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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

バカは騙される

2025-04-25 09:18:21 | 経済・金融・税制

いつの時代にも騙される人はいるものだ。

日本政府の負債が地方政府分と合わせて1,317兆円に達したと報じられ、国民一人当たりの負担額は1,063万円になるとの記事が出た。素直に「これじゃ、減税なんて言っている場合じゃないね」とのコメントもネット上に上げられていた。

はっきり言いますけど、馬鹿ですね。馬鹿でなければ、財務省側の情報操作の一環でしょう。

まず国の借金とは国債であり、その国債の所有者こそが債権者です。地方債も同様ですが、債権の所有者は主に金融機関、財団等の半公共団体、そして日本銀行です。個人の国債保有者が極めて少ないのが特徴です。

この国債の保有者が外国人や外国企業、外国政府だったりするとデフォルト(債務不履行)の発生の可能性が高まります。つまり国家の破産ですね。日本の場合はまずあり得ません。何故なら国債の保有者が役所頼りの金融機関や役所そのものである日銀だからです。

もう気が付いても良いでしょう。国民一人当たりの負担額なんて言葉が意味がないことを。単なる比喩に過ぎないし、どちらかといえば性悪な情報操作に近いです。

要は、これだけ国の借金があるのだから減税なんてありえない、むしろ増税が必要だぁ~!

はい、お役人の本音がこれです。でもバブル崩壊以降、借金は増える一方です。これだけ財政支出を減らしているはずなのに、なんで借金が増えるのか。

そのことを追求しないのが、我が国のマスコミ様です。

別に難しくはないと思います。支出を減らしていると言いつつ、政府関連予算は増える一方です。団塊の世代の役人、とりわけエリート官僚たちの退職金や天下り先の財源は決して減っていないことを思えば、原因は明白です。

これは財政支出を減らし過ぎて、却って日本経済の縮小を招いてしまっているからです。本来、国がやるべき公共財の補修や取り換えを放棄し、ひたすらに公共事業削減した結果、日本経済そのものが委縮してしまっている。

エリート官僚たちに多額の国費を支払ってはいるでしょうが、案外と彼らは金を使わない。むしろ溜め込んでしまう。賢いというよりも堅実、いや臆病なんです。この30年、財務省の主導の経済政策は結果として日本経済を冷え込ませるばかり。

だから国家歳入は増えても、国民経済は回らない。要するに役人様はお金の使い方が下手くそなんです。少しは自覚があるようなので、東京五輪とか大阪万博とか国家規模のイベントを打ち上げていますけど、その結果がどうなのか、既に分っているはず。でも、その失敗を認めない。

元来、役人の人事考課は減点主義なうえに、エリート官僚は権限を行使してもその結果責任はとらないことが常習化している。間違えを認めないし、認めてないのだから反省する必要もない。だから同じ過ち(民間目線では)を繰り返す。

そして記者クラブで飼い慣らされたマスコミ様は、彼らの協力するばかり。まぁ、それが出世の王道なのは分かりますけど、好意的には見れませんね。そして役人に媚び売る政治家こそ有権者に役に立つ政治家だと信じ込んでいる間抜けな有権者がいるからこそ、この30年間日本経済は低迷し続けた。

日本経済の停滞は、それを結果的に容認してきた有権者あってこそ成り立つ愚行ですね。

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10円値下げでいいよね

2025-04-14 09:09:02 | 経済・金融・税制

戦争でやってはいけないことの代表が、戦力の逐次投入だ。

戦力を小出しして、相手の反応をみて方針を決める。歴史上、数多の政治家、将軍がやらかした典型的失敗である。

やるのならば投入できる最大戦力を惜しまず出して、相手を圧倒して有利なポジションを得てから交渉に入る。戦争における王道であるのだが、これが出来なかった事例もまた多い。

実は最大戦力を一気に投入するにはいくつかの条件がある。まず事前の情報収集であり、次に迅速な行動を可能にする連絡網の構築であり、具体的な行動のための道筋を明確にすることだ。

