ヌマンタの書斎

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「会計学一般教程」 武田隆二

2008-03-28 09:27:29 | 
志が低いと、気がつかないことが沢山ある。

私は学校とは、社会に出るための途中経過に過ぎないと考えていた。勉強とはその学校における評価の手段であり、実社会で役立つものではないと、端から見下していた。

だから、勉強の先にある学問に気がつかなかった。試験で良い成績をとるだけで満足して、その先があることを想像にだしなかった。

皮肉な事に、私が学問の面白さに気がついたのは、税理士の国家試験の勉強の最中だった。資格試験という奴は、実に退屈な勉強で、暗記と反復練習さえ十分やれば合格できる。その退屈さに耐えうる者だけが、合格の栄冠を勝ち取る。

税理士試験の勉強もその原則にたがわず、実に退屈な勉強であった。しかし、一科目だけ色合いの違う科目があった。それが財務諸表論、いわゆる会計学だ。

表題の本は、当時の税理士試験の問題を作成する武田教授の書かれた会計学のテキストだ。大学で経済学科に籍を置いていた私も、似たようなテキストを読んでいたはずだが、当時はその中身を8割がた分っていなかった。

試験合格のため、このテキストを徹底的に読解するようになり、そこで初めて会計学の面白さを知った。まさかこれほど面白い分野だとは、予想だにしなかった。

断っておくが、この面白さを分るレベルに達するには、最低でも日商簿記1級程度の素養は必要だ。その上で、会計諸原則を諳んじる程度の基礎学力が求められる。このレベルに達するだけで、最低半年は、猛勉強が必要となる。

怠け者の私の場合、試験合格という目標があったからこそ、この退屈な基礎勉強を我慢できた。大学時代は、見向きもしなかった癖にね。

この退屈極まりない基礎を終えて後、ようやく会計学の面白さの一端を知ることが出来た。喩えて言うなら、展望のない樹林帯の急な稜線を長時間上り詰めた後、突然快適な高山の展望が開けたと称するべきか。

今にして思うと、十代の頃の学校の退屈な勉強の大半は、学問のレベルに達するまでの途中経過に過ぎないわけだ。その基礎固めがなければ、到底理解しえない面白さが存在するとは、なんて意地悪な仕組みなのだろう。

既に私は税理士という実務家への道を決めていたので、学究の道を進むことは断念した。しかし、もしもう一度人生をやり直せるならば、学究の道へ進むことを望みたい。でも、やるとしたら歴史学か生物学だろうな。会計は必要だから勉強しただけで、やはり好んで学びたい分野じゃない。

私の子供時代には、勉強を教えられる人はいても、学問を教えられる人はいなかった。過去を悔いるのはあまり好きではないが、それでも多少の悔いは残る。だから、今の仕事を引退したら後、社会人大学にでも通って、勉強したいと考えています。唯一心配なのは、その時それをこなせるだけの体力が残っているか、ですね。
コメント (4)
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