ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

日本のDFとは

2019-06-28 13:12:00 | スポーツ
ロシアW杯大会を最後に日本代表から引退したドイツ・ブンデスリーグの強豪フランクフルトに所属する長谷部誠が、2018-2019シーズンのベストイレブンに選出されました。しかもセンターバックとしての評価です。これにはビックリしました。

長谷部選手は身長180㎝と日本人としては大柄ですが、欧州とりわけ巨漢選手がゴール前に立ちふさがるブンデスリーグでは、決して大きいとは言えない。にもかかわらず、ディフェンダーとしてだけでなく、センターバックとしてドイツの選手、コーチ、マスコミからも高い評価を受けているのですから、本当に大したものだと思います。

ちなみに日本代表では、当初はトップ下、後にボランチのャWションに移り、三大会に渡り活躍してきました。リーダーシップも高く、そのクレバーな球さばきで、チームを支えてきました。DFラインに入ることも多かったのですが、決してDF専門の選手ではありませんでした。

ドイツでは、ヴォルクスブルク、フランクフルトいずれのチームでも様々なャWションをやっていましたが、最終的にはリベロというか、ディフェンスの選手として活躍していました。あのベッケンバウアーが、理想的なリベロとして長谷部を取り上げたこともあるぐらいですから、本当に現地で認められていたのだと思います。私としては感慨深いものがあります。

長年サッカーを観てきましたが、私の悩みは日本人選手の身体の小ささでした。190㎝台から2メートル近い大男たちが守備に身体を張るサッカーの世界です。せいぜい180㎝台が精一杯の日本に、世界に通じるディフェンダーは育つのか。

実際、日本サッカーが低迷していた70年代、80年代は、欧州や南米といったサッカー先進国はともかく、日本と同レベルなはずのアジアにおいてさえ、日本選手の小ささはハンデにしか思えなかったのです。

日本代表を率いてきた外国人監督には、二通りの選手選考がありました。一つは日本人の中から出来るだけ長身で大柄な選手を選ぶこと。柱谷哲二や井原、中沢、闘莉王、大岩、吉田などがその代表でしょう。

もう一つの考えは、日本人の体格、特性にあった選手で守ることでした。宮本、森岡、田中誠、中田浩二など素早さと読みの確かさ、パス出しの上手さなどが特徴でした。

私見ですが、前者だと物足りなく、後者では力不足を感じることが多く、これが私の長年の不満であったのです。そんな中で、ディフェンダーとしては小柄な長谷部が、ドイツで本格的な守備の選手として評価を受けてきたのです。

現在の日本代表では吉田が中心となっていますが、そう遠からぬうちに冨安や植田、遠藤航といった若手がそのャWションを占めることになると予測しています。いずれも180㎝台の体格ですが、既に欧州リーグで活躍している実績を持っています。

身長の面では物足りなさを感じますが、足元の技量は確かだし、身体の強さもある。後は経験値と思考力でしょう。Jリーグが始まって20年余、ようやく世界に通じるDFの形が見えてきたことが嬉しいですね。

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老後の資金不足

2019-06-27 11:55:00 | 経済・金融・税制
金融庁の思慮足らずの報告書で露呈した国民年金の積み立て不足。

ですが、年金の積み立て不足の問題は、20年以上前から霞が関では認識されていたはずです。そこから生まれたのが、日本版401Kと呼ばれた確定拠出年金制度でした。

日本の年金制度は3階建て。一階は全ての国民が強制加入の国民年金。二階には厚生年金と国民年金基金があり、3階には企業年金基金がありました。しかし、これだと大企業と公務員以外の国民が不利になる。そこで作られたのが確定拠出年金制度でした。

たしか2000年前後であったと記憶しています。しかし、この制度、アメリカの401Kとは似て非なる制度でした。アメリカのは、個人が自らの意志と判断で鰍ッ金を株式市場に投資して、将来の生活資金に充てるものです。

しかし、日本版401Kは、投資の主体が企業もしくは個人(実質、証券会社ですけどね)であり、どちらかといえば企業主体の年金制度です。

当時、大蔵省では「貯蓄から投資へ」を合言葉に、盛んに個人の資金を証券市場へ還流させることを目指しており、その一環としての制度であったと私は理解していました。そして、だからこそ信用できないと考えていました。

アメリカは移民の増加などもあり、人口は増加傾向にあり、当然に株式市場も拡大の方向に向いていましたから、将来の生活資金として個人が株式投資することには、それなりの可能性が十分あったと思います。

しかし、日本は違います。当時でさえ21世紀中盤には人口の減少、高齢化社会の到来が確実視されていたのです。社会の規模が小さくなる以上、当然に株式市場も縮小されると考えるほうが自然だと思います。

で、なんで将来の生活資金を株式市場に投じるの?