そして困ったことに日本人はこれが苦手なことが多い。だからこそ歴史上の勝者である武将や政治家は、この迅速にして果敢な攻勢をするための準備を欠かさない。典型的なのは織田信長で、情報収集のための努力を惜しまず、街道の整備、海運、河川運輸への手厚い援助を欠かさず、戦国時代に終わりをもたらすべく奮闘した。

これは戦争だけでなく、政治闘争、経済攻勢などにも通用する。

そして、それが出来ない典型的な失敗をやらかしそうなのが現在の石破政権だ。週末にいきなり飛び出したガソリン価格の値下げを狙った一リットル当た10円の補助金政策である。

この一事をもってして石破首相が経済音痴である以上に役人の言いなりだと分かる。優秀なお勉強エリートである日本のキャリア官僚は、その人事考課が減点主義である。そえゆえに大きな冒険を嫌う。少しづつ小出しに意見を出して政策を立案し、決して冒険はしない。

取り敢えず10円下げて様子をみてから今後を決めようとする。典型的な小役人の処世術である。それを碌に検討もせずに受け入れる石破首相も大概だ。党内に支持基盤がほとんどなく、岸田頼りの弱腰宰相なので役人のお知恵にすがるしかない惨状は同情に値する。

でも、この間抜けな政策でガソリン価格が大幅に下がる結果にはならない。高値で仕入れたガソリンを売り尽くしてからでないと大幅な値下げなんて出来やしない。まぁ原油価格が国際相場で下がる気配が濃厚なので、こちらのほうが影響は大きいはずだ。

本気でガソリン価格を下げたいのならば、法令の改正抜きで勝手に一般財源化されたガソリン税等を下げるのが筋だと思う。国会を通さずに特定財源から一般財源に変更して甘い汁をすすっていらっしゃるキャリア官僚OBたちのお財布を守りたいとの本音が丸見えである。

何を配慮しているのか知らないが、まともに事実を報じる気がない新聞やTVはもちろん、政府の失策を追求できない野党にもウンザリします。

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トランプ関税

2025-04-10 11:32:01 | 経済・金融・税制

敢えてトランプ米大統領を擁護してみたいと思います。

現在のアメリカにアメリカン・ドリームは事実上存在しません。夫婦共稼ぎで、しかも複数の仕事を掛け持ちしてようやく自宅のローン返済とクレジットカードの返済が出来る国、それが現在のアメリカ。医療費が莫大でまともに病院に行けないので、慈善団体の医療テントに駆け込む国、それがアメリカ。

かつてのアメリカは、汗を流して働けば家が買え、家族を養え、週末には自宅で仲間とBBQを楽しめた。もう今では懐かしい思い出となってしまった。いったい何時からアメリカは変わったのか。

私が思うにアメリカの変質は冷戦の終結からだ。アメリカ企業の大株主たちは、自らの懐を潤すため、高い人件費を嫌い、工場を海外に移転して安い人件費で利益を練りだして配当を増やした。仕事を失った労働者の生活なんて知ったことではない。

仕事に飢えた弁護士たちはアメリカ企業を貪ることにした。高額な賠償金目当てで製造物責任を問い、PL法を使って製造業を貪り食った。それを嫌がったアメリカ企業は海外に工場を移転させて、PL法と弁護士軍団から逃げた。逃げられぬ工場労働者の生活なんて知ったことではない。

仕事を失ったアメリカの労働者たちは、生きていくため夫婦共稼ぎとなり、サービス業と飲食業に従事することで辛うじて生活を守った。でも余裕はなく、いつもリストラの恐怖に怯えねばならなくなった。

冷戦終結後、アメリカの富の9割以上が、アメリカの超富裕階級のものとなったが、その源泉はかつてのアメリカ軍兵士であり、除隊後は工場労働者でもあった中産階級とも呼ばれた人々の仕事を奪って得たものだ。アメリカはごく少数のスーパーリッチと、大多数のプアーたちからなる国へと成り下がった。冷戦の勝利の配当なんて夢物語であった。

