ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「うめぼし博士の逆・日本史」 樋口清之

2006-11-30 14:01:30 | 
少し後悔している。なにがって、大学受検勉強のことだ。

私の大学受験の選択科目は、国語と英語と世界史だった。国語は本を読むのと、漢字の書き取りだけ勉強していた。英語は単語・イディオム暗記と英文記事の翻訳だけやっていた。ちなみに古典は省略した。古典の授業は大好きだった。でも受験の古典は、大嫌いだった。古典文法なんざ、大学の専門課程でやるべきだ。高校レベルなら、古典に親しむことに集中すべきだと思う。漢文は好きだった。なかでも漢詩が好きだったのと、世ゼミの多久先生の講義が面白くて勉強していた。

で、世界史だが、これに偏った勉強をしていた。代ゼミの武井先生と山村先生の講義を掛け持ちして勉強していた。とても面白かった。ちなみに大学受検は経済学部オンリーである。まったくもって意味がないというか、自己満足だけの受検勉強だった。

実際のところ、浪人時代は代ゼミに通って勉強しているよりも、パチンコをやっている時間のほうが多かった気がする。後はジョナサンで友達とだべっていた。今更ながら、ふざけた受験生だと思う。

ところで何に後悔しているかと言うと、日本史だ。あれだけ遊んでいる時間があったのだから、あの時間で日本史の勉強をしておけばと、かなり後悔している。

日本史に関心が深い方なら分かると思うが、日本史の分野では、常に新しい解釈や発見が珍しくない。とりわけ古代史では、それが著しい。また世界史と同じく唯物史観の影響がかなりあり、見直すべき点も少なくない。

ところが私は基礎的な日本史の知識が十分でないため、それらの話題にはなかなか付いていけない。それが哀しい。大学受検時に、しっかり勉強しておけば、このようなことにはならなかったと思う。実に悔しい。

仕方がないので、独学で時折日本史の参考書などを読む。これが案外難儀だ。理由は簡単、面白くないからだ。教科書的な本は、受検というプレッシャーがないと読むのが辛い。あ~、あの時勉強しておけばと、後悔ばかりが募る。

そんな中で比較的楽しめたのが、表題の本だった。視点が実に新鮮だった。「今の日本がこうあるのは、過去に原因があるからだ」と考え、現代史から近代、近世、中世、古代へと遡って日本史を解説している。これは面白かった。

それにしても、中学・高校の日本史の教え方は、そろそろ本格的に見直した方がいいと思う。いい加減、マルクス史観から脱却しないと、今の自虐的歴史観から自立するのは難しくなるばかりだと心配になる。
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城選手の引退

2006-11-29 09:33:22 | スポーツ
鮮烈なデビューであったことは、今も瞼に焼き付いている。

JEF市原(当時)の期待の新人FWとして、開幕戦から4戦連続でゴールを決めた頃の、城選手は輝いていた。その後、マリノスへ移籍してからも、日本期待の若手としての期待を集める有望株であったことは間違いない。

ただ、どちらかというと二番手だった。エースの城というフレーズを付けられながら、実際にはオルデネビッツやマスロバル。サリナスという外国人エースFWの後塵を拝していた。代表でもしかり。当時は三浦カズと中山というベテランFWの二番手的な扱いだった。アタランタ五輪では小倉の負傷でエースの座が回ってきたが、絶対的FWではなかったと思う。

スピードはあったと思うし、意外なほどヘディングは強かった。ポストプレーと前線での献身的な守備とプレーの幅が広かったのは確かだ。ただ、FWとして絶対的な強みに欠ける選手だった。

記憶に残るのは、やはりフランスW杯最終予選、イランとの決定戦での同点シュートだ。強靭なイランDFに挟まれながらの、起死回生の得点だった。控えFWの意地が炸裂したシュートでもある。

しかしその後がいけない。アマチュア監督が、マスコミに煽てられてチームの構成を崩し、ようやく獲得したエースFWの地位だが、期待には沿えなかった。フランス本大会では、意味のないオーバーヘッドで小ばかにされ、ペナルティエリアのなかでのパスで失望され、帰国した成田空港ではサポーターから水をかけられる始末。

