ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

N医師の退職

2008-03-31 12:19:29 | 日記
早いもので、私が難病患者の肩書き(?)を得てから、かれこれ23年目となる。

幸いなことに、その間ずっと同じ大学病院、同じ医師のもとで過ごすことが出来た。これは大変に幸運なことでもあり、ありがたいことでもある。

二つの病気を同時に発病させ、時には死の淵にあった私は、若手の医師泣かせの患者でもあった。なにせカルテが分厚い。入院して半年もたたずして、そのカルテの厚さは数センチとなった。元々患者の数自体が少なく、そのなかでも珍しい症例であったらしく、他の医師からの問い合わせもあり、担当する若手医師はカルテの読解に悩まされたと聞く。

基本的にはN講師の患者であったが、入院中は若手の医師が付けられた。皆、カルテの分厚さを嘆いていた。おまけにN講師は、わりと口うるさいタイプであったようで、外来患者の診察の時も若手の医師をそばに置き、何度も質問を投げかけ若手を困惑させていた。

N先生は講師といっても、研究者としてはそれなりに知名度のある方らしく、研究者としても多忙であった。私も治験患者として臨床データーの提供には、随分協力したものだ。気がついたら、カルテは百科事典並みの分厚さとなり、20年以上たつと、それが何冊もの数を重ねるようになった。

N先生も、講師から助教授、教授と出世され、私が「先生の出世には、私の臨床データーも貢献してますよね」と軽口を叩くと、ニヤニヤしながら「その節は、助かりましたよ」と応じてくれる。

今でこそ、軽口を叩けるくらいの関係になったが、病状が深刻な時は何度も衝突したものだ。私が気が短いせいもあるが、どうしてどうして、N先生もなかなかに頑固だ。病棟に鳴り響く勢いで、何度か怒鳴りあったこともある。さぞや、扱いづらい患者であったと思う。

実際、発病して数年間はまったく治る兆しは見当たらなかった。いや、ある程度は薬は効き、治る印象はあったが減量のたびに再発を繰り返し、薬の副作用によるダメージよりも、精神的な荒廃感のほうが辛かった。いまだから分るが、治る展望の開けない患者と付き合うのは、医師にとっても辛いものであるようだ。

私にとって、忘れ難いのが8年前の再発時だ。あの時の絶望感は言語に絶するものだった。胃の底に冷たい鉛の塊が生じたかのような、重く息苦しいような気分を抱えて外来に行った。もう入院は覚悟していた。全てを失ったかのような敗北感に打ちのめされていた。

しかし、N先生は淡々と検査データーを眺め、一言「しばらく様子を見ましょう」と。ただし、浮腫みが出たら、即入院だとも言われた。言われて気がついた。たしかに浮腫みは出ていなかった。予想した薬の増量もなし。

長年、私を看てきたN先生には、私よりはるかに私の体のことが分っていたのかもしれない。N先生の言葉に、自分でも驚くほど平静を取り戻し、数ヶ月間安静を可能な限り守り、仕事は最低限にして、ひたすら身体を労わる日々を過ごした。

N先生の予想通り、再発は収まり、あの強烈な治療薬の副作用を味わうことなく、再び平穏な日々を取り戻した。あの時ほど、N医師についてきて良かったと安堵したことはない。

そのN先生も今日で退任。幸い近所の病院に週一で診察に来てくれるようなので、私は安堵している。信頼のおける医師との出会いがあったからこそ、今の私があると思う。

先生、23年間ありがとうございました。
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「会計学一般教程」 武田隆二

2008-03-28 09:27:29 | 
志が低いと、気がつかないことが沢山ある。

私は学校とは、社会に出るための途中経過に過ぎないと考えていた。勉強とはその学校における評価の手段であり、実社会で役立つものではないと、端から見下していた。

だから、勉強の先にある学問に気がつかなかった。試験で良い成績をとるだけで満足して、その先があることを想像にだしなかった。

皮肉な事に、私が学問の面白さに気がついたのは、税理士の国家試験の勉強の最中だった。資格試験という奴は、実に退屈な勉強で、暗記と反復練習さえ十分やれば合格できる。その退屈さに耐えうる者だけが、合格の栄冠を勝ち取る。

