ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

新しいシナの政権

2022-10-31 13:26:13 | 社会・政治・一般
シナの習近平が完全に独裁体制を確立させた。

これまでは上海閥や前主席らに対して、相応の地位を与えてバランスをとってきた。しかし、今回の中央大会で遂に牙を剥いた。

よりにもよって20年以上、政府の中核にいた胡錦濤を政権から事実上追放している。その映像をみたが、あれはやばい。非常に危険な追放の仕方だと思った。

シナ人は面子を大事にする。この面子を傷つけられれば生死を賭けた闘争が発生する。習近平の隣に座った胡錦濤は、配布された資料を読むことを邪魔され、挙句に中央大会の会場で観衆の目の前で強引に退席させられている。

俯き加減でふらつきさえみせる胡錦濤が連れ出される映像は、まさに彼の面子を徹底的に潰したものだ。普通ならは決してやらない行為だ。にも関わらず、やってのけた。

これは面子を潰された胡錦濤及びその一族が反撃に出ても、絶対に潰せるとの自信があるからこそ出来たはずだ。それを予感したからこそ、大人しく退場に応じたのだと思う。

既に胡の同志である李克強は政権から追われている。今回の中央大会で決まった政権の新メンバーは全て習に連なる者ばかりである。間違いなく、習は自信を持て今回の新政権体制を確立させたのだと思う。

だが、あそこまで面子を潰した以上、禍根は残る。シナ人の面子に対するこだわりは金銭欲以上だと私は考えている。敵を徹底的に潰すことは、シナのみならず世界中で行われてきたことだ。

私もそれを間違いだとは言わないが、禍根を残すようなやり方は後々の波乱につながる。それを踏まえての独裁確立だと習近平が覚悟した以上、その必要があったのだと推測できる。

国にせよ企業にせよ、拡大基調にある時は多くの人材を活用し拡散していく。今回の第三期習近平体制はその逆をいくものではないだろうか。実際、そろそろ世界最大の人口大国の第一位の座はインドに奪われる。社会の高齢化と少子化は進む一方である。

この現実を踏まえた上での独裁強化だとすれば、やはりシナ人は侮れないと思います。
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つわものがたり第三巻 細川忠孝

2022-10-28 11:54:06 | 
戦いに勝つには情報が大事だ。

それは幼少時から骨身に沁みていた私であった。近所の白人の子供の場合、気を付けねばならぬのはタックルであった。あの大きな身体を地面に近いほど縮めて、いきなり全身でぶつかってくる。

今にして思うと、アメフトの真似事なのだろうけど、最初にやられた時は一発で吹っ飛ばされた。体格が同じくらいなら受け止められるかもしれない。しかし白人の子は大柄で、小柄な私では無理。でも後ろに下がってはダメだ。だから後ろ斜めに引いて、側面から当たって相手のバランスを崩す。

理屈は簡単なのだが、なかなか教わったとおりには出来ず、幾度も苦杯をなめている。馴れて、ようやく倒し方を覚え、背後に回って首絞めで勝てた時の嬉しさは今でも思い出せる。

引っ越した先の住宅街の悪ガキどもは、ある意味白人より性質が悪かった。とにかく卑怯だ。必ず群れて襲ってくる。手足を抑えられたら勝ち目はない。だから私は放課後、相手が一人になる帰宅間際を狙って逆襲して泣かせた。後ろから襲いかかって首を閉めながら引きづり回せば、大柄な子でも勝てた。ただ、家に近すぎると家族が出てきて邪魔をするのが難点だった。

再び転校した先では、堂々たるタイマンが好まれた。これは意外であったが、嫌いではなかった。汚い手を使わず、堂々と戦えば、負けても相応の立場を守れた。ただ、この頃から格闘技をやっている子供が出てきて、素人の私は負けてばかりいた。素人同士ならば、そうそう負けないが、見た事もない投げ技や絞め技に驚愕した。

この頃から自分の喧嘩の弱さを自覚するようになった。同時に相手をよく観察することの重要性を学んだ。学び得た情報を活かせば、強い相手ともそこそこ戦えることが分かった。ただ、私はとろいのか、その覚えが鈍かった。 

また運動部などとは無縁であったため、柔軟運動が苦手で身体が固かったが故に、内回し蹴りなんて理屈で分かっても、自分では出来なかった。あのあたりが限界だった気がして、次第に喧嘩をしない大人しい子になった。ただし短気なので、余計な喧嘩はしていたが、何故だか気が付いたら仲介役を任されることが増えて、自分で拳を振るうことはなくなった。

