ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

アメリカン・タブロイド(下) ジェイムズ・エルロイ

2017-10-31 11:56:00 | 

国家は法と制度のもとで運営される。

しかし、何時の時代でも、法と制度に従わぬ人々が存在する。国家の支配に屈せないかつての権力者である場合もあれば、元々敵対的な勢力だが、力及ばず敗れて屈辱に耐えて雌伏するものたちもいる。

そして、なにより多いのは、法や制度よりも自らの欲望を優先する者たちだ。裏社会の人間であり、場合によっては場合集団を組み、影に潜んで己の欲望にのみ忠実に従う。

この裏社会の勢力は、本質的には国家と相対立するものであり、武力による弾圧をされても当然の存在である。ところが不思議なことに、表向き危険視され、警察などの取り締まり対象とされながら、裏で政治権力と結びついていることが少なくない。

表題の書において、エルロイは元政府機関の職員であった3人を軸に、アメリカ政府の薄汚い側面を情け容赦なく抉り出す。エルロイの正義感は、綺麗面して裏で汚いことをやる人間を許しはしない。

私はこの作品を読みながら、アメリカも日本も、あまり変わりないなぁと思わざるを得ませんでした。

以下の内容は、私の憶測と邪推に基づくものだと、予めお断りしておきます。

日本は戦後の敗戦の荒野から立ち上がり、やがて高度成長を迎えました。だが、政治の世界では、アメリカ寄りの現実路線を取る保守・自由民主党と、革新陣営と呼ばれたソ連、共産シナ寄りの日本社会党、民社党、日本共産党との激しい争いが続いていました。

地方の農民と大企業の支持を基盤とする自民党と異なり、革新陣営の支持基盤は大きく分けて労働組合、マスコミ、学生でした。特に労働組合と、学生運動家は過激な行動に走りがちであり、世界に冠たる日本の警察をもってしても、完全に抑えることは出来ませんでした。

そこで考えられたのが、反社会的勢力を用いて革新陣営の過激分子を潰すことでした。

おそらく、最初の嚆矢は右翼の大物である児玉誉士夫でしょう。1960年代にヤクザを集結させて、学生運動や労働組合を潰そうと画策したようです。もっとも児玉の野心(ヤクザを支配)が強すぎて、この企みは上手くいきませんでした。

だが、ここでヤクザという裏社会の人々と、政治家との接点が生まれた。背後に居たのは大野、鳩山、そして田中角栄ではないかと推測できます。私は学生運動が盛んであった街で少年期を過ごしているので、詳しいことは知らなくても、大人同士の争いがあることは知っていました。

飲み屋街の裏手で繰り広げられる、ヤクザと学生との喧嘩は最初は小規模でしたが、そのうち正面からでは勝ち目のない学生側が過激派の運動家を引き連れてきて、激しい争いを繰り返していたのです。

それを止めに入る警官たちは、両方とも捕まえていましたが、長く逮捕拘留されるのは、決まって学生の側でした。私はどちらかといえば、学生側の方でしたから、彼らの警察に対する不信、不満をよく聞かされていたものです。

ところが様相が変わってきたのは、田中角栄と福田赳夫との角福戦争が起きた頃でした。元々一枚岩とは言いかねたヤクザ側が関西・山口組系と、関東を中心とした勢力とに二分されて争いだした。こうなると、学生たちは蚊帳の外です。

やがてロッキード事件により、田中角栄が政治の表舞台から姿を消すと、福田首相は広域暴力団壊滅に向けて「頂上作戦」を決行しました。これまで手札として使っていたヤクザたちを、警察を使って一網打尽にすることを試みた。

その頃、私は学生たちだけでなく、博徒の兄さん方との交流もあったので、彼らの福田首相への罵詈雑言を良く聞かされたものです。散々ヤクザを左翼過激派対策に利用しておきながら、ライバルである角栄を追いやると、手のひら返した元エリート官僚である福田に対する恨みは相当に根深かったと思います。

ちなみに学生たちですが、間抜けなことに、この時期は革マル派、中核派などに二分して内輪もめに熱中(いわゆる内ゲバ)しており、普通の学生のみならず、これまで支援してきた大人たちからも見放され、孤立化してきました。

やがて日本はバブル景気を迎えると、政治、官僚、大企業、そしてヤクザがあぶく銭を求めて共闘し、あの狂乱の不動産相場、株式相場で大騒ぎしたのは記憶に新しいと思います。

実は日本でも、この政官財+ヤクザという下種な組み合わせを非難する声は上がっていました。でも、大手のマスコミである新聞、TVはバブルが弾けるまで無視し続けました。

一部の雑誌にアングラ情報として流れる他、反政府的傾向が強い大藪春彦ら一部の作家が名前を変えて小説のネタとして使っていたぐらい。つまり決して教科書には乗らない裏の日本現代史なのです。

