ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ジャスティス・リーグ

2017-11-30 12:45:00 | 映画

この映画は、バットマンが出しゃばりでないが故に上手くいったと思う。

私はアベンジャーズがあまり好きではない。リーダー役のトニー・スタークの仕切りが嫌いなのだ。ちなみにアイアンンマンは嫌いでない。単体のスタークならば、十分楽しめる。

偏見かもしれないが、私はヒーローとは孤独であるべきだと思っている。悪に対峙する善玉は、自らの正しさを確信している。だからこそ、正義の仲間が集った場合、意見に相違が出ると、その正しさを確信しているが故に妥協することが難しくなる。

つまり正義の味方は、チームプレーが苦手となる。

でも、自らの知力で財を成したトニー・スタークは強引に周囲を引っ張ろうとするから、周囲との軋轢を生む。超人たちが集まるアベンジャーズ最大の弱点が、実はアイアンマンにある。

一方、DCマガジンのヒーローたちを集めたジャスティス・リーグのヒーロたちも、同様な問題を抱える。だからこそ、前作「バットマンVSスーパーマン」という、アメコミヒーロー映画とは思えない陰鬱な作品を作ってしまった。

だが、究極のヒーローであるスーパーマンの死亡が、孤独な大金持ちであるブルース・スウェインの心境に微妙な変化を与えたようだ。この映画がアベンジャーズほどややこしくないのは、バットマンの謙虚さが大いに貢献している。

本来、孤独癖があり、他者との共感を必要としないバットマンではあるが、スーパーマンの死が他者との協力の必然性を強く自覚したのだろう。おかげで、あまり余計なことを考えずに、純粋にエンターテイメント映画として楽しめる内容になっている。

前作「バットマンVSスーパーマン」があんまりだと思った人は、是非とも観て欲しい。こちらのほうが爽快に楽しめますよ。

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張り子の虎なのか?

2017-11-29 12:04:00 | 社会・政治・一般

張り子の虎と揶揄されたのは、シナの清朝であった。

これは中華(世界の中心)であると常々意識していたシナの民には、たまらなく屈辱であった。だからこそ、その後の辛亥革命、日本の侵略、国共内戦を経て蛮人どもを排除し、シナを統一した共産党政権は、以降決して蛮族どもに侮れない国づくりを目指してきた。

もっとも、世界、特に欧米がシナの力を実感したのは、朝鮮戦争時に100万人を超える兵力を投入させたシナの人海戦術を畏怖したからであり、シナの文明に対する敬意ではなかった。

決して口には出さないが、北京政府はそのことをよく分かっていた。欧米に侮られない為には、人海戦術だけではダメで、欧米の近代技術に負けない軍事力が必要である。

だからこそ、共産シナでは理系大学教育に力を入れてきた。現場叩き上げの毛沢東やトウショウヘイはともかく、共産党の幹部の多くが理系学部の出身者であり、科学教育には相当に力を入れてきた。

優秀な人材は、国費で欧米に留学させて、近代科学の導入に力を入れてきた。もっとも留学しても帰国しない青年も多数いたが、情報だけは必死で収集して、軍の兵器の近代化に励んできた。

欧米に留学と記したが、実際は旧ソ連への留学が最も多く、また近代兵器の大半は、旧ソ連から導入している。特にミサイルや戦闘機などは、ソ連からしか導入できなかった。

しかし、長く国境を接している中ソの場合、平和は暫定的であることも分かっていた。なんとか兵器の国産化を完遂しなければの思いは、相当に強かった。

その結果、ソ連の武器を輸入すると、それを徹底的に分解し、構造を解明して模倣するようになった。それはソ連側でも予想の範囲であったようだ。問題は、その模倣した兵器をシナ独自の開発による兵器として輸出するようになったことだ。

如何にアメリカという共通の敵があろうと、この背信的行為はソ連指導部の不興を買ったことは言うまでもない。結果としてソ連は、兵器の輸出は許しても、核心技術の輸出を認めなくなった。

実のところ、シナの技術者たちが如何に努力しようと模倣できない部分はかなりあった。ロシアの戦闘機に搭載されているAL31というエンジンには、高出力に耐えうる冶金技術の粋が込められている。

シナにはこの冶金技術がないため、シナが独自に開発したと言い張るAL31のコピーであるWS15は、オリジナルに比べて最高出力において劣るようだ。もちろん、軍事機密であるため詳細は公表されていない。

しかし、WS15を搭載したシナの最新鋭ステルス戦闘機殲20(欧米からはJ20と呼ばれている)は、やはり設計通りの性能は出せず、現時点では張子の虎としかいいようがないらしい。