もうかれこれ30年近く、殴り合いはしていない。随分とヘタレた男に成り下がったが、社会人としては真っ当なのだと思うようにしている。でも、格闘技には関心はあるし、戦争についても関心を持ち続けてきた。

だからこそ、薩摩の侍たちの強さには注目せざるを得ない。九州自体、尚武の地であり、古来より武道は盛んであるが、如何せん中央から遠い。そのため情報がなかなか入ってこない。古代の大和王朝の頃でも九州の武の力は噂に上っていたという。だが、その実力が本当に知られたのは、やはり戦国時代末期であろう。

秀吉も九州平定にはけっこう苦労しているが、圧倒的な兵力差でかろうじて秀吉の戦国統一を認めさせたのだろう。でも、内心は正面から戦えば負けはせぬとの意地を押し隠していたと思う。実際、関ヶ原の戦いでみせた島津の引き際の戦闘の凄まじさは、家康にも強い印象を残したようだ。

しかし、なにより島津の凄さを世に知らしめたのは、慶長の役における撤退戦、泗川(しせん)の戦いであろう。既に秀吉の死により撤退を決めていた日本軍だが、明の将軍董一元は旗下に10万の兵隊をもってして日本軍の殲滅を狙っていた。

撤退軍の殿を務めた島津義弘は、わずか2千の薩摩の兵を率いて得意の釣り野伏戦法で、この明と朝鮮の連合軍10万を散々に打ち破り、堂々と撤退した。以降、薩摩の侍は鬼島津として怖れられるようになった。

少し意見すると、撤退する敵を追討する軍というものは勝ち意識が強く、早く凱旋帰国して恩賞を貰いたいものだと浮かれていることが多い。遠く朝鮮半島南部まで行軍した明の兵隊たちは、凄まじい戦意で襲ってくる薩摩侍との戦いなんぞ真っ平だったと思う。普通、撤退する側は負け組であり、追討戦は容易だと考えていたのだから、意外過ぎる薩摩兵の強さに辟易して逃げたのだと思う。

ちなみに董一元将軍は明に帰国後、降格処分を受けている。つまり明朝政府は事実上の負け戦だと評価したらしい。もちろん脳内世界一のコリアでは大勝利となっている。大好きな英雄・李舜臣は日本兵の矢を受けて戦死していますけどね。

それはともかくも、薩摩の兵士の強さは遠く大陸にまで鳴り響いた。当然、江戸時代になっても、その強さは伝えられ噂となっていたが、具体的な戦法はなかなか伝わらなかった。

幕末の政府側の私兵集団である新撰組は、江戸に居た頃から多くの流派と交流を結び、様々な流派に対応できる実戦剣法を目指していた。その新選組をして最も警戒さしめたのが薩摩の示現流である。

表題の漫画では前巻から引き続き薬丸自現流の使い手である田中新兵衛と、北辰一刀流の使い手で新撰組の藤堂平助との仮想試合を描いている。なぜに仮想かといえば、史実として田中と藤堂の切り合いの記録は残されていないからだ。

ただ、魁先生の異名を持つ藤堂だけに、京の街で田中と遭遇した可能性は0ではない。まァ私はないと思っているが、もし実際に遇ったのならば壮絶な切り合いになったと思う。

まァ、その結果は本作を読んで楽しんで欲しいです。
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国民年金保険料の支払い期間延長

2022-10-27 11:25:25 | 社会・政治・一般
江戸時代の米沢藩藩主である上杉鷹山は統治者の鑑といえる人物だとされる。その名言の一つがこれだ。

してみせて 言ってきかせて させてみる

霞が関のエリート様は、よくよくこの意味を噛み締めて欲しいと思う。

先日のことだが、国民年金の支払い期間の延長方針が報じられていた。従来の40年から45年に国民年金保険料の支払期間を延ばしたい意向であるようだ。

60歳で定年を迎えた人に、後5年間保険料を支払い続けさせるための改正である。

この国民年金は、自営業者や退職したサラリーマンなどが支払っているが、御多分に漏れず年金機構の財政状態の悪化により、現在の水準での年金支払いが厳しいことからの保険収入増加を目指したものだ。

