決してどんでん返しという訳ではなく、むしろ予測されてしかるべき真相なのでしょう。しかし、その驚愕の真相がゾクっと浮き上がってくる様は圧巻でした。読み終えて、しばし呆然としたほどの衝撃。完敗です。

漫画のほうは、これといった新作には出会えませんでした。むしろ現在連載中の漫画のほうが記憶に残っています。「鋼の錬金術師」でマスタング大佐の復讐の場面は圧巻でしたし、ここしばらく「ONE PIECE」からは目が離せません。強いて挙げるとしたら、嫌いというか反感が募ったことが印象的な「まだ本気を出してないだけ」でしょうか。それと「星守る犬」ですね。でも犬好き故に、贔屓が加算されているので筆頭にはあげません。

さて、一年前には未読の本が100冊を超えて、部屋の片隅に山を作っていましたが、その山もだいぶ低くなりました。ええ、まだ読んでいない奴が残っています。これから年の瀬の大掃除をするにあたり、きっと未読の山は再び高くなることが予想できてしまうことが情けない。本を買うのはたいぶ我慢したつもりなのですがね。

まあ、コツコツと読み続けていくだけです。来年も素敵な読書の時間を過ごせることを祈ってやみません。それでは良いお年をどうぞ。
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年の瀬につらづら思うこと

2009-12-29 11:41:00 | 日記
もう既に仕事納めを過ぎ、私も残務整理に追われています。

家に帰れば、正月に備えて買い溜めをしなければなりません。最近は正月休みであっても開店している店も増えたので、以前ほどは買い揃える必要はありません。それでも普段よりは大目に買っておくものです。

あの時も、そんな買い物の最中だった。高三の冬休みに入った年の瀬、スーパーの食料品売り場の角を曲がって、隣の列を漁ろうと思ったら目の前にF子がいた。あまりに突然に現われるものだから、ついつい挨拶してしまった。

「お!久しぶり。元気?」
「うん、久しぶりね。」

ひとしきり挨拶したら会話が途切れた。本当は会いたくなかった。見かけたら逃げ出すつもりでもあった。でも、いきなり現われるものだから、なにも出来なくなった。

彼女も無言だ。いや、どうでもいい会話なら交わしたが、内容はさっぱり覚えていない。会いたくないと思っていたのは事実だが、内心訊きたいと思っていたことはあった。どうしても知っておきたいとさえ思っていた。

でも、訊けなかった。多分、私は答を知っている。分っている。ただ確信がない。だから彼女の口から聞きたかった。

それなのに訊けなかった。まだ私の心の奥底では怒りがくすぶっていたせいでもある。答を彼女の口から聞いたら、取り返しのつかない悔恨にもがくかもしれないと怖れ慄いたせいでもある。

あの後、どんな会話をして、どんな別れ方をしたかも思い出せない。ただ、無性に身体を動かしたくなった。じっとしていると、心がグルグルとでんぐり返りを繰り返しそうで、気が狂いそうな焦りが我が身を駆け巡ったからだ。

あれから20数年。今だから分るが、あの時現われたのは偶然ではあるまい。私は偶然に驚いたが、彼女はいつものように、あの頃のように静かなままだった。何故に現われたのだ?

まだ怒っていたのだろうか。いや、彼女の瞳に怒りは感じなかった。あるとしたら失望か・・・なにを今更と思うが、彼女もなにかを言いたかったのか、あるいは訊きたかったのか。

もう分らない。分らないけれど、いつか再会する日がくる予感もしている。その時は訊けるだろうか。

「どうしてあの時、髪を切ったの?」

分っている・・・と思う。多分私は訊けない。でも・・・さ、お互いに老年の域に達したら良いよね。その時は互いに許し合おうよ。いつかきっと、時が解決してくれると私は信じている。私はやっぱり楽天家なのだ。

来年は、今年よりいい年だと思う。根拠ないけどね。そう考えるほうが、人生楽しいさ。
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猫はなぜ絞首台に登ったか 東ゆみこ

2009-12-28 08:24:00 | 
裁判官「判決、三丁目のミケ。貴方は磯野家の夕食の秋刀魚を強奪し、あまつさえ追いかけてきた同家サザエに対して爪で引っかき傷害を与え、逃走に及ぶという犯罪行為を犯した。しかも反省のそぶりさえない姿勢には厳罰をもって臨まざるえない。故に絞首刑に処す。」

かくして、三丁目のミケは公衆の面前の下、絞首台に逆さづりにされて処刑された。

別に冗談ではない。中世から近世にかけてヨーロッパでは毎年数十件、このような猫に対する判決が下されたという。何故か?

