ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

少子化の影響 その三

2018-06-29 12:25:00 | 社会・政治・一般

日本の国土の7割は山間地である。

いくら道路を伸ばしても、山間部のすべてに舗装された道路を敷設することは事実上不可能だ。技術的には可能だろうけど、使われることが極めて少ないと予め分かっている以上、無駄な予算はかけられない。

その結果、山間部の農地には道路がなく、人の足で通うしかないことは珍しくない。収穫はもちろん、農薬の散布、肥料の散布は、背中に背負ったタンクから、手押しのポンプでやっている。これは大変の労苦である。若くても大変だと思うが、それをやっているのは高齢の農夫である。

山間部の農村は、おしなべて過疎化が進んでおり、若い農家はごくまれな存在である。結果として、農地は放置され、野草が生い茂り、遂には木々が育ち、もはや農地ではなくなる。

云うまでもなく、日本は食料の大半を輸入に頼っている。にもかかわらず、全国の放置された農地の面積は九州の耕作面積に匹敵するほどである。

農地だけではない。住宅地に散見する、人が住まぬ家屋は増えるばかりである。人が住まない家は、なにもなくても荒廃する。近所に一軒、荒れ果てた空き家があると、ゴミを不法投棄されたり、怪しい人間が棲み付いたりして、気が付くとスラム化していることもある。

既に都内でも9軒に一軒は空き家だと云われている。地方はもっとひどい。特に交通の不便な場所などは、空き家だらけである。相続しても住む気もないし、売りたくても買い手がつかないので、名義変更さえしていない不動産は、日本各地にある。

高齢化が進む一方で、少子化が進むことで、このような使われずに荒れ地と化す農地、朽ち果てた家屋は増える一方である。

だが、ほとんどの日本人にとって荒れ地が増えようと、空き家が崩れようと、それは他人事に過ぎない。そう思っている人が大半であろう。しかし、これは少子化により社会が荒廃する前触れに過ぎない。

少子化で本当に怖いのは、社会の仕組みが維持できなくなることだ。

それは既に始まっている。

日本は戦後の高度成長により国内に膨大な金融資産を蓄えている。それゆえに、経済が縮小しても喰うに困らない現実が、社会の仕組みが崩れゆくことを押し隠している。

働くなくても親の残した財産を食いつぶせば、生きていける若者は、自ら汗を流して働くことをしない。少子化で若い働き手が減少しているだけでなく、働く意欲そのものがない若者が、既に相当数実在する。

にもかかわらず、働き手を必要とする社会の仕組みが、徐々に悲鳴を上げている。介護の現場は既にそうだし、土木、建設業でも同様だ。立ち仕事は嫌がられて飲食業でも人手不足は深刻である。

公務員という錦の御旗があろうと、清掃やゴミ回収などは若い人が次第に減ってきている。ましてや、民間の廃品回収業などは、もう若い日本人には期待できず、高齢者と不法、違法を問わずに外国人に頼っている。

大手の企業は、まだまだ日本人中心だが、社会の末端で必要とされる零細企業では、仕事を維持するために外国人雇用は避けて通ることができないほど追いつめられている。

外国人労働力の流入に警鐘を鳴らず方々が、よく云うロボットの導入や、ITの活用が決して無駄だとは云わない。でも、全てを賄うほどの対応策はない。やはり人手に頼らざるを得ない分野は多い。

やはり、なんらかの形で合法的に、かつ日本社会に受け入れやすい外国人労働力を受け入れる必要はある。

一番ダメなのは、なし崩し的な受け入れだ。せっかく導入した外国人労働者に不満を抱かせ、社会不安を増やすことになることは、欧米をみれば分かること。飴と鞭とは言わないが、日本人と外国人、双方がある程度納得して受け入れられる受け皿を作らないと、どちらにとっても不幸な結果になる。

これは、お役所まかせではいけない。まず、間違いなく失敗する。受け入れ先の現場と、そこで働く外国人、日本人、双方からの意見調整が必要不可欠となる。これは役所の会議室では出来ない。会議室で話される、きれいごとだけでは事態が掌握されないからだ。