霞が関のエリート様はお役人様向けの高利回りの厚生年金基金で保証されているし、60歳で定年となっても再就職に困る訳もなく、むしろ高額な退職金目当ての天下りを繰り返すので心配はない。

しかし庶民は違う。大企業でさえ厚生年金基金の解散が幾つも報じられているように、決して将来は安穏とはしていられない。大企業の役員クラスなら子会社や関連会社への転職もあるが、役員までいかなかった平のサラリーマンに再就職は必ずしも保証されない。

ましてや企業の7割を占める中小企業では、55歳定年から60歳定年に移行するのさえ四苦八苦であり、定年後の再就職は各自の努力次第である。この人たちは厚生年金から国民年金へと移行するので、働かなければとうてい65歳までの国民年金保険料の支払いは厳しい。

霞が関のエリート様は中小企業には関心が薄いようなので、高齢者は再び働けば良い程度の認識なのだろう。まるっきり世情に疎いことが良く分かる。

21世紀の日本は世界史に類を見ない高齢化社会であり、その高齢者の生活を支える年金制度の維持は、政府にとって重要な問題だと思う。高齢者に若い時と同じように働けると無邪気に想定するエリート様の幼稚さには辟易する。

このエリート様の暴走を止められない国会のだらしなさには怒りさえ感じる。エリート官僚は官を下っても生活が保障されるが、国会議員は議席から落ちたら、ただの無職者である。

21世紀の日本の有権者における高齢者の割合は今後増える一方である。彼らを犠牲にして制度を維持しようとするエリート様の軽薄さはともかく、彼らの一票により議席を左右される国会議員の無神経さには、いずれしっぺ返しがある。

既に危機感をもっている議員も動いているようだが、年金の元締めである厚生労働省の記者クラブで飼い馴らされたマスコミ様はお上には逆らえぬと黙り込んでいる。

高齢者が増加し、年金受給者が増加する以上、年金の財源が厳しくなるのは必然だ。消費税の増税は、それを見込んだものだと説明されていたが、これは財務省の管轄である。厚生労働省としては、独自財源を欲しがってのものだと私は邪推している。

財政が厳しいので、国民に更なる負担を求めたいのならば、まず自らが率先して模範をみせよ。それこそが江戸時代に財政が困窮した米澤藩を建て直した上杉鷹山の改革の骨子である。

自らは安穏とエリート暮らしを堪能しつつ、国民のなかでも弱い立場の高齢者に負担を押し付ける。これを恥知らずと云わんでなんと呼ぼうか。

この問題を放置するようなら、戦後70年以上続いた自民党による政権運営も危ういと思いますよ。
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鯖の水煮缶

2022-10-26 11:33:31 | 健康・病気・薬・食事
私はなんでも食べるが、なんでも好きな訳ではない。

食べるけれど、微妙なのが鯖である。痛み易い魚であるのは確かで、よほど新鮮でないと刺身で食べることは無理だ。海釣りの船の上で食べることも出来るらしいが、知人は寄生虫が嫌なので食べないと言っていた。

たしかにアニキサスを始めとして魚には寄生虫の問題がある。やはりプロの料理人の手で処理されたものでないと、そうそう刺身では食べられない。

また鯖は魚臭いというか、青臭い。これもまた敬遠される理由であろう。でも酢で締めたしめ鯖は美味い。特に脂ののった旬のしめ鯖の上手さはマグロのトロにも負けないと思う。

また鯖は貴重な栄養の宝庫であり、上手に調理すれば実に役立つ食材である。ただ、私の料理の腕では、どうしても鯖の青臭さを上手に消すのは難しい。だからこそ鯖の缶詰の便利さがありがたい。

ただ昨今、鯖の缶詰はけっこうな人気で品薄気味。最近は出回るようになったが、味の良い鯖缶はけっこうお高い。さりとて安い鯖缶は少し青臭い匂いが残る。でも工夫次第でこの匂いは消せる。

私が多用するのは生姜と青ネギだ。上手に使えば美味しく頂ける。最近のお気に入りは、豆腐と鯖缶の簡単煮だ。作り方は手抜きに近いお手軽料理。なにせ疲れて帰宅した私が可能な限り楽をしようと工夫した献立なのだから。

まず木綿豆腐を一口サイズにカットしてペーパータオルで水切りしておく。鯖の缶詰を開けて、フライパンに鯖だけ並べて火で炒める。さっと表面が焼けてきたら、缶詰の汁に麺つゆを足してフライパンに入れる。このタイミングでカットした豆腐も丁寧に並べて置く。

