ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今年を振り返って

2018-12-31 12:57:00 | 日記
年々、月日のたつのが早く感じられて仕方ない。

これが年をとるということなのだろう。思えば子供の頃は、一日が長かった。それなのに、今となると一日はあっという間に終わってしまう。

死ぬまでに、私は後どれだけ本を読めるだろうかと考えてしまうことさえある。私もそろそろ中年を卒業して高齢者の世界に足を踏み出すのだろうと思います。だからこそ、なるべく良い本を沢山読みたいものです。

さて、今年一番の収穫といえば、やはりラス・カサスの「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」に尽きます。この書は、厳密には初読ではないのですが、大半は部分読みに過ぎず、多くは読書会での朗読などでしたから、自分でじっくり読んだのは今回が初めてでした。

岩波文庫から刊行された本書は、大変短い小冊子ながら、その内容は簡潔なのに深刻、簡略なのに重厚、淡々と記載されているにも関わらず、その内容は極度に残虐。

今なお美しい自然が残るカリブ海の島々で行われた醜い残虐行為を、我々人類は決して忘れてはならないと思います。もし未読だったら、是非とも一度は目を通して欲しい一冊です。

もう一冊、今年印象に残ったのが「岩崎彌太郎」伊井直行でした。三菱財閥の創業者として知られる岩崎ですが、TVドラマなどの影響が大き過ぎて、その実像が固定化され過ぎていた人物だと、この書を読んで分かりました。

やはり人物の評価は難しいものです。倫理的な観点から悪役にされがちな岩崎ですが、政府に仕えることを望みながら、その異端の交渉力故に商人に留められたが故に、政商として活躍せざるを得なかった。だが、やる以上は徹底的にやる。実に興味深いと思います。

これは別に批難するつもりではないのですが、戦後の日本における司馬遼太郎の影響は非常に大きいです。いわゆる司馬史観に染まり過ぎると、却って見えなくなるものがあることは注意したいと思いました。

さて漫画ですけど、これは今年初めて完読した「黒子のバスケ」藤巻忠俊が一番印象に強かったです。これだけ面白いなら、もっと早くに読んでおけば良かったと後悔したぐらいです。どうも私は偏見が強すぎる。

私の記憶では、週刊少年ジャンプ誌に連載中は、人気No1ではなかったと思うのです。アニメ化が人気に火を付けたらしいのですが、私がTVを観ない人なので、当時は気が付きませんでした。この単行本は全巻、揃えるつもりです。

また毎年書いていますけど少年漫画界一の問題児、「HUNTER×HUNTER」冨樫義博は今年も無事再開され、単行本一冊分の掲載で再び休載。面白いことは間違いないのですけど、もはや少年漫画の域を超えてしまっている観が否めません。

っつうか、挿絵付の小説かと思うくらいに文章が多い。これだけ文章が多い漫画も珍しい。でも、面白いから条件付きで許す。条件? 決まっています、早く連載再開せい!

実は今年、8月以降映画館にまったく足を運んでおりません。諸事情から時間が作れなかったのです。せめてこの年末年始にクイーンの映画だけは観に行きたいと願っています。そんな私の今年No1映画は、誰がなんと言おうと「ジェラシック・ワールド 炎の王国」で決まりです。

やはり娯楽映画は、こうでなくっちゃいけません。いけいけ恐竜、やったれ恐竜と楽しめれば余は満足じゃ。さて、アメリカ本土に上陸したTレックス様や、ラプトル君たちの今後のご活躍を願って止みません。

今年も後数時間でお終いです。私はこれから閉店間際のデパ地下を巡って、正月の食糧を買い込みます。毎年恒例のお楽しみ~♪

それでは皆様、良いお年をどうぞ。
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トイレの花子さん

2018-12-28 15:58:00 | 日記
昔からトイレに係る怪談噺、お化けの話題は多かった。

だから、漫画「鬼灯の冷徹」に於いてトイレの花子さんを、日本古来の神様である埴山姫だとした展開は面白かった。もっとも埴山姫は、土の神、陶撃フ神だとするほうが一般的だと思う。多分、トイレ⇒糞尿⇒肥料⇒土といった発想ではないかな。

もっとも埴山姫とは無関係に、江戸時代から厠神の風聞は続いており、伝統的にトイレを神聖な場所だとしてきたのが日本である。トイレに花を飾る習慣は、この頃からのものであるらしい。

世界的にみても、日本のトイレは質素ではあっても、清潔な場所であったと思う。そのうえ糞尿を肥料として農地に活用してきたので、トイレに対して悪印象があるわけではないと思う。

