ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

定期同額役員給与

2007-04-28 13:31:37 | 経済・金融・税制
規制緩和が謳われるようになって久しい。だが税務の第一線にいる身の実感では、規制は増えるばかりだ。しかも馬鹿げた規制が増えている。

昨年、大幅に改正された商法及び会社法だが、その改正の背景にあるのは経済の活性化だと考えられる。事実、この十年、会社の数は減少の一途を辿っている。霞ヶ関の官僚たちは、このことに危機感を抱いていたようで、官僚以上に危機感を募らせる財界の要望もあって、昨年の改正がなされたと聞いている。

この改正の結果、法人(会社)の設立が容易になったことは間違いない。これで会社の数が増え、経済が活性化するかどうかは、若干の異議があるが、当面は様子をみたい。ただ、この改正に心配を募らせている官庁がある。財務省及びその外局である国税庁だ。

簡単に会社が作れるため、会社を作って、社長自ら手前勝手に高額が給与を手にし、かつ親族などに分散して、形式的合法な節税が横行するのではないか。税収が欲しくて欲しくてたまらない、霞ヶ関の住人は、心配で夜も眠れない。

実際のところ、まったくの杞憂というわけではない。日本の企業の9割は同族経営であり、役員の給与は、事実上社長の思うがままになっている。これは愕然たる事実そのもの。仕事に従事していない家族に給与を払って節税を図るのも、実際に行われてきたことだ。

そこで頭のイイお役人さんたちは考えた。役員の給与は、決算後の株主総会で決まるはず。その決まりは守ってもらおうじゃないか。途中での変更なんて認めない!

こうして決まったのが、中小企業対象の「役員給与の定期同額支給」基準だ。この基準からはずれたら、それは否認する!途中で利益が急激に上がっても、役員の給与は上げることは認めない。どうだ!これなら節税できないだろう、カッカッカ(と笑ったかどうかは知らんが・・・)

信じられないくらいオバカな改正、いや改悪だ。官庁や公益法人、財団法人ならいざ知らず、大半の中小企業では、資金に余裕なんてありゃしない。いくら多額の給与を出したくとも、資金がなければ未払いが膨らむだけ。むしろ業績悪化にともない給与を下げたり、未払いのままにしたりして、この苦しい平成不況を乗り切ってきたのが現実。

第一、どんなに社長の給与を上げようと、そこには所得税が課税されるのであり、場合によっては法人税よりも負担が大きい場合もある。第一、臨時株主総会を開催して、株主の同意を得て給与を上げても、それを認めないのだから、法的整合性が成り立たない。

これほどヘンチクリンな法人税改正も珍しい。霞ヶ関広報部を任じて止まない日経をはじめとした大手マスコミは、大企業には関係ない、この悪法を無視している。

我々税理士業界でも、なんだこれは?と異議続出なのは当然だが、クライアントである中小企業の社長さんたちも首をひねっている「何、これ?」と。

実のところ、一番困ったのが押し寄せる質問に根を挙げた税務署の職員たちだ。霞ヶ関のお偉方と違い、実際に租税徴収の現場に立つ税務署職員たちからも疑問の声が、いや悲鳴があがった。霞ヶ関への質問が、山のように押し寄せたと聞いている。

通常、年の前半に国会を通過した改正法案は、その夏に通達が発令されて、行政の末端まで知らしめられる。ところが、平成18年は通達が出なかった。いや、出せなかったが真相のようだ。秋には、いや冬には・・・と先延ばしにされ、挙句に年末に国税庁のHPでの「Q&A」という形で発表する有様。

数字はよく知っているが、経済の現場を知らない温室育ちのエリート官僚たちの優秀さなんて、こんなものなのだと、よくよく分るお馬鹿な法人税改正。

ある税務署出身のベテラン税理士曰く「こんな馬鹿な改正をしなくとも、現場でしっかり事実認定をすれば、十分課税できる!」に尽きると思います。要するに、税務職員の質が落ちているってこと。

