ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

寒波到来

2016-01-29 12:04:00 | 日記

久々の寒波は、身体にこたえる。

日曜日の深夜に車で出かけて、用事を終えて帰宅の途についたのは、草木も眠る丑三つ時であった。その時の外気温は、0度であった。濡れた路面なら凍結するし、とりわけ橋を渡る時は凍結路面に注意が必要である。

なにせ、まだノーマルタイヤのままなのだ。スタッドレスの交換は、予約を入れてあるが、未だに連絡がない。かなり混み合っているようなのだ。仕方なく、いつもより2割ほど、スピードを落として、深夜の幹線道路を慎重に走らせる。

すると、ナビから路面凍結の警告が出る。思わず外気温計表示を見たのだが、驚いた。表示されていた数値は、マイナス6度である。俄かには信じがたいが、おそらく事実であろう。

目についたコンビニの駐車場に、車を入れて、一応タイヤを確認しておく。空気漏れはないようだし、不審な点もない。ホッとしたのもつかの間、あまりの寒さに耳が痛くなる。

コンビニに飛び込み、温かいコーヒーを買って、車へ戻る。ふと、空を見上げると、怖いほどに深い蒼さの星空であり、満月が輝いてみえた。あと3時間あまりで夜明けだが、これほど夜空が明るいと、少し怖いと思ってしまう。

あれは高校3年の冬の今時分であった。高校のワンゲル部では岩登りと冬山登山は禁止されていた。しかし、抜け道があって、OBと一緒ならば学校に無断で行くことが出来た。

私が高校入学時には既に社会人であったAさんの更に先輩にあたるY氏に誘われて、関東北部の山に登った時のことである。一番下っ端の私は、荷物持ちであり、食事当番であり、雑用係である。これは致し方ない。

社会人山岳会でバリバリに登っているY氏の先導は確実で、まったくトレースのない雪の山を、確実に登っていける。私が読図の大切さを教わったのは、この時の経験が大きい。

なにせ、樹林帯を抜けた高原は、一面雪で真っ白であり、積もった雪がなだらかに広がるばかり。どこを歩いたらいいのか、さっぱり分からない。不安になるほどの広陵とした風景なのだ。

しかし、Y氏は地図とコンパスで、的確にルートを指示してくれる。おかげで予定通りに、避難小屋にたどり着いた。誰もいなかったから、いささか寒々しいが、コンロでお湯を沸かすと、狭い小屋も住めば都。実に快適なものであった。

Y氏は夕方になると、ラジオを聴きながら、手書きの天気図を書き上げて、明日も晴天だと教えてくれた。実に頼もしい先輩であり、いつかは私もこんな山屋になりたいと思っていた。

夕食の後は、紅茶にブランデーをたっぷり入れて、歓談した。真面目な話から猥談まで話は尽きない。途中、尿意を催して、外のトイレに行くと、空は一面星空であり、満月が煌々と輝いていた。

その美しさは尿意を忘れるほどであり、氷点下の寒さにも関わらず、私はしばし夜空を呆けたように見続けた。あまりに長かったので、不審に思ったAさんが、扉を開けて様子を見に来た。

あまりに夜空が美しいからと返事すると、Y氏も出てきて、三脚にカメラを設置して、写真を撮りだした。西ドイツ製の高級カメラであり、初めて間近に見ることができた。

温度計は氷点下13度であった。寒いはずである。寒さに震えながらも、夜の光景の美しさを堪能して、再び小屋に戻る。身体が冷えているので、コンロでお湯を沸かし直して、再びブランデー入りの紅茶を飲む。

話題は、自然と美しい夜空の話となる。すると、Y氏が「夜の雪原は怖いゾ」と呟いた。私とAさんは、顔を見合わせて、なにがですかと問うと、話してくれた。

Y氏には年の近い弟さんがいたそうだ。その弟さんは写真部に入っていて、よく山の写真や、星空の写真を撮っていたという。いつもなら、Y氏と一緒に行くのだが、当時大学の山岳部に入って、長期の合宿で北アルプスに入山していたので、弟さんは一人で地元の山へ登った。