それでも汲み取り式のトイレには、どこか怪しい雰囲気があったのは確かだと思う。実のところ、私の実家が都内、しかも23区内にあるにも関わらず、ほんの十数年前まで汲み取り式であった。

これは、地元のある寺院が敷地内にある池の水源を気にして、下水道工事を拒否していたからだ。地元の与党議員が代替わりした時に、これまで黙殺されていた下水道工事の陳情が改めて議題にあがり、ようやく下水道工事が実施された始末である。

そのせいで、私には汲み取り式のトイレは結構身近な存在であった。幼い頃に、祖父母の家に遊びに行った時は、トイレに落ちたらどうしようと結構心配したものだ。大きくなっても、このトイレに入る時は、貴重品は身に付けないよう注意していたぐらいである。

ただ浮「思いをしたことはない。せいぜい、このトイレにカマドウマという大きな虫が出るのが、鬱陶しかった程度だ。ちなみに風通しは良いトイレなので、あまり悪臭はしなかった。まァ、冬が寒いのは致し方ない。

そんな私だが、トイレに関しては、怪しい噂、怪談噺が出るのは致し方ないとも思っている。

今から20年以上前のことだが、某繁華街の裏通りにお気に入りの中華料理の店があった。少し懐が温かい時には、その店で一人、ちょっと贅沢な夕食をとるのを好んでいた。

ただ、この店の入っているビルは、戦前からある古い雑居ビルであった。バブルの頃には、立退き騒ぎがあったそうだが、オーナーが頑固に売らなかったらしい。古いビルではあるが、戦前のコンクリ造りだけに、かなり頑丈な作りであったと思う。

ビルの中に入ると、天井や部屋の隅にある柱は、最近では見かけないほどぶっとい。同時に梁もぶっとくて、少し圧迫感を感じるほどであった。ビルに入っている会社事務所や飲食店も、長く入居していることが多く、古くても格式を感じる建物であった。

しかしながら、古いビルだけにトイレは、いささか貧乏くさかったように思う。水洗式ではあったが、昔のタイル貼りのせいか、綺麗に清曹オてあっても、どこか古臭さは拭えなかった。

あれは年の瀬も押し詰まった12月の最終週であった。幾つもの仕事を片付け、年末調整の還付金で財布はかなり余裕があった。寿司にするか、ステーキにするかと迷ったが、一番近かったこのビルの中華料理の店に駆け込んだ。

その店は広東料理が売りであり、さっぱりとしていながら味がしっかりとしている料理を堪能出来た。お腹いっぱいになり、閉店間際まで飲茶を楽しんだ。会計を済ませて店を出た。外は冬の強風が吹き荒れている。外に出る前に、トイレに入ったのは、寒空にトイレを探すのが厭だったからだ。

既に時計の針は夜11時を過ぎており、大半の店が閉まっている。トイレにも人っ子一人いない寂しい夜であった。小用を済ませて、ボタンを押して水を流して、洗面所で手を洗っていた時のことだ。

いきなりトイレの排水溝から「ゴぅ~!」と何かを吸い込むような音がした。ビックリして振り返ると、そこには何もないし、誰もいない。このトイレは二階にあり、もしかしたら一階のトイレからの音かもしれないと思った。ちなみに3階以上はオフィスであり、とっくに全て閉っている。だから、エレベーターも昇れない。

階段を下りて一階に立つと、開いている店はなく、薄暗い廊下に私一人である。気になって一階のトイレを覗いてみようと思い、足を運んだが、途中で身体が硬直した。

トイレは修理中の看板がかかっており、釘打ちされて入れない状態であった。じゃあ、さっきの音はなんだよ・・・?

多分、少し前に読んだスティーブン・キングの「IT」のせいだろう。街の地下には怪物がいるのかと一瞬妄想したほどだ。不気味には思ったが、特に怪しい雰囲気があった訳でもない。

悩んでも答えが出るとは思えないので、私は足早にそのビルを立ち去った。不思議と振り返る気にはなれなかった。振り返ってはいけない気持ちになったからだ。

その後、年明けの一月にもそのお店で食事するため、日中にそのビルを訪れているが、全然怪しいことはなかった。多分、あれは気の迷いなのだと思うことにしている。

なお、残念なことに、そのビルは耐震基準を満たさないとかで、取り壊しになり、今は小奇麗なテナントビルになっている。ただ、軽量鉄骨造りなせいか、昔ほど重厚さを感じさせないビルになっている。