沸騰する前に刻んだ生姜を入れ、更に青ネギを一口サイズにカットして入れて弱火で煮込む。煮込むといっても元々汁が少ないので、焦がさないように注意する。全体に熱が回ったと思ったら火を止めて放置。

後はご飯とみそ汁を用意するだけ。

余談だが、鯖の味噌煮缶を使わないのは、味噌汁と味が被るのが嫌だから。最近は夜が冷え込むので、この豆腐と鯖缶の煮込み料理は私のお気に入りである。

けっこうヴァリエーションもあり、卵とオイスターソースを使った中華風もなかなかイケます。それにしても鯖の缶詰、数年前に比べるとかなり値上げしています。特に味が良い奴ほど値上りしているのが、ちょっと小憎らしいです。
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北コリアのミサイル

2022-10-25 12:03:50 | 社会・政治・一般
攻めてくるな、来るんじゃないぞ。そんな悲鳴が聞こえてきそうなのが北コリアによるミサイル発射実験だ。

昨年が数発程度のミサイル発射であったのに、今年に入ってからは既に40発近いミサイル発射である。これに対して、半島危機が起こると騒ぐ人もいるが、私は懐疑的だ。むしろ、これは北朝鮮が怯えた結果の威嚇だと思っている。

怯えるのも無理はない。北の軍隊は、基本旧ソ連の軍隊を範としている。使用する武器も、旧ソ連製であったり、その発展型あるいは改造型である。

だからこそ、ロシアのウクライナ侵攻でのロシア軍の大苦戦は、首領様や軍指導部の肝を心底凍らせた。なにせ北コリアの軍隊が持つ戦車、戦闘機などの武器は古いものだと1950年代のもので、大半が冷戦時代の遺物である。

ウクライナよりも兵器の質は相当に落ちる。独裁者様が怯えるのも無理はない。

でも無駄というか、過剰な心配だと思う。なぜなら北コリアを侵略したいと思っている国はないからだ。シナは北コリアにある鉱物資源には興味はあるが、別に国土を欲している訳ではない。この住民が異常に思いあがっている国を統治したいとは思っていない。せいぜいが間接支配で十分。

もう一つ、北コリアを欲する国があるが、妙なことに北コリアとの統合を望むだけでなく、北コリアに支配されたいと望んでいる少数ながらも奇妙な国民を抱えているのが南コリア。

ただ大半の国民は自らの生活が苦しくなるのは嫌なので、現状維持が一番だと思っている。だから積極的に統一に動く気はない。統一すれば核ミサイルが手に入ると、能天気に考えるアホがいるようだが、西側社会から敵扱いされることに気が付けない。

つくづくオカシな連中だと思う。その原因は行き過ぎた中華思想にある。本来、シナこそが世界の中心であるとする思想が中華思想。ところがその肝心のシナの地が蛮族に侵略されたことから、中華の地位はコリアが承継したと思い込んだ。

シナは確かに東アジアでは超大国として君臨してきた実績がある。しかしコリアにはそれがない。よくぞ中華を名乗れたものだと思うが、実を言うと儒教に染まると同様の症状が発症するらしい。

日本でも江戸時代の国学者の山鹿素行は、蛮族の支配を受けたことがない我が国こそ真の中華だと公言している。良くも悪くも謙虚な日本人の大半は、それを真に受けなかったのは幸いであったと思う。

一方、モンゴル帝国や女真族にさんざん打ち破られ惨めな属国扱いを受けたコリアの民は、驚くべきことに中華思想を今日まで維持し続けてきた。有名なのは、ロシア経由で西側社会に亡命した北コリアの住民がロンドンの地で受けたインタビューで「世界が我が国をまるで注目していないことに衝撃を受けました。世界中の国々が、我が国の一挙一動を注視していると信じていたのに、それが事実でないと知り驚愕しました」と述べている。

世界の大半の国々は、ユーラシア大陸の極東にある小さな半島の一部の国が、いくら弾道ミサイルを撃とうと何も感じない。それが現実である。でも、分からない、分かりたくない、そんなはずはないと思っているのでしょう。

相手にしちゃダメです。ただ軍事予算の増額の口実となるので、その意味では利用すべき情報だとは思いますけどね。
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