ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

日本料理の伝統

2023-02-03 11:54:26 | 健康・病気・薬・食事
毎年、寒さが厳しくなると訃報が届く。

私がまだ駆け出しの頃だ。ある老舗の日本料理店の会計及び申告を担当していた。店はいかにもな古風で和風の作りで、献立はその日によって違う。達筆なお品書き次第で値段も変る。都内とはいえ少し県境よりであったからか、高級割烹としては少しお安い。

こんな店が地元にあったらなァと少し憧れた店でもあった。店主は無口な頑固職人を思い浮かべていただければ、まず間違いない。店主が喋らない分、賑やかな奥様が店内を切り盛りしていたからか、いつも賑やかな雰囲気であった。

私はいつもランチタイムと夜の営業の合間の時間に店を訪れ、帳簿をコピーし、いくつかの領収証等を預り、後は賄いを頂きながらの雑談であった。実はこの賄が美味しかった。

未だに忘れがたいのは、卵かけご飯である。たかが卵かけご飯というなかれ。一口食べたら唖然とするほど美味かった。卵に出汁が入っているのは分かるが、その出汁の旨味が尋常じゃない。付け合せの小松菜のお浸しもさっぱりとしていながら、微かな出汁の旨味が絶妙で、お代わりしたくなるほど。

もっとも駆け出しの私は、お代わりを頼むほど図々しくはなれず、レシピを訊きだせるほどに厚かましくはなれなかった。でも「美味しいです」の一言は忘れたことはない。

ある日のことだが、前日に電話があり、少し早めに来て欲しいという。ランチタイムの終わり際に店に行き、片づけをしている奥様を置いて、店主は私を連れて車に乗り込んだ。

一時間ほど走り、郊外の洋風レストランに連れていかれた。そこで店主が頼んだのが、ビーフシチュー。なんでも口コミで人気の献立らしいが、店の雰囲気が如何にもな洋風であり、初老の店主には入りずらかったらしい。なので、若い私を同伴したそうだ。

そこで頂いたビーフシチューは確かに美味かった。肉はほろほろに溶ける様な柔らかさで、噛み切る必要がない。だがシチューの風味が独特で、私が知っているビーフシチューとは明らかに違った。

店主もその違いが気になるようで、匂いを嗅いだり、舌の上で転がしたりと、なにやら探っているようだ。しばらくして納得したように頷き、帰りはスピード違反に私がビビるほどに急いで車を走らせた。

店に戻るなり厨房に籠って、なにやら料理をし始めた。もう私のことなど忘れているようだ。一休みしていた奥様が現われ、「なにかヒントをつかんだみたいよ」と少し呆れ気味で笑っていた。

老舗の割烹料理の店で、ビーフシチューをどう活かすのか、私は妙に思っていた。私が悩む顔をみて奥様は言った「日本料理はね、いつも時代の最先端を取り入れて、今日よりも明日に美味いと云わせる努力をしてきたのよ」と話してくれた。

その後、領収証にやたらとワインの仕入れが増えたのだけは覚えている。店主はなにも云わなかったが、奥様の話だと「煮込み料理」に幾つか新しい手順が加わったそうだ。実際、店の売り上げは順調に伸びていたので、効果はあったのだろう。

まだバブルの残照が眩しい頃だったせいか、その店に大手の不動産会社から立ち退き請求があり、随分と抵抗したが最後は押し切られてしまい、店は閉店となった。ただし閉店の理由は店主が体調を崩したからで、身体が復調したら新たに店を開くはずであった。

その数年後のことだが、奥様から郷里に夫婦して帰ることを伝えられた。どうも体調の回復が思わしくないらしく、店の再開は諦めたそうだ。実に残念に思ったが、致し方ないことでもある。

私は未だにあの店の賄で食べた卵かけご飯以上の美味しい卵かけご飯にお目にかかったことがない。

そして先日、奥様よりご連絡を頂き、御主人の訃報を知った。遠方であり、またコロナ禍で家族葬なので、最後の挨拶が出来なかったことが心残りである。

美味しさなんて、その場限りの感動であり、刹那的な感動でもある。それは分かっているのだが、記憶に深く刻まれるほどの美味しさを、後何度味わえるだろうか。長生きに固執する気はないが、出来るだけ美味しい記憶は沢山味わいたいと思います。
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異次元

2023-02-02 10:36:03 | 社会・政治・一般
あくまで私の周囲に限ったことだが、大卒の友人、知人で子供が居ない夫婦が多数派で、居たとしても2人が精一杯だ。もちろん一人っ子が一番多い。

