ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

進撃の巨人エンドオブザワールド

2015-09-30 09:52:00 | 映画

見る気はなかったのだが、ついつい時間潰しで観てしまった。

原作の漫画は、弱者の地位に落ちぶれた人類を世界的な視点で描き出していたのだが、この映画では出演者が全員日本人であるせいか、その視点が欠落してしまったのが残念だ。

またCGを駆使して、恐ろしげな巨人たちを描いてはいたが、原作の持つ残酷なまでの人の弱さを描き出すことにも上手くいっていない気がする。やはり、どうしても原作の漫画の印象が強すぎて、この映画を単独で評価するのが難しい。

そうなると、原作を越えられなかった映画との評が出るのも致し方ないと思う。もっといえば、原作の束縛から逃れきれなかった映画だとも云える。

ただし、原作の漫画はまだ連載が続いており、真の結末も明らかではない。だから、この映画が、ある程度見切り発車というか、世界観の構築に苦労したことも察することは出来る。

そう考えると、製作するのが早すぎた映画ではないかと思う。若い出演者たちの熱演は買えるが、作品としてみると完成度の低さが目についてしまう。それは映画制作側の問題とは言いかねるだけに、私としては残念に思う。

多分、原作をはずれて、サイドストーリーとして脚本が書かれていれば、違う評価となったのではないか。そんな思いを抱いて映画館を出たものです。

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VW社の規制逃れに思うこと

2015-09-29 12:15:00 | 経済・金融・税制

既に故人だが、自動車評論家として著名な徳大寺有恒氏が、ディーゼルエンジンの環境対応の厳しさを語っていたのは1990年代半ばだった。

その時の話では、ダイムラー、プジョー、トヨタなど世界の主要メーカーが当時取り組んでいた、ディーゼルエンジンのPM粒子の排出について、いずれのメーカーも成功していない事実を語り、氏自身も悲観的に予想していた。

これは、当時大気汚染に悩むアメリカはカルフォルニア州でのディーゼルエンジン規制を念頭に置いたもので、あまりに厳しすぎる基準に、どのメーカーも悲鳴を上げていた。

しかし、その後ダイムラーやBMW、マツダなどが環境対応に適合したディーゼルエンジンの開発、実用化に成功したことで、主にヨーロッパにおいて、半数近くの車がディーゼルエンジンを搭載するに至っている。

徳大寺氏の心配は杞憂に終わったのだと、私は思っていた。私自身、ダイムラーのディーゼルエンジン搭載車や、BMWのディーゼル・ハイブリット車、マツダのスカイアクティブ搭載のディーゼル車に試乗してみて、その性能の良さに驚き、再三購入を検討したものだ。

購入に至らなかったのは、我が家の庭の狭さと、値段の問題であった。大型車は庭に入りきらないし、ディーゼルエンジン搭載車は、ガソリンエンジン搭載車に比べて値段が若干高めになるからだ。

ただ、関心はもっていた。21世紀中には石油は枯渇問題が顕在化するはずだし、汎用性の高いディーゼルエンジンに将来性を感じていたからである。そこに降ってわいたように飛び込んできたのが、フォルクスワーゲン社における違法ソフトによる規制逃れであった。

これは現場に一存で出来ることではなく、会社全体、特に上層部の主導なくして出来ることではない。その意味で、極めて悪質な工作だと云える。窒素粒子化合物の排出に対する技術的解決は済んでいるはずである。では、いったい何故、このような所業に及んだのか。

おそらくは燃費の問題だと思う。

メルセデスなどの大型車とでは、燃費を気にするユーザーは少ないと思うが、ゴルフのような小型車では、燃費は車の選択における重要な要素だ。ディーゼルエンジンにおいては、排出される窒素のPM粒子を減らすことと、燃費は相反する性格となる。

ライバルであるプジョーやルノー・日産、トヨタ、ホンダなどは、この燃費競争においては、VWと常に競い合う関係にある。燃費の良さが売りのディーゼルエンジン搭載車において、悪い燃費は販売上きわめて不利なポイントとなる。

もう一つ、コストの問題もある。費用さえかければ、ある程度、燃費と環境対応の両立も出来たであろう。ただ、小型車ではコストの問題は難しい。ライバル企業の小型車との価格競争に、著しく不利となることも容易に分かる。

だからこそ、今回の不正ソフトで切り抜けようとしたのだろう。

非常に残念でならない。これは断言してもいいが、小型車においてVWのゴルフという車は、きわめて優秀であり、私は小型車NO1だと考えている。走る、止まるといった基本性能は高く、遮音性、快適性においても頭一つ抜けている小型車だと、高く評価している。

ただ、国産車よりも高く、その値段差を考えて購入を断念したが、今でも小型車では一番だと思っている。それだけに、今回の不正事件は残念でならない。この事件によるブランド失墜は、かなり長く続くと思われる。