アメリカの富裕階級の人たちはトランプを嫌悪したが、貧困に喘ぐアメリカの大衆がトランプを支持したのは、ある意味当然であり必然でもある。不動産業者であったトランプからすれば、この状況を打破する手段は明白だ。

すなわち企業が海外に移転させた工場等をアメリカ国内に戻すことだ。だからこそ25%の関税などという暴挙に打って出た。トランプは彼なりに愛国者であり、アメリカの衰退を見過ごすことが出来ない以上、暴挙と誹られようとやるべきだと信じているのだろう。

だが果たして上手くいくのだろうか。

18世紀にイギリスで始まった産業革命は20世紀のアメリカにおいて大きく花開いた。敢えて言うが、産業革命の成果を大衆が享受できるようになったのには、アメリカが果たした役割が大きい。フォードによる大衆車の普及、冷蔵庫、洗濯機、そしてTVと現代生活に必要不可欠な便利な道具は、すべてアメリカが実現したものだ。

それは単に鉄鋼生産だけでなく化学産業にも及び、加工食品や冷凍食品、電子レンジと広がり、遂には第二の通信革命であるインターネットに至る。だが、ここにきて科学技術が限界を迎えつつある。

ITもバイオテクノロジーも本質は周辺技術であり、文明全体を牽引するものではない。だからアメリカの企業が安い人件費の他国へ工場などを移転するのも必然であった。おそらくトランプ大統領が打ち出した高関税政策では、アメリカを復活させることは出来ない、あるいは限定的でしかないと思う。

これは他人事ではない。欧米の後を追うことで近代化を成功させた日本でも既にある程度進行中であり、必然的に国内の中核たる中産階級は減少しつつある。皮肉なことに今の日本が製造業においてアメリカの二の舞を踏んでいないのは、ハイテク化が出来なかったローテクの分野があってこそである。

機械化や電子化では対応できないローテクこそが、日本が現在独占的な地位を保てる分野である。少し実例をあげれば超高精度レンズの製造と研磨であり、難易度の高い溶接技術、匠の技としか言いようがない細緻で繊細な装飾技術は、国内でしか実現できていない。

もっと言えば、一見どこでも作れそうな段ボールでさえ日本国内で作られたものと、海外工場で作られたものとでは細部において品質の差は歴然としている。これは意識の高い工場労働者あってのものであり、日本製のブランド力ともなっている。

しかし、そのローテクでありながら高い技術を持つ労働者も高齢化により引退を迎えつつあり、少子化に伴い後継者が不足しているのも大きな課題である。幸か不幸か、日本は長年にわたり海外に資産、主に債権を保有しているので、すぐに没落することはない。貿易赤字を出している今でさえ、これらの海外資産からの配当は巨額である。

見方を変えれば、日本は奪うべき資産がある国であり、国外からのターゲットであり続けるはずだ。実際、都心の不動産を外国人、それもシナ人が買い漁っているのは周知の事実だ。いずれ日本もアメリカのように少数の富裕階級と、多数派の貧しい大衆に二分化してしまうのか。

トランプの暴挙は決して他人事ではないと思います。いずれは日本も同じことをやらかす可能性もあるのですから。

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確定申告雑感

2025-03-24 09:14:03 | 経済・金融・税制

30年以上確定申告業務をやってきたが、今回ほど困惑したことはない。

その原因が増税メガネと言われたのが嫌で、それを払拭するために岸田・前首相が打ち出した定額減税である。

なに、この矛盾だらけの減税策は?

