ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

伝説の雀鬼・桜井章一伝 柳史一郎

2020-11-30 12:37:00 | 
麻雀で20年間無敗の男、そう聞いた時、まっさきに嘘だと思った。

あるいは虚勢とか見栄ではないかと思った。麻雀という遊戯は、運に左右される部分が非常に多いと私が考えていたからだ。

だが、桜井章一という人が20年間無敗であったのは、概ね事実であるようだ。

私が誤解していたことがある。それは桜井氏はプロの雀士ではあるが、はっきり言って裏世界のプロであったことだ。当然ながら、その世界では積み込みなど表の世界では反則とされる技も、見つからなければ黙認される。

桜井氏は、反則も含めて多種多様な技を駆使し、代打ちと呼ばれる特殊な麻雀で20年間無敗であった。彼は運なんてあやふやなものに勝敗を左右されることを厭い、運や流れを変えるために反則も駆使する打ち手であった。

これはもう、私の知っている麻雀ではない。数千万、あるいは億単位でお金が動く麻雀で20年間無敗とは、信じがたい実績だが、これをウソだと公に誹謗した人を私は知らない。

こんな浮「お方を某お笑い倹lに似ていると暴言を吐き、後でボッコボコ(もちろん麻雀で)にされたアホが西原理恵子である。もっとも、それを漫画のネタにしているから、こちらもしぶとい。

ちなみに桜井氏は本気になれない程度の麻雀では、負けることもあったらしい。しかし、数多くのプロ雀士がイカサマ抜きでも彼は強いと証言している。

でも本当のところ、私が本当に驚いたのは、そんな裏社会の人間である桜井氏が、今は普通の堅気の人間として平穏な生活を送っていることだ。それが一番不思議でならなかった。

そしてその疑問は表題の本を読んで解消された。桜井氏は酒を飲まず、美食にも関心はなく、女性にも薬物にも手を出さない極端な堅物であった。ただ、麻雀に勝つことだけを考え、それ以外の賭博は一切やらない。そして、妻と子を持つ平穏な社会人としての顔を持つ。

賭博をやらない人にはピンとこないと思いますが、これは極めて異常あるいは異端だといって良いことだ。ほとんどのプロ棋士やプロ雀士は、競馬競輪オートのような公営賭博はもちろん、裏で開催されるチンリロリンや花札に目がない。

また大勝して札束をャPットに詰め込み、酒に溺れ、女に没頭する博徒は非常に多い。私は家庭的に平穏な博徒を全く知りません。しかし、桜井氏には、そのような堕落は一切感じられない。むしろ求道者のような苛烈なまでの清廉さを感じさせる。

余計なお世話だろうけど、この方他の分野でも超一流になれる素質を持っていたのだと思います。麻雀をやらない、興味がない方にこそ是非知って欲しい方だと思いますので、是非ご一読を。

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古代史講義 佐藤信 編

2020-11-27 11:58:00 | 
最近、自信喪失気味。

私は十代の頃から歴史好き。SFやミステリーも好きだが、歴史ものだって相当に好きだった。勉強などまるでやらず、成績が学年で下から数えて一桁台の時だって、歴史の教科書だけは好き勝手に読んでいた。特に勉強しなくても、歴史の成績だけは相当に良かった。

ただ雑学志向が強かったので、高校では世界史を選択した。おかげで私の日本史の知識は中学レベルで停滞してしまった。にもかかわらず、私に危機感がなかったのは、世界史の中における日本史という視座をもっていたからだと思う。

これは大学受験浪人中の代ゼミの武井先生の教えに拠るところが大きい。私の武井先生の講義を通じて、世界史との対比で日本史を把握することが出来た。また世界史の人気講師であった山村先生の講義も並行して受けており、その講義により世界文明と日本文明の対比という視座を持つことも出来た。

実は私の大学受験勉強は6割が世界史で、3割が英語、残りは国語というか漢字の勉強という著しく偏ったものだ。大学なんて世界史で合格したようなものだ。その自覚というか自負はあった。

だからだろう、日本史を蔑ろにしていたことに気が付かなかった。多分、病気で長期間の療養生活を送らなかったら、日本史の理解が著しく低いこと気が付かなかったかもしれない。

いずれにせよ、そのツケを今、払わされている。自分の日本史知識が不足していることを知ったきっかけは大化の改新を自分なりに勉強しだしたことだ。

私は日本の政治史を考える上で重要なターニングャCントとして、「大化の改新」「戦国時代の終結」「明治維新」そして「GHQによる間接支配」の四つだと考えていた。ただ、GHQに関してはまだ評価には早過ぎると思っていたので、残り三つを重点的に勉強しなおしていた。

ところが、「大化の改新」を調べれば調べるほどに、矛盾というか納得がいかなくなった。あまりに作為的に過ぎる「日本書紀」の影響が強すぎる。この時代の歴史考証に耐えうる資料は非常に少ない。だからこそ、一度「日本書紀」に疑問をもってしまうと、全てが怪しくなってきた。

気になって書店で、中学校で使われる歴史教科書を立ち読みして驚いた。私の頃とだいぶ違っているぞ!