ところが高卒、もしくは高校中退の友人知人となると、未婚者は少数派で結婚して子供を複数抱えた家族持ちが多数派となる。なかには結婚と離婚を繰り返している猛者もいる。

偏見だと誹謗されるかもしれないが、私見では教育水準の低い家庭ほど子供の数は多いように思う。同時に高学歴で高収入な家庭では夫婦のみ、もしくは子供は一人といったケースが多い。

これは西側先進国全般に見られる傾向である。文明が高度化すると、子供の教育が重要になるため、どうしても学費の負担が多くなる。現代はある程度、避妊が可能なため、子供の数を意図的に調整できる。

また核家族化によりシングルマザーは概ね困窮化することが多い。昔のように親に子(孫なのだが)を預けて働くケースは少ない以上、子を持つことを避ける風潮が出るのは当然だろう。

しかし、この少子化という現象は確実に社会を衰退させる。それが分かっているからこそ政府は異次元なんて言葉を駆使して対策に躍起になるのだろう。

でも、その中身がお粗末すぎる。私なんざ異次元どころか違和感ありありである。

私自身は別個の理由から独身、子なしを自ら選択している。別に隠すことではないが、若い頃の難病歴から、自分が満足に家庭を築ける自信がなかったことが最大の理由となっている。なにせ生命保険にも満足に入れない身なので、家族を持てても途中で投げ出す(死ぬ)可能性が高く、それは無責任に過ぎると思っていたからだ。

還暦まで生きてきたが、この先は危ういことも承知している。それなりに稼ぎはあるが、不安定な自由業なので、自分が無事に生きて来れただけでも満足である。

そんな私でも、身体が健康であったのならば結婚は考えただろう。でも子供は精々一人かな・・・と思う。生活レベルを大幅に落とせば二人以上も可能だろうけど、やはり躊躇うと思う。

そこで岸田政権の異次元の少子化対策をみると、既存の思考法から抜け出ていない。一言でいえば金を今までより大目に払えば良い、ただそれだけだ。

アホじゃないかと思う。既成の法制度の枠にはまり切った官僚の作文であることが明白なダメ政策である。まったく異次元ではなく、小手先改革に過ぎない。

そりゃお金は大事だ。しかし、お金だけで子育ては出来ない。具体的に異次元の対策というのならば

1 外国人家政婦を認める。ただしその管理は民間ではなく、政府(地方自治体移管)で責任をもってやる。
2 誕生から4歳までの育児休暇を強要する。そのための生活費補てんは国が出せ。
3 公立に関する限り、義務教育は無償化。

個々に説明すると煩雑になるので割愛するが、この程度はやらないと安心して子育てなんて出来ない。違和感を感じるとしたら、それは過去の高度成長時代の常識、多人数の家族、親族による助け合いが普通だったころの常識に縛られているからだ。

時代が変わっており、家族、親族の関係も希薄になっている現代に過去の常識は役に立たない。ちなみに霞が関のエリート役人様は既成の法制度の枠内でしか思考が出来ない。変わってしまった社会情勢に対応する新たな法制度は、役人には作れない。今の役人はそのように育てられているから、これはどうしようもない。だから異次元なんていう字面だけで対応しようとする。

変えるには立法府の人間が、すなわち国会議員が立ち上がるしかない。それなのに有権者が投票するのは既存の法制度の下では役立つベテラン議員とか、反対するしか能がないボンクラ議員ばかり。

民主主義の悪いところは、代表者を選ぶ有権者がアホである場合、当然に選ばれるのはアホな議員であることだ。それを加速化させるのが、これまた反対することが正義だと思っている新聞、TVであるから、アホが重層的に積み重なっている。

怖いね、このような間抜けな状況が続くと、有権者は次第に強権力者を望むようになる。独裁が生み出されるのは、いつだって我儘な市民が不満を貯め込んだ時です。歴史をしっかりと学んで欲しいものです。
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清洲同盟

2023-01-31 11:58:43 | 社会・政治・一般
医者がカルテを診ながら診断するのは間違いじゃない。

でも優れた医者ならば、まず患者を視る。患者の話を聴き、反応をみて、聴診器を当てたり、脈を図ったり、自身の医者としての見識をもって診断する。かつて20年以上にわたり私の主治医であったN教授がそうだった。

もちろん検査結果も見るし、他の医師の見解にも耳を傾けた。でも必ず自分の手で血圧を測り、脈をとり、聴診器に耳を傾けた。私は今でもN医師の暖かい手の感触を覚えている。

ところが医者の中にはカルテが表示されるPCの画面ばかり見てばかりで、肝心の患者を見ない。30年近く大学病院に通ったが、若手の医師には確かにこの手の患者を見ずに、カルテばかり見ているタイプが居た。