別に日本にもエルロイよ出でよなんて言いませんけど、TVや新聞は必ずしも事実を伝えない現実は知って於いて欲しいと思います。

ところで、アメリカのトランプ大統領がこれまで非公開とされていた、ケネディ元大統領の暗殺事件の資料公開を許可したとの報が流れてきました。この本を読んでいる以上、是非ともその公開資料に目を通してみたいものです。今からドキドキしていますよ、私は。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカン・タブロイド(上) ジェームズ・エルロイ

2017-10-30 12:01:00 | 

多分、私はエルロイの呪いに魅入られている。

ジェイムズ・エルロイの名はアメリカのみならず、現代ミステリーの世界にあって異端であり、異質であり、異様でさえある。

その作品、とくに初期のものを読めば分かる。犯罪者でなければ、ここまでは描写できないのではないか、そんな疑惑が持ち上がるのは致し方ないほどに、犯罪者の異常心理、異常行動を淡々と描き出す。

実のところ、エルロイは若い時分、路上生活者として犯罪スレスレの世界で生きてきた。アルコール中毒にもなり、施設に収監されたこともある。だが、そんな荒んだ生活の中でも、図書館通いは止められず、20代後半で作家としてデビューしている。

率直にいって重犯罪こそ無縁ではあったが、軽い犯罪に手を染めていた可能性は否定できない。だが、エルロイはその作品のなかで犯罪を美化している訳でもなく、また犯罪者を擁護している訳でもない。

エルロイには間違いなく罪を憎み、不正を憎み、心の弱さを憎む強い正義感がある。その原点は、幼少時に母を殺された事件であることは、間違いのないことだと思う。その後、生活破綻者である父との暮らしのなかで、犯罪者になりかねない厳しい生き方を強いられていることも影響している。

だが、彼の正義感は法や制度に基づくものではあるまい。彼の心の中の正義の礎は、その過酷な人生の中から打ち立てられたものだ。「ブラックダリア」「LAコンフィデンシャル」「キラーオンザロード」など初期のクライム・フィクションの傑作は、エルロイの半生から産まれたものだ。

後年になると、彼の正義感は単なる犯罪をネタとしたものから飛躍して、政府の仮面を被った悪人たちに鋭い筆法を向けるようになる。FBIやCIAの職員や、政府高官たちの不正にエルロイは牙を剥く。

アメリカ・ミステリー界の狂犬の異名は伊達ではない。

白状すると、エルロイのミステリーを読むのは少し辛い。ミステリー慣れした私が辛いと感じるほどに、彼が描き出す犯罪は凄惨であり、その解決も決して教科書的ではなく、割り切れぬ矛盾を抱えた妥協の産物を呈示してくる。

私はエルロイのミステリーを読んだ後、しばらくはミステリーから遠ざかるようになる。心を休めないと、次の読書に取り鰍ゥれないほどにダメージが大きい。それでも、私は時折、無性にエルロイのミステリーが読みたくなる。

幼い時に、犯罪者に母を奪われ、多感な少年時代を底辺の人生を生きる父と共に過ごし、家を飛び出してからは日のあたる場所を、上を向いて歩けなかった青年期を送ったエルロイの呪詛が、その作品に込められているからだ。

表題の作品は、長編であり、いろいろと思うことがあるので分けました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パーマ屋さん

2017-10-27 12:42:00 | 健康・病気・薬・食事

あれだけ閉店が惜しまれたパーマ屋さんは珍しいと思う。

20代前半は、病院を行ったり来たりの療養生活であり、入院暮らしも結構長かった。でも、じっとしているのが苦手な私は、しばしば病棟を抜け出して、古本屋巡りをしたり、買い物に行ったりしていた。

入院中も寝間着ではなく、スウェットとか短パン、Tシャツを着ていたので、外出も手軽であった。その日はバスで吉祥寺まで出て、古本屋を数件回って、ほくほく顔で病院そばのバス停で降りた。

すると、通りの反対側でなにやら葬儀が行われている。そばを通り過ぎようとしたら、いきなり声をかけられた。「あら、ヌマンタ君。何しているのかなぁ? 外出許可書出した覚えはないんだけどねぇ」

え? 誰だ、この黒い服着た女性は・・・あれま、婦長さんだ。やば!

