誰に言われたのか忘れたが、NHK教育番組で放送されているセサミ・ストリートを聞くと、英語のリスニング能力が向上すると云われた。
で、やってみたのだが、さっぱりであった。だが、原因は分かっている。人形たちの話す英語よりも、字幕の方に注意を払ってしまうからである。
大人になってから、中国娘やフィリピーナたちのいるお店で飲むようになると、まったく知らないのに彼女らの話す福建語や広東語、あるいはタガログ語が片言ながら分かるようになり、リスニングに関しては十年以上勉強した英語より分かるようになった。
やはり外国語の会話は、実際に話すのが一番で、日本の英語教育のように文法とか定例文の読み書きから始めると、会話力はまるで上がらないと分かった。余談だが、私は幼少時に在日米軍基地勤務のアメリカ人の家庭の子供たちが近所にいる街で過ごしている。
敗戦国の子供に対して露骨な優越感を示すアメ公のガキどもとは、よく罵り合ったものだが、そのおかげで悪口だけは今でも良く分かる。というか、喧嘩の際に興奮すると無意識で「ガッダム」とか「ファッキュー」などど口走っていたらしい。引っ越してからの悪ガキ仲間に指摘されるまで、まるで気が付かなかった。
よくよく思い出してみると、アメ公のガキどもも「クソタレ」とか「バカヤロー」とか日本語の悪口を叫んでいた。妙なものだと思うが、相手の分かる言葉で罵らねば意味がないと、子供ながらに分かっていたのだろう。
そんな訳で罵詈雑言だけは、子供の頃からヒアリング十分であった。そして、まともな英語とは、とんと無縁であったから情けない。アメリカの幼児番組であるセサミ・ストリートは、私に馴染みのある罵詈雑言がまるで使われないのも、関心をもちずらかった一因である。
ところで、世界中で放送されていたセサミ・ストリートに登場する人形たちを映画の主役にもってきたのがマペット・シリーズである。現在7作製作されたそうだが、日本で公開されたのは二作のみ。
その最新作を映画館で楽しんできた。実は映画化されているとは、まったく知らなかった。ましてカエルのカーミットが主役だなんて、青天の霹靂である。エルモかビックバードなら分かるし、せめてクッキーモンスターじゃないのかねぇ。まァ、それはともかくも、映画自体はけっこう楽しめた。
ただ、日本での人気は低いようで、上映期間も短い。多分、セサミストーリーの日本における人気を反映しているのだと思う。実際問題、私の記憶にある幼児向け番組は、NHKのお上品な被り物とお兄さん、お姉さんが出てくるやつか、ャ塔Lッキぐらいなものだ。
だから、この映画が楽しかっただけに、いささか残念な気がする。今月中に上映終了だと思うが、もし機会があったら是非どうぞ。
まだ確定ではないが、どうも消費税の増税が延期されそうである。
今年春以降の景気は、明らかに下降傾向にあるので延期は望ましいかもしれない。まァ、選挙の結果次第だとは思うが、雰囲気的には延期に決まりそうな気配が濃厚だ。
どうなるかは不明だが、改めて消費税増税を考えてみたい。
少子高齢化と停滞した社会を抱えた日本にとって、国家歳入の柱であった法人税と所得税は、この先先細りが予測できる。ただし日本は蓄えた膨大な金融資産を有する国であり、その安定した社会ゆえに外国から人、モノ、金の導入を図る余地が十二分にある。
したがって21世紀の日本の税収の柱は従来の直接税(法人税、所得税)ではなく、大型間接税(消費税)こそが相応しい。それが分かっているからこそ、財務省はスケジュールにのっとって増税プランの実行を政権に迫る。
基本的には、それは正しい方向性だと私は考えます。
しかし、消費税を増税するのなら、直接税の減税も同時に進めるべきだとも考えています。なぜなら、消費税の納税負担は非常に重く、既に滞納が相当数発生しているほどです。
ところが、法人税減税はされても、個人の所得税負担の軽減はまるでされていない。それどころか社会保険料(税と同様だぞ)は増えるばかり。当然に個人の実質所得は減少する。結果、個人は財布を引き締めるから、消費が減少するのは必然。これが景気の冷え込みに大きな役割を果たしている。
