ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

明後日には判明するが

2016-07-29 12:00:00 | 社会・政治・一般

後だし有利

誰が云いだしたのか知らないが、東京都知事選挙に関しては、近年確かに後から立候補を表明した人が当選する傾向があったのは確かだ。

もっとも浮動票の多い東京の場合、知名度の高い人が当選しやすい傾向が強く、私はむしろこちらの要因のほうが大きいと思っている。

なにせ、東京という街は、地方から越してきて、定着した人が多い。昔から、東京の何々で暮らしていましたなんて人は、むしろ珍しいのが実情だ。当然に地元育ちの政治家が当選しやすいわけではない。

私のような東京原住民でさえ、地元選出の議員が誰かなんて、あまり関心はない。国会議員もそうだが、これが都議会、区議会ともなると、むしろよその国の選挙事情のほうが詳しくなってしまうぐらいだ。

地方ならば、農村票があり、農協がとりまとめて一大勢力を築くので、票は読みやすい。しかし、東京のような都市部では、その手法は通用しない。そして学生が多いゆえに、昔から革新系というか、左派が強かった。

その実態は今もあまり変わりはない。さすがに左派幻想は塵と化したが、反与党感情は今も根強いのが東京の特徴でもある。これはマスコミの影響を受けやすいうえに、地方から上京してきて東京に住んではいるが、地元意識が希薄なために、安易な知名度の高さに影響を受けやすいからでもある。

しかし、東京は首都であり、大企業が多く納税している。その豊富な財源は、中進国並みの規模を誇る。その財源のおこぼれにあずかってきたのが、東京都議会議員たちである。

あまり知られていないが、都議会はオール与党と言っていいほどの一枚岩を誇る。あの共産党でさえ、都議会では長いものに巻かれているのが実態である。与野党が真剣に対立することは非常に少ない。

豊富な税収から得られる利権は巨大であり、都議会では一致して、その事。を独占してきた。これは鈴木都政の末期ごろから始まったように思うが、都政よりも国政に関心あるいは未練が強かった石原都政下で、より強まったように思う。

だからこそ、都議連に無断で立候補した小池百合子は許せないのだ。この豊富な財源をバックにした利権は手放せない。これは都議たちにとっては、死活問題であろう。断じて、この利権が暴露されることは避けたい以上、彼らも必死である。

その必死さに応じて、都議会担当の記者クラブも小池降ろしに加担しているようだ。さすがに表現は控えめだが、小池バッシングとも読める記事を目にした方は少なくないはずだ。

元々私は、小池議員の応援などしたことないし、今も積極的にする気もない。しかし、今回のマスコミの偏向ぶりはヒドイと思う。小池議員は確かに5つの政党を渡り歩いてきた。しかし、そのうち、自らの意思で政党を変えたのは一回だけ。後は肝心の政党自らが解党したり、合併したりとの事情によるものだ。それを裏切りの政治家と評するのは如何なものかと思う。

その一方で、記者クラブに属していない週刊誌などは、既に都議会のドンこと内田氏の怪しい動きを報じている。長年、都議会議員として甘い汁を吸ってきた御仁だけに、叩けば埃が出るどころの騒ぎではないだろう。

だが、大手マスコミは未だに都議会の闇を報じることには及び腰だ。知らないはずはないだろうが、都議会との協調関係を維持していたいらしい。

来週、月曜日には新しい都知事は決まっているだろう。おそらく小池百合子が当選すると思われる。さて、大手マスコミ様はどの段階で手のひらを返すのでしょうかね。

私としては、日本のマスコミの程度を測るのに丁度いいと思っています。その手前勝手な変節ぶりを、冷たいビールでも飲みながら、鑑賞してやろうと今から楽しみです。

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丑三つの村 西村望

2016-07-28 15:02:00 | 

早朝、顔を洗いながらラジオから流れる大量殺人の報をぼんやりと聞いていた。またイスラム・テロかと思い込んでいたら、聞き馴染みのある地名に驚いた。

神奈川県相模原市?