これはシナ初の空母遼寧に搭載予定だったJ15も同様で、エンジン出力がどうしても設計通りに出せないため、ミサイルや爆弾を搭載できない艦載機となっているようだ。

弾道ミサイルなどはコピー出来たようだが、単に燃料を燃焼させるのではなく、出力を制御しなくてはいけないジェット機用のエンジンには、高度な冶金技術が必要となる。形だけなら3Dプリンターでコピーできても、金属加工は高温度と高圧力に耐えうるよう特殊な技術が必要となる。

他人事ではない。我が日本は世界屈指の技術大国ではあるが、冶金に関しては第一級とは言いかねる。政治上の制約もあるだろうが、戦前からこの分野は欧米に遅れがちであった。

今日でも戦場での酷使に耐えうる機関銃は、国産のものでは作れないでいる。ましてジェット機用のエンジンともなると、欧米のメーカーから輸入しているのが実情である。

まして、欧米から正式な技術導入ができないだけでなく、ロシアからも警戒されているシナには、高度な冶金技術は未だ確立されていないのが本当のところではないかと思う。

現在、シナの軍事的脅威を記述したものを数多く見かけるが、私はいささか懐疑的だ。もちろん、既に完成している弾道ミサイルや核兵器を軽視するつもりはない。しかし、基本的にシナの軍事力はアメリカはもちろん、ロシアと比べても劣ると思う。

それにも関わらず、声だかにシナの軍事的脅威は語られるのだが、私はこれを欧米の軍事産業の営業的なものだと考えている。敵がいてこそ武器は売れる。敵の存在が必要不可欠であるのが軍事産業である。

おそらく彼らはシナが張り子の虎であることを知っている。現時点では、いや当面外国へ軍事的侵略をするだけの力がないと判断している。だからこそシナは軍事的脅威でなければならない。

もっとも、これはシナに軍事的野心がないことを意味している訳ではない。欧米以外の国に対してなら、シナの軍事力は脅威であることは間違いない。ただ、その場合の優先順序は、まず第一が台湾の奪還であり、次が朝鮮半島であろうと思う。

敵を警戒し、恐れることは必要だが、必要以上に騒ぎ立てるのは如何なものかと思います。

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GODZILLA怪獣惑星

2017-11-28 12:05:00 | 映画

頼むから、怪獣に余計な屁理屈は付けないで欲しい。

私が一番好きな怪獣は、ウルトラマンに登場したレッドキングだ。凶暴そうな目つきと、頭の悪そうな容貌、頑丈な体躯と力の強そうな造形。

その暴れっぷりに理屈はなく、力で相手をねじ伏せる怪獣番長である。強いものがエライのだと云わんばかりの暴君である。

怪獣の王道である。

ところでゴジラであるが、人間の核実験により目が覚めた古代の怪獣としてデビューしたことは覚えている。そのせいか、やたらと妙な屁理屈をシナリオに加えられていることが多い。

曰く人間の環境破壊云々とか、人間の傲慢さに対する鉄槌であるとか、へんてこりんな理屈でゴジラを飾りたてる。

余計なお世話である。

私はゴジラが暴れるのが好きだ。ゴジラの破壊が派手であれば良く、余計な屁理屈は不要だと思っている。理屈を云々するなら、あのような巨大生物は、生物学の概念から外れている。構造的に、あのような巨大生物は成り立たない。

少なくとも、地球の重力と、生物を構成する物質の特性からして、あのような巨大生物は存在しえない。地球にある既知の物質で、あのような生物を作ると自重で崩壊してしまう。

実にシラケる結論である。

ゴジラに理屈はいらない。ただ、ただ暴れればイイ、それがゴジラだ。

ちなみに表題のアニメ映画は、そのゴジラに地球を追い出されて、宇宙を彷徨う地球人たちの復讐と帰還の物語の第一部である。あと2編残っているらしい。声優はトップクラスの陣容を誇り、好きな人たちにはたまらないものであるらしい。

実際、私が知人の子供たちを連れて映画館に行った時、ほぼ8割がた客席は埋まっていた。私はといえば、映像の迫力は認めるが、シナリオとか設定にケチをつけたくてウズウズしていた。でも、連れて行った子供たちは満足げなので黙っていた。

そんな訳で今、ここで鬱憤を晴らしている次第。多分、続編も連れて行ってと、ねだられるのだろうなぁ。まぁ、いいけどね。

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プロレスってさ 山崎一夫

2017-11-27 12:29:00 | スポーツ

珍しく常識人、それがプロレスラー・山崎一夫であった。

新日本での若手時代、高田とのドロップキック合戦が有名で、私もわざわざ見に行ったことがある。まだ若手だから仕方ないが、それでも華があり、将来のスター候補を伺わせた高田と異なり、山崎は風貌も戦い方も平凡な印象が強かった。一言で云えば地味だった。