山といっても、標高は500メートル足らずの丘であり、ハイキングどころか、地元の子供たちの遊び場的な山であった。ただし、積雪量は結構あるため、冬場は、滅多に人の入らない山であった。

一度、山稜を登ってしまえば、後はなだらかな丘陵であり、秋になるとススキが一面に舞う光景が素晴らしい。そして冬になると、雪原と星空が美しいので、弟さんは、しばしば一人で登って、写真を撮っていたそうである。

いつもは、小さなテントを持ち込んで、一晩泊まり、星空の写真を、じっくりと時間をかけて取り、翌日の昼には帰宅していた。ところが、その時に限って、帰ってこなかった。

天気は快晴続きであり、風も穏やかで、高校生ながら登山の経験も十分あった弟さんである。家族は、不安を感じながらも、夜まで待った。しかし、一向に帰宅してはくれなかった。

高校の写真部の顧問に連絡を取ると、大慌てで警察や、地元の山岳会に連絡をとり、急遽捜索が始まった。しかし、見つからなかった。町では快晴続きであったが、山の上では雪が降っていたようで、残っているはずの足跡がかき消されていたのが、捜索が難航した原因であった。

北アルプスを下山したY氏が家に電話すると、すぐに弟さんの行方不明を聞かされて、大慌てで帰宅した。着替えもせずに、すぐに捜索隊に加わったが、ダメであった。

帰宅した翌日から吹雪いてしまい、捜索も中断せざる得なかった。半狂乱の母をなだめ、雪が止むのを待って、再び捜索したが、やはり発見できなかった。下世話な話だが、資金の問題もあった。

山岳遭難の場合、捜索費用は行方不明者の家族が負担する。既に貯金を使い果たし、後は田畑を売るしかなく、父母は農業委員会に急遽農地の売却を相談したが、すぐに金が出来るわけもなく、捜索は中断となった。

当時、大学生であったY氏は、毎日のように山に登り、一人探してまわった。が、降り積もる雪が、弟さんの痕跡をすべて消してしまった。いったい、どこに居るのか。既に生存は諦めていたが、遺骸だけでも見つけたかった。

週に5日は、その山に入り、ひたすら弟さんを探す毎日であった。春になり、雪が溶けるのを待つしかないのか、そんな焦りとは裏腹に、雪原は美しい。その美しさに憎しみさえ感じる。

一人用のテントを張り、その夜も捜索に疲れた身体を横たえて、いつしか眠りについた。夢を見たと思う。

「兄ちゃん、おぶってくれ」幼き日の思い出であろうが、その声すら生々しく感じ、思わず目が覚めた。寝袋から顔を出して、腕時計を見ると、まだ深夜3時であった。

急に妙な予感がして、テントを飛び出した。いや、テントを動かすと、憑かれたように、その場所の雪を、携帯スコップで掘り起こした。時間のたつのも忘れて、ただひたすらに雪を掘った。

あった、そこに赤い寝袋があり、それを掘り起こして、中を開けると、そこには凍りついた弟さんの遺骸があった。そこから先の事は、よく覚えていない。凍りついた寝袋ごと掘り出して、気が付いた時は既に朝となっていた。

運び出す余力はなく、テントを残置し、そこに弟さんを置くと、疲労以上に身体を重くさせる気持ちとともに、ゆっくりと下山した。家にたどり着く前に、駐在所の警官に、遺骸の発見を告げた後、倒れこんでしまった。

気が付くと病院であり、母が枕もとでうたた寝をしている姿があった。母に「ゴメン、助けられなかったよ」と告げると、お前が無事で良かったと泣かれてしまった。

その日のうちに、遺骸は降ろされた。検死の結果分かったのは、死因が凍死ではなく、心筋梗塞であったことであった。そう、いつも兄の後ろを追いかけていた弟が、登山ではなく写真を選んだのは、心臓が悪かったからだった。

おそらく山で発作を起こし、テントを張る余裕がなく、雪の上に寝袋を敷いて、潜り込んで発作が治まるのを待ってたのであろう。小学生の時の健康診断で、心臓に軽い異常が見つかり、激しい運動は禁じられていた弟であった。

