ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

暗殺教室 松井優征

2013-01-18 12:01:00 | 

LOVE & PEAECE

1970年代、アメリカでヴェトナム反戦運動とフラワームーブメントを背景に、ヒッピーと呼ばれた若者たちの長髪、ジーンズといった既成のスタイルに反旗を掲げたスタイルが流行した。その時に流行ったものの一つが下記のピースマークだ。まァ、正しくはスマイリーマークと云うのだが、私はピースマークとして覚えている。


初めて週刊少年ジャンプ誌上で、この漫画を読んだ時は主役(というか、中心的存在)の「殺せんせー」(ころせんせー、と読む)に、このスマイリーマークを思い浮かべたのは私だけではないと思う。

進学校のおちこぼれだけが集められた教室に、ある日担任として現れたこの「殺せんせー」。タコに触手が生えた奇怪な生物なのだが、行動速度はマッハー20.一瞬で月を7割がた破壊してしまう超生物。おかげで月は毎夜、三日月状態だ。

なんでも一年後には地球を破壊すると宣言している。それが十分可能であることは世界各国政府首脳も認めざるを得ない。殺そうとしても、あまりに速過ぎて弾は当たらず、爆発からは瞬時に逃げ去る。

どうゆう経緯か、この「殺せんせー」、学校の担任がしたいと言い出し、しかも一年以内に自分を殺すことが出来たら地球は破壊しないという。かくして落ちこぼれ教室の生徒たちは、毎日毎回この奇怪な生物を暗殺しようと頑張る。でも、殺せない。

なんとも不条理なギャグ漫画なのだが、この「殺せんせー」」、実は教師としては優秀である。落ちこぼれ教室のすさんだ生徒たちに生き生きとした毎日を実現する。朝の挨拶のたびに銃弾が飛び交い、隙あらば殺そうと生徒は頑張るが、それをゆらゆらと躱す「殺せんせー」は意外にも真面目な教師。

この可笑しさ、不条理さがギャクとして秀逸であり、昨年の漫画では飛び抜けて快作であった。

なお、スマイリーマークと「殺せんせー」との類似性または関連性については、まったく不明だが、私には痛烈な皮肉に思えてならない。

LOVE & PEACEを合言葉に、スマイリーマークのバッチを胸につけたヒッピーのような当時の若者たちが起こした反戦運動は、なにも残さなかった。いや、無力さと倦怠感だけを置き土産に、アメリカ社会を停滞させてしまった。

そして正義の大義がなかったヴィトナム戦争の終結により、空しさと虚脱感がアメリカ社会に蔓延した。かつての自動車王国デトロイトは日本車に潰され、儲かるのは訴訟天国に跋扈する弁護士だけ。アメリカンドリームが埃に埋もれたかのような虚脱感。実に湾岸戦争の勝利に湧き立つまで、アメリカは大きく停滞していたのだからヴェトナム戦争と反戦運動の影響は計り知れなかった。

他人事ではない。日本では、ゆとり教育という名の怠惰の正当化が知力を低下させたが、それ以上に日教組主導の歪んだ教育が子供たちを歪ませた。話せば分かると体罰を否定して学校を荒廃させた。

優しさという仮面をかぶった躾け放棄が、子供たちを冗長させて、幼稚な大人を社会に解き放った。社会にそのような欠陥大人を受け入れる余地はなく、気が付いたら社会に貢献しない堕落したダメ社会人が蔓延してしまった。

直接の関係はないものの、私はスマイリーマークを見ると、堕落したヒッピームーブメントと停滞した社会を考えざる得ない。

それはさておいて、この漫画未だ先行きが見えない。如何なるエンディングが用意されているのか分からないが、中途であっても読む価値あると思うので、機会がありましたら是非どうぞ。

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ビンタ40発の体罰?