ただねえ、馬鹿げた改正でも、法は法。これが税務の現場で執行されたら、えらく面唐ネ気がするのも確か。果たして、税務調査でどこまで踏み込んでくるのか?いささか不謹慎ですが、今から興味津々です。もちろん、事前対策は怠りなくは当然ですがね。
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カーペンターズに思うこと

2007-04-27 09:36:01 | 日記
先週末は、風邪のせいで一日中家でゴロゴロしていた。何気なくTVを付けたら、カーペンターズの歌が流れてきた。懐かしくなって、思わず最後まで観てしまった。

番組は、NHKのプライム10だ。驚いたのは、兄のリチャード・カーペンターが随分と渋みがかった壮年の男性としてインタビューに答えていたことだった。

私は少し複雑な気持ちで、彼のインタビューを聞いていた。ご存知の方も多かろうと思うが、カーーペンターズは、元々兄のリチャードを中心に結成された。幼い頃からピアノの演奏に長け、作詞作曲にも才能のあった兄は、周囲から嘱望される才能あふれる若者だった。

一方、兄を追うように音楽の世界に身を置いた妹のカレンは、ドラムを叩きながら唄うといった控えめな性格であったようだ。皮肉なことに、この控えめなカレンは天性のボーカリストであり、彼女をメインに据えてカーペンターズは世界的大スターとなった。彼女の深みのある、暖かな声に惹かれた人は多いと思う。

私が複雑な気持ちなのは、兄の立場を考えざるえないからだ。カレンのボーカルの才能を見抜き、それを活かすためにドラムを止めさせて、ボーカルに集中させたのは兄リチャードの慧眼だと思う。思うが、兄には別の想いがあったのだと想像していた。

やはり私の想像は当たっていた。兄リチャードは、自分で歌いたかったのだ。そうではないかと、昔から思っていた。インタビューで、リチャードはそのことを率直に語っていた。なんとなく、気持ちが晴れた。もちろん、率直に語れるようになるまで、相当な葛藤はあったと思う。

私にも妹がいる。何時の頃からか、妹のほうが優れていると感じていた。人当たりがよく、運動神経が良く、活発で人気者の妹を持つ兄は、少々複雑な想いを抱かざる得なかった。理由は不明だが、カーペンターズを知るようになると、カレンの素晴らしいボーカルに惹かれる一方、兄リチャードの隠された想いを想像せずにはいられなかった。

幸か不幸か、私と妹はまったく違う世界で生きるようになり、お互いを比較したりして妙な感慨を抱く必要がなくなった。特に仲がいいわけでもないが、適度な距離を置いていることが、結果的に良かったのだと思う。

一方、カーペンターズは同じ音楽の世界に身を置き、兄が妹を補佐する形で成功を収めた。主役は、あくまで妹だった。まわりはなんと言おうと、兄は妹の存在を複雑な想いで見ていたに違いないと感じていた。それが拒食症による死という形で終わったことは、決して幸せなことだとは言わない。言わないが、多分その時リチャードは妹から完全に解放されたのだと思う。

兄弟が同じ世界に身を置けば、実力差や運、不運などにより立場が逆転することになることは珍しくないと思う。実際、兄よりも弟のほうが優れた実績を出している事例は多くある。実力の世界なのだから、それは当然であるのだが、気持ちの上で割り切れぬ思いはあるのではないか。

私は税理士として、多くの同族会社を見てきている。中小企業にとって、父親である社長が、子供達に会社を譲りたいと願うケースはかなり多い。問題は子供が複数いる時だ。私は経験上、兄弟が仲良く経営を出来るのは、親が健在な時が普通で、親の死後は仲違いすることが珍しくないのを知っている。仲の良い兄弟でも、その子たちの代になると、まず間違いなく割れてしまう。

だから、経営者から会社の引継ぎ問題の相談を受けると、必ず兄弟を分けるようなプランを提示している。親としては、兄弟に助け合って経営をして欲しいはずだが、それは難しいと説得している。長子相続でも末子相続でもよいが、やはりトップの席は一つだけなのだ。

さて、クライアントは納得していただけるのだろうか。いつもながら難しい問題だと痛感しています。
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「モンスター」 ジョナサン・ケラーマン

2007-04-26 09:40:36 | 
心理科の医者が、日常的にいる社会ってどんなものなのだろう?