このタイプの医師には世話になりたくないなと常々思っていた。医師の教育機関でもある大学病院ならではの現象だと思う。他の一般的な大病院では、まず見かけたことがない。なぜなら患者からの信を失するからだ。

これは別に医者に限ったことではないらしい。勉強の良くお出来になる学者さんにも、御多分に漏れず現場よりも報告書のような文章を重視するタイプはいるようだ。

休日にヤフーニュースを閲覧していたら、妙な記事にぶつかった。曰く「清洲同盟は現在ではなかったと考えるようになっている」だそうだ。その根拠は、一次資料がないことだ。公文書はもちろん、信長公記のような資料にも清洲同盟の記載はなく、記載があるものは大半が江戸時代初期のものである。だから清洲同盟は後世の創作だと考える人がいるらしい。

私がこの記事を読んで思い出したのが、冒頭に書いたカルテばかり見ていた医者である。

確かに織田信長と松平元康(後の徳川家康)との間で結ばれたとされる同盟を明示した書面は見つかっていない。だが、歴史上の事実をみれば、二人の間に強固な同盟関係があったのは明らかだ。

裏切りが当然の戦国時代の同盟のなかでも30年近く破られたことのない強固な同盟である。駿河の家康が東の北条、北の武田を抑え、その家康の西側に位置する信長が南西の斉藤、六角、西の浅井、北の朝倉を抑える。まだ若い二人の戦国大名が互いに背中を守り合いながら成長してきたのが歴史上の事実である。

にも関わらず、公的な証拠文章がないから同盟の存在を認めないという。この歴史学者は馬鹿なのか?ちなみに濱田浩一郎という若手の歴史学者であり、一応本物である。他にももう一人、同様な主張をする学者がいたと記憶しているが、見つけられなかった。

確かに同盟の存在を書面で立証する資料はない。しかし、この二人が力を合わせて戦っていたことは歴史的事実だ。それどころか、戦国時代屈指の誠意ある同盟であった。姉川での家康の奮闘、長篠での信長の堅実な戦いぶりは、契約文章のあるなしに関わらず、二人が同盟関係にあったことを証明している。

もっとも当初は対等な関係であったと思うが、次第に信長が優位に立ち、偏った同盟だとみえるのは理解できる。でも私からすると、信長は年下の同盟者を非常に大事に扱っていたと思う。

一例を挙げると、徳川と武田の境界上の重要拠点である高遠城が勝頼に攻め落された時、信長は援軍を出すのが大幅に遅れ、その結果高遠城は武田方の手に落ちた。これに家康は激怒し、かなり強硬に不満を伝えた。

すると信長はこの年下の同盟者に対して、多額の金銭財貨を携えて謝罪している。数年分の軍事支出を軽く賄える金銀財貨に、家康も家臣も唖然としてしまい、怒りを忘れてしまったという。

経済力の重要さを誰よりもよく知っていた信長ではあるが、このような謝罪の仕方をしたのは家康に対してだけである。外交にも派手に金をばら撒いた信長ではあるが、他の戦国大名や公家、足利将軍よりも同盟者である家康の方を重んじていたように思えてならない。

歴史家に限らないが、書面という資料を重視しすぎる日本の学界は、今少し自分の頭で考えるようにしたほうが良いと思いますね。
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論破

2023-01-30 10:22:45 | 社会・政治・一般
論破することに何の意味があるのだろうか。

多分、ネット上の掲示板2チャンネルの創設者である西村氏が多用しているからだろうが、しばしばこの論破という言葉をみかける。

断片的というか切り取り的な言い様で申し訳ないが、私はこの論破という言葉にあまり意義を見出せずにいる。おそらく相手の言い分を封じ込めたという自己満足程度しか意義がないように思うからだ。

議論を戦わせること自体は否定しない。でも議論は手段であって、議論そのものは目的ではあるまい。たとえ相手の主張を論破したところで、相手から私怨を抱かれて、本来の目的を失したのならば、無意味というよりも失策となることだってあるだろう。

私は税理士という仕事柄、税務署の調査官とこれまでかなりの議論を戦わせてきた。だが私の目的は国税調査官の主張を論破することではない。税務調査を円滑に終わらせることが目的である。

相手の主張の論理的破綻を指摘して、議論を有利に進めることもある。でも私はこのやり方は積極的には使わない。経験の浅い調査官にもプライドはある。若いと論理的正しさに固執して、その破綻を指摘されると逆切れする人は珍しくない。

私の目的は国税調査官をとっちめることではない。むしろ税制のグレーゾーンと現実との矛盾、乖離に対して共通の理解が欲しい。納得してもらった上で、申告是認を勝ち取りたい。相手のプライドを貶める必要はない。ただ一定の共感が欲しい。