消費税という大型間接税を増税する以上、直接税の負担を軽減するため、法人税、所得税、住民税の減税に加えて、社会保険(消費税で充当するはずでは?)の減額も必要。
ここまで踏み込まなければ、私としては素直に消費税増税を支持する気になれません。
それなのに、新聞やTVといった大マスコミ様は財務省の広報誌と化して、消費税増税を支持し、法人税減税だけで誤魔化すことを容認している。
外交に力を入れている安倍首相だが、そろそろ国内にも真剣に目を向け、財務省の言いなりになるのは止めたほうがいいと思います。そして、なによりも財務省の広報誌と化している新聞、TVなどの大マスコミ様は、役人から渡される資料の横流しではなく、地道な取材をして判断したうえで報道して欲しいものです。
二十歳ぐらいの頃、海外で一人で暮らしてみたいという願望は持っていた。
別に家族を嫌った訳でもなく、日本を嫌った訳でもない。ただ単に山登りがしたかっただけだ。写真や映画、TVなどで見る海外の自然の壮大さ、華麗さ、重厚さに憧れは持っていた。
だが、決定的だったのはアメリカはイエローストーン国立公園にあるヨセミテの花崗岩の岩壁だった。あの岩に登りたい、それもフリークライミングで登りたいと切望したのは大学4年の時であった。
当時、就職活動をしながら、密かに海外の山の情報や、海外で暮らす方法などを模索していた。就職面接では希望に燃えて御社で働きたいなどと言っていたが、本心では数年働いて金を貯めたら、会社を辞めて海外へ岩登りの武者修行に行くつもりであった。
その夢は難病により打ち砕かれてしまい、海外どころか十年後に生きているのかさえ分からない絶望的状況へと追いやられた。二年余りの病院の入退院を繰り返した挙句、ただ薬を飲んで寝ているだけの自宅療養の日々。
この無為の日々は、夢想にふける日々でもあった。
身体を壊さなければ実行したであろう海外岩登り修行の旅と海外暮らし。基本的にお喋りで、一人でいるより寄り集まった状況を好むから、片言であろうと海外でも仲間を作り、なんとか暮らしていたと思う。
私は根拠なき楽天家なので、世の中なんとかなるもんだと思い込んでいる。性格という奴は、そうそう変わらない。悪がきどもとつるもうと、真面目なお坊ちゃんお嬢ちゃんたちと共に過ごそうと、私はいつだって同じように生きてきた。
だから、大人になっても、相手が外人だろうとなんだろうと、なんとかやっていけるはずだと思い込んでいる。もし、私が本当に海外暮らしをしていたのならば、この無節操な楽天家気質ゆえに、案外と外国人と家庭を築いていたかもしれない。
そんな夢想を弄びながらも、現実には税理士試験の準備を重ね、療養後の堅実な人生設計を実行するあたりが、私の厭らしさである。如何に夢を見ようと、論理的かつ実効性の高い生き方を選択してしまう。
たぶん、夢は夢のままで終わるのが私の人生なのだろう。
表題の著者ヤマザキマリは、特段海外に憧れたいたわけでもなく、偶然と偶発的出会いで海外で絵を学び、気が付いたら海外で出産し、生きるために漫画を描きだした。
別に海外暮らしを夢見たわけでもなく、外国人と家庭を築く夢も持ち合わせていない。ただ、目の前の現実に合わせて、自分なりに生きているうちに、気が付いたら海外暮らしと外国人との家庭を持ってしまった。
逞しいというか、適応能力の高さに驚かされるが、反面計画性のなさには呆れるしかない。行き当たりばったりの人生だと思うが、冷静に顧みれば私自身、まったく予定外の人生を送っている。
私は運命論者ではないのだが、人の生き方って運命としか言いようのない不条理に満ちていると思う。出来るならば、不満を抱え込むのではなく、その不条理を楽しめる人間になりたいものです。
少数派は選挙がお嫌い。
来月に予定されている衆議院選挙に対し、大義なき選挙だとマスコミは非難するが如何なものか。
民主主義は、多数決原理をもって事を決する。多数が支持した意見が正しいと仮定して政治を決めることこそが、民主主義の要諦である。
