ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

前原外相の辞任に思うこと

2011-03-31 12:18:00 | 社会・政治・一般
旧聞に属する話ではありますが、いささか気になっていたので書かせていただきます。

東日本大震災のおかげで、民主党のスキャンダルが吹っ飛んでしまいました。もっとも、震災後の不手際、不見識、不毛な内輪もめが次々と出てきています。せっかくの好機なのに、政権を担う政党としての実力のなさが、更に明らかになっているから、救いようの無いダメ政党です。

だから、震災前のスキャンダルを、今更蒸し返すのもなんですが、当初から気になっていたのです。なにかといえば、前原・前外務大臣の献金疑惑です。

結果的には前原氏の辞任により、臭いものに蓋をして済ませようとの安易な対応をした民主党ですが、私は疑問に思っていました。たしかに問題はあると思いますが、辞任するほどのことなのか。

いささかうろ覚えですが、前原氏を昔から知っていた焼肉屋のおばちゃんが、前原氏に政治献金をしたことが発覚したことが発端であったと思います。

この焼肉屋の方が、外国籍であったため、政治資金規制法に抵触したようですが、私には違和感を禁じえません。いくら馴染みのお店だからといって、献金を受ける際に外国籍かどうかを確認できるのでしょうか。

私自身、いく人もの外国籍、いわゆる在日コリアの方を知っていますが、傍目にそうと分る人なんていません。いや、何年も話して、お茶して、食事まで共にして、それでも分りませんでした。

本人から、実は在日ですと告白を受けて、ようやく分ったぐらいです。日本語が話せないならともかく、皆日本人と同じレベルで日本語が話せる。むしろ母国語のほうが、まともに話せない在日の人が多いのが実情でしょう。

もちろん、政治家が外国からの不当な干渉を受けるのを避けるため、なんらかの規制を設けるのは当然です。でも、献金を受けたとの外形だけで、それを不当だと判じるのは如何なものか。

むしろ、日本の政治家でありながら、日本に不利益になるようなこと、例えば村山談話のような行為のほうこそ問題にすべきでしょう。

在日の人たちが日本国籍を取らずにいるのは、感情的なもので、状況によっては容易に国籍を変える人たちでもあります。なぜなら、在日の人たちは、母国の政府が自分たちのために何かしてくれるなんて、ほとんど期待していないからです。むしろ、金の拠出を求められるのが関の山で、それが煙たくて国籍を変える人もいるぐらいです。

事実、在日の人が日本政府に働きかけたい時は、総連や民団を使うよりも、自民党の政治家に金を出して、耳を傾けてもらっていたのが実情でしょう。

少子高齢化が進む日本では、今後外国人の数は増える一方だと思います。彼らが定着すれば、当然に政治的意見を口に出し、それが現実に反映されるように求めてくるのは必然です。

それを外国人だから、国籍がないからと排するだけだと不満が貯まるだけでなく、日本の法規を無視した行為などが増えるだけでしょう。

外国人の増加による治安の悪化を危惧し、排斥論を唱える人が少なくないのは知っています。ですが、これほどまでに巨大化した日本社会を支えるための人材が、徐々に枯渇しつつあるのも事実です。

既に末端では、外国人抜きではどうしようもない現実があります。表向き大企業は、外国人労働者を雇っていないことになっていますが、下請け、孫請け企業を通じて雇用しています。

たとえばコンビニのお弁当。これを日本人だけで作っていると思ったら大間違い。東京郊外のお弁当工場に納品される食材を作る工場は、外国人が何人も働いています。日本人のおばちゃんと、若い外国人たちが協働して食材をつくっているのです。

私には、この小さな下請け工場が、未来の日本の縮図に思えてなりません。彼らは納得がいくルールなら、それに従うものです。貧富の差の激しい母国で働くより、多少の差別はあっても日本で働くほうがメリットが多いと判断しているが故でしょう。

日本人が日頃意識しない日本の良さを、日本人以上に実感しているのが、彼ら外国人労働者です。いずれ、彼らが自分たちの政治的意見を表明する機会を欲するであろうことは目に見えています。

日本に定着し、良き隣人として暮らす在日外国人の意見に耳を閉ざすことが、果たして良いことなのか。もちろん、国益が絡むことですから、声は聞いても反映できないこともあるでしょう。それは当然だし、不当な干渉をふせぐ規制も必要なのは当然です。

その意味でも、スパイ防止法のような治安維持のための法律は、国際化社会に向けて必要不可欠です。どの国だって、自国の利益のためにスパイを使うのは当然であり、その脅威に対応することは政府の責務でしょう。

もし、前原氏が外国籍の方から献金を受けて、その意向を汲んで日本に不利益なことをしたとしたら、それこそ大問題です。で、今回の辞任劇には、そのような事実はあったのでしょうか?