すると、振り返る男性数名。なんと、主任教授のN先生に、助教授のK先生、他にもちらほら見知った顔の医師のお方々ではないか。

いや~、ちょっと本を買いに行ってましたと言訳すると、N教授がニヤニヤしながら、「なるほど、ベッドの脇の大量の本は、こうして入手してたんだねぇ」と言い、見逃してくれた。

これ幸いと、すたこらと逃げ出した。病棟に戻り、ナースステーションの看護婦さんたちに、見つかっちまったようと嘆く。なんで、あんなところの葬儀に、ここの先生方、それもお偉い先生ばかりが行っているだと愚痴る。

すると、看護婦さんたちが、「あぁ、あれね。私たちも後でご焼香に行くのよ」と言う。妙に思ったが、忙しそうな看護婦さんたちの仕事を邪魔するのも、なんなので取りあえず病室に戻る。

その後、夕食後、暇をみて休憩中のヘルパーさんに事情を訊いてみた。私はてっきり亡くなった方は、病院関係者だと思っていたが、そうではなかった。亡くなったのは、病院近くのパーマ屋さんの店主であった。

私が長期入院している病棟は、難病患者が多く集まる。中高年が多いが、たまに十代の女性もいる。難病ゆえに副作用の強い薬を使うことが多い。その副作用のなかでも、女性患者に評判が悪いのが脱毛である。

この脱毛が嫌で、薬を飲むふりをして捨ててしまう患者さんが毎年数名出るほどである。これは老いも若きも関係なく女性患者共通の悪癖であるようだ。悪癖と評したのは、病院側にとってはその薬を服用さえしていれば大丈夫なのに、それを勝手に止めてしまい、その結果病状を悪化させてしまうからだ。

でも、患者にとっては違う。特に女性にとって、髪が大量に抜け落ちてしまうのは大問題である。そういえば、ニット帽をかぶっている患者さんが数名いた。ウィッグという女性用鬘を付けている人もいたらしい。

帽子やウィッグで誤魔化しても、やはり嫌なものは嫌。だから、薬を勝手に止めてしまい、病状を悪化させる患者が絶えることがなく、それが病院にとってかなり深刻な悩みとなっていた。

ある時、薬の副作用でまばらに脱毛してしまい、自殺騒ぎを起こした若い女性患者さんがいた。幸い一命を取り留めたものの、泣きわめき、大変な騒ぎとなった。

そんな時、たまたま病棟に知人の見舞いに来ていたのが、パーマ屋さんのご主人であった。そのパーマ屋さんが「私が綺麗にセットして差し上げましょう」と言ってきたので、若き日のN先生が婦長と相談の上で、藁にもしがみ付く気持ちでセットを頼んでみた。

処置室を使い、そのまだらに脱毛した患者さんの髪を、手慣れた手つきでサクサクとカット。その出来上がりに、患者はもちろん、医師も看護婦もビックリ。短くカットした髪を、クルッとカールさせて脱毛部分を隠した上で、あたかもモデルさんのようなお洒落な髪形になった。

それまで泣いてばかりであった患者さんは、人が変ったかのように笑顔になった。厭がっていた薬も飲むようになり、半年後には病状も安定して無事、退院となった。その後も通院は続いたが、病院のそばにあった、そのパーマ屋さんの常連客となったのは言うまでもない。

以来、病院では薬の副作用で脱毛に悩む患者さんを、そのパーマ屋さんに連れて行き、トラブルを回避するのが通例になったそうだ。しかし、皮肉なことに、その店主に癌が見つかり、治療の甲斐なく亡くなってしまった。

店主に恩義を感じていたN教授の計らいで、入院ではなく本人の希望通り在宅治療であったそうだ。その日、私が出くわしたのが、そのパーマ屋さんの葬儀であった。N教授らが参列したのも当然であった。

その話をしてくれたヘルパーの方も、そのパーマ屋さんの常連であったそうで、あれだけ上手な方は滅多に居ないわとため息をつかれていた。

残念ながらそのお店は閉店してしまった。ちなみに、現在は病院内に床屋さんが併設されています。そのパーマ屋さんで若い頃に修行した方が開設されたと聞いています。でも、腕は師匠には遠く及ばないとか。

病気を治すのは薬や手術だけではないことがよく分かりました。私も人に感謝されるような仕事をしていきたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落とし物注意

2017-10-26 12:22:00 | 日記

怖い事故だと思った。先週の岡山で起こった母娘死傷事故である。

街路灯の少ない夜の高速道路は、走っている車も少ない。だからわりとスピードを出して走らせることが多い。私の場合、空いている高速道路ならば、夜でも110キロ前後で走らせることが多い。

経験的にこのスピードならば、パトカーに捕まることも滅多にないし、車間距離を100メートル前後とれば、安全に止まれると知っているからだ。もちろん雨の夜ならば、もう少しスピードを落とすし、混んでいれば流れにまかせる。