だから政権を握る与党が、自らの有権者からの信任を問うて選挙をすることは立派な大義である。今回でいえば、消費税増税延期とアベノミクスへの信を問う立派な大義名分がたっている。
正直唐突な気はするし、迷惑な気もしている。
12月の選挙はお歳暮戦線に悪影響を与えるのは確実だし、本来12月に公表される平成27年度の税制改正大綱も先送りが濃厚だ。第一、予算案が組めないばかりか、審議されるべき法案の大半が廃案となってしまう。
更に付け加えるのなら、この選挙は安倍政権の延命狙いである。まず間違いなく自公で過半数はとれるだろう。アベノミクスに対する不満は、かなりあると考えているが、反面野党がだらしなさ過ぎて、期待をまったく抱かせない。
おそらく低投票率での自公政権の勝利で終わる。それが分かっているからこそ、大手マスコミは大義なき選挙だと非難するのだろう。新聞TVが期待する非自民政権が樹立する可能性は、非常に低い。だから、そんな選挙は受け入れがたい。
なんのことはない。大義なき選挙だと批判する側にも大義はない。せいぜいが足の引っ張り合い選挙であろう。
それでもだ、やはり選挙は必要だと思う。
昔からそうだが、政治家は霞が関の方を向いて仕事をしがちである。本来、立法が仕事の議会だが、事実上行政(役所)の力を借りねば法律を作ることが出来ない。むしろ役人の作った法案を認めてやるのが、議員の役割と化しているのが日本の議会政治である。
そのことが良く分かったのが、あの民主党政権時代であった。おそらく、もし現在も民主党政権が継続していたのなら、消費税はスケジュール通りに来年10月に10%に増税していただろう。
民主党というのは、庶民の味方面をしてはいたが、庶民の声に耳を傾けない傲慢なところがあった。その点、衰えたりといえどもドブ板選挙の伝統を持つ自民党は、庶民の声を拾うことに熱心だ。
だからこそ、財務省から嫌われようと消費税増税延期を決断できたのだろう。現在の景気を虚心にみれば、その判断は正しいと私は思う。
私は株価と土地の取引しか活性化せず、大企業の利益と役人の給与しか上げていないアベノミクスにかなり懐疑的だ。しかし、自らの狭義な理想の実現しか頭になかった民主党政権よりは、はるかにマシだとも思っている。
選挙の予想は苦手だが、とりあえず自民で単独過半数を維持できれば、それで私は構わない。
今回の選挙を批判する野党及び非自民政権を望むマスコミ様は、なぜに自分たちの主張が支持されず、少数派のままなのかこそ真剣に考えるべきでしょう。
何度か書いているが、私は高校生の頃にパチンコをかなりやっていた。
一番多く通ったのは、地元三軒茶屋のHというパチンコ屋であった。ここで遊ぶ常連客は、子供の頃から銭湯での顔見知りが多く、私としては安心して楽しめる場であった。
その日は、既に冬休みで牛丼屋のバイトも休みであったので、夕方からパチンコ三昧であった。出玉の良い台に当たり、小遣いとしては十分なあがりであった。閉店間際に、よく銭湯で会うKさんに誘われて、焼き鳥屋で一杯飲むことになった。
その時、焼き鳥屋で同席したのがKさんの知人であるBさんで、古くからの知り合いのようだった。銭湯でもそうなのだが、その日もKさんのパチンコ必勝理論を聞かされることになった。
私としては耳にタコが出来るほど聞かされている話である。それは知人のBさんも同じようで、話題を変えるためかBさんは、当時騒ぎになっていた蛇崩川沿いの再開発の話をし出した。
違法建築が立ち並ぶ川沿いの安アパートを撤去して、そこにマンションを建てる計画が進んでいるのは、私も小耳にはさんでいた。あのオンボロ長屋も無くなるのかと尋ねたら、Bさんは「いや、あそこが一番難しい」とのこと。
Bさんによると、あのオンボロ長屋の人たちは、あそこを出されると他に行く場所がないようで、いくら金を積んでも頷かないそうだ。仕方ないので、地主が代替のアパートを用意しようとしているらしい。
私は思い出して、ドブ婆の家も立ち退きの対象なんですか?と訊くと、Bさんは目を丸くして「ドブ婆って、まさか拝み屋のS子のことか? ひでえ言い様だなァ」と苦笑している。
