ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

稚拙な税制改正(役員報酬)

2007-10-31 09:34:02 | 経済・金融・税制
困ったものだ。

昨年の会社法の大改正により、簡単に会社が作れることなった。儲かる仕事を個人でやれば、儲かれば儲かるほど税金が高くなる個人の所得税を嫌っての会社設立は、従来からの定番だった。

会社に収入を入れて、社長として給与をいっぱい貰って経費に落として、利益を小さくしての法人税節税は、これまでも当然になされていた手法だった。

会社設立が簡単になったことで、法人税の減収を恐れた財務省は、昨年会社法改正と併せて法人税法改正を行った。一つはオーナー社長の給与の損金算入制限。もう一つが役員報酬の支給形態への制限だった。

このもう一つが、昨年以来悩みの種となっている。

役員に対する給与(役員報酬)は、従業員に対する給与とは法的性格が異なる。雇用契約に基づく従業員給与に対して、株主からの委任を受けての報酬となる役員への給与は、株主総会での承認を受けて、取締役会で決められる。

しかし、株主=経営者である中小企業では、事実上経営者の思うがままに役員報酬は決められていた。儲かれば報酬をアップするし、赤字ならダウンするが、一方法人税を払いたくないがゆえの高額報酬が維持されることも少なくない。

従来、国税当局は役員報酬を税金回避の手段とみなして、厳しくチェックしてきた。その典型が過大役員給与の損金不算入規定だった。しかし、この規定は滅多に適用されない。なにが過大であるのかを認定するのが、極めて難しいからだ。

そこで、財務省のお偉方は知恵を絞った。役員報酬の支給形態に縛りをかけろ、と。役員に賞与(従来は禁止)も出していいよ、但し一年前に届け出てね。届出通りでないと認めないよ(課税するぞ)。これを事前確定役員報酬と言う。予算会計の官公庁ならまだしも、市場経済の波に煽られる民間企業。しかも弱小の中小企業に、一年さきの収益見通しをさせて、その通りに支給しないと課税するといった、実に傲慢な規定だ。

業種によっては、使える会社もあるが、やはり少数に留まる。あまり使い勝手のいい制度ではない。だから、これを使う企業は非常に少ない。

現場を知らない財務省のお偉方は、更に妙なことを言い出した。役員報酬は、株主総会で一年分を事前に決められるものなのだから、当然毎月同額の支給がされるはず。期中で勝手に上げたり下げたりしたらオカシイ。だから、定期同額に支給されるなら認めましょう。でも、不当に上げ下げがあったら、それは利益操作だから認めない(課税するぞ)。これを定期同額役員報酬と言う。

これが、昨年以来税務の世界に波紋を投げかけ、混乱と困惑とを拡散させた原因となっている。

例えば、従来景気が悪く社長の給与を半分にして50万円支給していたとしよう。もう何年もその状態が続いてきた。しかし、ようやくリストラの効果も出てきて、資金面で余裕が生まれた。でも元の100万は厳しい。そこで資金繰りを考えて月70万円に昇給した会社があったとしよう。

改正税法は決算後、3ヶ月以内の増額なら認めるという。でも、それを過ぎての増額は認めないと言う。昨年国税庁のHPに公表された当初の質疑応答では、50万はもちろん70万の支給も一切認めないと厳しい見解が記載されていた。まあ、条文をそのままに解釈すれば、そのような回答になると思う。

思うけれど、それはあんまりじゃないか?そう思ったのは企業経営者や税理士、会計士だけではなかった。実際に行政実務を担当する税務署の職員までもが疑問を投げかけた。そんなに厳しかったら、企業は抵抗するし、私らの仕事もはかどらないよとの恐れが、彼ら税務職員を動かしたようだ。

全国の税務署から寄せられた質問に根を上げた国税局は、今年3月遅れに遅れた通達を発令した。その昨年12月の質疑応答によると、上記のケースならば、50万と70万の差額、20万円が損金不算入となると言う。感覚的には納得しやすいものだった。

