ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

話せば分かる?

2008-03-11 12:36:13 | 日記
話せば分る、分かり合えるはずだと言う人がいる。私には信じられない。

中学一年の時の級友にSがいた。小柄で細っこいが人懐こい奴で、仲は悪くなかった。正直発育不良気味だったが、運動神経は良く、野球などは達者なものだった。ただ、ちょっと性格が子供っぽかった。

体育の授業でのサッカーの試合中だった。ボールをドリブルしながら駆け上がるSに、私が後ろから追いつき、ショルダーチャージで揺さぶって、ボールを奪い取った。前線にボールを蹴りだし、振り返ると、顔面を真っ赤にしてSが殴りかかってきた。

なに、熱くなっているんだ、と声をかけつつ、パンチをかわした。先生が割って入り、Sを投げ飛ばした。で、振り返って私にビンタ一発。ちと憮然としたが、喧嘩両成敗がお約束なので我慢した。でも、喧嘩した気ないぞ。

驚いたことにSは、再び私に飛び鰍チてきた。が、先生に組み止められ、裸締めで落とされた。私にSを保健室まで運ぶよう命じ、なにごともなく試合は再開された。

授業を終え、更衣室で着替え、クラスに戻る途中の渡り廊下で、再びSに襲われた。まだ体育着のままで、保健室から飛び出してきたらしい。多少、むかついていた私は斜め後ろにかわしぎわ、足払いをかけて転倒させた。再び起き上がって、殴りかかるのを見計らって、腹に膝蹴り一発。宙を舞ったSは、そのまま地面に叩きつけられ、腹を押さえて悶絶していた。

気分の悪い喧嘩だった。小柄すぎるSと私では、当時体重差は10キロ以上あった。中学生の10キロ差は、ほとんど勝負にならない。やはり体格差によるハンデは大きい。だが、何故に彼は私に激情したのか?

察するに、Sは私が喧嘩に弱いと考え、格下に思っていたらしい。これには訳がある。当時、私はいきがりたい年頃で、頻繁に喧嘩を繰り返していた。基本的に自分と同格か、それ以上の強い奴と喧嘩をしていたので、連戦連敗。いつも顔面を腫らし、拳を痛め、びっこを引くことが多かった。そんな私にSは「弱いのに無理するなよ」と邪気なく笑っていた。

格下と思い込んでいた私に、ショルダーチャージで弾き飛ばされたのは、相当に悔しかったらしい。私はSを嫌いではなかったので、苦悶する彼を更衣室の裏まで運び、休ませると、そのまま教室に戻った。給食の時間だったしね。

ところが、給食の最中に、再びSは駆け込んできて、私に殴りかかった。もう、うんざりだ。しかも、不味いことに担任が教壇で一緒に食事してやがる。

Sのパンチをかわしつつ、背後を取って、廊下に引っ張り出す。「いい加減にしろよ」と宥めるが、勝負しろ~と叫ぶばかりのSに閉口した。担任がやってきて、まず私にパンチ一発。続いてSにも一発。ところがSは収まらない。日大相撲部出身の担任の先生は、慌てずSの首筋に手斧一発。うちの先生、こんな人ばっかり。

結局、教員室に連行され、体育の先生ともども事情を聞かれた。一通り聴取が終わると、担任が一言。「ヌマンタ、お前、中途半端な優しさは駄目だぞ」と。私は休み時間にトイレ掃除をいつけられ,Sは再び保健室行きだ。

教室に戻り、クラスのなかでも腕っ節の強さに定評あるMに相談すると、担任と同じ事を言われた。「お前、なんで渡り廊下で倒した時、徹底的にぶちのめさなかったんだよ?あの時ケリをつけておけば、こんなに長引かねえぞ」と。

そう、私はみぞうちに膝が入って苦悶するSに、止めをさす気になれなかった。あの時に、しっかり「参った」をとっておけば、こんなことにはならなかったと思う。

結局、Mに事後の処理を頼むことにする。条件は私が、皆の目の前でSにしっかり謝ることだ。放課後、MはSを私の目の前に連れてきた。Sの顔には、二箇所ほど青あざがある。これはMの得意技、拳骨ヘッドロックの痕に違いない。Mの拳は石のように堅い。普通のヘッドロックに、この拳をはさんで締め上げるこの技は、拷問技といっていい。とても我慢できるものではない。

涙のかすかな痕が残るSに対して、私はしっかり頭を下げて謝罪した。これで一応、決着はついた。Sとの関係が冷え込んだのは致し方ない。その後、クラス替えがあり、自然と縁遠くなった。

一年後、私は真面目っ子になることになり、元の遊び仲間から裏切り者扱いされ、苦闘の毎日を送っていたある日のことだ。腫れ上がった顔を冷やすため、水のみ場で顔を洗っていると、久しぶりにSが声をかけてきた。「よう、相変わらず喧嘩弱いな。でも、もうすぐ奴らも飽きると思うから辛抱しろよ」。思いもかけない一言だったので、呆然としていると、Sはニヤっと笑って「勉強頑張れよ」と言い、立ち去っていった。それがSとの最後の会話だった。

もし、あの渡り廊下での喧嘩で、徹底的にブチのめし、参ったをとってケリをつけていたならば、Sとは友達でいられただろうか。児戯めいた頑迷さを持つ奴だから、いくら話し合っても和解はなかった事は断言できる。やはり、私が甘かったのだろう。思い出すと、いささか苦い悔恨が胸をかき乱す。

私は話し合いを否定しているわけではない。話し合いで済むなら、それに越したことはない。しかし、世の中話し合いでは済まない場合もある。その場合は、実力による対決が最も有効だろうと考えている。そして、やるなら、徹底的に覚悟を決めてやるべきだ。中途半端な優しさは、むしろ却って遺恨を残す。
コメント (6)
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