そして私を正面から見つめて「あれは苦労した女で、そんなに悪く言うものじゃないぞ」と私をたしなめた。驚いた、私はこれまでドブ婆のことを良く言う人に会ったことがなかったからだ。
Kさんも興味が湧いたようで、「あの拝み屋はS子っていうのかい。初めて聞いたぞ」と驚いた様子であった。そこで私たちはBさんから、ドブ婆の半生を教えてもらった。
ドブ婆は戦前、医師であるご主人が大陸で開業した産科医院の手伝いをしていたそうだ。看護婦ではなく、助産師であったようだが、そこで事件が起きた。ある出産で母子ともに亡くなってしまったのだ。それを恨んだ夫であるシナ人が医院で暴れて、ご主人は殺されてしまった。その際に止めに入ったS子夫人とももみ合いとなり、気が付いたらそのシナ人も死んでいて、夫人も大怪我を負った。
当時、けっこう話題になったそうで、その頃ハルピンに居たBさんも同郷会からの連絡で知ったそうだ。Bさんと産科医であったご主人は、年は離れていたものの同郷の出であったので、S子夫人のこともよく覚えていたそうだ。収監されたS子さんへの嘆願書の署名運動を手伝ったこともあるそうだ。
その後、日本の敗戦と混乱の最中でBさんは、命からがら帰国したので、その後のS子さんのことは分からなかった。ところが東京オリンピックに相前後して東京に出てきて住み着いた三軒茶屋の町で偶然、S子さんと再会。
もっとも外見の変わり方が激しく、当初は分からなかったとBさんは言う。ある屋台で大騒ぎしている女性がいて、どこかで聞いた声だと思ったら、泥酔していたS子さんであった。
その時、介抱がてらに酔っていたS子さんから、助産師の資格を取り上げられたことや、水子に悩む女性のための相談の仕事をしていることを、涙ながらに聞かされた。
既に家族を抱えていたBさんは、気にはなったが深入りすることも出来なかった。ただ数年に一度、飲み屋街で偶然再会する程度の付き合いであったが、偶然に彼女が裏で堕胎の仕事をしていることを知り、愕然として問い詰めた。
問われたS子は、冷然と煙草を吹かしながら、「望まれぬ赤子をあの世に送り返すのは、私の義務なのよ」と答えた。そして、誰にいうともなく「あたしは、だから幸せになってはいけないの。どぶ川の傍らで蔑まれて生きていくのが、あたしの使命なのよ」と消え入るような声でつぶやいた。
それを聞いたBさんは、なにも言えなくなってしまった。かつては助産師として幾多の命をこの世に送り出してきたS子の変貌を責める気持ちは失せてしまった。
私もKさんも、黙り込まざるを得なかった。その沈黙を破ってBさんは「蛇崩川の再開発は当分無理だと思うよ」と呟いた。ザリガニという生き物の命を平然と弄ぶ子供たちを、ドブ婆が嫌った訳が少し分かった気がした。
数か月後、私は高校を卒業すると同時に引っ越してしまい、その後は疎遠になってしまった。だから10年近くたって再訪したとき、既に私たち家族が住んでいた公務員住宅はなく、蛇崩川は地下に埋設され、オンボロ長屋は姿を消して瀟洒なマンションが立ち並ぶようになっていた。
かつて、この町に貧困と暴力と、愚かさと哀しさが入り混じった雑多な場所があったことを気附かせるものは、何一つ残っていなかった。私は郷里を失った気がして、その後は訪れることを避けるようになったほどだ。
表題の著者である山本周五郎は、我は大衆作家であると広言し、庶民の立場に立った多くの小説を世に出している。上から目線で貧者を教導する傲慢さはなく、マルクス主義者のように貧者をみずからの政治思想の立場から利用することもない。
ただ、大衆と同じ目線に立って、その逞しい生き方、汚らしい生き方、哀しい生き方を淡々と小説に書きだしている。表題の作品は、まさに代表的作品の一つだ。私はあれほど貧しくもなく、哀しくもなく、逞しくもなければ、汚らしくもなかったと思うが、そんな人生があることは知っていた子供であった。
だから周五郎の作品を読むと、あのころを思い出さずにいられない。いまさらですが、ドブ婆が静かにその余生を終えたであろうことを願わずにはいられないのです。