でも、法人税法のどこをどう読んだら、そのような解釈になるのか、私にはさっぱり分らない。

この秋から新年度の税務調査が行われているが、未だに役員報酬でもめた話は聴かない。どうも、税務職員は意図的にスルーしている印象がある。噂だが、国税局から財務省に相当な抗議、愚痴(?)が投げ込まれているらしい。察するに、役員報酬の制限の改正をする際、国税局とのすりあわせを十分にしなかったらしい。

いくら法律を合法的に作っても、末端の役人がやりづらい法律は、やはり無理があると思う。まだ施行されてから2年足らずの改正なので、この先どうなるか分りません。どうも拙速に過ぎた印象は否めません。

ただ、悪法であっても法は法。これを恣意的に運用されたら困る。しかしまあ、こんな稚拙な税法作るなよ。困ったもんだ。
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「ナバロンの要塞」 アリステア・マクリーン

2007-10-30 14:01:09 | 
小学生の頃、子供たちだけで初めて見に行った映画がこれだ。

転校の多かった私だが、世田谷の三軒茶屋に越してからは、高校卒業までこの街で過ごすこととなった。けっこう賑やかな繁華街のある街で、渋谷まで近いわりに商店街が多く、名称の由来である三軒のお茶屋がどこにあるのか分らないくらいだった。

また大学が幾つかあったため、飲み屋やスナック、ビリヤードなどの店も多く、なにより映画館が4箇所もあった。もっとも、うち一つは日活のロマン・ポルノ専門であったため、興味はあれど近づけなかった。

残り3つのうち、二つは東映と大映の専門で、普段はヤクザ映画専門で時折アニメ映画をやっていたと記憶している。そして、私が最も頻繁に通ったのが、3本1200円の洋画専門の映画館だった。子供は900円だったかな?

小学校の先生が、わりとさばけた人で、映画を子供たちだけで観に行くことを禁じないどころか、勧めている節があった。一人で行くと、入り口の切符切りのおばさんに睨まれたが、6人くらいでまとまっていくと、なぜか簡単に入れてくれた。

行くのは、大概が土曜日の午後だ。学校から一度帰宅して、小遣いを握り締めて映画館の前で待ち合わせたものだ。あれは4年の冬だった。転校後、徐々にクラスの連中とも馴染みだした頃、誘われて映画に行くことになった。

大人抜きで映画を観るのは初めてなので、入る前からドキドキしていたことは良く覚えている。一つ目が表題の映画作「ナバロンの要塞」だ。グレゴリー・ペック主演の戦争ものだった。もっとも私は冒険ものだと思って観ていたと思う。

2つ目が「いちご白書」これは先生のお勧めだった。学園紛争ものを勧める先生って、どうかと思うが、当時はよく理解出来なかったと思う。三つ目は「小さな恋のメロディ」だった。もちろん、女の子たち大興奮。白状すると、私はかなり目を閉じていた。だって、恥ずかしいのだもの。

今にして思うと、凄い組み合わせだ。6時間近く映画館に居たのだが、終わると皆駆け足で家に帰ったものだ。遅くなって、親に叱られるのは真っ平だし、先生に苦情がいくと、映画を観れなくなる恐れがあったからでもある。すぐに帰宅することが、先生との約束だったからだ。

映画を先に観ていたのだが、実は原作があることなんて全く知らなかった。5年以上たってから、中学の図書室でマクリーンの単行本を見つけた時は、本当に驚いた。映画の印象が強かったので、本は面白いのか?と疑問に思いながら読み出した。

ところがビックリ。映画に負けずと面白かった。読み出して数時間で、一気に読破した。いや、映画での興奮を上回るものがあったと感じていた。その後、TVで映画版を再び観たが、やはり本のほうが面白いと思った。映像はたしかに興奮を誘うが、やはり傍観者である感が否めない。しかし、本は違う。自分が参加しているかのような臨場感が味わえる。登場人物と一緒になって、緊張感を味わえる。自らの脳裏に描くイメージの鮮烈さは、映画の映像を超えることがある。