だが、中学、高校と野山を駆け回るうちに体力が付き、最近では心臓の異常のことなど、家族でさえ忘れていた。医師の話では、気温が極度に低下した状態で、動かずに写真を撮ることに夢中になり、体温が低下したため心臓に過負荷をかけたのではないかとのこと。

そういえば、あの時は日本列島全体が、シベリアから南下してきた寒気を伴う高気圧に覆われていた。北アルプスでも、一晩で流れる急流が凍りついたほどであった。

だが、寒い夜ほど、星空は美しく、夜の雪原は輝く。あの晩は満月であり、さぞや美しい光景が広がっていたであろう。後日、寝袋とともに見つかった弟さんのザックのなかにあった一眼レフカメラのフィルムを現像すると、それは見事な夜の雪原の写真が撮られていたそうである。

そこまで話すと、Y氏はタバコに火を付けて「美しい光景に夢中になると、自分の身の安全なんて、忘れてしまうのだろうな」と呟いた。そして、私に向かって、「ヌマンタ君、君は夢中になると回りが見えなくなるようなところがあるから、気を付けなよ」と忠告してくれた。

身に覚え、ありあまる私は素直に頷くしかなかった。以来、美しい冬の夜空を見ると、時折思い出す。気が付くと、手にした缶コーヒーが冷めていた。大急ぎで車を動かし、帰宅の途に付いた。どうも、私は進歩がないようである。

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未だデフレ終わらず

2016-01-28 12:06:00 | 社会・政治・一般

先週、碓氷バイパスでのスキーバスの事故は痛ましかった。

映像をみただけで、普通の運転で起きる事故でないことは分かった。当初は、居眠り運転を疑ったが、どうも、この運転手さんは大型バスの経験があまりなかったようなのだ。

また、如何なる理由で走りやすい高速を降りて、わざわざ深夜に峠道を走ったのかも分からない。分からないことだらけではあるが、分かることもある。それは、大型バスの運転手の賃金が、以前よりも安くなっていることだ。

安くなっているのには訳がある。やはり根本的に、ツアー料金そのものが安い。だからこそ、運転手に高い給料は払えない。安全確保のため、運転手を二人乗せているのも、コストを圧迫している。

安全のために強要された施策ではあるが、もともとであるツアー料金が安ければ、その結果としてバス運転手の給与が安いのは必然である。困ったことに、技量の高いバス運転手は、大手の会社から確保される。

中小企業であるバス運行会社では、質の高いバス運転手の確保が難しい。だから、かなりいい加減な雇用者管理となり、とにかくスケジュール通りの走ればよいという安易な風潮を生んでいる。

安かろう、悪かろう、である。

高速バス利用者の安全よりも、利益を確保することが優先されているのが現実である。これはつまるところ、未だにデフレの状況に変わりはないことを意味している。

ある意味、当然である。無為無策の民主党政権はともかく、その前の自民党及び白川(当時)日銀もデフレ対策には失敗していた。第二次安倍政権と黒田日銀のもとで、ようやくデフレ退治に手が入ったが、上がったのは株価と上場企業の業績と公務員の給料だけである。

未だ国民の大半は、デフレの渦中にある。それが安い高速バスツアーであり、そのツケが今回の事故の要因でもある。私の判断では、未だ日本はデフレの最中にあると云わざるを得ない。

こんな状況下で、来年に消費税を増税したら、どうなるのか。間違いなく不況の深刻化である。既に一部の国会議員からは、消費税増税の延期を求める声が出ている。それを必死でかき消そうと財務省はやっきである。さて、誰が財務省という頑固な猫に鈴をつけるだろうか?