私の前原氏に対する政治家としての評価は、決して高くありません。ですが、外国人に対して不当に優遇し、日本を貶めるような行為をしたわけでもない彼を辞任にまで追い込んだことには、疑問を禁じえません。
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若手スターの不在

2011-03-30 12:10:00 | スポーツ

スターが不在。

これは頭が痛い問題だ。プロ野球が羨ましく思えてならない。日本ハムに入団した斉藤や、巨人の沢村など期待の新人スター候補が目白押しだ。

それに比してJリーグは、目だった新人が皆無だ。なにせ、日本のサッカー界は、近年若手の育成に結果を出していない。とりわけ、十代の選手の発掘、育成に失敗している。そのため、アンダー17やオリンピックでは惨めな結果しか残していない。

有望な若手がいない訳ではない。現在海外で活躍している日本人の若手選手たちをみれば、それは良く分る。だが、本田にせよ香川にせよ、Jリーグ在籍当時はスターどころか、それほど注目されていた訳ではない。

もちろんサッカー好きな人の間では、大ボラ吹きの本田の無回転シュートは注目されていたし、香川のドリブルは一見の価値ありと言われていた。

だが、肝心のマスコミ、とりわけスポーツ新聞が無視し続けた。本田がロングレンジからの無回転フリーキックを決めようと、翌日の紙面は二軍の試合でホームランを打つ中田翔の記事がトップを飾る始末だ。

香川がメッシのように、高速ドリブルで相手DF陣を切り裂き、華麗なシュートを決めても、翌日のトップ記事はお笑い芸人とアイドルの交際疑惑報道なのだからやってられない。

当然に本田はオランダへ飛び出して活躍してスターとなった。香川はドイツで大人気のスターとなった。そうなって、ようやく彼らの記事が紙面を飾るようになった。

別に彼らは海外に行ったから飛躍的に実力を伸ばしたわけではない。Jリーグ在籍当時から、華々しく活躍しており、その実力が海外で花開いただけだ。

たしかに近年、日本の十代の若手選手たちは、海外での国際試合で結果を残していない。だからといって、才能がないわけではない。Jリーグに上がり、厳しい環境で鍛えられて実力を上げている。

南ア・ワールド杯の活躍もあって、ようやくマスコミの注目を集めるようになったが、名前が出るのは海外で活躍する選手ばかり。

Jリーグにだって、才能ある若手のスター候補はいるぞ。ガンバの宇佐美や、レッズの柏木なんざ、才能なら香川、本田らに劣らない。ただ、海外での実績がないから大手マスコミが無視している。

はっきり言って、日本の新聞、TVにはまともにサッカー記事がない。本当は若手にまともな記事が書ける記者が多少はいるのだが、その記事が紙面を飾ることは稀だ。なぜなら、彼らの上司(間違いなく若い頃はプロ野球担当記者)が、サッカーを正当に評価する頭を持ち合わせていないからだ。

だから、才能がありながらマスコミが取り上げず、気がつくと海外のスカウトに連れて行かれて、向うで真っ当な評価を受けて、そこで初めて日本の新聞、TVが取り上げる。

だからタダのような移籍金で海外のチームに有望な若手Jリーガーが奪われる。まともな交渉が出来ないJリーグの各チームの問題もあるが、有望な若手選手をまともに評価できない日本のマスメディアの責任もある。

このままでは、不味いと思うぞ。

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今年の確定申告雑感

2011-03-29 12:10:00 | 経済・金融・税制

毎年のことだが、いつも確定申告が終わると、ある種の虚脱状態に陥る。

原因は分っている。心身ともに疲弊しているからだ。だいたい三週間は休み無しの連続出勤となる。疲労が貯まるのも当然だが、それだけに体調管理には気を遣う。私は睡眠時間、毎日最低6時間を頑として守っている。

おかげで、花粉症に悩まされる以外体調は万全で、休まずに仕事に集中できている。ただ、今年は地震があったため、仕事は大幅に遅れた。

なにせ出勤がままならない。資料は届かないし、スタッフも揃わない。13日の時点で15日までに終わらないことを、ほぼ確信できた。ただし、不安はあまりなかった。

これだけの大震災なのだから、行政上の手当てがされるはずだと予想できたからだ。第一、税務署でさえ人手が揃わず、なかには開庁できないところもあったらしい。これで期限内申告なんて、出来るわけが無い。