では、映画は不要か?いや、そうでもない。映画監督の紡ぎ出す映像は、別の角度からみたものだし、それはそれで面白い。原作と比較するのは、あまり好まない。別物として楽しむようにしている。私が初めて映画と原作の両方を味わった作品が、このマクリーン初期の傑作であったことは、ある意味とても幸運だったと思います。

だって、駄目な映画化かなりあるからね。
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「飛孤外伝」 金庸

2007-10-29 09:43:13 | 
日本人を知りたかったら、寅さんの映画を観ろ。

誰が言ったか忘れたが、たしかに一理あると思う。日本人の家族観や、トラブルの時の対応の仕方など、日本人独特と思われる習慣などをよく表していると思う。では、中国人を知りたかったらどうする。私は金庸の小説を読めと言いたい。

香港出身の武侠小説の大家、それが金庸先生。台湾はもちろんのこと、大陸でもベストセラー。世界各地の華僑の町に行けば、必ず金庸の本は置いてあると言われている。私が初めて読んだのは、かれこれ10年くらい前だが、驚いた、驚いた。

中学時代に吉川英治の三国志にはまって以来、中国ものには随分目を通してきたつもりだったが、実社会で中国人を知るようになると、それとはなしに感じる違和感。

私は金庸先生の本を読んで、ようやく中国人が異世界の人間だと理解できた。「信ジラレナイ~!」と叫びたくなるほどの驚き。こんな考え方する民族、他にいませんぜ。

同じ血族であり、武術の先輩後輩として、敵と肩を並べて戦う一方で、その友人の姿を見ながら「こいつの弱点は、防御の型が上半身に偏ることだな」などと冷静に観察する。互いに背中を合わせて戦うが、「こいつを裏切るとしたら、どのタイミングだろうか」などと心の片隅で模索する。

結局、信じているのは自分だけ。エゴイズムなんて言葉が清々しく感じるほどの自己中心主義。そこまで相手を信用できないのか。当然に政府だとか、役人なんか信じる気もない。だからこそ、武侠の世界で生きる人たちに憧れるのだろう。

中国における武侠という言葉は、日本のやくざとは本質的に意味が異なることが、ようやく理解できたと思った。国家とか、官僚とかは、まったく信用してなくて、自らの武力と智謀だけを用いて勢力を築く武侠の世界こそが、中国人が真に尊敬する存在なのだから、日本とも西欧とも違う異世界そのもの。

率直に言って、同じ人間とは思えない。私は欧米に限らず、世界各地の小説、昔話、説話などを読んだが、同じ人間である以上、そこには合い通じるものがある。しかし、金庸の武侠小説が描く登場人物たちの思考法は、まるで異世界の住人のものだ。

なにより驚くのは、その金庸の小説を世界中の中国人が読み、納得していることだ。彼ら中国人が、金庸の武侠小説の登場人物たちに憧れを抱くのだから、恐ろしいと思う。

中国人の頭の中を知りたいと思ったら、是非一読をお勧めします。
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「ドクタースランプ」 鳥山明

2007-10-27 14:38:45 | 
デフォルメの上手さという点では、当代随一だと思う。

単に縮小するだけではなく、特徴を残しつつ、しかも可愛らしさや雰囲気を強調させた絵柄に仰天した。表題の漫画は、TVアニメ化され、大人気を博した。タイトルの博士(一応、主人公なのかなぁ?)よりも、その創造物であるロボット、あられちゃんは子供から大人までを惹き付けた人気キャラだった。

白状すると、ストーリーはほとんど記憶に残っていない。子供型ロボットや、おかしな登場人物のドタバタ劇だと思うが、とりわけ好きであったわけではない。

しかし、その絵柄の上手さは忘れ難い。デフォルメされたゴジラには、牙も背びれも、ひだひだも細緻に書き込まれているが、それでいて可愛らしさが表現されている。従来のコメディー漫画にはなかった、細部までの書き込みも凄かったが、なによりもその表現力の豊かさに圧倒された。