ちょっと待て、おい日本かよ。改めてTVにスイッチを入れて、CS放送でニュースを見てみると、津久井湖近くの障害者施設で19人が死傷、他にもけが人多数だと報じていた。

目覚めのニュースとしては最悪だが、よく見ると既に犯人は逮捕済み。この施設の元職員で、解雇された恨みかと報じられていた。個人が引き起こした事件としては、平成どころか戦後最悪の殺傷事件であるようだ。

そこで思い起こされるのが、津山事件である。昭和13年に起きた30人殺傷事件である。横溝正史の「八つ墓村」のモデルにもなっている。直接にノンフィクションとして描きだしたのが、表題の作品である。

映画化もされたが、あまりに残虐な場面に溢れたため、成人指定を受けてしまったほどだ。実際、事件そのものも凄惨であり、今もって当地の人たちは、語るのを嫌がるほどである。

もっとも、津山事件の犯人は、結核に罹患したことで事実上村八分の扱いを受けており、その復讐としての残虐な行為である。閉鎖的な戦前の日本の村社会の犠牲者の側面もあると思う。そして、犯人は罪を自覚して自害している。

しかし、今回の津久井湖近くの障害者施設を襲った犯人には、犠牲者としての側面に乏しい。かつては、この施設で働いており、なんらかの理由で、障害者を嫌悪するようになった挙句に、今回の大量殺人である。

実に情けないというか、みっともない。相当な劣等感の持ち主ではないかと思う。自分よりも弱い者を攻撃することで、優位性を満喫する典型的な弱者であろう。

既に薬物の使用などが既に報じられているが、おそらく裁判では心神喪失を訴えての無実を主張してくるだろう。断じて許してはいけないと思う。更生なんて、とんでもない。死刑制度は、まさにこのようなこのような卑劣漢のためにこそある。

なお、表題の作品の著者である、西村望だが、あの西村寿行の兄弟だとは知らなかった。ネットで調べているうちに気が付いて、ビックリしましたよ。

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マリファナ解禁の是非

2016-07-27 12:22:00 | 社会・政治・一般

マリファナは安全だ。

そんな主張を耳にすることが増えてきたように思います。最初に断わっておくと、終末期医療としてのマリファナの活用は、私も賛成しています。しかしながら、マリファナは解禁すべきではないとの考えに変わりはありません。

まずその安全性ですが、一部の方が云うように、タバコより安全だとは思っていません。せいぜい、タバコと同じ程度で、良くない嗜好品であるのは確かです。実際、マリファナが一部の愛飲者に対して精神疾患を引き起こすことがあることは、歴史的にも医学的にも、ほぼ確かでしょう。精神を安定させる作用もあるので、使い方次第だとは思います。しかし、タバコの肺がんほど致命的ではないでしょうが、だからといって安全だと断言できるものではない。

しばしば、マリファナの安全性については議論され、また多くの研究機関で、その習慣性や危険性が報告される一方で、好意的な意見も少なくないのも事実です。精神に安らぎを覚え、安定させられるマリファナの効用を説く人が多いのも、その実績あってのことでしょう。

昔から、毒と薬は紙一重。使い方次第でマリファナも、良き薬にもなるし、毒薬にもなるのでしょう。

でも、問題はマリファナが危険な麻薬類への入り口になる危険性でしょう。これについても、無関係だとの意見もあります。ありますが、私はそうは思っていないのです。

私は一時期、タバコを吸っていましたが、その習慣性から抜けるのはけっこう辛かった。反面、精神の安定作用は未だに忘れがたく、今でも夢で見ることがあるくらいです。でも、タバコがきっかけになって、覚せい剤やヘロインに関心を持つことはありませんでした。

しかし、マリファナは違う。

少なからぬ研究者などが、そうではないと様々な統計資料等を出しているのも確かです。でも、私が見たディスカバリーチャンネルの刑務所特集のなかで、麻薬犯罪者を収用し、管理している刑務官たちの意見は違っていました。

長年、多くの麻薬犯罪者を看てきた彼ら刑務官はマリファナこそが、覚せい剤やクラック、ヘロインなどの違法薬物の入り口になると確信しているようでした。同様な意見は、当の麻薬中毒患者たちからも出ているのです。マリファナこそが、薬物依存への入り口であったと。

いくら、マリファナ解禁論者が弁を尽くそうと、マリファナそのものに害は少なくても、そのマリファナの悦楽を覚えた人たちが、より強い刺激を求めて覚せい剤などに手を出すのは、道理として分かりやすい。

