ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

米中首脳会談

2006-04-29 15:22:59 | 社会・政治・一般
難しいな、というのが率直な感想です。判断に迷わざる得ないからです。

北京政府の胡・国家主席の訪米に関するニュースは、主に日本のマスメディアしか見ていなかったのですが、外国のメディアの報道と比較すると、まったく印象が変わってくる。

日本の新聞等の報道では、表面的というか無難なもの、つまり具体的な成果がなかったことをサラッと伝えているだけでした。しかし、外国のメディアは違う。国名を台湾と間違えたなんて国辱ものの待遇であったことを伝えたニュースにはビックリ。面子を重んじる中国人に対して、喧嘩を売っているようなものです。国賓待遇が認められなかったどころか、屈辱的な対応を受けていたのですね。

ブッシュ・共和党政権が共産中国に対して対決姿勢を崩していないことが確認できたわけですが、中長期的視野に立てば、アメリカは共産中国の市場経済化と民主化を目指している点で、20世紀以来変わっていないと思われます。ブッシュの次が誰かは分かりませんが、おそらく対中融和策に転じる可能性は高いと思います。

そうなると難しいのが対中国政策。経済は政治に引きずられるものですから、アメリカと共産中国の2国に挟まれた日本の立場は、ますます微妙なものとならざる得ない。外交の基軸は対米であることは変わりないのですが、対中国については台湾問題も絡み、非常に複雑なものとなるでしょう。

いずれにせよ、日本の外交はアメリカ次第である現実は当面変わりないということでしょうかねえ。長いものには巻かれろと言いますが、巻かれているんだか、引きずられているんだか・・・。私自身は、対米追随が最も有効だと認識していますが、感情面での反発は否定できない。いずれにせよ、冷静な視点だけは確保したいものです。

それにしても、日本の記者たちは、何を見て報道してるんだかねえ・・・
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広大地 その2

2006-04-28 09:45:27 | 経済・金融・税制
税金というものは、民主主義であろうと王政であろうと、支配者が被支配者から富を収奪する行為である本質は変わりません。

「納税すれども発言権なし」のイギリス植民地の住人が、それをおかしく思ったことがアメリカの独立の発端になり、またフランスの経済を支えた商人が、政治的発言権を求めてフランス革命を起こすことになったのは周知のとおりです。

税金は、それを徴収する側が傲慢に走れば、古来より反乱が起こり、政権交代の契機にすらなるほど、難しい問題を孕んでいます。それゆえ、政治権力者はその税の徴収に智恵を絞ってきたものです。

主権在民の言葉に集約されるように、民主主義のもとでは政治権力の源泉は、一般市民にあるとされています。その場合、一般市民に税の不満を過剰に抱かせないことが大切です。だからこそ、税の仕組みは、公平平等明解であることが必要不可欠です。

前回、広大地の評価は曖昧なものであったと書きましたが、この曖昧さにつけ込む連中が現れた。以下は私の独断と偏見と空想に基づくものだと、お断りしておきます。

ある資産家の子息が、親の死亡による相続税の申告納税を済ませ、ホッとしていた時のことです。ある人から紹介されたコンサルタントが、私に任せれば納付した相続税の一部を取り戻してみせます。私への報酬は、その戻ってきた相続税の1割でけっこうです、と。半信半疑ながら、その子息はコンサルタントに依頼して、数ヵ月後たしかに税金は戻ってきました。

種を明かせば、最初の申告で単なる宅地として評価した土地のうち、一部を広大地として再評価して、相続財産の評価額を減少させて、相続税の還付をしたわけです。子息の方は当然に喜びましたが、後日それを聞いた当初の申告をした税理士は腑に落ちません。

「一体、広大地って何だ?」「そもそもどうやって、相続の申告が過大だと判断できたのだ?」

当時は広大地という概念は、税務の世界では一般的なものではなかったので、その税理士さんが知らなかったのは不思議ではないのです。第一税務六法にも、通達集にも記載されてない。相当に不動産実務に詳しい税理士か、税務署の資産税担当の一部のベテラン職員もしくはそのOBくらいしか知らないはず。

最大の問題は、過大に評価されたとの情報をどうやって、そのコンサルは入手できたのか、です。

証拠はありませんが、おそらくは申告書の提出先の税務署から、そのコンサルに情報を流した者がいたはずです。そして、そのコンサルは当然に税務署OBと提携してやっているはず・・・多分ね。

この情報を耳にした国税庁は、当然に問題視しました。行政の平等性、中立性、守秘義務の点からも問題が多い。このような不正を防止するためには、広大地に関する情報を公表するしかない。そう考えての、評価方法の公表であったようです。