率直に言ってよくぞ財務省及び国税局は受け入れたものである。いや、それ以上に大変だったのは業務の大半というか、尻ぬぐいをさせられた市区町村の税務課であろう。

実は昨年夏前から、この定額減税の取り扱いは各市区町村の税務担当部署を困惑させていたらしい。疑問点を問い質す電話をすると帰ってくる返答が尽く違う有様である。正直、役所の担当者に同情してしまった。

白状すると、こりゃダメだと年の中途で諦めてしまった。どうせ年末までには減税の仕組みが再整備されるだろうと期待したからである。実際、この難問に官庁は奮闘したと思う。だが完全ではないというか、税の法理論構成上矛盾が多すぎる。

なんだよ、あの端数切り上げ支給ってさ。まぁ、貰えるなら文句はないだろう的ないい加減というか現実的妥協の末の定額減税だと思う。税金の仕組みに詳しい顧客から説明を求められて、これほど困惑したことは過去なかったと思う。

意地悪な私の邪推ですが、これは思い付きで、ろくに根回しもせずに言い出した岸田氏のスタンドプレー。あたしゃ精神的に疲弊しましたよ。

以上、思いっきり愚痴でした。

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寄与

2025-03-13 09:30:51 | 経済・金融・税制

かれこれ30年以上、税務の世界で仕事をしている。

嬉しい時もあるが、遣り切れぬ想いに打ち沈むこともある。特に相続関係の仕事にそれは多い。

相続は民法が土台にあり、その民法があまりに時代に合わないことが多々ある。理由は簡単で、民法がナポレオン法典に準拠しているからだ。明治政府が不平等関税を改めるために欧米と交渉してても後進国扱いをされての門前払い。

そこで欧米並みの法治国家として国家の近代化を図った。その重要な柱が主要法令の翻訳導入であった。憲法はプロシアに、民法はフランスに学ぶとしてヨーロッパから学者を招聘して法律を日本語に翻訳して天皇の名の元に施行した。

これに大反対したのが招聘されたヨーロッパの学者たちだ。本来、法律とはその国の歴史、習慣、慣例などを斟酌して明文化するものであり、欧米の法律を翻訳して日本に当てはめるのは好ましくないと反対した。しかし、明治政府の元勲たちは問題ないと一蹴した。

彼ら明治の元勲たちは、まず先進国としての体裁を整えることを第一に考えたからだが、本心では招聘した学者たちの言い分を認めていた。そのために帝国大学に銘じて、各翻訳した法律を少しずつ日本に合わせていくという前代未聞の計画を立てた。

だが学者は現場を知らないことが多い。そこで法律家を育て、裁判所に於いて判例を積み重ねることにより欧州の法律を徐々に日本に適合させた。裁判における判例集がその集大成であり、これは今も続く気の長い作業となっている。

弁護士の事務所に行けば必ず判例集が本棚の大半を占拠しているはずだ。この判例の積み重ねこそが、輸入翻訳され強行された法律の日本化の成果に他ならないからこそ、法律家は判例を重要視する。

それでもまだまだ法令と日本の現実が適合していないことが少なくない。その一つに寄与がある。

例えば今でも長男の嫁が長男の親、すなわち義父、義母の介護などの面倒を看ることは珍しくない。しかし嫁がどれほど義両親に尽くしても、嫁には民法が保証する法定相続分がない。まったく面倒などみなかった親族が相続財産を占有し、涙をのんだ長男嫁は少なくない。

そこで活用されたのが「寄与」制度であり、なかでも「特別寄与」の活用を法務省は勧めていた。しかし相続の現場をみてきた私からすると、この寄与制度で満足したお嫁さんは滅多にいないと思う。実際に認められた寄与なんて、相続財産の2%程度、よくて5%で到底満足のいくものではない。

これは根本的に日本の民法が家族それも直系血族を最優先するからであり、長男の嫁は所詮外から入ってきたもの扱いであるからだ。今のところ改正される予定はないと聞いている。でも介護される義父母の理解と協力があれば対抗策はある。

まぁ幾つかあるのだけれど、タイミングとか手段を慎重に選ぶ必要がある繊細な事案なので具体的な方法は差し控えます。これは守秘義務も絡むので個別にメールされても教えませんので悪しからず。

でも本来というか、王道は民法の相続関連の規定の改正です。一言で云えば、家の相続ではなく、個人の相続への転換。実は麻生内閣で議題に上がっていたはずなのですが、何故だかその後の続報がない。

皇室の後継問題もそうですけど、日本の官庁は世帯と血統を重視する人たちがかなり強硬なのだろうと想像しています

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