もちろん、マリファナを愛用しても、他の危険な薬物に手を出さない人もいる。これも事実でしょうけれど、それでも私は否定的だ。なぜなら、歴史的にみても、麻薬により滅びの道を辿った国は少なくないからだ。

かつての清王朝が、イギリスに強要されて輸入した麻薬により国家財政が疲弊し、社会が荒廃して、衰退への道を辿ったのは有名な史実です。また、共産シナがアメリカを弱体させるために、麻薬をアメリカ兵に安価に入手できるようにして、ベトナムから撤退に追いやった一因として誇らしげに語っている。

その一方で、麻薬を生産している国々では、その浮ウを熟知しているがゆえに、麻薬には手を出さない。これは貴重な外貨を稼ぐ重要な商品であるからだけでなく、麻薬が人をダメにすることを良く知っているからに他ならない。

脳に直接働きかけて、悦楽をもたらす薬物は、理性では拒否できない。人は苦痛には耐えらえても、悦楽には耐えられないものです。最初は良くても、後が浮「のが麻薬。その入口となるのがマリファナなのです。決して安易にマリファナ解禁などを認めてはいけないと思います。

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ワンピース フィルムゴールド

2016-07-26 12:01:00 | 映画

ママさんたちは魔法使い。

先週の日曜日、友人の家族とその子供の友人連れて、映画とプールに行ってきた。午前中の涼しいうちに映画に行き、午後は市民プールである。例によって私は交替ドライバー要員である。

その行きの車の中。10人乗りのワゴン車なのだが、まァ子供たちが騒がしい。いや、喧しいというべきであろう。助手席の私が思わず、頭を抱えるほどの騒音である。

そんな中、一人のママさんが「これからゲームをやります。一番長く目を閉じていられた子には、ジバニャンの縫ぐるみが当たります。それでは用意~~~ドン!」

一瞬で静まり返る車内。3分後には、子供たちの寝息が聞こえてきた。さすがとしか言いようがない手腕である。ちなみに男の子たちは、しっかりと熟睡したが、一人女の子だけは目を覚ます。その手にジバニャンの縫ぐるみを抱え込んで、今度はしっかりと眠りにつく。しっかりしてるよな。

その後、映画館に着くまで、お子様たちはすやすやと大人しいものである。もっとも、映画館に着いてからは、迷子を出さないように、てんてこ舞いしたが、クーラーの効いた館内に連れ込んでしまえば、こっちのものである。

その時に上映されていたのが、表題の映画である。実は大人気の漫画ONE PIECEであるが映画を観るのは初めてである。この手の映画に対して、とやかく言うのは野暮だと分かっている。

私はぼんやりと観ていたが、漫画を読んでいる人でないと、分からないこと、多々あって、映画としてはやはり問題がある。ただ、私が感心したのは、3D映像の見事さ。

ゴムゴムの実を食べたゴム人間であるルフィの暴れっぷりって、3Dに映えるのだと実感できた。原作者の尾田氏本人が総監督を務めただけに、そのあたりの表現が実に見事であった。

あの騒がしい子供たちが、静まり返って映画に見入っていたので、十分子供向け映画としては成功しているのだろう。

映画の後は、公園でお弁当を広げての昼食。下手にお店に連れて行くと大騒ぎなので、このほうが賢明なのだろう。安上がりであることも確かだし、ママさんたちの手料理も悪くない。もちろん、私もご相伴にあずかる。

午後は近くの市民プールに連れて行く、ママさんたち曰く「夏の子供は、水に浸けるに限る」とは金言だ。帰りの車中は、水遊びに疲れた子供たちの寝息を聞きながらの運転であった。正直、その寝息に釣られて、こちらまで眠くなるが、なんとか安全運転で集合場所でもあった小学校の校門前まで送り届けて、無事終了。

まだ梅雨明けはしていないが、学校はもう夏休み。ママさんたちの忙しい夏は、これからが本番だそうである。誰だ、専業主婦は楽だなんていったのは。あたしゃ、一日でクタクタでしたよ。