現場からのボトムアップと、行政からの指導による摺合せが重要となる。その調整は、まさに政治の仕事となる。

ところが、この政治が大問題である。幕末の攘夷運動にも似た感情論がまかり通るか、毒にも薬にもならない会議だけが続けられている。関心を持つ政治家がいるだけマシで、相も変らぬ打嶋タ倍政権に傾唐オているだけの政治屋も多い。

もう既に少子化の波は日本社会を襲いつつある。ぬるま湯につかった蛙が茹だって死を待つような馬鹿げた対応をしている場合ではないと思います。

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少子化の影響 その2

2018-06-28 11:46:00 | 社会・政治・一般

昨年くらいから急速に云われ出したのが、車の自動運転である。

既にアメリカでは公道での試験走行が始まっている。アメリカの場合は、コスト削減とか投資家向けの資金集めの側面があるので、日本とはいささか事情が異なる。

日本の場合、この自動運転は既に政府が後押しを始めている。企業もかなり積極的である。反対しているのは警察庁くらいだが、周囲の圧力に根負けして、容認の姿勢を見せている。(本音では、まだまだ絶対反対だと考えているはず)

日本の官庁は極めて保守的である。車の自動運転のようなリスクが高い分野に積極的であることは、むしろ異様でさえある。

しかしながら、官庁の上層部に危機感は強い。細くて長い国土を持つ日本では、物流において自動車の果たす役割は極めて大きい。その物流は、船、鉄道、自動車の三種類により支えられている。

ところが、高齢化により中高年ドライバーが減少しているにも関わらず、少子化のせいで若いドライバーが減っている。そのことを肌で実感しているのが、運送会社である。

二台の貨物車両を引っ張るタイプのトラックや、鉄道、船舶を活用してのトラック運送の効率化は、既に始まっている。バス会社は免許を持っていない高校生の青田買いをはじめ、入社後に免許を取得させて不足しているドライバーの充足に充てる予定だ。

男の職場であったはずの大型トラックだけではなく、建設現場で使われるトラクター、倉庫で活躍するフォークリフトなどでも急速に女性ドライバーが増えている。男女平等の観点からではない。既に男性ドライバーが不足しているので、女性を活用せざるを得ないほど逼迫しているのが実情だ。

日本に在留している外国人はかなり居るが、日本の自動車免許を取得している人はかなり珍しい。ちなみに国際免許は短期間しか使えない。外国人をドライバーとして活用するためには、どうしても日本の自動車免許の取得が必要になる。

その際、最大の障壁となっているのが運転技能ではなく、ペーパー試験である。日本語で書かれたマークシート式の試験こそが、外国人にとっては難し過ぎる。既に水面下では、この試験の簡略化が提案されているが、今のところ警察庁が強硬に反対している。

だが私の見るところ、そう遠くない将来、ペーパー試験は日本語による表記だけでなく、英語なども導入されると思う。私見だが、安全に道路を車で走らせるのに必要なのは日本語能力ではなく、交通標識を判別できることだと思うので、私は簡略化には賛成である。

ちなみに日本各地で散発的に起きている在留外国人による交通事故のほとんどが、無免許運転である。この現実を無視して従来の日本語によるペーパー試験に固執する警察庁は馬鹿だと思う。

冒頭の車の自動運転システムの開発は、上記のような現実から止む無く生まれたものだ。必要性があるからこそ、開発実用化が急がれている。

お分かりであろうか。少子化の影響は既に始まっている。それも待ったなしの緊急性を持つ大問題となっている。私見だが、車の自動運転は現状の技術では、場所を限定してでしか実用化は難しいと思う。

もし車両の自動運転が実用化されるのなら、それは車両ではなく、鉄道の方が先ではないかと思う。私の予想では、完全な無人化による自動運転ではなく、人間が監視しながらの間接的な自動化になるのではないかと考えている。

これほどまでに、少子化は日本社会に大きな影響を与えている。(また続きます)