件の中華料理店は、場所を変えたらしいが、移転先が分からないのが残念でならない。私は浮ェりな気性ではないと思うけど、古いビルのトイレに入ると、少し緊張するのは、あの音が忘れられないからだと思う。いったい、なんだったのでしょうかねぇ。
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風林火山 井上靖

2018-12-27 11:59:00 | 

戦国大名のうち最強と謳われたのが武田信玄である。

でも、私はなんとなく疑問に思っていた。最強だとする根拠が恣意的ではないかと思うからだ。決して弱いとは思っていない。上杉謙信との川中島の戦いが有名だが、なんとなく誇張された感が否めない。

江戸時代の講談話などが最強説の一番の根拠になっているのではないかと思う。たしかに強いと云われるだけの実績はあった。またライバルであった織田信長が、十二分に勝てると判断するまで直接の戦いを避けたことも、最強説を裏付ける一因でもある。

ちなみに信長は、信玄の死後、長篠の戦いで3千丁の鉄砲を用意して、勝頼率いる武田軍団を打ち破っている。現在価値にして一丁、一億円とも云われた鉄砲を3千丁用意したことも凄いが、それ以上にほぼ日中尽きることなく撃ち続けることを可能にした多量の弾薬を用意したことを評価したい。これこそ信長の慎重さ、すなわち如何に武田軍団を恐れていたかを示す証拠でもある。

また信玄の晩年、打倒信長の目的の下、南下して駿河を落とし、三方が原で家康を蹴散らした実績からして、武田軍団の強さは本物だと思う。この時、敗走する家康は恐怖のあまりに糞尿を漏らしたと伝えられる。それを隠さず、自省のために絵にして残した家康も相当なものだ。

後年、戦上手な秀吉と信長の後継を巡って戦った際も、野戦では勝っているのだから、家康も相当に強い。その家康を破ったからこそ、武田信玄は最強の戦国武将としてその名が伝えられている。

しかしながら、その最強説が出たのは江戸時代である。神君家康公に勝った武将として信玄が讃えられているのだが、これが胡散臭い。当時、武田家は滅びた家門であり、いくら讃えても実害はない。

実際、戦国時代には武田に勝るとも劣らない強い大名は幾人もいた。上杉謙信もその一人だが、他にも四国の長曽我部、薩摩の島津なども野戦の強さでは、決して信玄に劣るとは思えない。

ただし、いずれも江戸時代における有力な外様大名である。潜在的には徳川家の敵となりうる存在である。その点、武田家は事実上滅びている。だからこそ、武田信玄最強説は幕府に容認された。

最終的には、織田・徳川連合軍に武田家は敗れているのだから、信玄をいくら賞賛しても幕府の権威は揺るがない。だからこそ江戸時代に流布した信玄最強説には、疑いの目を向けざるを得ない。

それでも武田信玄率いる武田軍団は相当に強かったとは思っている。ただ、織田信長の先進性には及ばない。これは武田に限らないが、当時の兵士の大半は、農民兵が主体である。半農、半兵が当たり前であった。

しかし、信長は少し違う。楽市楽座などを徹底し、経済的に繁栄した織田家では、貨幣の力で常用兵士を育成した。当時から金で雇われる傭兵はいたが、織田家ほどその育成に力を入れた大名はいない。

甲斐の地で戦乱に明け暮れた武田の農民兵は強かった。しかし、農民故に春先から秋の刈り取りまでは、どうしても農業優先となる。だから主な戦いは、農業が暇な時期となる。

しかし農民兵を除いた信長の兵士たちは町暮らしであり、貨幣で生活しているが故に、季節を問わず戦える。しかも、専門の兵士として訓練されているが故に、新兵器である鉄砲に対しても、その熟練に時間を割けた。だからこそ、信長は畿内を統一できた。

その信長をもってしても、甲斐の武田軍団の強さは脅威であったのだから、相当に強かったことは確かであろう。その武田軍団の中でも、軍師として伝説的な存在である山本勘介を主役にもってきたのが表題の作品である。

勘介は謎が多く、戦後の一時期まではその実在さえ疑われたほどだ。イマイチ、信頼性の乏しい甲陽年鑑以外に、勘介の名を記した歴史資料の発見により、よくやく実在の可能性が高まった御仁である。正直、軍師というよりも相談役に近かったのではないかと思うが、この謎の人物を上手く描いている。

NHKの大河ドラマにもなっていて、私もおぼろげながら記憶にある。資料に乏しい武田軍にあっても、とりわけ謎多き人物だからこそ、作家にとって筆の奮い甲斐があったのだろうと思う。

そのせいか、あまりに読みやすくてビックリしたほどだ。このような練達の文を読むと、自分はまだまだだと思わざるを得ませんね。歴史の知識もまた然り、きっとまだまだ学ぶべきこと、知らないことって沢山あると思います。