霞が関に協力的なマスコミ様は、あまり積極的に報道しないが、水面下では消費税増税の延期を求める声は高まっている。次の国政選挙の目玉になるかもしれませんよ。

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タブーの正体 川端幹人

2016-01-27 12:09:00 | 

惜しい。

表題の書の著者は、あの伝説的な暴露雑誌「噂の真相」の副編集長であった方だ。それだけで、この本の内容が分かる人もいるだろう。それはそうなのだが、私が一番気に入ったのは、暴力に対する恐怖が、筆を鈍らせることを赤裸々に語っているところだ。

報道に携わる方は、けっこうプライドが高く、浅ましいくらいに暴力への恐怖を否定する。むしろ、危険を恐れずに取材に赴くことを、誇らしげに語る人のほうが多い。

だからこそ、私はこの著者が暴力の恐怖があると書いていることを高く評価するのです。

ただ、内容には、いささか物足りなさが残る。暴力右翼の怖さを書きながら、彼らの過半が在日コリアであることを書かないのは物足りない。これでは、右翼団体の実相が理解できない。

またJRによる不当なマスコミへの干渉を書きながら、国労が関わっている部分を書かないのは、公平さに欠ける。ジャニーズ事務所と、バーニングのマスコミ操作の手法の違いを書くのはいいが、背後にある在日コリア人脈を書かないのは、如何なものかと思う。

タブーという言葉は、本来社会的禁忌を意味しているが、この書の著者が云うところのタブーは、マスコミによる表現の自由、報道の自由への干渉、抑制、不当な自主規制として使われている。

なかでも、霞が関の官僚や、永田町の政治家による報道のタブーに触れているが、率直に云って認識が甘いと思う。

人類の歴史のなかで、完全なる表現の自由、報道の自由があったことなど、一度たりともない。いくらインターネットがあろうが、その内容に信がない以上、メディアとしては不完全である。

何時だって、誰だって、時の権力者の目を気にしながら、悪口、陰口をたたいてきた。それは原始時代から今日に至るまで、まったく変わっていない。そもそも、言論の自由、報道の自由、表現の自由自体が、フィクションだと断じてもいいくらいだ。

本当に自由という無軌道、無差別、無造作な権利を守りたいのならば、守るための力がなければ無意味である。先進国における自由とは、実は国家権力に守られた自由である。国家による暴力機構(警察や軍、裁判所、司法制度)により守られた自由である。

つまり、自由とは本質的に、暴力に弱い。自由であるためには、力による裏付けが必要となる。日本の言論人には、その認識、覚悟がないというか、分かろうとしない傾向が顕著だ。

ペンは剣より弱い。ペンは剣より強くあって欲しいとの願望を真実だと誤解してはいけないと思う。民主主義社会にとって、適切な情報が有権者に届くことは大切なことだ。

しかし、それは崇高な理想ではあるが、残酷な現実の前には、容易に押し潰される、儚き理想でもある。だからこそ、大切にしなければならないと思うのです。

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琴奨菊の優勝

2016-01-26 12:05:00 | スポーツ

週末、日本人力士の久方ぶりの優勝で日本各地が湧いていた。

初場所より14年目の優勝だというから、琴奨菊関の感慨はひとしおであろう。モンゴル勢に優勝の賜杯を独占されっぱなしだったせいか、マスコミ等の騒ぎっぷりも半端ではない。

この調子で来場所も優勝を、なんて気軽に口にするアナウンサーもいたが、如何なものかと思う。率直にいって、この関取が優勝する日が来るとは、私はまったく予想していなかった。

琴奨菊は、左四つと、がぶり寄りを得意とする。今場所でも、優勝候補筆頭の横綱・白鵬を、その得意技のがぶり寄りで破ったことで、大いにはずみがついたようだ。

だが、ご存じの方もいると思うが、この人のがぶり寄りは、少し変わっている。普通は、まわしをしっかり取って、相手をグイグイと押していく。ところが、琴奨菊関はまわしをとらずに攻める少し変わった、がぶり寄りなのだ。

そのせいで、相手にうっちゃられることも多く、それがはっきりとした欠点となっていた。このことは、だいぶ前から指摘されていたが、頑ななまでに、彼は自分のスタイルを変えようとしなかった。

おかげで、大関となっても優勝戦線からは縁遠い力士となってしまった。得意技と、その欠点が明白なので当然だと思う。しかし、自らの取り口に頑なな彼は、決して直そうとはしなかった。