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少子化の影響 その一

2018-06-27 11:59:00 | 社会・政治・一般

私が働く銀座の街には、一ブロック毎にコンビニが軒を並べている。

だが、そのコンビニで働く店員の大半が外国人であり、日本人スタッフの姿は稀である。居ることは居るのだが、スタッフの主力が外国人であることは確かである。

無理もないと思う。今日日、アルバイトを募集しても、電話一本かかってこないことも珍しくない。求人誌に掲載しても、また今どきの流行でもあるスマホに求人広告を出しても、業種によっては募集なしはよく聞く話になってしまっている。

これはコンビニに限らないが、飲食店やサービス業など立ち仕事となる業種は、若い日本人に人気がない。たしかに立ち仕事はつらい。私も高校生の頃に、牛丼屋でバイトしていたので、立ち仕事のキツさは良く分かる。

だが、キツい仕事であったからこそ、要領よく働くことを模索し、状況を把握して素早く対応することや、効率よく働くことで疲労を軽減させることを体で覚えた。

だから、就職活動に悩んでいた大学生の頃は、希望の会社に就けなくても、生きて稼いでいくことは出来ると妙な確信をもっていたものだ。若い頃に厳しい労働を経験したからこそ得られた自負だと思っている。

ところが最近は、若い人に過酷な労働を課すことを悪いことだとする風潮がある。ブラック企業とかワーキングプアといった言葉に代表されるように、私が若い頃には当たり前であったことが、現在は否定的になっている。

言っておくが、過労死を招くような過酷な労働は、企業にとってもマイナスであり、労務管理の不備以前の問題だと思う。でも、若い世代にキツイ労働を課すことは、必ずしも悪いことではないはずだ。ただし、しっかりと上司が管理、監督する必要はある。

また若い世代の給料が安いことは当たり前すぎることであり、若い時から高収入ってむしろ不自然だ。手取り15万円だって、金の使い方さえしっかりとしていれば貯金だって出来る。

ところが、スマホ代に月2万とか、外食中心の食生活とかアホ過ぎる。碌に稼ぎのない人間が、自分の身の丈にあった暮しをしていないだけではないかと思う。スマホは必需品とか信じている人がいるようだが、スマホがなくても暮らしていける。自分の稼ぎが少ないことを、十分自覚していないからこその驕りだと思う。

どうしてもスマホが必要だというなら、格安スマホにすればいいだけ。周囲に迎合した生き方しかできないから、スマホが絶対必要だと思い込んでいるだけ。スマホがなくても生きていけます。

更に若い人がよく口にする科白「自分に合った仕事ではない」。馬鹿も休み休み言って欲しい。まだ20年足らずしか生きていない癖に、自分に合った仕事を口にするのは10年早い。

まず仕事を一人前にこなしてみろ。仕事に自分を合わせる労苦を惜しんでいるだけだ。生活の糧(お金)を得るための必死さがまるでない。恵まれ過ぎた若者の傲慢さとしか思えない。

だからこそ、若い日本人の離職率は異常に高い。本来なら過酷な仕事の中でスキルを磨き、技能を向上させていく期間を、ダラダラと失業状態で無為の日々を過ごしている。その結果が、使えない中高年になって惨めな人生を過ごすこととなる。自業自得であろう。

ところが、バカげたことに、そんな甘ったれの若者を容認する愚かな大人が少なくない。子供や孫に見捨てられるのが怖いのか、子供を躾けられない親や祖父母が働かない若者たちの温床となっている。

未来の日本を託すべき若者たちを、親たちが潰しているのが今の日本である。馬鹿親が、バカな子供を育てているのが実情であろう。

それに比べれば途上国から来る外人たちは、はるかに熱心に働く。口先だけ一人前な日本の若者よりも遥かに上質な労働力である。企業が碌でもない日本の若者に見切りをつけ、海外からの働き手に期待するのは必然の結果に過ぎない。

海外からの労働力導入を批判する人は少なくない。均質な社会である日本を大きく歪めてしまう可能性が大きいことは確かだと私も思う。しかし、事態はまったなしのひっ迫した状態であることに気が付いて欲しい。