でも、それは山崎自身が望んだ生き方であったと今にして分かる。プロレスラーとしての実力は、決して低くはない。山崎といえば、連続の蹴り技が有名だが、関節技も、投げ技も一通り使いこなす隙のないプロレスをする。

ただ、どこか控えめであった。そして、この地味で控えめであることこそ、プロレスラー山崎一夫の最大の武器であった。

当時、プロレスをより格闘技志向へと変えようとしていた前田日明や佐山明、藤原らのUWF勢にあって、人間関係の接着剤の役割を果たしていたのは、この若い青年であったなんて、私らファンはまるで知らなかった。

UWFはその志向するプロレス観の違いや、人間関係の軋轢から結果的に失敗してしまう。新日本プロレスに戻った際も、相当な関係悪化があり、分裂してもおかしくなかった。

それを防いでいたのが、常識人でもあった山崎であったようだ。UWFを毛嫌いしていた長州でさえ、山崎は別格であった。当時、出戻りのUWF勢と、新日本正規軍との試合は揉めることが多かった。

そんな時ほど試合後の混乱状態のなかで、長州は「山崎はどうした。あいつはなんて言っている」と盛んに気にかけていた。観客席の後ろでも聞こえていたのだから、余程のことなのだと思う。

言っちゃなんだが、並外れた大男ぞろいで、しかも喧嘩も強く、自分の欲望をその剛腕で叶えてしまえる連中である。普通の社会人からは外れてしまっているのがプロレスラーだ。プロレスラーとしては優秀であったアントニオ猪木なんて、リングを降りて一人の社会人としてみれば、異常というか異端の人物である。

それは前田も、藤波も似たり寄ったりであったが、山崎だけは唯一、冷静に一人の人間としてその場を収めていたように思う。彼は特にマイクパフォーマンスはしないし、プロレス雑誌に賢しげなインタビューが掲載されることもなかった。

でも、彼の常識人としての評判は、いつのまにやらプロレス・ファンの間でも定着していた。特に有名なのが、新日本を離れて、高田をエースとしたUWFインターという団体での試合であった。

高田と戦うのは、かつてのNYの若き帝王と呼ばれた頑固もののボブ・バックランドであった。バックランドは、自分のプロレスにとことん拘る、もの凄い意地っ張りである。その意地ゆえに、NYの、つまりアメリカの中心たるWWFを追われてしまうのだが、まるで反省なんてしない。

だから、高田との試合もとことん自分のプロレス観に添った地味なものになった。この試合はメインイベントであるが、あまりに地味で、まったく盛り上がらない、しょっぱい試合であった。プロとして失格のダメ試合である。

試合後、怒った観客たちが残って大騒ぎとなった。暴動が起こる一歩手前であったぐらいの大混乱であった。そこに現われたのが山崎選手であった。リングに上がり、訥々と「これが今の私たちの精一杯のプロレスです。」と首を垂れた。

暴動一歩手前の観客たちは、この一言で静まった。山崎選手の謙虚で、落ち着いた謝罪に思わず納得してしまった。これほどまでに、プロレス・ファンの山崎に対する信頼は深かった。

私は山崎選手の他のいかなる試合よりも、この場面が印象に深い。平凡にして非凡、誰にでも出来ることではないと思います。

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アベノミクスの限界

2017-11-24 12:39:00 | 社会・政治・一般

アベノミクスにより株式市況は活況を呈した。それは事実だ。またタワーマンションの好調な販売など、富裕層を中心に不動産景気を活性化させた。

しかしながら、限定された景気刺激策であっただけに、個人消費全体を回復させることは出来なかった。実際のところ、これは10年以上続く消費デフレの一環である。その背景にあるのは既に満ち足りた高齢化社会であり、あくせくと働かない少子化層の若者たちである。

稼ぎが少なくても、親から引き継がれた資産で食べていける人は、決して無理に働こうとはしない。必要な生活家財は足りている。働くなら、自分がやりたいことが出来ることが条件で、上司に尻を叩かれながら無理に働く気なんてない。

その一方で、働いても十分な給与を貰えない低所得者は増える一方だ。そうなると、低所得者も自己防衛に入る。半年働いて退職、失業手当を貰ってお気楽生活。金がなくなったら、また楽なバイト先を探し半年程度働く。そして再び・・・

このような社会で、個人消費が増える訳がない。

政府も状況は把握している。だからこそ、稼ぎに課税する直接税(法人税、所得税)よりも流通段階で課税する間接税(消費税)へ、国家歳入の柱をシフトさせている。また蓄えられた資産に課税するため、相続税を広く薄く拡大させて税収確保に奔走する。でも、これは政府の為の施策。

高齢化社会の必然として、医療費や介護費の増大は避けられない。その上に生活保護費の支給拡大など、社会保障費は増える一方である。これを削れば社会不安が高まり、それは結果として政府に対する批判が強まる。