せっかく海外へ移籍しても、得点よりもパスを選ぶ消極性は変わりなく、失意の帰国。それでもJ1、J2と格落ちしながら今日まで続けた選手生活も、今期で終りを告げ引退することとなった。

何がいけなかったのだろう。才能あふれる期待の選手であったことは確かだ。しかし、器用貧乏であった気がする。いろんなプレーを求められ、それに応じているうちに、点取り屋としての本領を失った観がある。チームプレーが大切なのは確かだが、一選手としての強さに欠けていた気がする。

これは城選手に限らず、日本人選手全般に言えることでもある。Jリーグが始まって、はや13年。未だ世界に通用するFWは育っていない。やはり歴史の浅さを感じざる得ない。まあ、これからの楽しみだと前向きに考えてみますかね。
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「もう一つ別の広場」 金曜PIM

2006-11-28 12:33:31 | 
中学、高校の頃は、ラジオの深夜放送に夢中だった。

ニッポン放送ならオールナイトニッポン、文化放送ならセイヤング、そしてTBSならパックイン・ミュージックだった。なかでも木曜深夜の金曜パック(通称、金パ)が一番のお気に入りだった。表題の本は、この番組のなかで取り上げられたリスナーからの投稿をセレクトしたものだ。

DJは、声優の野沢那智と白石冬美だった。野沢氏は声優の草分け的存在の一人で、アラン・ドロンの吹き替えで有名だ。個人的には「エースを狙え」の宗方コーチ役と、「チキチキマシン猛レース」の実況アナウンサー役の吹き替えが印象に残っている。白石女史は、頭のてっぺんから声が出ているのか、と思えるほどの高音で一度聞いたら忘れられない声質だ。やっぱりアニメ「怪物君」が忘れがたい。

番組の内容は、リスナーからのリクエストの音楽を流すことと、投稿を読み上げることだ。投稿の大半は、概ね若いリスナーの喜怒哀楽を綴ったもので、今も昔も若さから来る未熟さや、新鮮な感性は笑いと共感を誘うものです。

プロの声優だけに、読みの技術はさすがで、下手なタレントよりもはるかに上手く読み上げていた。私が金曜パックを好んでいたのは、単に楽しい投稿や可笑しい投稿だけでなく、厳しくも哀しい現実を書き綴った投稿がしばしば取り上げられていたからだ。原爆被爆症に怯える少女の悲痛な叫びや、差別に苦しむ在日朝鮮人の青年の悩み、社会の厳しい現実に直面した若者の嗚咽。これらの投稿を、野沢氏は淡々と、それでいて微妙な力加減で読み上げていく。

番組の終了が近づくと、レイモン・ルフェーブル楽団の「シバの女王」のBGMが悲しくも美しい旋律を奏でる。実に絶妙なタイミングで投稿を読み終える野沢氏が、情に流される事なくコメントを添えて番組が終わる。深夜3時の静寂が、その余韻を深く心に刻んでいく。

ラジオの前で、笑い、肯き、そして泣いた。今はもう終了した番組ですが、本を読むと当時の思い出が蘇ってきます。私の感受性は、案外ラジオの深夜放送で培われたものかもしれません。残念ながら、表題の本は古本屋でしか入手できません。たしか9冊ほど刊行されていたはずです。


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始めて一年です。

2006-11-27 09:42:13 | 日記
ずっと三日坊主だった。

なにがって、日記である。子供の頃から何度も日記をつけることを挑んではいたが、続いてもせいぜい一週間だった。大概が4日目あたりで忘れていた。いや、逃げていた。

ただ、社会人になって難病で身体を壊し、長期の自宅療養をするころから、体調管理を記す備忘録のようなものは、かれこれ20年書いている。主に体調の変化と、薬の服用などを書くだけだった。社会復帰してからは、少し行数が増えただけ。単に一日の行動記録をつけていただけだ。