小型車の規範といってよりゴルフの価値が、このような事件で落ちてしまう。改めて断言しますが、ガソリンエンジンのゴルフは、今でも小型車では最高の車です。値段が少し高いのが難点ですがね。

VWの経営陣には痛切に反省を促したいものです。

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容疑者Xの献身 東野圭吾

2015-09-28 13:03:00 | 

やっと読みきれた。

ここしばらく、映画や時事評、漫画とブログの記事が偏った最大の原因が、この表題の書である。とにかく読むのが滞った。自分でも不思議なくらい、読むのに時間がかかった。

原因の一つに、季節の変動がある。実は季節の変わり目は、けっこう体に負担になるらしく、特に夏から秋と、秋から冬の季節の変わり目は体調を崩すことが多い。私の場合は、その負担が眠気にでるらしく、電車でウトウトする時間が増える傾向がある。

だから車中で、鞄の中に常備している単行本を気にしながらも、眠気には勝てないとして、短時間の仮眠をとってしまう。実際、眠気はキツイほどで、9月だけでも3回寝過ごして目的の駅を通過してしまている始末だ。

だが、寝過ごすことはあっても、この本に夢中になって乗り過ごすことはなかった。途中で犯人の仕鰍ッたトリックが透けてしまったからだ。ネタばれになるから書かないが、トリックとしては古典的であり、ミステリーが推理小説とされていた頃からのファンである私には解き易いトリックでもある。

しかし、この古典的手法であるからといって、この作品の価値が下がる訳ではない。むしろ、犯人の内面の葛藤と、探偵役の湯川の静かな対峙には、十分心惹かれるものがある。

以前、初めて読んだ東野圭吾の「さまよう刃」に失望したものだが、これなら十分納得の作品である。熱烈なファンが多いのも良く分かる。最初にこれを読んでおけば、ベストセラー作家・東野圭吾の印象がたいぶ違ったと思う。

その意味で、少し残念な出会いであったと思う。ただ、その力量の高さとこの作品の質の高さをもってしても、私がこの作家の熱烈なファンになることはないような気がします。

まだ確信がないので、他の作品を数冊読んでみてから再考してみようと考えています。

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日本にとっての平和とは?

2015-09-25 13:07:00 | 社会・政治・一般

一部のから騒ぎで終わった新安保法制反対騒動だが、肝心の法案自体は参議院を無事通過した。

これは、しっかりと認識しなくてはいけないが、この新安保法制は間違いなく戦争法である。もちろん憲法9条に違反しているのは、普通の国語力があれば分かるはずである。

しかし、国民の大半をそれを容認している。

マスコミの大半と、一部の政治家、政治家きどり、未熟な若者、空想世界に夢見る平和愛好市民は無視しているが、国家の平和を維持する基本は、軍事である。日本の場合、アメリカ軍の軍事的従属下にあるので、アメリカの軍事力こそが平和の基礎となっている。

より正確に云えば、アメリカは自らの国防戦略の一端を日本列島に置いているのだし、その為の補助勢力として日本の軍隊を整備したのが実情だ。また、かつてアメリカに正面から牙を剥いた危険な国家を、アメリカのコントロール下に置くために、意図的に軍事力の行使を禁じた不自然な憲法を押し付けた。

それを最大活用して、経済大国として復活したのが戦後日本ではあるが、あまりに大きくなりすぎて、単なる補助的な軍事力として活用に不満を持ったアメリカの意向を汲んだからこそ、今回の新安保法制が出されたのが実情であろう。

必然的にアメリカ軍の尖兵として、世界各地に自衛隊は赴き、そこで戦う可能性は飛躍的に増えるはずだ。その意味では、間違いなく戦争法案である。同時にもう一つの意味を持つ。

それは、アメリカが日本を信頼できる属国として認識していることの証左である。もはやアメリカに逆らい、牙を剥いてくることはないだろうと考えているからこそ、アメリカは今回の新安保法制を歓迎している。

またアジア各国も、悪魔的に狡猾に侵略をすすめるシナへの対抗勢力として、新たな安保法制を掲げた日本に期待している。インドネシア、ベトナム、フィリピンなどは、今後一層日本製の武器(たとえ中古でも)への依存を深めると考えられる。

日本のメディアは、あまり報道していないが、現在、日本の中古の艦船が東南アジア各国に安値で輸出されている。海上保安庁の巡視艇が中心だが、いずれは海上自衛隊の艦船もその対象になると予想される。

単に船を輸出するだけでなく、船員の訓練から、メンテナンス施設での訓練、日本の海上自衛隊の艦船との共同訓練など多肢に渡る。従来、安価なシナ製の艦船を使用していた東南アジア各国が、日本製に切り替える意義は大きいと私は考える。

こんなことを書くと、やはり新安保法制は日本を戦争への道へと導くと考える人はいるだろう。そして、それは間違いだとは、私も思わない。しかし、認識の仕方が狭すぎるとも考える。