13日の夜、国税庁のHPを開くと、予想通り「申告、納付等の期限延長」が掲示されていた。翌日には、添付すべき申請書のダウンロードが可能になっていたので、これ幸いとフルに活用させてもらった。

おかげで、ノンビリと申告したため、先週まで確定申告業務に追われるとは思わなかった。まだ一件、残っているが、それはマグロ君、お前さんが資料を送ってよこさないからだぞ。まァ、週末に届いたから、こうして今やっているわけだが、ちとノンビリすぎるぞね。

そうこうしているうちに、1月決算法人の申告が迫ってきたので、今年に限っては虚脱状態に陥る暇がなかった。おかげで、確定申告の総括も満足にやっていない。

ただ、こうして振り返ってみると日本の国際化がずいぶんと進んでいることを実感できた確定申告だった。元々中小企業の申告を業務の主力としている我が事務所では、個人の確定申告の占める割合は、それほど高くなかった。

しかし、バブル崩壊でメインの中小企業が破綻してしまったので、個人事業者の開拓に努めた結果、件数だけはかなり増やした。しかし、国際税務に関る機会はほとんどなかったのが実情だ。

ところが、2年ぐらい前から、少しずつ国際税務に関与する件数が増えてきた。たとえば、日本の年金収入と、日本にある不動産賃貸収入を元に、海外でメイド付きの豪邸暮らしをする高齢者の申告が典型的だ。

日本人が海外で暮らそうと、日本国内からの収入で暮らす以上、国内源泉所得には日本の税金がかかる。また、これとは逆に日本で暮らしながら、海外にある資産から収益を上げる人もいる。海外での稼ぎではあるが、当人が日本にいる以上、当然日本の税金がかかる。

更にやっかいなのは、海外に在る資産を売却した場合だとか、海外暮らしの日本人が国内資産を売却した場合の申告なんてケースもある。

なにがやっかいかというと、日本の国内法である税法だけでなく、相手国の税法も知らねばならないし、租税条約をチェックしなければならないからだ。なぜなら、国内法よりも国際条約のほうが優先されるからだ。

今年の確定申告では、私が悩まねばならぬ国際税務の問題が幾つもあって、その対応に追われたため、えらく時間がかかった。なにせ、いくら税法を紐解いても、特殊な事例に対する回答を見つけることは不可能に近い。

幸い、税理士会の支部には頻繁に顔を出しているので、その伝で私よりも知識経験豊富な先生方の意見を伺うことが出来た。ただ、やはり慎重な見解が多く、私もいつも以上に神経質にならざる得なかった。

よく、税務署に訊けばいいと思う方がいるようだが、回答する立場(国税局のコールセンター)に居たことのある私の経験からすると、そのような場合、極めて保守的な回答しか出ない。

税法の趣旨を理解した上で、実情との齟齬を埋めるような積極的な回答が出ることは、まずない。だからこそ、私らのような専門家が必要とされるわけだが、その専門家にしてから海外税務のようなケースは、そうそう遭遇するわけではない。だから、明確な模範解答がないケースが多く、条文とにらめっこしながら、回答を導き出す羽目に陥る。

それでも、とりあえず申告は終えた。でも、もう少ししたら税務署から問い合わせや呼び出しが来ることも分っている。その対応も一応準備してあるが、まだまだ足りないとも思う。

二月決算法人からの問い合わせもきてるし、三月決算法人からの相談もきている。今年は気が休まる暇がない。いったい、何時怠けようか?

怠け者の私としては、切実な悩みである。あァ、困ったものだ。

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シャドー81 ルシアン・ネイハム

2011-03-28 12:25:00 | 

今更ながら、ヴェトナム戦争がアメリカに与えた衝撃は大きいと思う。

結果論ではあるが、20世紀の二つの世界大戦により、旧大陸(ヨーロッパ)から新大陸(アメリカ)への覇権が移譲した。アメリカは自由と民主主義を擁護する陣営の筆頭として君臨していた。黄金の60年代を謳歌していたアメリカにとって、東南アジアの小国の紛争なんて、お手軽なものに過ぎないはずだった。

だが、この浮ついた気持ちがアメリカをヴェトナム戦争の泥沼へと引き摺りこんだ。世界を二分する超大国との対決を覚悟したヴェトナムには、悲壮な決意と共に断固として戦い抜く覚悟があった。

しかし、アメリカにはその覚悟がなかった。東南アジアの昼なお暗いジャングルで泥と悪臭に悩む若きアメリカ兵たちは、何故この地で戦わねばならぬのかとの疑問が脳裏を駆け巡ることを止められずに居た。

この戦いにおいて、アメリカ兵たちは自らの正義を確信することが出来なくなっていた。ただ命令されたから戦う。職業軍人としては当然のことだが、だからといって内心の動揺を押し隠すのも辛い。