だから、このブログが1年も続いていることは、不思議といえば、本当に不思議。実はこのブログ、一年前の今日から始めている。よくまあ、書くネタがあるなと、自分でも感心している。まあ、もともとお喋りな性質ではあるが、喋るのが下手なので、書くことでカバーしているのも事実。

もともとはAOL会員限定の掲示板で書くのを楽しみにしていただけだ。1999年12月に当時のコミュニティの一つ「ビジネスピープル交流クラブ」の掲示板に書き込んだのが最初だった。次第にはまっていき、チャットやオフ会にも時々参加していた。でも一番やりこんだのが掲示板だった。

ところがAOL自体が、経営的に迷走した結果、掲示板が使いにくくなった。なにせレス投稿が1000字の制限付きになってしまった。長文をダラダラ書いていた私には、余りの仕打ち。

仕方なく始めたのが、このブログだった。かなり消極的な理由だが、予想外に面白かった。三日坊主の私がである。続いた理由ははっきりしている。読んでくれる人たちがいるからだ。

一人だけの日記なら、これほどは続かなかったと思う。私の好き勝手な文章を読んでくれる人がいる。これが一番の励みだった。よく「ファンの方のおかげです」とか「サポーターのために」なんて発言を聞くが、以前はリップ・サービスだと思っていた。でも今は違う、よく分かる。改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。

掲示板に書いていた頃は、レス投稿が中心だったと思う。自分でスレッドを立てることもあったが、レス投稿が圧涛Iに多かった。そのほうが楽だからだった。でもブログはそうはいかない。自分でテーマを決めて、それについて書く。実はこれがけっこう面白い。

実はブログを始める時、最初に考えた題名は「古典を読もう」だった。十代の頃に読んだ本を、もう一度読み直したかったからだ。でも良く考えたら、当時から古典だけ読んでいたわけではない。読み返したい本も古典に限らなかった。だから普段読んでいる本、読み返した本、記憶に深く刻まれた本について書こうと思い、このタイトルにした。

時事ネタやスポーツネタに、しばしば脱線するが、これは書きたいから書いているだけ。やはり本当は、本について書きたい。本が好きだから、本を読む幸せを噛み締めたいから、だから書く。

いつまで続くか分かりませんが、読んでいただけることに感謝しつつ、マイペースで書き続けようと考えています。今後とも、よろしくお願いします。
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オニオン・スープ

2006-11-25 13:42:11 | 健康・病気・薬・食事
一雨ごとに冬の気配が近づいてくる。こんな時は、スーパーの野菜売場にあるタマネギが実に美味しげにみえてくる。

さっそく買ってみる。ジャガイモとニンニクも一緒にね。生クリームとチーズも忘れずに。

まず最初に包丁を研ぐ。これが大事。10分ほどでいい。タマネギがさくさく切れて、気持ちがいい。包丁研ぎは、やっていると気持ちが落ち着いてくる。気持ちが乱れている時は、お勧めです。

ホーロー鍋にサラダ油を引いて、温めてからバターを落とし、香りづけのニンニクのかけらを軽く炒める。焦げやすいニンニクを取り出し(後で戻すけど)、それから本格的にタマネギを炒める。椅子を持ち込んで、文庫本を片手に、気長にじっくりと弱火で炒める。

ページをめくるたびに、鍋をかき回す。焦げないように、ゆっくり、じっくり炒め上げる。タマネギの量にもよるが、40分ほどであめ色に仕上がる。半分は明日のポタージュに使うので分けて、残り半分でオニオン・スープを作る。

時折、あくを取りながら、コンソメ・スープで煮込めば出来上がり。塩と胡椒で味を調えれば、美味しい香りが立ち込める。とりあえず、そのまま頂く。あ~美味しい。

残りはフランスパンを浮かべて、チーズをふりかけオニオン・グラタンにしてみるか。ところで、まだ使っていない炒めたタマネギは冷蔵庫へしまう。これはジャガイモのポタージュに使う予定。

寒いのは嫌いだが、冬の料理はちょっと楽しい。冷え込んだ台所も、いつのまにやら暖かくなっている。ん?まだ11月なんだけどね。
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