青森県で鳥インフルエンザに感染した食用アヒルが見つかったとの報道を読んだ。
鳥インフルエンザは、渡り鳥などから感染することもあるので、少し前に韓国で感染が報じられたことからして、いずれは日本にも来るだろうと思っていた。
少し驚いたのは、その感染が食用アヒルであったことだ。食用アヒル?馴染みのない言葉である。
アヒルが食べられることは不思議ではない。でも、北京ダックくらいしか思いつかない。そこで調べてみて驚いた。食用アヒルって、合鴨のことだったのか!
元々、アヒルの先祖がマガモであり、両者を鰍ッ合わせることで作られたのが合鴨。その合鴨を食用アヒルと呼ぶようだ。合鴨といえば、合鴨を除草に用いた田んぼの風景を見たことがある。
だが、合鴨は成長すると稲穂まで食べてしまうので、その前に食用として売られてしまう。また人工種であるため、繁殖して生物界に影響を及ぼさないためにも、食べてしまうそうだ。
ただ、出荷する前に、より高く売れるように囲いにいれて育成するそうで、その合鴨を食用アヒルと呼ぶらしい。
知らなかった・・・合鴨ならば、鴨南蛮や、焼き鳥などで御馴染みであり、カロリー豊富ゆえに多少控えてはいるが、それでも偶に私も好んで注文していた。
世の中、知らないことってあるものだ。
そういえば、年越しそばに昨年は合鴨を入れて作ったことを思い出した。あれは美味しかった。でも、鳥インフルエンザに感染となると、多くの食用アヒルが処分されてしまうのだろう。
今年は品薄かな?
今のうちに、合鴨の燻製等を買い込んでおこう。さっそく今晩、買い物にいきますぞ。
危なっかしいと云わざるを得ない。
長く低金利が続き、所得格差、資産格差が広がってくる今日の日本において、少しでも有利な資産運用をして豊かな生活を目指すことは当然であろう。
そのせいだと思うが、最近TVのCMや、書店に並ぶ雑誌、書籍などに不動産運用を奨めるものが増えている。
率直に言って、危ないなァと思ている。
賃貸アパートや、賃貸マンション、賃貸テナントその他賃貸駐車場など不動産運用はいろいろある。物件さえ確かならば、かなり安定性が高く、かつ収益性も悪くない。
ただ、一部のCMでやっているような、土地をもっていなくても出来るタイプの不動産賃貸は要注意だ。これは非常にリスクが高い。定期借地権を利用したものや、ワンルームマンションなどがあるが、土地もしくは敷地権を借りているため、その分収益性が落ちる。空き室になったらローンの支払いに苦労すること請け合いである。
また比較的安定性の高い遊休土地を活かしたアパート経営も、その立地条件、周辺の賃貸状況、道路、鉄道等の利便性、コンビニ、病院などの環境面などを考慮しないと、建てたはいいが空き室だらけの不良資産と化す。
かなり偏見混じりの暴論かもしれないが、建設会社は建物を建ててしまえば良しである。銀行は貸してしまえば、後は倒産しても担保不動産を差し押さえるだけ。ワンルームマンションに至っては、誰か知らねど買わせてしまえば、後は野となれ山となれである。
あと、メリットもあるが、デメリットも大きい一括借上げタイプの不動産賃貸も怪しい。家賃保証に気を取られて、十年後、二十年後のリスクが疎かなケースを散見する。たしかに大家にとっては、手間暇かからぬお気楽収益であるが、一括借上げ契約は永遠ではない。それにメンテナンス代が高くつくのも欠点だ。敢えて断言するが、長期投資として収益性は決して高くない。
他にもいろいろリスクはある。だが、最大のリスクは日本の社会状況の変化だと思う。高齢者が増える一方で、子供の数が減っている。別に家を建てなくても、親の家を相続すればいい。そう考える子供たちは少なくない。
それどころか、自分の家を持っている子供にとって、親の家は不良債権と化すことも珍しくない。老朽化もあるが、今さら住む気にもなれず、さりとて貸す気にもなれない。
結果、日本各地に空き家が増えていることは既に知られている通り。そんな状況下で賃貸物件を増やすならば、よほど条件が良くなければ、空き室が埋まることはない。建築当初は埋まっても、徐々に空き室が増え、修繕費も増え、なんのための不動産運用だが分からなくなっている。
そのことを誰よりも分かっているのが不動産業界だ。だが、商売は止められない列車にも似て、簡単に止めることは出来ない。だから、不動産業界は建設業界、銀行業界と意見が一致して、不動産運用を消費者に奨める。買わせてしまえば、後のことは知っちゃいない。
その本音を押し隠し、不安を笑顔で押し切り、客の将来よりも自分たちの今が大事。だからこそ大々的にCMを打ち、雑誌などに不動産投資の奨めの記事を書かせる。
もちろん、上手くやっている不動産投資もある。それは確かだ。だが、投資に絶対的な安全性などないのも事実だ。もし、不動産投資をお考えならば、あくまで余剰資金でやるべきだ。借入は極力減らし、自己資金で賄い、営業マンの科白を鵜呑みすることなく、自分の足で投資物件をみてまわり、近所の話を聞き、裁判所の競売物件を調べる。これくらいは、自分で出来るはずだし、この程度の手間を惜しむ人は、投資には向いていないと思います。
くれぐれも、TVのCMや、雑誌の広告的記事、銀行等のセミナーなどの話を真に受けることなく、自分自身の足で調べ、耳で聞き、目で見て判断しましょう。貴方の人生を保証してくれるのは、他でもない貴方自身なのですから。
アメリカの次期大統領であるトランプ氏は、さっそくにTTPからの離脱を宣言した。