歴史を学んでいると、どうしても派手な出来事に目を奪われる。ほとんどの場合、歴史を学ぶということは政治と戦争を知ることになる。これに文化と経済が多少加味されただけで歴史の学習は終わってしまう。

だから、なぜ猫を裁判にかけて、しかも絞首台に逆さ吊りにしたのか分らない。分らないから、ついつい現代人の常識で、当時の人々は動物虐待を好んでしていたと判断してしまう。これでは本当の事情は分らない。

中世から近代にかけて、猫や犬といった動物や鳥、あげくに虫に対してまで裁判が行われ、しかも判決まで出されて刑が執行されていたと言う。

現代人の感覚からすれば、おかしいとしか言いようがないが、当時の人たちの常識には叶う行為であったという。その当時の常識を支える歴史的経緯を探ったのが表題の新書だ。

科学的見地からと称して、歴史を塗り替えて(偏向させて)しまったマルクス歴史学からの脱却という意味では価値或る作品だと思います。

ただ、いま少し説得力に欠けるのは、著者が人間の残虐性などの暗い側面を敢えて無視する姿勢をとっているからでしょう。

断言しますが、今も昔も人間って奴は他者を苛めたり、蔑んだりするのが好きな生き物です。そこを無視してはいけないと思うのですが、著者は学者だけにそのような面を切り捨てて書いている。俗悪な内容になるのを避けたと容易に判断できてしまうのが残念です。

人間ってやつは、愛する家族を優しく抱きしめる手で、憎い敵を絞め殺す。愛おしい恋人を慈しむ瞳は、いとも容易に嫉妬と憎悪をたぎらした狂気の瞳に変貌してしまう。傷ついた友を優しく介抱するのと同じ手が、残虐な拷問をする手に替わることは珍しくもない。それが人間ってものなのです。

そこまで踏み込んだ上で、絞首台の上で苦しみもがく猫を見て、笑い転げる当時の民衆の気持ちまで踏み込めたなら、この本はもっと説得力のあるものになったと思うのです。ちと、残念ですね。
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気遣いなのか?

2009-12-26 08:21:00 | 社会・政治・一般
誰かつっこめよ!

先週以来、欧米では猛烈な寒波が猛威を振るっている。アメリカの首都ワシントンンは、豪雪により機能麻痺となり、クリスマス休暇で帰省するはずの人で空港はごった返す。

ヨーロッパでは例年にない寒波のせいで、ホームレスを中心に凍死者が二桁に達している。TVなどの映像で観る欧州の街角は、まさに氷結した廃墟の印象すらある。氷河期が近いのか?

ところが、そんな日に限ってトップニュースは、コペンハーゲンで開催されたCOP15の会議の話だ。ストップ・ザ・温暖化を旗柱に温室効果ガスの排出削減を巡り紛糾する国際会議が連日の話題であった。

その日の7時のニュースも当然にCOP15が冒頭に放送されていた。その数十分後にアナウンサーは平然と欧米での寒波騒ぎを報じている。

ちっとは疑問を感じろよ!?

地球温暖化防止を議論する国際会議を冒頭で報じておきながら、その後で強烈な寒波の被害を平然と報じる神経が分らん。局地的な異常気象なのだからと自分を納得させているのか、それとも何も考えずに原稿を読み上げるだけなのか知らないが、あたしゃ観ていて薄気味悪かった。

私個人としては、身の回りの実感として温暖化を感じているので否定はしない。でも、温暖化と温室効果ガスの具体的関連性は実証されていない。少なからぬ気象学者などから、地球の気温を決定付けるものとして温室効果ガスだけを取り上げることへの疑問が提起されているが、なぜか大手マスメディアからは無視されている。