戦車は、子供サイズに縮小されているのに、キャタピラは細緻に書き込まれ、キャラキャラと音を立てて走る様には、下手な劇画が逃げ出すほどの表現力があった。それを無造作に投げ捨てるアラレちゃんは、無邪気に強い。

当時の劇画ブームのなかで、ポジションを下げつつあったコメディー漫画を一気に引き上げた功労者でもある。この人の絵の上手さに圧倒され、スランプに陥った漫画家が続出したとの噂があったほどだ。

当時、十代であった私は時折スケッチブックに絵を描いていた。たまには漫画チックなイラストを描くこともあったが、鳥山明の絵を観て以降、自身の才能のなさを痛感してイラストは辞めてしまった。素直な素描に逃げてしまった。そのくらい、衝撃的であった。

その後の「ドラゴン・ボール」の大ヒット以降、ほとんど漫画を描かなくなった著者だが、TVゲームのイラストなどでも十分食べていけるようだ。もう、漫画を描く情熱を失くしたのかもしれないと、私は考えています。言っちゃなんだが、ジャンプ編集部に使い潰された気がする。ちょっと残念に思う次第。

漫画でなくてもいいから、復活を望みます。童話のイラストなんて、どうかな。きっと上手いと思うのだけど。
コメント (13)
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「わたしの生涯」 ヘレン・ケラー

2007-10-26 09:35:20 | 
最近、毎朝むかついている。

私はいつも渋谷駅で電車を乗り換える。井の頭線の改札前の細長いスペースに掲示された看板が、むかつきの原因だ。

「ハチ公から太郎へ」だと!

馬鹿言うな。誰がなんと言おうと、渋谷はハチ公だ。ちなみに太郎とは、芸術は爆発だ、で知られる岡本太郎氏のことのようだ。

別に芸術家である故・岡本太郎に文句はない。どうせ、どっかの広告プランナーだとか、コンサルタントとかが渋谷のイメージ戦略の一環として、岡本氏の名前を使っているだけだろう。何を目的としているのかは知らないし、知る気もない。

でも、声を大にして言いたい、叫びたい。渋谷の象徴はハチ公だ。パルコも109もマークシティーも、ハチ公には遠く及ばない。モアイ像も公園通りも、コギャルもハチ公にはかなわない。

帰らぬ主人を待ち続けた忠犬ハチ公の話に胸を打たれた人は数多居る。日本だけじゃない。三重苦の偉人で知られるヘレン・ケラー女史もその一人だ。わざわざ日本から直輸入した秋田犬をペットとして飼っていたことは、知る人ぞ知る有名な話。ちなみに盲導犬としてではなく、ペットとして家族の一員同様に可愛がっていたそうだ。

どうだ。やっぱり渋谷のシンボルはハチ公だ。あれ?なんの話だっけ・・・

子供の頃読んだ偉人伝でも、非常に印象深かったヘレン・ケラーだが、さすがに今となっては彼女への非難があることは承知している。それでも、つくづく思うのは教育の重要さだ。人間は教育を受けてこそ、人間になる。

障害者の誰もがヘレン・ケラーのように生きていけるわけではない。障害を武器にしているとの誹謗があるが、それがどうしたと思う。美貌を武器にする人もいれば、腕っ節の強さが武器な人もいる。手八丁口八丁も十分武器になる。

ハンデを抱えて生きていくのは、決して容易ではない。そのハンデを武器に変えて社会事業家として生きた彼女の生き様は、生半可な非難を受け付けない強さを感じる。

自ら抱えた不幸から、自分を悲劇の主人公扱いして陶酔するのではなく、持てる手札の限りを尽くして生き抜く彼女の人生には、どうしても圧倒されてしまいます。
コメント (6)
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