こりゃ、本気で勉強しなおす必要があると自覚せざるを得なくなった。自称歴史好きが聞いて呆れる醜態である。そんな私が一つの指標にしているのが、表題の書だ。

専門家でない私でも分かりやすく古代日本史の現在地を示してくれる。ページ数の少ない新書ではあるが、内容は非常に濃い。考古学的手法から気象学による当時の環境推察など、多面的に古代日本史に光を投げかけており、現在も研究が進行中であることを教えてくれる。

私も少し腰を据えてじっくりと、古代の日本史を学び直そうと思います。

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ラ・フランス

2020-11-26 11:53:00 | 健康・病気・薬・食事
食べ頃が難しい果実が洋ナシ、通称ラ・フランスだと思う。

八百屋さんやスーパーなどの店頭で売られているものは、まだ完熟前なので、家で数日熟成させる必要がある。この熟成をやらないと、あの蕩けるような甘い食感は味わえない。

私が農家の方から教わったのは、ヘタの出ている周辺が指で軽く押してみて柔らかくなり、鼻を近づけると甘い匂いが感じ取れたら冷蔵庫に入れ、数時間後に出して食べるのが良いとのこと。

たしかに完熟したラ・フランスはねっとりとした甘い食感が絶妙で、いわゆる和梨とは別物の美味しさである。ただ、うっかりものの私は熟し過ぎたり、熟成が不足したりと、なかなか上手く出来ずにいる。

美味しく食べるには、いささか手間がかかるので、あまり人気がないようだが、私はけっこう好き。夏から秋にかけては美味しい果物が沢山出回るが、ラ・フランスは他に似たものがない別格のフルーツだと思う。

ところで、このラ・フランスは日本独自の果物で、欧州では栽狽ウれていないと知りビックリ。もちろん元々はフランスの野生の果実であるClaudeBlanchet(クロード・ブランシェ)なのだが、それを日本で品種改良したのがラ・フランスだそうだ。

欧州でも似た品種の洋ナシはあるが、たしかに味が違ったように思う。旅行した際に、市場の露天売りで買った覚えがあるのだが、あまりネットリしていなくて、むしろリンゴに近い味わいだったと思う。

ブドウに限らず、日本人って本当に改良するのが好きなのだなァ。多分、なんでもかんでも食べることではシナ人に負けるけど、美味しく改良することならば世界一かもしれませんね。

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ストリートピアノ

2020-11-25 12:02:00 | 音楽
ピアノの演奏が好きになったのは、多分大学生の頃だ。

ジャズピアノを録音したテープをWV部の先輩が合宿に持参して、小型携帯用ラジカセで聴いたのがきっかけだったと思う。

アルプスの標高3000メートルの稜線にあるキャンプ場で、夜に小さなラジカセから流れるジャズピアノの音があまりに印象的であった。忘れもしないその曲は「ワルツ・フォー・デビー」演奏はもちろんビル・エヴァンスであった。

星に手が届きそうなアルプスの山稜で、夜空を枕に聴くジャズピアノの音は私を魅了した。山を下りてからも、あの感動は忘れがたく、吉祥寺のジャズ喫茶で時間を潰すようになったのは懐かしい思い出。

その後、社会人になったが、身体を壊して長い療養生活に入る。そのあまりの退屈さに精神を病み、そこから抜け出すために税理士の国家試験に挑むことにした。別に税理士になりたかった訳ではなく、なにか病気を忘れさせてくれる時間が欲しかっただけだ。