普通に考えたら、将来成長が望める市場に投資すると考えるべきではないでしょうか。仮に投資するなら、より安定性の高い国債などを対象とするなら、まだ理解できます。

日本の公社債の安定性については、若干の疑問はあれども、梼Yの危険性を孕む株式市場よりは安心だと私は考えていました。だから、個人向けの401Kをやってみようなどとは、思ってもみませんでした。

思うに、当時も今も、日本政府の考えていることは、国民の老後の生活の保全よりも、今の株式市場を活性化させることが主要な目的なのでしょう。だからこそ、金融庁は国民年金が足りないから、個人で投資しましょうとの報告書を書いたのでしょう。

私は株式投資を否定している訳ではありません。事実上のゼロ金利政策が継続している以上、預貯金の投資としての価値は安全性だけ。とても将来価値の上昇は望めません。

さりとて、人口減少が分かっているのですから、安易な不動産投資はむしろ危険です。だから十分な経済知識がある人が、自らの判断と決断で株式投資することは、ある意味当然の流れだとさえ考えています。

でも、その対象者はそう多くはないはずです。大半の国民は、どの株に投資すべきかさえ確信は持てずにいるのが普通だと思います。では、国民年金では足りない部分をどう補えば良いのか。

政府を批判するのは心情的には分かります。でも、本当に考えるべき問題は別にあるはず。賢しげに批判している人は多いですけど、ならば、本当に有益な将来の投資対象は何なのか。

批判するだけで、対案無しのおバカな意見がまかり通っていることが、私は大変に不愉快です。
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東八道路

2019-06-26 11:59:00 | 日記
東京には「東八道路」と呼ばれる道がある。

府中の試験場前の大通りとして知られている。片側二車線の快適な道路で、そのせいかスピード違反をし易い道路でもある。しかし、この道路の名称は看板に偽りありの典型であった。

今から73年前だが、東京都に於いて東京都心から八王子へ繋がる甲州街道を補完する第二の道路として計画されたのが始まりだ。東京都は横に細長い自治体であり、東西をつなぐ幹線道路は、青梅街道と甲州街道の二本だけであった。

そこでもう一つ、東西をつなげる道路として計画されたのが東八道路であった。しかしここ半世紀近く、東八道路は、実質府中三鷹道路に過ぎなかった。府中から先は、日野バイパスにつなげる予定だが、ここは未だに工事中である。

一方、三鷹から先は片側一車線の狭い道(下本宿通り)になり、ここが渋滞してしまうのは必然であった。私の家がこの通りを一本入った奥にあるため、この狭い道路の渋滞には、長年辟易していた。

三鷹の先に居座っていた家が立ち退いたのは十数年前だが、その先も住宅街なため、片側二車線は夢のまた夢であった。そこで痺れを切らした東京都は、少し北側にある玉川上水に目を付けた。

玉川上水の両脇を再開発して、川を挟む形で東八道路の新迂回路とする計画を打ち出した。この当時、私は地元の自治会の役員をしていたので、あれこれと説明会などにも顔を出していたが、総論賛成各論反対な上に、環境問題も絡みだして、上手く計画が進むかどうか怪しかった。

しかし、反対派の重鎮の一人が亡くなり、その土地が買い取られてからは急激に計画が進んだらしい。4年ほど前から工事が急ピッチで進み、今月ようやく三鷹から先が甲州街道と直結された。

これは地元の私にとっても大きな変化であった。駅までの通勤の途中に片側二車線の大通りが出来たのだから、信号待ちで駅までの時間が延びてしまった。今までは渋滞している細い道で、車の間をちゃっちゃとすり抜けていたので、むしろ安全になったと言うべきなのだろう。

それにしても計画以来70年以上である。正直呆れてしまう。一つには日本独特な土地は値下がりしないといった神話が根付いていたことがある。実際、この東八道路の妨げになっていた家の多くが、その土地にしがみ付き、離れたがらなかったのが計画が遅れた最大の原因であったはずだ。

しかしバブルの崩壊で土地もまた値下がりすること。また少子化により家が余ってきたことにより、必ずしも土地を相続することに拘らない若い世代が増えてきたことが、計画推進の大きな要因となったようだ。

この東八道路、残すは府中と日野バイパスをつなぐ区間だけ。かなり工事は進んでいるが、未だ開通の時期は公表されていない。私が元気に車を運転できるうちに開通して欲しいものである。

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我が母なる暗黒 ジェームズ・エルロイ

2019-06-25 12:08:00 | 
初めて読んだエルロイのミステリーの読後感は、甘いフルーツがたっぷり入った強めのアルコール入りカクテルを飲んだようなものだった。隠し味に痺れるスパイスが入っていることに気が付いたのは悪い酔いしてからだ。

いや、スパイスどころか微量の毒に近かった。しかも中毒性のある毒であることは、しばらくしてから分かった。

当時の私は、サイコ・ミステリーにはまっていたので、並の作品ならば、さして影響を受けることはない。だがエルロイのミステリーは別格だった。読んだ後は、心が疲れてしまい当分は手に出すまいと思ていた。