日本の平和を考える上で、一番危惧しなくてはいけないのは、シナでもロシアでもなく、反日国家のコリアでもない。一番、心配しなくてはいけない危険な国家は、間違いなくアメリカそのものである。

世界最大の軍事力を誇り、またそれを行使することを躊躇わぬ好戦的な国であるアメリカこそ、日本にとって最も恐れなくてはいけない国である。新安保法制への反対を主張したり、沖縄の米軍基地への反対を主張する人たちは、この厳然たる現実をどう認識しているのだろうか。

本当に日本の平和を願うのなら、一番危険な国との対立こそ避けるのが基本であろう。かつて、アメリカの軍事上の重要なパートナーであった国々が、アメリカを裏切り、敵対した場合、どうなったのか分かった上で、新安保法制に反対してのだあろうか。

その典型例がイランである。パーレビ王の支配下のペルシャは、中東におけるサウジに匹敵する重要なアメリカの同盟国であった。そのペルシャにイスラム革命が起こり、反米国家イランとなって以来、アメリカがイランとどう接し、イランの人々の苦しい生活がどれほどのものであるか分かっていいるのか。

あるいは、つい最近アメリカとの和解を決断したキューバも同様である。一度、敵として見做した国に対して、アメリカは容赦なき苛烈な軍事国家と化す。この現実がみえていれば、安易にアメリカとの亀裂につながるようなことは避けるべきであろう。

私は残りの人生を、平和なうちに暮らしたいと願っている。だからこそ、新安保法制に賛成だ。そのことで、日本の若者たちが外国の地で戦死する可能性があると分かってはいるが、それでも日本全体の平和を思えば賛成せざるを得ない。

もしかしたら、日本国内でのテロ活動により死傷者の出る可能性だってある。それでも、アメリカを安易に敵にまわすよりも、より平和に近いほうを私は望みます。

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JR不審火災の容疑者に思うこと

2015-09-24 13:09:00 | 社会・政治・一般

内勤と思われがちだが、私は案外と外回りが多い。

だいたい週の半分は、顧客まわりに充てている。大半が電車での移動なのだが、9月は困惑することが多かった。思わぬ時に電車が止まるのだ。

もちろん、台風による大雨での運行停止もあるが、これは天災だし、予測可能なので、ある程度は対応できる。困るのは、やはり事故である。とりわけJRはこの事故による運行遅れなどが目立つ。

ただ、線路内人立ち入りとか、人身事故(飛び込み自殺多し)などはJRも被害者であるから致し方ない。しかし、先月くらいからだが、送電線のトラブルなどで運行停止が頻発していた。

これは突発的に起こるので、予測できないために、非常に対応に苦労した。約束の時間には間に合わないし、どれだけ遅れるのかさえも分からない。私のミスではないにしろ、仕事上非常に困っていた。

私は当初は、JRのメンテナンスの手抜きが原因ではないかと疑っていた。国労や動労など組合関係者が関係していると思われる仕事の怠惰による事故が、JRに頻発しているのは、なにも北海道だけではない。

ところが先週の報道で、犯人と思しき人物が逮捕された。驚いたことに、その被疑者は40代の自称ミュージシャンで、JRが電気を使い過ぎると不満を抱き犯行に及んだらしい。

その報道が本当だとしたら、この被疑者おそろしく無知だ。たしかに鉄道事業は多量の電気を消費する。しかし、電気による運送効率は、普通の車はもちろん、ハイブリッド車をはるかに上回る。もちろんトラックよりも、鉄道運送のほうがはるかにエネルギー効率は高い。

なにを原因でJRを憎んだのか知らないが、八つ当たりもいいところである。

多分、日常的な不満を貯め込み、そのはけ口として放火に及んだのだろう。自称ミュージシャンとのことだが、その演奏と歌を目にしたが、アマチュアというか、自己満足だけの売り物にならない音楽に思えた。だからこそ、自称なのだろう。

40過ぎてまで、親から毎月20万のお小遣いをもらって暮らしていたようなので、生活のために稼ぐ苦労をたいして知らないのだろう。多分、本人は自身を苦労人だと思っているし、運に恵まれない、あるいは世間から理解されぬ孤高の音楽家気取りなのだと思う。

それが甘えだと気付けない程度の苦労人に過ぎない。プロとして音楽で稼ぐのは容易ではない。私は過去に何人もそのような方をみてきたが、成功しているのは、好きな音楽ではなく、売れる音楽をやっている人だ。

自分がやりたいことではなく、周囲から求められる音楽をやることで、金を稼ぐ。それがプロとしての生き方であり、厳しさでもある。自分の音楽が理解されない?

それは、ただ単に自分の音楽が未熟なだけ。自己の感性が未成熟なだけであり、自己研鑽を怠って生きた来た証左でもある。そんなバカの八つ当たりで、鉄道の送電線に放火して、数十万人の人たちに迷惑をかけたのだから言語道断である。

私としては厳罰に処して欲しいと願うばかりである。

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