平安時代の日本では、陰陽師がテクノクラート(技術官僚)として政府の役職に就くことは当たり前であったようだ。他にも卜占をする占い師や、方位を診断する風水士が、当然のように社会に受け入れられていることは、日本に限らずよくあることのようだ。

いつの時代にも、人々は確かならざる未来を、少しでも確実にするために占いなどにすがることは珍しくない。近代以降は、科学が占いの座を奪ったようだが、それでも星占いや、霊媒師などが絶えたことはない。

科学と占いの違いは、何かと問われれば、それは第三者客観性にあると思う。Aという現象からBという結論が導かれるという理論は、誰がいつやっても同じ結果になることにより証明される。しかし、占いは違う。Aという現象からは、占い師次第でBという結論もあれば、Cという結論もあり得る。

これゆえに占いは科学足りえない。だから信じるに値しないと、結論付けるわけにはいかないから、人間は面白い。占い師は、答を求める客により、その占いを微妙に変える。客が欲する答を与えることが出来れば、それは占い師として優秀であると評しても、そう間違いではないと思う。

いくら科学が論理的に正しい回答を用意しても、それが必ずしも満足のいく回答となるとは限らない。論理的な正しさだけでは人は満足できないのだろう。人々が叡智を絞り、理想的な社会を作ろうと努力しても、どこかに無理があるのだろう。その無理が人の心を傷つける。

表題の本は臨床小児心理医アレックス・シリーズの新作です。アメリカという人造国家は、理想を求めた人たちが築き上げた国ですが、世界でも稀に見る心理医大国でもあります。国民の多くに、かかりつけの心理医がいる国なんて、アメリカくらいなものでしょう。

本作に限らず、アレックス・シリーズでは心の病んだ人間が多数登場します。これほどまでに人の心を傷つける国、アメリカ。だからこそ宗教や、セラピストが栄える国でもあるのでしょう。主人公のアレックスは、心理医として社会的には成功したけれど、若くして疲れ果てて引退し、静かな生活のなかで自分を取り戻し、持ち前の社会正義心から探偵役を引き受ける人生を歩んでいます。

直視するのも嫌になる陰惨な事件と、知りたくもないような心の腐った人々が多数登場するアレックス・シリーズですが、それを救っているのが主人公の健全な常識であり、前向きな精神であると思います。だからこそ、読むのを止められない魅力があるのですが、なかなか新作が発表されないのが、唯一不満かな。まあ、今回も十二分に楽しませてもらいました。
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「世界経済大予言」 藤井 昇

2007-04-25 09:32:40 | 
1985年ごろだと思う。当時就職活動のため、読みなれぬ日経新聞を必死で読んでいた。それほど面白いとは思わなかったが、私は経済面よりも国際政治面での記事の充実に目を瞠っていた。

それまでが、朝日新聞一辺唐ナあったので、かなり新鮮な印象があった。とはいえ、就職活動には何より経済記事が重要と考え精読するように努めていた。

今にして思えば、書いてあること=事実と思い込む稚拙な新聞読みであったが、実務経験のない大学生では致し方なかったと思う。

あの頃は円高不況の虚報が、まことしやかに宣伝され、バブル景気の予兆すら感じられなかった。当時は製造業が衰退気味で、これからは半導体のようなソフト・パワーが日本の基幹産業となると、経済評論家たちがしたり顔で断言していた。

だからこそ、表題の本を読んだ時はビックリした。たしかにハード・ウェアはソフト・ウェアの働きなくしては動かないが、ソフトは所詮付加価値に過ぎず、基幹たるハード・ウェアなくして日本の未来は有り得ないと断言する著者の主張には、かなりの説得力を感じた。

しかし、この著者は若すぎた。どのような背景から出てきた人なのか、さっぱし分らなかった。そもそもケンブリッジ・フォーキャストグループって何なんだ?ただの研究会なのか?