税理士試験の勉強もその原則にたがわず、実に退屈な勉強であった。しかし、一科目だけ色合いの違う科目があった。それが財務諸表論、いわゆる会計学だ。

表題の本は、当時の税理士試験の問題を作成する武田教授の書かれた会計学のテキストだ。大学で経済学科に籍を置いていた私も、似たようなテキストを読んでいたはずだが、当時はその中身を8割がた分っていなかった。

試験合格のため、このテキストを徹底的に読解するようになり、そこで初めて会計学の面白さを知った。まさかこれほど面白い分野だとは、予想だにしなかった。

断っておくが、この面白さを分るレベルに達するには、最低でも日商簿記1級程度の素養は必要だ。その上で、会計諸原則を諳んじる程度の基礎学力が求められる。このレベルに達するだけで、最低半年は、猛勉強が必要となる。

怠け者の私の場合、試験合格という目標があったからこそ、この退屈な基礎勉強を我慢できた。大学時代は、見向きもしなかった癖にね。

この退屈極まりない基礎を終えて後、ようやく会計学の面白さの一端を知ることが出来た。喩えて言うなら、展望のない樹林帯の急な稜線を長時間上り詰めた後、突然快適な高山の展望が開けたと称するべきか。

今にして思うと、十代の頃の学校の退屈な勉強の大半は、学問のレベルに達するまでの途中経過に過ぎないわけだ。その基礎固めがなければ、到底理解しえない面白さが存在するとは、なんて意地悪な仕組みなのだろう。

既に私は税理士という実務家への道を決めていたので、学究の道を進むことは断念した。しかし、もしもう一度人生をやり直せるならば、学究の道へ進むことを望みたい。でも、やるとしたら歴史学か生物学だろうな。会計は必要だから勉強しただけで、やはり好んで学びたい分野じゃない。

私の子供時代には、勉強を教えられる人はいても、学問を教えられる人はいなかった。過去を悔いるのはあまり好きではないが、それでも多少の悔いは残る。だから、今の仕事を引退したら後、社会人大学にでも通って、勉強したいと考えています。唯一心配なのは、その時それをこなせるだけの体力が残っているか、ですね。
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「さすらいのスターウルフ」 エドモンド・ハミルトン

2008-03-27 13:37:36 | 
人間に寿命がある以上、小説にも未完の作品が生じてしまうのは致し方ない。わかっちゃいるが、愛読者としては無念の想いは拭いきれない。

中学生の頃、SF小説に夢中だった私にとって、スペースオペラの大家であるハミルトンは大好きな作家であった。もっとも、その代表作であるキャプテン・フューチャー・シリーズは、さすがにこの年齢になると素直に楽しめない。なにより、無邪気にアメリカの正義を信じられなくなったことが原因だ。でも、短編はアイディア豊富で面白いぞ。

そんなハミルトンの遺作になってしまったのが、表題の作品。「スターキング」を始めとして、素直な正義感を主人公にあてこむことが多かったハミルトンとしては、かなり異質な主人公が印象に深い。

なにせ、略奪を生業とする宇宙海賊をやむを得ない事情で抜け出た若者が主人公だ。従来の作品とは異なる主人公の活躍ぶりが、実に興味深く、続編を楽しみにしていた。しかも、悪人が改心して正義に目覚めるなら陳腐だが、この主人公にその気配は見られない。だからこそ、面白かった。もともとストーリーテラーとしては優れたハミルトンだが、このような主人公を活躍させた作品は他にはない。

ところが三作目の「望郷のスターウルフ」」が遺作となってしまった。高齢であっただけに、致し方ないのだろうが、実に残念な結果であった。晩年になって新境地を拓いたハミルトン老にとっても、さぞや無念であったと想われる。

たしか日本では、翻訳家の野田氏らの尽力もあって漫画化されたり、アニメ化されたこともあったようだが、私は一切観なかった。ハミルトンのイメージを大切にしたかったからだ。

未完で終わったことを無念に想う気持ちに変わりはないが、さりとてハミルトンではない続きは知りたくない。割り切れない複雑な心境は、あまり多く経験したくないものだが、それも人生なのだろう。
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「大いなる完」 本宮ひろ志