2013-01-17 12:09:00 | 社会・政治・一般
体罰に賛成の私でも呆れ果ててしまう。

大阪の高校生が自殺した。バスケ部のキャプテンでもあった彼は顧問の教師から、みんなの前で四十数発のビンタをくらい、翌朝自殺しているのが発見された。

指導に熱心なコーチであり、立派な実績もあるらしい。体罰は常習的であったようだが、それでも長年コーチとしてバスケ部を率いてきたようだ。

新聞などで得たのは、この程度の知識だ。これだけで断じるのは、いささか情報不足ではあるが、体罰賛成派の私でさえ、このコーチには疑問を呈さぜるを得ない。

人前で四〇発を超えるビンタを食らうことが、どんなものだかわかっているのか、この教師は。

これは体罰ではない。

悪いことをしたからこその体罰だ。その自覚があったからこそ、私は体罰を認めている。体罰をする教師は、私が悪いことをしたからこそ叱っているのだと分かっていた。

私はヒネクレ者で、説教なんざ聴いているふりして聞き流すのは得意中の得意だった。だからいくら正しい説教であろうと、長々と話している教師の云う事なんて、まるで聴いていなかった。長いだよ、話が。もう飽きたから早く開放してくれや。

しかし、拳骨一発で叱られれば、あっさりと反省した。やっぱ、俺悪かったよな・・・と。同じ悪さで叱られても、かくも差が生じてしまう。だから私は適切な体罰を支持している。

ただし、ここで一点、重要なことがある。悪いことをして叱られるのは仕方ない。でも、教師が管理者として怒りをぶつけてくるのは筋違いだ。

これが分かっていない教師(あるいは親もだ)が多い。

この大阪の教師、四〇発を超えるビンタだと。

これは明らかに教師の個人的な感情の発露だろう。自分の思うとおりにならないチームに対する苛立ちが、キャプテンに対する見せしめ的ビンタになったであろうことは容易に分かる。叱るのと怒るのはべつものなんだぞ。

これは体罰ではない。単なる暴力教師のわがままである。こんな教師をかばう校長や教育委員会がいることが教育不信、学校不信につながるのだ。

それと、このニュースで気になるのはマスコミの報道の在り方だ。

一年前、大津市のいじめを放置した上に、一緒になって自殺した生徒を攻撃していた担任教師はどうした。率直に云えば、この担任のほうがはるかに悪質だ。私が知る限り、この担任に直接取材を試みたのは写真週刊誌のFLASHだけだ。

このバスケ部顧問の教師をやたらと取り上げるのは、大津市と異なり、橋下・大阪市長がいるからではないのか?このバスケ部キャプテンの自殺事件の取り上げ方をみていると、そう思えてならない。

いい気になって体罰教師を取り上げるのは結構だが、どこか視点がずれているぞ、マスコミ様はよ。
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銃・病原菌・鉄(上) ジャレド・ダイヤモンド

2013-01-16 12:45:00 | 

革新的な本に出会うことは滅多にない。

革新的という用語をどう解釈するかにもよるが、現状の認識を打破したうえで、新たな世界を構築するほどの衝撃を持つ本だとすると、そのような本に出会えることは極めて稀だと断言できる。

たとえば、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」は、この定義に見合った本であったと思う。ただし、過去形である。今を生きる我々にとって進化論は目新しいものではないし、むしろいささか時代遅れでさえある。

しかし、この「種の起源」が刊行された時代においては、神はアダムとイブを創ったと聖書に書かれたことを否定した訳で、革新的というよりも革命的であり、破壊的でさえあった。人は猿から進化したなんて暴論は、ダーウィン以前にはあり得なかった。

もちろん、このダーウィンの暴論とも云える進化論は、あの時代だからこそ刊行できた。科学が宗教に替わる新たな価値観として、社会全般で認知された社会であるからこそ可能な暴論であった。ルネサンスから宗教革命、宗教戦争、産業革命という段階を経てきたからこそ可能な理論であった。