嬉しい初優勝にケチをつけるのも厭なのだが、今回の優勝は、横綱・白鵬のモチベーションの低下が大きい。今まで圧涛Iに、琴奨菊をカモにしてきた白鵬が、今場所に限って簡単に土俵を割っている。

琴奨菊にとって、最大の難敵を倒せたことが、初優勝に大きく貢献している。白鵬戦以降、完全に勢いに乗っての優勝ではあるが、率直にいって横綱の器ではない。相手に勝つことよりも、己の美学に拘った土俵人生を送ってきたのが、琴奨菊である。

私はこの人の相撲は、決して嫌いではない。嫌いではないが、勝つための強固な意思に欠けた人だとも思っていた。たとえ見苦しくても、勝とうと奮闘するモンゴル人力士に勝てなかったのは、当然である。

久々の日本人力士の優勝に沸くのはいいが、あまり期待し過ぎないほうが良いと思います。

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定数是正

2016-01-25 13:19:00 | 社会・政治・一般

安倍政権も、案外とだらしない。

事実上の戦争規定ともいえる安全保障関連法案を、国会に通過させることは出来た。しかし、国会議員の定数是正ともなると、及び腰になるようだ。

既に最高裁で違憲判決が出ている以上、定数是正は立法府でやらねばならぬことは分かっているはず。しかし、未だに法案の提出さえ出来ずにいる。まったくもって、情けない限りである。

この定数是正の話が出ると、マスコミは決まって地方へ取材に行き、インタビューで削減の対象となりそうな地域の有権者の不満の声を伝える。それは報道の在り方として間違っているとは云わない。

だが、肝心なことが抜け落ちている。

過疎のT県での一票は、東京など大都市圏では、0,3票でしかない現実を忘れていないか。有権者の多数を占める大都市圏においては、その一票の価値が貶められている。都市部に住む私の一票が、なぜにT県の半分にも満たない権利しかないのだ?!

削減対象となりそうな地域の有権者は、如何にも心配げに「地方の声が、中央に十分届かなくなる」と言うが、なれば云わせてもらう。都市部の有権者の声は、過疎の地域の半分も届いていないぞ。

私からすれば、地方の声ばかり政界に届けられていて、都市部の声は不当に制限されている。これが現実であり、だからこそ最高裁は、国政選挙において、選挙の違憲判決を下したのだ。

この最高裁判決を受けての、定数是正である。国会は、四の五の言わずにやらなければならないはずである。民主主義の大原則は、最大多数の最大幸福である。多数派の声こそが、正しいものだと想定しての政治。それが民主主義である。

少数派の意見を、実態以上に膨らませることが民主主義ではない。少数派の声を合法的に、かつ論理的に押し潰すのが多数決である。その多数決の根幹である一票に、地方格差があることには正義はない。

それどころか、日本の現状を歪めているとさえ云える。いくら地方の声を過大に政界に届けても、地方の過疎と荒廃は止まらない。地方の活性化とは、その地方から湧き上がる努力を、中央が支援する形が望ましい。

しかし、今の政治は、地方に金をばら撒き、その金でなんとかしろという実に無責任なものだ。ばら撒かれた金は利権にしかならず、地方の活性化ではなく、古い、つまり時代の変化に対応できない勢力の維持にのみ使われる。

これが、一票の格差を蔑ろにして、地方を偏重してきた結果である。

繰り返すが、過疎が進む地方の投票権を加重評価している今の現状は、地方にとって決して有益ではない。むしろ、冠婚葬祭への義理の付き合いを仕事だと思っている、馬鹿な議員を肥え太らすだけだ。

人口が減少している地方の議員定数は減って当然だし、減ってからの危機感こそが政治に対して真摯な姿勢を生む。現状維持に汲汲としている議員だなんて、むしろ有害だと断じたい。

今、過疎に悩む地方に必要なのは、危機感をもって未来を見据える少数だが、優秀な議員である。着膨れした議員定数に甘んじている政治家なんて無駄である。

是非とも、議員定数の是正は、今国会でやって欲しいものである。

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