でも、これは二日酔いの朝に、トイレで便器を抱えながら「もうお酒は飲みません」と嘆いているのと同じであった。しばらくすると、再び読みたくなるのが、エルロイのミステリーの恐ろしいところである。

初めて読んだのは「ブラック・ダリア」であったが、その後ロス暗黒4部作や「アメリカン・タブロイド」などを読んできたが、なにが私をここまで惹かれるのか、少し疑問であった。

少し、と書いたのは内心そうではないかと思っていたことがあるからだ。私が惹きつけられるのは、ある種の同族意識があったからだろうと予測していた。そのことを確認できたのが、表題の作品である。

アメリカ・ミステリー界の狂犬呼ばわりされるエルロイであるが、表題の書を読めばその半生は文字通りの犯罪者であることが良く分かる。殺人や大量破壊などはしていないが、軽犯罪なら日常的な反社会的人間である。

一応書いておくと、私が警察の世話になったのは、幼少期がほとんどで、10代になってからは、そんなヘマはやらかしていない。もっともバイクや車を運転するようになると、道路交通法違反だけは小さいやつをチマチマとやっている。

でも刑法はもちろん、商法、民法などにひっかかるような不始末はいっさいやってない。いや、バレてないが本当のところだろう。他人様の敷地に無断で入り込んだりといった小さな悪事はやっているが、その程度である。これは不動産評価のため、仕方なくやっている。

では、なにが私をエルロイの同類だと見做せるのか。それは今まで書いきたとおり。もうお気づきの方もいるであろうが、私は法律を絶対視していない。小さかろうと、それは法令違反であることに変わりない。それは分かっている。

ところが、私は自身の心のうちにあるルールにこそ拘るが、案外と法令を平然と踏みにじる傾向がある。それは、やはり不味いことだと自覚はしているので、さすがに近年は気を付けている。

そのかわり、自身の心のルールに対しては、絶対的な遵守を自ら決めている。それが一社会人として、いささか問題あることは分かっているので、通常は口にもしないし、行動することもない。

でも、もしその必要があると認めたならば、私は多分平然と法を踏みにじる可能性が高いことも自覚している。幸いにして、そのような物騒な境遇に陥っていないのは、多分幸運だからに過ぎない。

もっともエルロイは既に踏み込んでしまった人。私とは覚悟の深さが桁違い。よくぞ、よくぞ堅気の世界に戻れたと驚嘆すべき作家である。

表題の作品は、ミステリー作家として世に出たエルロイが、その後母の死の真相を追い求める形で語られるエルロイ自身の半生の記である。ミステリー界の狂人、最北端の異人を生み出した背景を知りたければ、必読の書といってよいでしょう。

あァ~多分、私は終世エルロイから離れられない気がする。読むと心が疲れるので、あまり読みたくはないのですけどね。
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南米選手権(コパ・アメリカ)参戦

2019-06-24 11:44:00 | スポーツ
実に素晴らしい。

南米選手権に初めてゲスト参加した日本サッカーの代表チームが、チリに0―4で惨敗である。

これだ、このような試合こそ私は望んでいたんだ。

戦術の進んだヨーロッパのサッカーとは一味違う南米のサッカーは、どちらかといえば日本では軽視されがちであった。でも、球際の厳しさ、一対一における激しさ、反則ギリギリのダーティプレイなどは、世界第一級の質を誇るのが南米である。

もし仮にチリを日本に招聘しての親善試合ならば、結果は真逆であった可能性は高い。しかし、南米選手権は伝統と格式ある公式の大会である。チリとしては全力をもって戦わねば、故国に顔向けできない。

その必死な覚悟のチリに、日本は無様に負けたのである。これぞ真の国際試合である。かつて日本が南米選手権に招待された時は、あいにく東日本大震災があり、やむなく辞退したことがある。

今回、ようやく叶った南米選手権への参加である。サッカー後進国であるアジアの大会では決して味わえぬ、レベルが高く厳しい国際試合に触れることこそ、今の日本に必要なことである。

全敗でも構わない。いや、むしろその方が望ましい。ロシア杯での幸運を実力だと思いあがった日本サッカー界及び軽薄マスコミには良い薬である。機会がありましたら是非見て欲しい試合ばかりです。

アジアではトップクラスの日本(これは、これで立派ですけど)も、南米のチームの中に入れば下位のチームに過ぎない実情がよく分かると思いますよ。

追記(6/21)第二戦は強豪ウルグアイでしたが、意外にも2≠Qで引き分け。アウェイの地で引き分けなら合格点。若手主体からベテラン(岡崎、柴崎、川島)を配置したことにより、チームが引き締まりました。しっかりと良い経験を積み重ねて欲しいものです。
コメント (2)
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