革新的な本というものが、いかに難しく希少なものなのか、つくづく痛感させられる。

「種の起源」ほどではないが、革新的としか言いようがないのが表題の書だ。

これは凄い、凄過ぎる。私がこの本に出会ったのは二十年前だ。当時、病気療養中であり、週一度病院と専門学校に通う以外、大半の日を家で寝て過ごした頃でもある。二週間に一度、地元の図書館に通うのが数少ない楽しみであった日々でもある。

この本は私の知的好奇心に火を付け、その後の読書熱と図書館通いの原動力となった本でもある。このブログを始めるにあたって、是非とも取り上げねばならぬ作品だと肝に銘じていた本でもある。

ようやく再読に手をつけられるようになった。つまり文庫化されて小さく、安くなったので購入できた。

いろいろ思うところはあるのだが、沢山ありすぎて収拾がつかなくなりそうだ。だから、今日はこれしか書かない。

この本の凄いところは、人類の歴史というものを国家という枠に縛られずに網羅した初の体系書であることだ。歴史というものは、人類の歩んできた経緯を体系的、学術的に網羅したものであるべきだ。

しかし、学生時代の歴史教科書は、国家を中心として年号と事実の羅列に終始していて、ちっとも面白くない。いくら事実が時系列で並んでいても、ちっとも私の疑問に答えてくれない。国家ではなく、人類を中心において書かれているからこそ面白味が感じられる。

なぜ西欧は産業革命を起こして、世界を制覇することができたのか。同じ人間なのに、今も原始的生活をする人と、科学の進歩による技術的恩恵を受けて先進国の豊かな暮らしをできる人とに分かれたのか。

なぜ狩猟採取生活から農業生産に移行したのか、そして移行しなかった人たちがいたのは何故か。その違いが都市文明で暮らす人たちと、放牧生活を送る人たちを分け、現代の地球において様々な違いをみせている。違いが生じた原因は何故か。

従来の歴史書は、この疑問にさっぱり役に立たない。もっとも文化人類学者や遺伝分子学者などからの科学的理論提示などは各論的にあったが、歴史という観点に立脚して、体系的に解説した書はこの本が初めてだと思う。

それゆえにこの本は革新的なのだ。

他にも云いたいことは数多ある。しかし、あまりに多すぎるし、私の中でもまだ整理されていない。だからもう少し経って、これはと思うところだけ取り上げて、再掲示したい。

それにしても、本当に凄い本ですよ。大作なのでたいへんですが、是非とも一度は読んで欲しい革新的名作だと断じたいと思います。

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ようやく帰京

2013-01-15 23:15:00 | 日記
ひどい目に遭いました。

長野の温泉で連休を過ごし、帰る日の前夜は露天風呂で雪見酒と寛いでいたら、翌日午前中には中央高速は全面通行止め。やむなく一般道を走るも、甲府盆地の出口で凄まじい渋滞。なにせ10分で5mしか進まない。深夜であり、この調子では10時間はかかるとみて、引き返す。石和の24時間営業のスパに仮泊して、高速の復旧を待つ。
結局、午後になりようやく一部復旧。ただ、ここから高速に入るまでが、これまた渋滞。もっとも大月を過ぎたら、渋滞は解消して夕刻には帰京。
このあと、実家で雪かきしたりなんだりで、仕事は休み。

明日からは通常通りに更新します。
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依光隆の死

2013-01-11 12:03:00 | 社会・政治・一般

一日一回、本屋さん。

とにかく一通り店内を観て回る。台積みされた本をみれば、流行りのものはすぐに分かる。とりあえずざっと眺めてから、お目当ての書棚へ向かう。買わずに手に取るだけに留めるが、気になる本は手に取って目次だけ立ち読み。

書棚ごと、同じ動作を繰り返し、とりあえず一通り店内を巡る。それから時間をかけて立ち読み。本屋さんには迷惑な話だろうが、私は子供の頃はこの立ち読みだけで読み終えた本がけっこうある。

もちろん本当は買って帰り、ゆっくりと読みたい。だが寂しい財布がそれを許さない。困ったことに近所に図書館が出来たのは高校2年の時で、それまでは学校の図書室だけが頼りだった。