これは、これで楽しみなのですけどね。

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HELLSING 平野耕太

2018-12-26 11:56:00 | 

海外、特に欧州では「NARUTO」にも負けないほど高い評価なのだが、なぜか日本ではマイナーな存在。それが表題の作品です。

原因は簡単だ。連載されていた雑誌は「ヤングキング・アワーズ」というマイナー誌であり、出版社は少年画報社という中小企業であるからだ。集英社、講談社、小学館の御三家が漫画市場を占有していることは、周知の事実である。

ただでさえ出版不況であり、漫画雑誌といえども廃刊される雑誌は数知れずの過酷な世界である。大手3社が割り込もうとする小さなライバルを応援するはずもなく、未だに無名なままである。

実に残念でならない。表題の作品は、吸血鬼ものであり、非常に斬新な視点からの物語であるので、もっと多くの人の目に触れて欲しいと願っている。絵柄は大胆にして、ぶっとい線が目立つ。奇想天外な物語の展開に驚かされるが、なによりも科白の鮮烈さにも注目してもらいたい。

あまり知られていないのは、小さな出版社から出されたマイナーな雑誌に連載されていたからであり、その内容によるものではない。日本人の大手信仰に毒されていない欧米だからこそ、真っ当に評価されたと私は考えています。

もし機会があったら是非、一読して欲しい。ただし、かなりバイオレンスで残虐な表現が多いので、読み手を選ぶのは確かです。バイオレンスものが苦手な人は手を出さないほうが良いでしょう。

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チャーハン

2018-12-25 11:57:00 | 健康・病気・薬・食事

あのパラパラのチャーハンはいずこへ?

私が銀座の街で働き出して、かれこれ四半世紀が経った。グルメだった前・所長のおかげで、この街が美食の街だと分かった。和食、洋食、中華と名店が揃うが、安くて美味しい店には欠ける街であることも分かった。同時に金さえかければ、美味しい食事に不自由しない街ではあった。

そうはいっても、毎日の昼食にそうそう金はかけられない。銀座の街は、中心地(和光と三越がある交差点)から離れれば、離れるほど小さい店が増えてくるつくりになっている。

だから銀座1丁目とその反対側の8丁目あたりの小さくて、入りやすい気さくな飲食店に行くことが多かった。その一つに「こけし」と言う名のラーメン店があった。

カウンターだけの小さなお店で、ラーメン屋と看板打つわりに、それほどラーメンは美味しくない。いや、普通のラーメンであり、不満はないけど、特に語るべき特徴もないラーメンであった。

でも、その店は人気はあった。人気の秘訣は、ラーメンとセットのチャーハンであった。このチャーハンが抜群に美味かった。あっさりとしているが、味はしっかりしている。その場で作るのではなく、出来上がったチャーハンが飯釜に保温されている。

ほんわかと温かく、米粒はバラパラで、脂っこさがない淡白な味わい故に、ラーメンとも良く合っていた。だから注文する客は皆、ラーメンとチャーハンのセットを頼んでいた。

あの当時、銀座にはもう一店、パラパラのさっぱり味のチャーハンを出す中華料理店があったが、そこはいささか高かったので、どうしても「こけし」のチャーハンに通うことになった。

でも、十数年前にその店は閉店してしまった。その少し前に、もう一つの中華料理店も閉店しており、さっぱり味のチャーハンをお昼に食べることが出来なくなってしまった。

銀座は、中華料理店の激戦区でもあり、有名店と言えども競争に敗れれば閉店が当たり前。だから、味にはうるさい店が多い。他にも美味しい店はあるが、チャーハンに関しては、味が濃い目のものが多くて残念に思っていた。

亡くなった前・所長も同様の想いを抱いていたようで、あれこれと探していたようだ。そして、ようやく見つけたのが高輪の旧プリンスホテルの中にある中華料理店であった。よくぞ、見つけてくれたものだ。この情熱を仕事に活かしてくれればと思わないでもないが、まァいいか。

ここは四川料理がメインなのだが、何故だがチャーハンだけは、パラパラのさっぱり味であった。これは嬉しく、その後何度も通ったものだ。ところがこのホテル自体が閉鎖されてしまった。

その頃には、前・所長も亡くなっていて、私も糖尿病に片足つっこんでいるので、もう探す気力がない。中華の料理人の腕は、チャーハンを作らせれば分ると聞いたことがあるから、きっと探せばあるのだろう。

出来たらもう一度、あのチャーハンを食べたいものだ。

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