これまで必死にTPPを推し進めてきたアメリカの製薬会社、保険会社や投資グループは大いに失望しただろう。一方、失意を押し隠すのが難しい自民党の推進派議員たちは、未だにTPP推進を口にする。
だが、元々アメリカの投資家たちが自由貿易の名のもとに強欲な商売を海外で堂々と出来ることを目指したものがTPPである以上、トランプの宣言は事実上幕を降ろしたに等しい。
私はアメリカが求める以上、日本が拒否することは適わぬとみて、消極的ながらTPP受け入れに賛成であった。しかし、次期アメリカ大統領がここまで言う以上、もはや現状のままでのTPP批准はないだろう。
実に嬉しい。
それが私の本音だ。いい加減、自由貿易礼賛風潮に辟易していたので、今回のトランプ次期大統領の宣言は嬉しいものだ。ただ、油断は出来ないとも思っている。
元々、アメリカが自由貿易を方便に言い出したTPPは、ある意味西欧文明の進歩が停滞している現状から産まれたものだ。アメリカ国内に、十分利益を見込める投資事案が減少しているからこそ、世界中に食指を伸ばすための手段がTPPであった。
ここでTPPが取りやめになろうと、投資先が停滞している現状に変りはない。アメリカの富裕階級は、新たな投資先を求めることを止めないだろうから、再び形を変えて自由貿易の強要は復活すると予測できる。
そう、自由貿易とは、強者が弱者を貪る口実である。それが自由の本質であることを忘れてはならない。どういう訳か、日本のマスメディアは、自由貿易=善、保護貿易=悪との前提に立って報じることが多い。
これは現在の日本が自由貿易において、強者の側であるからこそ、成り立つ理屈である。しかし、それも自由貿易をアメリカが推し進めてきたからこそであることを忘れてはならない。
日本が主導してきた訳ではなく、アメリカの尻馬に乗って稼いできたのが実情である。
今回のTPPの失敗により安堵している方は、私も含めて少なくないはずだ。だが、くれぐれも安心してはいけないと思います。断言しますが、形を変えて、必ず自由貿易のごり押しは復活すると思いますよ。
大人向けのファンタジー、だから子供たちにはあまり受けないと思う。
ファンタジーに大人向け、子供向けの区別があるのかは、いさか不鮮明であることは分かる。なぜなら基本的には子供向けであるからだ。だが、かつてファンタジーに夢中だった子供時代を過ごした大人たちだって、ファンタジーを楽しみたい。
この選別が難しい。敢えて言わせてもらうと、世界的に大ヒットとなった「ハリー・ポッター」シリーズは大半が子供向けではあるが、終盤の陰鬱さは、少年から大人へと成長するハリーに合わせて、内容が現実的な葛藤を帯びたことが原因だ。
少年の成長の物語としては、それはある意味当然ではあるが、シリーズの終盤を描いた作品には、当初の明るい魔法の世界は押し潰されてしまっている。
そのハリーポッター・シリーズの世界を引き継ぎつつも、ハリーの100年以上前の物語を描いた表題の作品では、少年ではなく、やや稚拙な若さが感じられる大人が主人公になる。
しかし、不思議なことに、大人の魔法使いを主役にもってきているのだが、ハリーポッター・シリーズのような陰鬱さは少ない。もちろん、魔法使いと、魔法を使えない人々との間の緊張感はあるし、いささか暗い場面もある。
その暗さから恐ろしげなモンスターが生み出されるのだから、必然的流れではあるが、実を言えば他のモンスターたちも、あまり可愛くない。まァ、笑いを誘うような悪戯好きの奴はいるが、全体としては可愛げに欠ける。
にも関わらず、この映画に笑いが伴うのは、魔法使いでない人間の存在が大きい。この人の存在が、物語に微笑みをもたらしている。
多分、続編が作られると思うが、このキャラクターは必ず再登場すると思います。是非、観たいものですね。
肩書が多過ぎる人は、どうも信用がならない。
東京近辺にお住いの方なら、電車などの広告に「怒涛の英語」というフレーズを見かけたことがあるかもしれない。ヤマトタケルなどの著名人のコスプレをした妙な広告である。
また、世界的な著名人を集めた妙なイベントの広告を新聞等で見かけた方もいるかもしれない。それはオペラ等の演奏会であったり、あるいは講演会であったり、とにかく趣旨がよく分からないイベントである。
その広告主が、表題の書の著者である。
えらく多才な御仁のようだが、如何せんあの肩書の多さが、かえって正体を分かりにくくさせている。冒頭に書いた「怒涛の英語」をキャッチプレーズに、東京界隈では、わりと知られた予備校経営者である。
実は、その予備校の本校は、私の古本屋巡りの道中にあるので、以前からその存在は知っていた。入り口に妙な置物があるので、妙には思っていた。実際、予備校の世界にあっても、ここはかなり異質というか異端な気がします。
だからこそ興味を持っていた。ようやく、表題の書を読む機会があったので一読してみたが、その内容にはけっこう感心した。英語が下手というか、苦手な私にもよく分かる、共感できる内容であった。これが若くして予備校経営に成功した土台なのだろう。
ただ、この方いささか多才過ぎる。努力家であるので、それを誇示したい気持ちも分かるが、少し度が過ぎる気がしてしまう。いや、このくらいアピールしなければ、事業を大きくすることは出来なかったのかもしれない。
そう思いつつも、ちょっと距離を置きたい方でもある。自ら道化を演じる度量には感心しますけどね。
まったくの勘ですけど、この著者、いつか政治の世界に身を投じるかもしれません。宗教には片足突っ込んでいるようですし、この多才さゆえに、政治に無関心でいられる訳がないと思うのですよね。まっ、勘でしかありませんけど。