だから仕方なく本屋で立ち読みを繰り返した。さすがに同じ本屋では文庫本といえども立ち読みは、せいぜい一時間が限度だ。だから中規模な本屋をはしごして、一冊の文庫本を立ち読みで読了させた。

でも気に入った本は、なるべく買うようにしていた。やっぱり手元に置いて、じっくり何度も繰り返し読みたいではないか。私の再読癖は、読みたい本があまり買えずにいた十代の頃に始まっている。

好きな本は何度も何度も繰り返し読んだ。だから愛読書ほどボロボロになっている。金がなかったので、どうしても文庫本が多い。とりわけ早川SF文庫が多い。なかでも世界最長のSF小説であるドイツの「ペリー・ローダン本」は、書棚の一部を独占的に占領している。

その表紙画及び挿絵を担当していたのが、昨年末に死去された依光隆である。画家としての評価がどの程度なのかは知らないが、この人の挿絵を見ると、条件反射的にペリーローダンが思い浮かぶ。

私にとっては十代の頃に夢中になっていたSF小説と共に依光隆の挿絵は思い出深いものだ。挿絵を不要だと考える人は少なくないが、私は挿絵が好きだ。SFという日本にとってはマイナーな分野を、大人の娯楽として広めようとしていた早川書房の努力の片りんでもある。

あの頃、早川書房には情熱があった。創元推理文庫も頑張っていたが、情熱という一点では早川に及ばなかったと思う。

だが80年代に入り早川書房は方針を転換させた。SFを高尚な大人の娯楽としたかったがゆえに挿絵を廃止し、スペースオペラを幼稚なものとみなして絶版にしてしまった。ただ、スペースオペラでありながら出版すれば大幅な売り上げを確保できたペリーローダン・シリーズだけは例外として残した。表紙画も挿絵も残した。

当然である、ファンが絶対に許さなかったからだ。

でも、20年代から60年代にかけてアメリカを中心としたスペースオペラは、その大半を倉庫の奥に仕舞い込んでしまった。そのかわりハードSFと呼ばれたラリー・ニーブンなど新しいSFに大きな営業努力を向けて、それを早川SF文庫の大きな柱とした。

それを失敗とは言わない。言わないが、この早川の背信行為は多くのSFファンから嫌悪された。実を言えば創元推理文庫も似たようなことをやっていたが、先駆者たる早川ほどには反感を買わなかった。

皮肉なことに、SFを大人向けのエンターテイメントとして認めさせたのは、ハリウッドの作ったSF映画であった。「未知との遭遇」「ET」「スターウォーズ」そして「ジェラシックパーク」の世界的大ヒットによりSFは世間に認知された。

同時にメジャーな大手出版社がSF作品の翻訳出版に大々的に進出してきて、もはやSFは特殊な分野ではなくなった。大人から子供までが楽しめる一般的な娯楽として、当たり前のものになったのだ。

創元推理文庫はその状況をみて、一度廃版にしたSF作品を少し形をかえて再販している。しかし早川は頑なに昔の作品を封印し続ける。

私が腹が立つのは、スペースオペラを幼稚なものと排する方針を立てながら、売れ行き好調なペリーローダン・シリーズだけは挿絵付きで残したことだ。営業的判断として分からないでもないが、その一貫性のなさ、論理的破綻を無視してきた厚顔さには憎しみさえ覚える。

スペースオペラを幼稚なものとする判断は分からなくもない。しかし、その幼稚さを楽しめる心のゆとりのなさに魂の貧困さを感じてしまう。その幼稚さを恥じる感情だけで出版方針を変更したとしか思えない。

年末年始の大聡怩フ最中、依光氏の表紙画が目立つ早川SF文庫の文庫本の埃を払いながら、早川書房への怨念を再燃させざるを得なかった。亡くなった依光氏はなにを思いながら、早川で仕事を続けていたのだろう。きっと心中は複雑であったと思うな。

コメント (4)
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