やがて、アメリカの敗戦は避けられぬと分り、ヴェトナムからの撤退を余儀なくされる。アメリカは建国以来、初めて敗戦の苦味を飲み干すこととなった。ただ負けただけではない。なぜ負けたのか、なぜ勝てなかったのか。いや、それよりも何故戦わねばならなかったのか、それすら分らない。

心の奥底に苦く重苦しい悔恨が沈殿するのを避けられなかった。そんな1970年代に書かれたのが、表題の作品だ。

断言しますが、傑作であることは間違いない。面白さ、興奮度、意外な結末、どれをとっても一級のエンターテイメントである。

実際、翻訳され新潮社から刊行された本書は、版を重ねベストセラーになった。ところが、本国のアメリカでは、売れはしたが評価は低く、大ヒットには程遠かった。

理由は読めば分る。ネタばれになるので書けないが、あの時代のアメリカ人にとって思い返すのも辛く、その辛辣さを思えば、本書を傑作だと認める気持ちにはなれないのだろう。

そういえば、70年代(私が10代の頃だ)の書評では、この本は進歩的文化人のような左派の立場の人たちからも絶賛されていた。私にこの本を奨めてくれたのも、左派学生運動家のお兄さんだった。

ほぼ30年ぶりの再読だが、あの頃の評価の仕方は間違っていると思う。アメリカの傷に塩を塗り込めたい気持ちは、分らないでもないが、それでは本書に対する正当な評価とはいえまい。

この本は、ハイジャックものの傑作です。残念なことに、著者はこの作品一作しか残さず、おそらくは失意のうちに亡くなられました。もっと高く評価されるべきでしたよ。機会がありましたら是非どうぞ。

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AKB48に思うこと

2011-03-25 12:14:00 | 社会・政治・一般

勝てば官軍、なのか?

AKB48とかいう女の子たちのグループが人気を博しているのは、芸能音痴の私でも知っている。いや、実をいえば、2年以上前から知っていた。ただし、芸能情報としてではなく、悪徳商法の一つとしてだ。

私がインターネットの世界を知ったのは、1998年だったが、その頃から強い関心を持っていたのが悪徳商法だ。既存のマスメディアでは、被害が大きくなってからでないと知ることが出来なかったのが悪徳商法だった。

しかし、市井の一市民が情報の発信者に、容易に成り得るインターネットの世界では、まだ被害が大きくなる前の悪徳商法の情報が入手できた。

私も一時期は「悪徳商法マニアックス」をはじめ、いくつかの悪徳商法告発サイトを閲覧することを、かなり熱心にやていた。

もちろん、自称被害者側の勘違いや、被害者を装った悪徳商法側の情報操作もあり、鵜呑みに出来ない情報が相当数あったのは間違いない。なかには、悪質なクレーマーとしか言いようがない告発もあったし、情報が錯綜する魑魅魍魎の世界でもあった。

裁判になったケースもかなり多く、私も以前ほど熱心に閲覧することは止めていた。ただ、時々思い出したように情報を検索してはいた。

そんななか、2年前くらいだと思う。AKBという女の子のグループを巡る性質の悪い商売が、ネット上でしばしば告発されていた。

例えば、CDを10枚買うとアイドルに直接会える機会が与えられるとか、写真集やDVDをまとめ買いすると、少数しか制作されていない特別なポスターがもらえるといったものだ。

私のみたところ、法律には違反していないが、あこぎな商売だと呆れた覚えがある。アイドルおたくというか、熱心なファンは、相当な金を費やすらしいから、そこに付け込んだ嫌な商法だと思っていた。

たしか、いくつかの週刊誌などでもAKB商法と銘打って非難していたと記憶している。

ところがだ、いつのまにやらAKB商法への非難は姿を消した。そして、いつのまにやら国民的人気を誇るアイドルグループとなっていた。もっとも私の周囲には、彼女らのファンはいないので、マスコミが煽っているだけかもしれないが、TVや新聞、雑誌などへの露出が多いのは確か。多分、それなりに人気はあるのだろう。

現在、マスコミ、広告代理店、音楽業界は未曾有の不況に襲われており、そんな状況に浮かび上がったAKB48が救世主とはいわないまでも、一時の慈雨であるのは間違いない。

だからといって、過去の悪徳商法を忘れ去っていいのか?人気なんてものは、一過性のものでいずれは落ちぶれる。嫌な予想だが、そうなってから再びAKBの厭らしい商売を非難する正義のマスコミ様が登場するのだろう。

あァ、いやらしい。

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