その主張に、かなりの共感を覚えつつも、ある種のいかがわしさすら感じてしまい、私の書棚の奥に放り込んだ本が表題の本だった。

あれから20年以上経つが、藤井氏はその後もボチボチと本を刊行している。ユダヤ資本の問題やら、アメリカ政治の奥庭の動きやらを報じた本が中心だ。

けっこう読むに値する内容だと思うが、一つ問題がある。それは著者の姿勢だ。「何も知らない日本人」という高所から蔑むような姿勢が、どうも素直に信じる気になれなくさせている。どうしても、胡散臭さを感じざる得ない。若さゆえの昂ぶりからくるものかとも思うが、もうそんな年ではあるまい。

それゆえ、書いた本の内容に一定の評価をしつつ、イマイチ信用しきれないでいる。初めて読んでから既に20年以上経つのに、未だ評価が定まらない。正直私自身、けっこう戸惑っている。全ての著作を読んだわけではないが、これからも注目しておく価値はあるとも思っている。

この著者が先見の明のある賢人なのか、それともトンデモ本の書き手なのか、じっくり考察してみようと心ひそかに考えています。
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シリア戦をTVで観て思ったこと

2007-04-24 14:55:48 | スポーツ
先週、予定していた件が急遽キャンセルになり、早めに帰宅した。おかげで、久々に北京オリンピックを目指す若き日本代表チームを、じっくり見ることが出来た。

期待半分、失望半分ってところかな。

まず、先制点の25メートルのミドルシュートを決めた柏の水野。A代表でも滅多に見れないビューティフル・ゴールでした。この世代、ミドルの上手い選手が多いと思っていたが、期待通りの働きぶり。ミドル・レンジからロング・レンジのシュートは、日本代表の長年の懸念事項で、実戦で使いこなせる選手が極めて少なかったので、大いに期待したい。

前半終了間際での、名古屋の本田の得点は、ゴール前での冷静な動きが良かった。グランパスの新・レフィティモンスターは、左サイドからの崩しはあまり見られなかったが、マークを巧にかいくぐり、ゴール前に走る動きは、なかなかに良し。

得点こそなかったが、印象に残ったのが、ガンバの家長。ゲームを上手く動かしていたと思う。彼が退いてからの後半、シリアにずいぶんと押し込まれていた。

一方、本当にがっかりしたのが、マスコミが常に注目する平山。シリアのDF陣よりも長身で、センターにどっかり構えるのかと思いきや、サイドに流れたりして肝心な時にゴール前にいない木偶の坊。なんで、反町監督は平山を使うのか、さっぱり分らん。まともに出来たポスト・プレーは一つもなかったゾ。裏に走り込もうとするカレン・ロバート(磐田)が気の毒に思えた。

どうも、反町監督はサイドから崩してセンターの平山に当てて、周囲のFWが得点する戦術を指導しているようだが、選手がそれを信じてない気がした。実力のある家長や本田なんて、平山にパスさえ出し渋っているように思えた。そりゃ、すぐにボールを奪われるポスト・プレイヤーじゃあ、ボールを預ける気も失せるわな。

このチーム、上手い選手は多いが、泥臭くしぶとい選手に欠ける。フリーにさせれば、凄いプレーをするのだが、敵選手からのプレッシャーを強く受けると、たちまちに逃げに回る悪癖があるように思える。

次の最終予選は、韓国、オーストラリア、イランといった強豪が目白押し。北京への道のりは未だ半分。こんな調子では、出場できる確率も、半々ぐらいではなかろうか。
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