勉強に集中している間は、脳裏にこびりついた病気のことを忘れられる。だからこそ、あの退屈な受験勉強に耐えられた。

とはいえ、次第に身体が元気になると、なにか気を紛らわすものが欲しくなる。具体的には、勉強している間に流すBGMが欲しくなってきた。

しかし、ヴォーカルの入っている曲はダメだ。意識が歌詞を追いかけてしまい、勉強の妨げになる。また、あまりに勇壮な曲や、賑やか過ぎる曲も勉強の妨げになる。

あれこれ試したが、一番良かったのがクラシックのピアノ・ソロであった。どちらかといえば、クラシックに縁がなかった私だが、長引く難病で病み疲れた私の心を一番癒してくれたのがショパンのピアノ曲だった。演奏者はウラジミール・アシュケナージが一番のお気に入りであった。

あれから20年以上の歳月を過ごしたが、今も夜半寝る前にピアノの曲を聴くことはままある。その流れで、ユーチューブでもしばしばピアノの演奏を聴いているのだが、昨年位からストリートピアノと呼ばれる番組をよく視聴していた。

駅や空港など公共の場所に置かれ、自由に弾くことの出来るピアノである。もっとも、見知らぬ他人の前で弾くのだから、腕に覚えがないと無理だと思う。

そのストリートピアノの世界で現在、一躍有名になっているのが「ハラミちゃん」という女性である。

御多分に漏れず、幼少時からピアノを習い音大に進んだものの才能の差に愕然とし、卒業後は一般企業で働いたが馴染めずに退職。誘われて弾いたストリートピアノで、その楽しさに目覚めた。

その演奏をユーチューブにアップしたところ、俄然注目を集めてあっという間に人気のユーチューバーになり、CDまで出す人気者となった。

私も今年は自宅で暇をつぶすことが多く、ネットであれこれ見たり聴いたりしていたなかで、彼女の番組に注目した一人だ。ストリートピアノを使ったユーチューバーは結構いる。

菊池亮太さんや、かてぃさん、けいさん、ジェイコブ・コーラーさん辺りを私は聴いている。そのなかでも、ハラミちゃんの演奏は非常に分かり易いというか、曲の解釈が易しく明確だ。だからこそ人気が出たのだと思う。

率直にいって私は音楽全般にド素人である。だから私の評価の基準は、もう一度聴きたいかどうかで決まる。技巧的にいうならば、ハラミちゃん以上の奏者はいると思うが、楽しんで聴かせてくれる点で、私の評価は非常に高い。

もし宜しかったら、ネットで楽しんで欲しいです。

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キャンプ

2020-11-24 11:49:00 | 旅行
キャンプが好きかと問われると返答に窮する。

学生の頃、特に大学の時はキャンプが当たり前であった。なにせ一年のうち2か月あまりは山暮らしであり、当然にテント暮らしである。山小屋に泊まることは稀であった。

なぜなら、あまりお金がないので、山小屋の宿泊費を払うよりも、幕営料を払ったほうが長く山に登れるからだ。私にとってキャンプとは登山のための手段であり、目的ではなかった。

だから昨今のキャンプ・ブームにはいささか閉口する。私が毎日の習慣である本屋巡りをしていると、大型書店ならば必ずキャンプ関連の書籍を置いてあるコーナーがある。

さらっと立ち読みしてみたが、正直言えば私はキャンプするためにキャンプをやる気は起きなかった。もっと言うと、キャンプを美化しすぎにさえ感じた。

さりとてキャンプを馬鹿にしている訳ではない。あのテントの薄い布一枚で得られる安心感は痛いほどによく分かっている。実際、数多くの山を登ってきた私だが、テントなしのビバーク(緊急露営)は可能な限り避けてきた。

だって浮「もの。野外での暗闇の浮ウ、吹き付ける風に奪われる体温、寒くて関節が震えすぎて痛くなる辛さ。ビバークは心も体力も削られる。だから日帰り予定のハイキングでも、ザックの底にビバーク用にツェルトと呼ばれる簡易テントを忍ばせておいた。

テント無しで野外で一晩を過ごすのは苦行に近い。朝、起きれば夜露でビッショリで、この不快さは布で拭いた程度では直らない。また、岩の上で眠る寝苦しさも嫌だった。背中の筋肉がひきつるほどにダメージが残る。

実際、大型のテントに泊まっても、ある程度の寝苦しさは避けられない。数百を超える私のキャンプ経験のなかで、一番快適だったのは、対馬の海岸でキャンプした時だ。

下地が砂なので、おそろしく寝心地が良い。また煩いのではと危惧した波の音が、実は子守唄のように快適だと知ったのもこの時だ。もっとも津波や高潮がきたらお終いである。

やっぱりお家で、本の山に囲まれて過ごす寝床が一番である。私はやはり基本ナマケグマなのである。
コメント (2)
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