私は歴史を、とりわけ世界史を学んだなかで、印象に深かったのは、やはり西欧の帝国主義時代です。教科書だけ読むと、華々しく壮麗で、進んだ科学技術をもって遅れた国々を侵略していく様子は輝くしくさえ思えたものです。
ところが、その時代を背景にした小説、たとえばディケンズなどを読むと、当時の西欧社会がいかに不潔で、猥雑で、乱暴であったかが伺えて、不思議な感慨を持ったものでした。どうみたって、野蛮そのものだ。文明社会というには、あまりに乱暴に過ぎる。優れた武器を手にした蛮族の、優美な文明社会への侵略。これこそが、帝国主義時代の実相であったと思うのです。
なかでも七つの海を支配した大英帝国の酷さは群を抜く。善意につけ込み、悪意をばらまき、騙し騙される歪んだ社会。それは貴族も貧民もなく、高貴さよりも貪欲さが、清廉よりも狡猾さがはびこる社会。
弱きものは生き残れず、善意は嘲笑の踏み場所でしかない。こんな熾烈で苛烈な社会を生き抜いた獰猛なイギリス人が、船で世界に乗り出し、自分たちのやりたいよう、世界を変えようとしたのが帝国主義だった。
私は長年、不思議に思っていた。なぜに西欧は不潔で、猥雑な中国を「眠れる獅子」として畏れるのかと。
最近、思うのは、中国の汚さ、自己正当癖、虚言癖、乱暴さは、かつての西欧そのままであり、だからこそ未来への可能性を見て取ったのではないか?
弱いものを踏みつけ、智恵を絞って他人を騙し、正論を力で封じる野蛮な中国社会で育った人間は、たしかに逞しい。かつてのイギリス人がそうだったように、なんでも食べ、なんでも奪い、自分たちは正しいと結論づけるふてぶてしさは、世界屈指のものだ。
ただ、それでも私は西欧と中国では大きく違うと思う。
西欧には、科学的合理精神と民主主義がある。宗教的呪縛から解き放たれた自由な精神がある。この目に見えぬ、形無き精神世界を背景にしたからこそ、かつての蛮族の地であった西欧は、世界を制することが出来た。
実をいえば、科学的合理精神は、錬金術や殺戮兵器の改良から産まれたものだし、民主主義と宗教的自由は、数多の民衆と支配者の、血で血を洗う虐殺の泥炭から産まれたものだ。皮肉なことに、おぞましきものから、尊ぶべきものが産まれた。
法治の精神もまた同じだ。騙しあい、裏切りあい、責め立てあった末に、法律は社会を健全なものとする仕組みを身に着けていった。強者が弱者を踏み潰すことを正当化するのでなく、正しき弱者の権利を擁護する存在として、法を磨き上げたからこそ、近代社会は健やかに育つことが出来た。
表題の本は、19世紀初頭のまだまだ法治の精神が未熟で、力足らずであった時代を背景にしている。それだけに、現代の法治に守られた人たちからは、想像を絶するほどの苛烈な社会で生き抜く凄まじさを教えてくれる。
西欧の近代主義を、闇雲に賛美する時代は終わったと思うが、改めて見直す必要はあると思う。醜い欲望と、残忍な策謀に攻め立てられつつも、正義を目指した少年の奇跡を、是非とも味わって欲しいと思う。
ところが、その時代を背景にした小説、たとえばディケンズなどを読むと、当時の西欧社会がいかに不潔で、猥雑で、乱暴であったかが伺えて、不思議な感慨を持ったものでした。どうみたって、野蛮そのものだ。文明社会というには、あまりに乱暴に過ぎる。優れた武器を手にした蛮族の、優美な文明社会への侵略。これこそが、帝国主義時代の実相であったと思うのです。
なかでも七つの海を支配した大英帝国の酷さは群を抜く。善意につけ込み、悪意をばらまき、騙し騙される歪んだ社会。それは貴族も貧民もなく、高貴さよりも貪欲さが、清廉よりも狡猾さがはびこる社会。
弱きものは生き残れず、善意は嘲笑の踏み場所でしかない。こんな熾烈で苛烈な社会を生き抜いた獰猛なイギリス人が、船で世界に乗り出し、自分たちのやりたいよう、世界を変えようとしたのが帝国主義だった。
私は長年、不思議に思っていた。なぜに西欧は不潔で、猥雑な中国を「眠れる獅子」として畏れるのかと。
最近、思うのは、中国の汚さ、自己正当癖、虚言癖、乱暴さは、かつての西欧そのままであり、だからこそ未来への可能性を見て取ったのではないか?
弱いものを踏みつけ、智恵を絞って他人を騙し、正論を力で封じる野蛮な中国社会で育った人間は、たしかに逞しい。かつてのイギリス人がそうだったように、なんでも食べ、なんでも奪い、自分たちは正しいと結論づけるふてぶてしさは、世界屈指のものだ。
ただ、それでも私は西欧と中国では大きく違うと思う。
西欧には、科学的合理精神と民主主義がある。宗教的呪縛から解き放たれた自由な精神がある。この目に見えぬ、形無き精神世界を背景にしたからこそ、かつての蛮族の地であった西欧は、世界を制することが出来た。
実をいえば、科学的合理精神は、錬金術や殺戮兵器の改良から産まれたものだし、民主主義と宗教的自由は、数多の民衆と支配者の、血で血を洗う虐殺の泥炭から産まれたものだ。皮肉なことに、おぞましきものから、尊ぶべきものが産まれた。
法治の精神もまた同じだ。騙しあい、裏切りあい、責め立てあった末に、法律は社会を健全なものとする仕組みを身に着けていった。強者が弱者を踏み潰すことを正当化するのでなく、正しき弱者の権利を擁護する存在として、法を磨き上げたからこそ、近代社会は健やかに育つことが出来た。
表題の本は、19世紀初頭のまだまだ法治の精神が未熟で、力足らずであった時代を背景にしている。それだけに、現代の法治に守られた人たちからは、想像を絶するほどの苛烈な社会で生き抜く凄まじさを教えてくれる。
西欧の近代主義を、闇雲に賛美する時代は終わったと思うが、改めて見直す必要はあると思う。醜い欲望と、残忍な策謀に攻め立てられつつも、正義を目指した少年の奇跡を、是非とも味わって欲しいと思う。