実のところ、若い頃は幾度となく国税調査官を論破している。白状すると、上手いやり方ではなかったと少し後悔している。後悔した最大の理由は顧客を苦しめてしまったことだ。

私は仕事なので、別に国税調査の実地立会いは苦ではない。しかし事業を行っている顧客は違う。職場に税務署の人間が日中居ついていること自体、相当な苦痛だったのだと、後日聞かされて反省した。

師匠のS先生は国税調査の解決に時間をかけるのが当たり前の人だったので、私もそれが普通だと思い込んでいた。時間をかけて、税務署が折れることで追徴税額をゼロにすれば良い、そう思っていた。

でも、それでは十分ではなかった。顧客の苦悩に気を配るべきであった。以来、私はバランスを取りながら税務調査の仕事に対応するようにしている。税務署の主張を論破するのではなく、顧客の満足度にも配慮し、なおかつ円滑に終わらせる。

論破することは目的ではなく、結果を出すことが目的だ。これには100%の解答はない。だが、論破するよりも遥かに難しく、かつ成功すれば満足度の高いものだと思っています。
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天災から日本史をみなおす 磯田道史

2023-01-27 11:18:47 | 
古来より日本人は日記をつけるのが好きだったようだ。

これは他の国と比べてもかなり顕著な特徴だ。ほとんどの国では、日記をつけるのは少数の知識階級である。ところが日本では庶民といって良い平民でも日記を記している。これは識字率が高い上に、和紙という優秀な記録媒体が広く普及していたことも大きい。

おかげで過去における天災の詳細が伝わっている。表題の作品の筆者は過去の日記等から天災の被害を推測し、そのデーターをなんとか現代に活かせないかを模索している研究者だ。

歴史的観点からも、過去の大災害が日本の歴史に大きな影響を与えたことが分る。

私が疑問に思っていたことの一つに、徳川家康の関東移封がある。今川に怯え武田や北条と熾烈な戦いを重ねてまでして守ってきた駿河の地から、関東大湿原に移ることを秀吉に命じられた家康。

小牧長久手の戦いにおいて野戦では秀吉側の軍勢に勝った家康である。如何に30万の軍勢で北条を屈服させた直後とはいえ、なぜに関東移菅を受け入れたのか私は不可解に思っていた。もちろん秀吉は家康が反発して受け入れないことも想定していただろう。なれば30万の軍勢で家康を叩き潰す。

もともと家康の配下の侍たちは、遠江、駿河に代々居続けていた地元の侍が中心であり、揃いもそろって武闘派ぞろい。先の野戦では秀吉に勝ったとの意識も強い。一戦交えずして、関東への転属なんざ認められるか。まさに秀吉の思うままである。なのに、何故に転封を受け入れたのか。

しかし史書は教えてくれる。この天正9年は巨大台風により遠江から駿河まで高潮にやられて家康にもその家臣団にも秀吉と戦う余力がなかった。同時に関東大湿原を直に視察した家康は、暴れ川である利根川を東へ流せば、この地が豊饒な農作地になることを予見した。

ただし巨大な土木事業となった。家康から始まり完成したのは三代目の家光の時代である。しかし、その結果400万石近い増収となり、徳川幕府の財政を支える柱となった。

でもそれは結果論だ。なぜに家康は先祖代々の地から、見知らぬ関東へ移ったのか。それも都市として完成していた小田原や鎌倉ではなく、湿原地帯に浮かぶ江戸の地を本拠地にしたのか。

私見ではあるが、家康は郷里である駿河の地に限界を見出していたのだと思う。

この静岡から名古屋にかけての太平洋沿岸は、台風の直撃を受けやすく、過去幾度となく高潮の被害に遭っている。また今も昔も南海トラフから生じる地震のせいで建物崩壊や津波の被害も受けている。しかも富士山という火山の被害まであり得る。

駿河の地に留まっていては、天下統一を実現するのは難しい。さりとて京都も大阪も森林伐採により荒廃しており、首都を築くには問題が多い。その点、関東は洪水を引き起こす利根川の治水に成功すれば、建築用の建材は豊富であり、未開拓の湿原の干拓により農産物の収穫が大きく見込める。

実際、関東から東北にかけては、台風の被害が意外と少ないことが古文書から伺われる。ただ東北は地震がわりと多く、津波被害でも壮絶な歴史を持つ。日記好き、記録好きな日本人の習性は、家康に過去の災害記録から、未来への展望を与えてくれたのではないか。そんな気がするのです。

この本の著者は、過去の記録から災害の被害を最小限にすることを学ぶべきだと強く主張しています。一読の価値はあると思いましたね。
コメント (2)
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