2008-03-26 13:43:46 | 
金権政治家との評は、正しいと思う。闇将軍との揶揄も、相応なものだと思う。故・竹下や鈴木宗男といった悪い意味での、追随者を産み出したと言われても、仕方ないと思う。

それでも、私は田中角栄という政治家を、大物だと認めている。生で演説を聴いたのは一度きりだが、子供の私でさえ胸に響く言葉を伝えてくれたことは、今も忘れずにいるくらいだ。

現在、論争の的となっている特定道路財源という仕組みを作り上げた政治家の一人が、田中角栄だと言われている。地方に公共事業という名の税金をばらまき、地方の活性化を目指した絶妙な仕組みであった。

この仕組みは、予算を牛耳る官僚や、うま味の大きい公共事業で肥え太る建築業者の利益に適うものであった。なによりも、たいした産業のない地方の寒村に立派な道路や橋を作り、選挙民の懐とプライドを満足させる仕組みでもあった。

霞ヶ関の官僚主導ではなく、永田町の政治家主導の仕組みであったが故に、どうしたって、そこには政治家への不透明な金の流れが出来るのは必然だったといっていい。この仕組みが、自民党の長期政権の秘訣でもあった。

田中角栄を贈賄政治業者だと罵るのは容易い。しかし、後の金目当ての追随者とは異なり、角栄には熱い思いがあった。地方の貧しい暮らしを肌で知っていたがゆえに、地方を豊かにしたいと願う気持ちに嘘偽りはなかった。単に願うだけでなく、それを実現するための尽力を惜しまなかった。だからこそ、今でも新潟の有権者は角栄を忘れない。

角栄の真似をして、道路利権に食い込んだ政治家は数多居るが、誰も角栄ほどの熱い想いを抱くことはなかった。クソ真面目な官僚でさえ、自分たちの利権としか捉えなくなっていた。中間搾取が酷すぎて、もはや末端までにその効力は及ばなくなっているのが、今の実情だ。

もし、田中角栄が今の政界に居たのなら、もはや地方を豊かにしない仕組みなど廃止したかもしれない。彼は誰よりも、貧しい地方の暮らしを心配していた。美化しすぎだとは思うが、今の政局の混迷ぶりを見ていると、あの金権政治業者の親玉さえもが素晴らしく思えてしまう。

その角栄をモデルにして描かれたのが、表題の漫画だ。作者の本宮ひろ志は、あまり好きな漫画家ではないが、この漫画で描いた主人公は、誰よりも政治家、田中角栄の本質に迫っていると思う。外面は似てないが、なにより角栄の熱い想いを見事に伝えていると思う。

間違っても伝記として角栄自身の姿を伝えるものではないが、その内面に秘めた熱い想いが、希代の大金権政治家を生み出したのだと分る漫画だった。あまりメジャーな作品ではないが、もし見かけましたらご一読ください。
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「太陽系最後の日」 アーサー・C・クラーク

2008-03-25 13:04:41 | 
先週半ばに飛び込んできたニュース。それがアメリカSF界の三巨頭の一人であるアーサー・C・クラークの、スリランカでの死亡であった。ファンの一人として、残念でならない。

以前ここでも取り上げたが、「2001年宇宙の旅」や「地球幼年期の終わり」など、SF界に与えた影響は大きい。日本においては、SFマガジンの創刊号で取り上げられた表題の作品こそが、SFの普及に大きな役割を果たしたと思う。

この短編で雄々しくも掲げられた人間賛歌に、SF小説の輝かしい未来を感じ取った人は多いと思う。私とて、毛語録の読書会で知り合った大学生たちに薦められて読んだ時は、素直にその素晴らしさに感動した。SF小説こそ、文学におけるこれからのフロンティアだと確信したものです。

もっとも、私自身はスペース・オペラに先祖帰りしてしまい、本格的なSFを読み出すのは高校以降でした。一方、忘れてはならないのが、科学ライターとしてのクラークです。科学というものを分かり易く、身近な具体例を挙げて解説してくれたクラークの科学エッセイは、私の知的好奇心と雑学趣味を大いに満足させてくれたものです。

私にとって、アーサー・C・クラークは単なるSF作家ではなく、科学の教師的存在でもありました。謹んでご冥福を祈りたいと思います。
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