だから、この事故の詳細を知った時、同じ状況であったら私も同様に車を破損させてしまったと確信できる。薄暗い夜の高速道路を快適に走らせていたら、いきなり大きな黒いタイヤが路上に落ちていた。さあ、どうする。

急ブレーキを踏むのが、おそらく最良の手段だと思うが、無事止まれるかは疑わしい。早期に気が付けばともかく、いきなりの場合、ハンドルで回避するのは転倒の危険性が高い。

ほとんどの場合、そのタイヤにぶつかる、もしくは乗り上げてしまう。母娘の乗った軽自動車は、そのために前部を破損して走行不能に陥った。その後から来た大型トレーラーは路上に止まる軽自動車に気が付いても、黒いタイヤまでは回避しきれないだろう。そして乗り上げて、転倒して母娘を轢いてしまった。

痛ましい事故だと思う。私が当事者でも避けきれないと断言できてしまう。

白状すると、私は高速道路上の落し物は、何度か見てきたが、それほど危機意識はなかった。認識が甘かった、甘すぎた。割と夜に高速道路を走ることが多いので、殊更今回の事故には驚かされた。

世の中、絶対に安全はないと、常々思っていたが、これほど身近な、あるいはありふれた路上の落し物が、これほど危険だとは考えていなかった。つくづく私は甘いと思った。

私にとっては、下手な怪談よりも遥かに怖い事故だったと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予測と希望的予測

2017-10-25 11:57:00 | 社会・政治・一般

共産シナの習近平が独裁政権を確立させたようだ。

今までは集団指導体制を公言してきたが、今回その言葉は使われていなかった。まだ未定だが、場合によっては中国共産党主席の座に就くかもしれない。ちなみに主席の座は、もう十数年空席であった。これは独裁者を出さないためだと云われている。

しかし、今の習近平は実質独裁者としての実力を備えており、事実上共産党主席である。モウタクトウ、トウショウヘイ(字化けするのでカタカナ表記します)以来の強権の座に就いたと称して良いと思う。年齢的にも若く、長期政権を担う可能性も高い。

これは日本に限らないが、欧米でも多いのがシナ崩壊説である。もしくは、シナが世界の覇権を握るとの説もあるが、前者が政治的な期待が込められているのに対し、後者は経済的な期待が込められているのが特徴的である。

私が要注意だと考えているのが、シナ崩壊説。この説を唱える人は、予測というよりも願望に近いものを感じるからだ。

非常に不思議なのだが、古来より数多くの国が打ち立てられたシナの地において、短期間で潰れる国は、ほとんどの場合、初代もしくは二代目で潰れる。しかし、三代続いた国は、弱体化することはあっても、多くの場合長期政権を打ち立てる。

そして、共産シナはもう半世紀を超え、国のトップも何度となく交替している。私は現行のシナは、国家として長続きするとみている。ただ、どこまで発展するかは、些か疑わしいとも思っている。

古来より、シナの国家が倒壊する場合(シナに限らないが)は、いくつかのパターンがある。まず強力な外敵による侵略による場合。もう一つは内部に強力な地方勢力が出来て、中央政府を打倒する場合だ。更に付け加えるなら、長期にわたり支配が続いた国家が崩壊する場合は、国内に飢饉等があり、国民が流動化し、宗教的勢力が暗躍する(既成の権威を否定している)ことが多い。

では、現行のシナはどうかというと、まず侵略してくるほどの強力な外敵が見当たらない。ロシアとは長く国境を接するだけに紛争は絶えない。でも、ロシアにシナの大地への領土的野心は非常に少ない。

伝統的宿敵である騎馬民族は、イスラム教徒に姿を変えて異分子化しているが、シナを脅かすほどの力を有してはいない。第一、騎馬が軍事的主力である時代は過去のものだ。

すると、国内に置いて北京の中央政府を脅かすほど力をつけた地方政権はどうか。これも現時点では、弱いというか単なる不満分子に過ぎず、未だ共産党による支配は有効である。

では、国内を不安定化させる流民はどうかというと、これも実在するが規模が小さく、政権を揺るがす力はない。皮肉なことに、一人っ子政策が流民の発生を抑制してしまった。また国外脱出する手があるため、流民が国内で反政府勢力となる可能性は低い。

最後に注意するべき宗教勢力の勃興だが、法輪功を見事に抑え込んだように、北京政府の管理は厳格であり、当面は脅威とはなり得ない。つまり、現時点において、共産シナが崩壊する可能性は、ほとんどないと私は考えています。

前述したように、シナの短期崩壊説を唱える人は、多くの場合希望としてのシナの崩壊を望んでいると私は理解しています。(経済については、改めて別の機会に述べたいと思います)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする