ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

冷凍ミカン

2011-07-29 12:13:00 | 健康・病気・薬・食事

シャリシャリシャリ。

冷凍ミカンを食べるのが、最近の夜のお楽しみになっている。

子供の頃、夏休みに電車で旅行に行く時の楽しみは、駅弁と冷凍ミカンだった。ネットに包まれた冷凍ミカンの表面の氷が解けてくると、丁度食べごろだ。

すぐに崩れる皮を丁寧に剥いていき、筋を丁寧にとってから、いそいそと頂く。これが美味しい。昭和40年代は、特急電車といえども、必ずしも空調が入っているとは限らない。

扇風機と、窓から吹き込む風だけだと、やはり夏は暑い。だからこそ、冷凍ミカンの美味しさは格別だった。記憶は曖昧だが、おそらくは東京駅から伊豆にむけての急行列車で食べたのが、最初の冷凍ミカンであったと思う。

まだ、小学校の低学年の頃だと記憶している。母と妹たちと四人掛けのシートに収まり、母がネットに包まれたミカンを窓際においてくれた。

夏の暑い日ざしが、氷結したミカンの表面を溶かすのを待ちかねて、手を出すと痛いほどに冷たい。剥こうとしても、まだ皮は固くて剥けやしない。

氷が姿を消して、少し皮がふやけてくると、中は半解状態のシャーベット状になっている。このミカンを口に入れて噛むと、氷菓のようにシャリシャリと食べられる。

その頃には列車は都会の喧騒を抜けており、小田原に近づくと湘南海岸が覗けるようになる。久々に観る海の景色に私たち子供は、もう浜辺に近づいたが如くの興奮に囚われる。

丁度折り良く、小腹が好いて駅弁を食べる。食べ終えた頃には、湯河原、熱海を過ぎて伊豆海岸沿いを電車が走る。早く目的の駅に着きたくて、いてもたってもいられない。

すると母が足元に仕舞っておいた残りの冷凍ミカンを出してくれる。もう溶けているが、十分冷たいミカンは私たちの興奮を一時的に醒ましてくれる。

全ての冷凍ミカンを食べ終えた頃には、目的の駅に到着している。下車すると、民宿のお迎えの車が待っている。待ちきれない私は、車の中で海パンに着替えて、付いた途端に海に向かって走り出す。

冷凍ミカンは、そんな幼き日の思い出がいっぱい詰まっている。だから、余計に美味しいのだと思うな。

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弁護士がこわい 高山正之

2011-07-28 12:15:00 | 

パンとサーカスを与えておけばいい。

ローマ市民には、食い物と娯楽さえ与えておけば統治できる。そう考えたローマ皇帝たちこそが、ローマを衰退させた。強大なローマ帝国が滅んだのは、決して外敵からの侵略だけが原因ではない。

国の中核である健全なローマ市民を堕落させたからこそ、国家が弱体化し、そこを外敵に付け込まれた。成長の限界、すなわちローマ帝国軍の侵略が限界を迎えたときから、用意されていた歴史のシナリオだと私は考えている。

そして、現代の世界帝国であるアメリカはどうか?

世界最大のジャンク・フード大国だけに、食い物は満ち溢れている。ハリウッドの映画は世界で大人気だし、プロスポーツには事欠かない。つまり、ローマ帝国が採用した統治システムを見事に継承している。

それだけではない。アメリカン・ドリームも実現している。

ただし、それは我々が思い描くアメリカン・ドリームではない。かつてのアメリカには、貧困者にも夢が溢れていた。勤勉に学び、働けば豊かな生活を実現できる夢の国。それがアメリカだった。

しかし、現代のアメリカは違う。夫婦共稼ぎで必死に働いても、豊かな生活は縁遠くなるばかり。簡単にリストラされて、住宅ローンが払えずに家を追い出される。クレジット・カード万能社会ゆえに、一度カードを手放すと、一気に貧困者への坂を下り落ちる。

そんなアメリカにも、まだアメリカン・ドリームは残っている。それが訴訟だ。ターゲットは溢れるほどに金を持つ大企業たちだ。なかでも、アメリカ企業を追いやった日本企業こそが鴨だ。

安直に訴訟を起し、それを感情論をむき出しの正義で金持ち企業から金を吐き出させることにカタルシスを感じる正義の陪審員たちが、懲罰的判決を出して次々と企業を梼Yに追いやった。

訴えた原告たちは、数十年分の稼ぎを手にしてホクホク顔。それを可能ならしめたのが、弁護士たちだ。新たな貴族として、平等の国アメリカに君臨する弁護士たちが、新たなアメリカン・ドリームの実現に手を貸す。

いや、弁護士あってこそのアメリカン・ドリームだ。弁護士、万歳。訴えろ、訴えて賠償金を手にしよう。それが新たなアメリカン・ドリームだ。

かくして、アメリカから少なからぬ健全な製造業が姿を消し、中産階級は没落したが、訴訟により大金をせしめた新たなミニ・リッチを続発させた。

でも、金にならない訴訟は減るばかり。レイプ訴訟なんて、やるだけ無駄と弁護士から切り捨てられる。なにせ、貧しいレイプ犯なんぞ訴えても、たいした金はとれやしない。訴訟費用にさえならない訴訟なんざ、やりたがる弁護士はいない。

レイプされるのなら有名ホテルや金持ち企業のビルのなかがいい。管理者責任を狙って訴訟を起せば、大金が得られるはず。

え、公園? 道路の脇の草むら?

ダメ、ダメ。そんな場所のレイプなんて金にならない。だから訴えても無駄と弁護士から諭されて涙を呑んだ被害者は数知れず。もちろん、レイプ犯が金持ちなら話は別。弁護士が手弁当で駆けつけてくる。

それもまた訴訟大国、アメリカのもう一つの顔だ。

郷に入れば郷に従うのが必然だとするなら、アメリカのルールに従い、対訴訟対策は必要不可欠なのだろう。でも、こんな制度、真似する必要はない。

移民大国であるアメリカにおいて、弁護士が司法制度に大きく貢献してきたことは事実だ。しかし、今のアメリカ社会が幸せなものだと言えようか。

日本はアメリカに追随することで、経済大国の地位を得た。だとしても、司法制度まで真似る必要はないと思う。

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夏休み

2011-07-23 07:32:00 | 日記
そんな訳で、来週水曜日まで怠けます。取り急ぎにて失礼します。
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震災復興元年に向けて

2011-07-22 12:14:00 | 社会・政治・一般
太平洋戦争の敗戦で失ったものは大きい。

なかでも、今もって清算されていないのが国家への信頼の喪失だ。日本という国を信じ、政府の言うことを信じ、シナ大陸へ侵攻し、あげくにアメリカに戦いを挑んで惨めに敗れた。

南の島で疫病と空腹に苦しみながら、かろうじて生き延びて、惨めな姿で帰国した愛国の兵士たちは、敗残の惨めさを噛み締めねばならなかった。

シナの大陸で、あるいはコリアの半島で未来を信じて移住した人々は、現地の人々の嘲りと暴虐に打ちのめされながら、命からがら日本に帰国した。

日本は勝つ、必ず勝つと信じていたのに、待っていたのは惨めな敗北であり、金も物資も誇りすらも失った。信じていたものに裏切られるのは辛い。

この辛さから逃れるためなら、いくらでも卑怯なことが出来た。敗戦を終戦と言い逃れして、なぜ負けたかを真剣に反省する義務から逃れた。

負けたのは戦争を始めた軍が悪いと、一方的に軍隊に責任を押し付けた。だから自分たちこそが半島や大陸、南方諸島に夢を見た過去の判断を反省することから逃れた。

鬼畜米英と蔑んだはずなのに、負けた途端に民主主義万歳と叫んで、過去を押し隠した。それを恥じるだけの知性を持った輩は、敵の思想(民主主義)よりも上だと思えた社会主義思想にすがり付いてみた。

なぜ日本人が日本を去って半島や大陸に進出したかを忘れたがゆえに、平然と戦争の責任は政府と軍にあると厚かましく自分を美化した。政府に反対し、国家を否定すれば平和は叶うと、自分勝手な理想で過去の過ちを覆い隠した。

恥知らずで、厚顔で、幼稚な戦後の平和主義は、日本全土を覆いつくし、日本全土がスラム街と化してもおかしくない、異常な事態を招くはずであった。

しかし、逃げなかった人たちがいた。現人神であったはずの天皇は、自らの誤りを認めて、人間天皇として全国を巡行した。敗戦国の王が、亡命もせずにこのような振る舞いをしたことは歴史に例をみない。これで日本の国体は守られた。

国のトップがしっかりしていたからこそ、実務を担う人たちの動揺は収まった。軍人エリートたちが政権から追われたことを機に、三等エリートと揶揄された人たちが、経済復興を目指して新しい日本を築くことに未来を託した。

国家を否定するのではなく、国民のための国家を自らの手で築くことに邁進した人たちが居た。世界を驚愕させた日本の高度成長は、国家を否定し、戦争を否定する平和主義者が為し得たわけではない。

敗戦国の制約のなかで、最善を目指して力を結集させて、豊かな社会の実現に全力を傾けた人たちの、艱難辛苦の努力あってこそ、経済大国日本は復活した。

私は断言したい。これからの日本を築いていくのは、反原発活動に血眼の運動家ではない。反戦平和を叫ぶだけの自称良心的市民たちでもない。政府を批難し、揚げ足をとり、事実の一部しか報じない傲慢なマスコミでもない。

震災に遭い椅子も机も無いなかで、なんとか地域の行政機能を復活させようとする地方の役場で奮闘する人たちがいる。放射能の脅威にさらされながらも、自分のため、家族のために奮闘する零細事業者もいる。

教科書もノートも十分でなく、教室でさえも満足に確保できないなかで、子供たちに教育を授けようと駆け回る教師がいる。瓦礫のなかから立ち上がり、今の自分に出来ることを最大限やろうと決意を固める人たちもいる。

自分たちの幸せは、自分たちの家族は、自分たちの町は、自分たちの努力で築き、守り、育てようとする人たちがある限り、日本は絶対に沈んだりしない。

やれ自然エネルギーだ、やれ子供手当てだと善意だけを売りに権力にすがり付く政治亡者どもには、未曾有の震災災害から立ち上がらんと苦闘する日本を立て直すことは出来ない。

私は次の衆議院選挙が待ち遠しくてならない。バカは多いが、それでも、これほどまでの愚かさを見過ごすほど日本人は間抜けではないと信じたい。
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クマさんの四季 和田慎二

2011-07-21 14:21:00 | 

先週、新聞を読んでいたら三面記事の片隅に、漫画家の和田慎二の死亡を伝える記事を目にした。まだ61歳だそうだから、いささか早すぎる。

私が小学生の頃から活躍しており、現在も現役だった息の長い漫画家である。もっとも当時から少女漫画雑誌にしか描いていなかったので、男の子にその名を知られるようになるのはTVで放送された「スケ番刑事」ぐらいからだろう。

代表作は、やはり「スケ番刑事」だろうが、「ピグマリオ」や「超能力少女明日香」も忘れ難い。なかでも「ピグマリオ」は出るのが早すぎたファンタジーであり、時代が追いつかなかった傑作と称しても良いと思っている。

ただ、当時から不思議に思っていたことがある。何故、和田慎二は少年誌に描かないのか?

男性漫画家で、少女漫画雑誌で活躍していた弓月光は、ヤング・ジャンプに活躍の場を移して成功していた。私は和田慎二も、十分少年誌で活躍できると踏んでいた。

しかし、あくまで少女漫画にこだわったらしく、私が知る限りにおいては少年誌や青年誌にその漫画が掲載されることはなかった。もっとも長い付き合いの白泉社と揉めてからは、近年男性誌にも描いたようだが、私は眼にしていない。

別に男性が少女漫画誌で活躍することに異論がある訳ではない。少女漫画家として成功しているので、そのことにケチを付ける気もない。

私が不満だったのは、当時少年だった私でも、和田氏の漫画は十二分に楽しめるので、少年漫画誌でも活躍できるはずだと確信していたからだ。こんな面白い漫画が、少年たちに知られていないことが不満でならなかったからだ。

おそらくは、和田氏本人のこだわりであったと推測できるので、残念には思うが批難はしない。

表題の作品は、和田氏本人をモデルにしているようなクマが主人公のファンタジー漫画だ。私は途切れ途切れに読んでいたので、後にハードカバーで刊行された時に入手した。

はっきりと根拠があるわけでもないのだが、和田氏自身は、案外男同士の付き合いが苦手だったのではなかろうか。むしろ女性を相手にしているほうが気楽に思っていたのではないか。

私はそんな気がしてならない。私は女だらけの家庭に育ったので、もしかしたら和田氏も似たような境遇であったのかもしれないと感じることがある。

実際、私も思春期に入るまでは、周囲に女性がいるほうが気楽に思っていた。男の子だけの付き合いを、無意識に避けていたところがあった気がしている。

さすがに思春期に入ると、男同士の付き合いの気安さに安住するようになった。私が少女漫画から離れたのも、丁度その頃からだった。

でも、和田慎二はそのまま大人の世界に入ってしまったのではないか。そんな印象を受けることがある。まったく根拠の無い推測に過ぎないが、そのあたりが和田慎二が少女漫画家であり続けた理由ではないかと思うことがある。

だからといって、和田氏の漫画がツマラナイ訳では決してない。もっとも最近の作品は、私もまだ読んでいない。機会があったら、是非読みたいと思っています。

コメント (2)
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