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都政の闇

2016-07-25 11:57:00 | 社会・政治・一般

今月末は、東京都知事選挙である。

私が都政というか、都議会を胡散臭いと思うようになったのは、案外と古くて、鈴木都政の最後の頃だと記憶している。

革新系首長の代表格でもあった美濃部都政は、その放漫な善意のばら撒き行政により、都の財政赤字を巨額なものにして終わった。その後を受けた鈴木都知事は、地方自治省出身のエリートで、戦後の地方自治体の組織、関連法案などに携わった専門家であった。

美濃部の残した膨大な財政赤字を解消させたが、その任期の後半は、自民党や建設業界の圧力に屈しての箱もの行政をやらかした。おりしも、バブルの崩壊という要因を受けて、美濃部同様に財政赤字を作ってしまった。

おそらく、この頃だろう。地方自治の専門家であった鈴木俊一が都議会の闇に飲み込まれたのは。革新勢力が強い東京にあって、自民党勢は非常に苦労していた。地方なら農協という集票団体があるが、東京では期待できない。

だからこそ、箱もの行政が必要であった。その必要性は、国政よりも強かったと思われる。鈴木都知事は、議会との調和を大事にしていたが、それだけに公共事業を求める都自民党議員らの要請に応じざるを得なかったのだろう。

4期16年の鈴木都政は、世界博中止を訴える青島により終止符を打たれた。しかし、実務に疎い青島は、都議会と都庁役人に裏をかかれてしまい、却って都の政治は、都民から遠いものとなった。

そして、石原都政へとつながる。石原慎太郎は長く東京の選挙区で国会議員をしていただけに、都議たちともつかず離れずの関係であり、しかも石原のワンマン気質が都庁の職員にまで伝染してしまう困った問題となった。

私はこの時期の都庁へ所要があっていくと、以前よりも明らかに職員の態度がデカくなっていた。例えば医療法人の設立には、地方自治体の認可が必要となるので、担当部署と何度も折衝することになる。

地方へ行けば、そこで新しい医療法人を設立すると言うと、それは懇切丁寧に指導をしてくれる。しかし、東京都はいささか趣が異なる。まるで、設立させてやるから、私らの指導に従えと云わんばかりの態度が鼻に付いた。納税者の公僕などという意識は、まるで感じられなかった。

石原都知事自身は、実務もできる知事であったが、如何せんスタンド・プレーが好きで、銀行税(結局失敗したが)を始めとして、都政の独裁者的な振る舞いが感じられた。ただ、この人は、舛添えのようなケチではなかったが、売れない画家の息子の絵を都が高額で買いいれたりと、公私混同があったことは、敢えて記しておきたい。

問題は、この石原都政下での都議会である。石原の強烈なワンマン運営に、意外なほど都議会は抵抗しなかった。むしろ、石原があまり関心を持たない分野での、都議員たちの専横が目についた。石原はそれに目をつぶる代わりに、自分の政策への支持をもちかけていたはずだ。

都議会は、呆れるほどに与党、野党ともに堕落した。その一例を挙げたい。某区議会議員が、都の支出について疑念を持ち、自分にそれを調べる権限がないと知り、都議会議員へと立候補して当選した。

そして、都庁の予算の使途について独自に調べ始めたところ、他の議員たちから止めるよう圧力がかかった。ひどい中傷など妨害も相次いだ。石原都政において、唯一の批判勢力、ただし一人だけ。

選挙でも妨害が相次ぎ、遂にギリギリで落選。その落選に狂喜した都議、都庁職員数知れず。このような状況でしたから、舛添都知事の贅沢な金遣いが話題になっても、都議会は表面的な追求しかしなかった。

9月の定例議会を終えたら辞任との最初の報道は、都議会から持ち込まれた話であることが、今では判明している。もし、舛添が辞任しなければ、今頃リオ五輪に向けて都議会議員の贅沢な公費視察は実行されていたはずです。そのなかには、本来野党であるはずの共産党議員も含まれていたのです。

これが都政の現実です。都議会議員も都庁職員も、公金により贅沢な業務を満喫しているのです。だからこそ、都議会は小池百合子を許せない。絶対に触れて欲しくないのが、都政の闇の問題なのです。

都政における贅沢なお金の使い方を温存したいのなら、小池百合子の都知事就任は絶対阻止しなければならない。今月末の都知事選挙は例年になく、興味深いものとなりそうです。

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