温室効果ガスを否定しているのではない。それだけではないはずだと主張しているのに、それを何故に無視するのか。地球の大気を暖めるのは太陽の光であり、地軸の傾きや、地球の軌道そのものの影響さえ考慮にいれるべきだ。

さらに言うなら、現在の地球は地質学的には氷河期と氷河期の間の間の時期にあたる。もしかしたら温室効果ガスは、氷河期の到来を遅らせている可能性すらある。

いずれにせよ、データー不足であり、もっと研究が必要な課題なのだ。やはり、現在の温暖化防止騒ぎは、化石燃料の枯渇を睨んだ動きではないかとの疑問が、私の脳裏から離れない。

ちなみにNHKの夜7時のニュースでは、冒頭のCOP15の報道から20分以上空けて欧米の寒波の報道をしている。冒頭のニュースの価値を貶めないための気遣いなのか、その間隔は?

どうも、事実の報道というより、特定の真実の宣伝に重きを置いている気がするぞ。
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四ヶ月目の鳩山内閣

2009-12-25 04:59:00 | 社会・政治・一般
日本人は忘れっぽい。

「やるっきゃない!」と勇ましく叫んだ土井・元社会党党首の下で消費税廃止の公約は見事に朽ち果てた。これを土井・元議員一人の責任だとは、さすがの私も言わない。

これまで国政に関する責任感なしに、言いたいことを言いたいだけ言っていた野党時代とは異なり、立法府の責任ある立場で行政を司る立場になれば、これまで分らなかったことも分らざる得ない。

「台所を預かる主婦の立場で国政に意見を」と意気込んで国会に乗り込んだ新人議員さんたちは、官僚の手助けがなければ何も出来ない無力感に際悩まされた。あげくに官僚が作成した官僚のための国策を忠実に実行する役割に安住した。

村山という看板を掲げて与党に戻った自民党の議員たちは、失いかけた利権の確保に必死で、国政の大筋は官僚に丸投げして誤魔化した。

せっかくの与党議員の立場を活かさんと意気込んだ社会党の素人議員たちは、官僚の手管に奔走させられて、却って官僚政治の強化に貢献している始末だった。

おかげで官僚の失政は見事に隠され、先送りされ、誰も責任を取らずに済まされた。もっとも花をもたせる必要もあったのでスケープゴートに「薬害エイズ事件」が大きく宣伝されて、その後の橋本(厚生族のドンだが)内閣の下、菅厚生大臣の名を一躍全国に広めただけだった。もちろん、厚生族のドンが無傷であったのは誰も言わないお約束。

あれから十数年、ようやく自民党は下野し、政権交代はなされたが、再び悪夢が甦るのか。鳩山内閣が発足して四ヶ月あまり。官僚を排した政治を公言しながら、いつのまにやら財務省に摺り寄りはじめた民主党。

よくよく中味をみてみると、どこかで見たなと思うのも当然。村山、橋本内閣当時に盛んに言われていた「構造改革」路線が再び外見を変えて甦っている。要するに財務省主導の財政再建路線だ。

事業仕訳という名の「官僚いじめ」に庶民は喝采を上げるも、その中味に必ずしも賛成ではない。いくらなんでもパフォーマンスに過ぎることは庶民でも分るらしい。

要するに財政赤字削減のための予算削減を、官僚を一方的な悪役に仕立てて成敗するだけのサル芝居。その官僚に「困った時のお役所頼み」を繰り返していたのは誰なのか?

ママのへそくりで政治の世界のトップに立ったはいいが、お坊ちゃまゆえにリーダーシップがない。だから口先だけやかましい薄っぺらな政治家どもの怒声にビビッて、後手後手に回り、あげくに先延ばしで誤魔化す醜態。

敢えて言いますが、民主主義における政治とは、妥協なくして進まない。多数決とは少数意見の圧殺を合法化するものだ。少数意見に振り回される首相ほど惨めなものはない。

現実無視で理想過多の少数意見を封じるには、金で黙らすか、弱みを握って遠ざけるのが一番だが、それを逆にやられているのだから、どうしようもない。

スポンサー役に徹していれば、この人いい人でいられたのにね。そろそろ引き時じゃありませんか?
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