既に一部の業界では、外国人労働力抜きでは、今までと同じようには業務が出来なくなっている。長くなるので、また後日書きます。

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倒れたブロック塀に思うこと

2018-06-26 12:00:00 | 社会・政治・一般

なんで黙っているのだろう。

先週、大阪を襲った地震のせいで、小学校のブロック塀が悼オ、女の子が死傷した。

よくよく見ると、3メートルを超すブロック塀であるのに、支えがない欠陥建築であった。その後の報道では、元々あった塀の上に足す形でブロックを載せていったようで、中に入れる鉄棒も短く、明らかな手抜き工事であった。

なんだって、こんなお粗末な壁を使ったのだろう。上空からの映像を見ると、プールの脇に建てられた壁であった。

なんだ、要するに覗き防止のために3メートル近い高さの塀を作ったのか。

私が子供の頃は、プール傍の塀は金網であり、よく親たちが子供たちがプールで遊ぶ姿を見に来ていた。だが、いつの頃からだろうか。子供たちの家族ではない人たちが、カメラを持って撮影に来るようになった。

挙句に、その写真を雑誌などに投稿して、小遣い稼ぎをするようになった。要するに小児愛好家向け、ぶっちゃけロリコンどもの欲望の対象として、小学校のプール光景が利用されたわけだ。

自分の娘が盗撮対象とされるなんて耐えられないと学校に苦情が殺到したのも理解できる。だから学校側としては、突貫工事で塀の高さを上げて、外から見えないようにしたのだろう。

だから、壁の安定性なんて二の次だったのだろうと、容易に想像できてしまう。その結果が、今回の倒壊ブロックではないのか。

盗撮を防げれば良し。そう考えた学校関係者がブロック塀の安全性を疎かにしたとが、今回の悲劇を生んだのだと思う。盗撮を無視して良いとは云わないけど、まず第一に考えるべきは安全性ではないのでしょうかねぇ。

あげく、壁の安全性の確認にいったのが、高槻市の教育委員会のお方々が、視察のついでに調べたとか。建築の素人が何を調べたのか知りませんけど、それで安全確認を済ませたとする神経が分からない。

私からすると、学校は聖域とされて文部省や教育委員会、日教組などが外からの影響を排した密室化していることが最大の問題に思えて仕方ありません。いい加減、未来の日本を託すべき子供たちを、教育の聖域とされる密室から解き放つべきだと思います。

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笑う大天使 川原泉

2018-06-25 11:47:00 | 

ギャク漫画を除いて少女漫画を読んだことがない男性が、とっつきやすいのが川原泉かもしれない。

私自身は少女漫画を子供の頃から読んでいたので、あまり違和感はないが、それでも思春期になると避けるようになっていた。少女漫画独特の、恋愛至上主義が気恥ずかしくて、遠ざかっていた。

ただ「動物のお医者さん」の佐々木倫子や「BANANA FISH」の吉田秋生は読んでいた。どちらも恋愛ものとは程遠かったので読み易かったのは確かだ。同様に川原泉の「甲子園に笑え」も楽しかった。これは男性漫画家には描けない野球漫画だと思っていた。

その川原泉の作品のなかでも、比較的少女漫画の匂いが濃いのが表題の作品だ。他にもあるけど、男性にとっつきやすいのは、これだと思う。

ファンからはカーラ教授と呼ばれるのには訳がある。うん蓄と説明書きが異様に多いのが特徴なのだが、真面目に書かれている癖に、読んでいて噴出さずにはいられない滑稽さがある。

絵柄は明らかに少女漫画なのだが、描かれている内容が微妙にずれている。カーラ教授の照れ隠しなのか、それとも本質的にこちらが好きなのかは知らないが、少女漫画=恋愛だと思っていると、絶対脱力する。

恋愛話がない訳ではないが、男の私が苦にならない程度の描き方なので、少女漫画を読んだことがない御仁には是非ともお薦めした。笑えるというか、脱力するほど長閑です。中編、短編とあるが、私はこの中では、クマさんのお話が好き。

心が荒んだ時、読むのがお薦めですね。・・・丁度、今の私みたいにね。

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