おそらく、このままだとかつてのローマ帝国のように、人民にはパンとサーカスを与えて黙らしておけと、安易な自己保身に走る可能性は高い。ローマは結果として、異国から流入してきた活気あふれる野蛮人に蹂躙されることになる。

一方、現代の日本で個人消費に活況をもたらしているのは、間違いなく外国人観光客である。かつては、日本の安価で高品質な家電製品などが、外国人観光客のお目当てであった。

しかし、今は違っている。彼らは日本社会の高品質なサービスを享受することに関心を高めている。犯罪が少ないだけでなく、交通の便が良く、サービスの質が高い日本を体験しにやってくる。

彼らのなかには、日本で働いてみたい、日本で暮らしてみたいと考える人が増えている。事実、日本で事業を始めている外国人は、かなり増えているのは確かな事実だ。出資者が外国人である法人は増える一方であり、経営者も外国人であることは、珍しくなくなっている。

また、かつてバブル期に日本に出稼ぎにやってきた外国人たちが、日本人と結婚しているケースが多いことはよく知られている。その彼らの母国の親族が、日本での安定した暮らしに憧れて、移住してきている。特に子供の教育が充実している日本の学校へ通わせて、日本語の読み書きの出来る外国人が増えてきている。

如何に外国人といえども、子供のうちから日本の学校に通えば、日本人同様に学力が付く。もっとも、かなり格差もあり、学力も十分とは言えないケースも散見する。それでもある程度読み書きが出来れば、今の日本なら仕事はいくらでもある。なにより、やる気とか、気概が違い過ぎる。今後、日本の労働市場において、重要な戦力となることは確かだ。

しかしながら、外国人が日本で暮らすことは、必然的に周囲との軋轢を生む。その実例はいくらでもある。排便をしても流す習慣がないシナ人は珍しくないし、台所で大量に使った油をそのまま流してしまい、下水管を詰まらせるシナ人は少なくない。

ブラジルから来た日系ブラジル人は、夜になると大音量で音楽を流して、ゆっくりと時間をかけて夕食を楽しむ。そして、そのゴミは分別もなく、翌朝まで放置されている。

仕事目当てで働きに来た外国人は、不況になるとまっさきに首を切られる。不満を抱えた彼らが、窃盗や強盗などを働くことがあることは、既に新聞などで報じられている。

治安の良い日本は、悪意ある外国人にとって窃盗天国である。稼ぐだけ稼ぎ、盗みまくり、さっさと帰国してほとぼりが冷めた頃に再びやってきて、またも犯罪を繰り返す。もちろん、そんな悪質な輩はごく一部である。でも、良き隣人である外国人と、悪質な外国人とを区別できるのか?

だからといって外国人流入を禁じろと言っている訳ではない。安易な流入には断固として反対したい。少なくても犯罪歴のある外国人は、入管でストップするような体制が必要だと思う。また更生を前提とした日本の司法制度も改正する必要がある。もう待ったなしの危機的な状況である。

冷徹な事実として受け止めて欲しいが、日本人は今後衰退する。人口は激減して一世紀後には6千万人前後、つまり江戸時代の頃と同じ規模になる。しかも、高齢者が多く、若年層が少ない歪んだ社会となる。

それゆえに、日本人がいなくなった空隙を埋める良質な外国人の流入が求められる。実際、治安が良く、社会資本の充実した日本で、良き市民として暮らしたいと考える外国人は多い。

だが、現在の日本の制度は、そのような現状に対応できたものではない。増加する一方の外国人に対し、入管や地方の自治体は悪戦苦闘している。その一方で、外国人子弟を受け入れる学校や、彼らの親を貴重な働き手として活用している企業は増える一方である。

このような現状で、政治が方向性を出さねば、役所も企業も混乱し、困惑するばかりである。せめて国会での議論ぐらい始めて欲しいものだが、ニュースなどの報道を見ると、相変わらず、森友だ、加計だと繰り返すおバカ野党。そして、それを賢しげに取り上げるアホ・マスコミである。

民主主義とは、ある意味、極めて辛辣なものだ。日本の政治が怠惰なのは、日本人の実態に即したものなのかと思わざるを得ない。これが独裁国家ならば、独裁者が悪いのだと済ませられるのだが、民主主義国家では怠惰な国民が、怠惰な政治の生みの親である。

一度、安倍首相は外国人が増加して困惑している現場を視察するべきだ。地方の小さな役所や、自治会などは本当に大変な状況に追いやられている。外交を軽視しろとは言わないが、安倍内閣は国内政策が大企業、投資家目線でみるばかりで、末端の市民生活にはきわめて冷淡だ。

まぁ、関心をもてない一因は、外国人労働力の恩恵を受けないマスコミ様の高慢さにもあるのですけどね。

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