平成6年の広大地の評価方法の開示は、当初云われた地価税のためだけではなかったのではないか。私は今もそう疑っています。今だから言えますが、当時は過去の申告を慌てて調べなおしたものです。幸い、該当する広大地はありませんでしたが、なんとなく憮然とした気持ちになったものでした。

現在は、情報公開に関する法律が出来たこともあり、従来非公開であった様々な情報が開示されています。ですが、まだまだ公開されてない、非公式な情報はあるものと私は確信しています。困ったものです。
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広大地 その1

2006-04-27 09:48:45 | 経済・金融・税制
広くて大きい土地。一般にはあまり馴染みのない言葉だと思います。土地の評価という奴は、けっこう難しく、経験を重ねるたびに新しく学ぶことがある。

さて、ここで問題。一坪20万円の土地(40坪)の時価は800万円です。ではその隣の土地が400坪あったとしたら、その時価はいくらでしょう?

単純に考えれば、20万円×400坪で8000万円なのですが、残念ながらこの値段では,売買はまず成立しないでしょう。400坪(1,320㎡)は一軒の宅地の規模としては大きすぎるのです。6~7区画くらいに分けないと、宅地としては売れません。え?10区画ではないか?って思われる方は多いと思います。

土地の形状にもよりますが、10区画に分けてしまうと道路が作れません。そう、ある程度の広さのある土地は、道路や公園といった公共施設を設けないと、宅地開発許可が下りないのです。

こんな手間のかかる土地は不動産業者以外に買い手はつきません。不動産業者は、この広い土地を売るために、道路建設、ガス水道電気、広告等様々な手間をかけます。ですから、この土地は単純計算では8000万円ですが、通常はその5~6鰍ッ程度の値段でしか売買されないのが通例です。

このような未開発の宅地を広大地と呼びます。比較的最近登場した専門用語です。いや、広大地自体は、以前から存在していたはずですが、そのことが税務の世界に広まったのが最近なのです。

私が相続税及び財産評価の勉強をしたのは平成4年です。当時は「広大地」という言葉自体存在しなかった。少なくとも財産評価通達には記載されていなかった。では税務行政の世界ではどうしていたのかというと、資産税に詳しい税理士や、勉強熱心な税務職員は通常の宅地評価をした上で、2~3割程度減額して評価していたようです。(・・・なんて大雑把な!)

どうも問題意識はあったようですが、具体的方策が練られることはなかったようです。ところが地価税の創設が、こんな曖昧な評価を許さないことになった。地価税の納税義務者の多くは大企業です。
彼らは多くの広大地を有していましたし、今までのいい加減な評価で納得するはずもない。国を相手取っての長期の訴訟さえ辞さない構えをみせていたので、国税庁はおおあわてで財産評価通達の改正を手当てしました。これが平成6年だったようです。当時は面大地という呼称もあったと記憶しています。

私は当時所長から、「コウダイチ」について調べて来いと言われ、「中華料理屋ですか?」と間抜けな返事をしたくらい、知られていない概念でした。私ども税理士の世界では、土地の評価に関する仕事は「資産税実務」といいますが、広大地に関しては、ほとんど知られていなかったのが実情のようです。

このことが、後々問題を引き起こすことになりますが、次回お話します。広大地の評価方法は、その後平成16、17と立て続けに改正されました。以前より実態に近い評価額となりましたが、まだ改善すべき点は残っているようです。いやはや、土地の評価は難しい。
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ウクライナ帰国日本兵

2006-04-26 09:42:19 | 社会・政治・一般
新聞とニュースの流し聞きだけなので、詳細は知りませんが当初から疑問だったのが、この人は旧ソ連で何していたのか?です。

本人は「答えたくない」と言っているようですが、要は正直に答えられるようなことではない、ではないでしょうかねえ~。旧ソ連においては、対日本諜報部門が特に設けられ、日本語能力のある人材を配していたのは周知の事実ですし、ゾルゲに代表されるようにスパイ天国日本に多くのKGB職員を送り込んでいたのは有名です。

本人が高齢なこともあり、今更追求しろとは言いませんが、どのマスコミもそのあたりを追求しないのが不思議でしょうがない。また外務省あたりから大手マスコミに情報操作でもあったのでしょうかねえ。警視庁というか、公安が裏で動いた可能性もありますが、どうなっているのやら・・・
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次期日本サッカー代表監督は?

2006-04-25 09:45:20 | スポーツ
ちょっと気が早い感もありますが、次期サッカー日本代表監督の人選がけっこう話題になっています。トルシェエ(フランス)、ジーコ(ブラジル)と欧州と南米が交互に来ているようですから、次は欧州から?

かねてから日本サッカー協会が固執している現アーセナル監督のベンゲル氏は当然に候補でしょう。またJEFで走るサッカーを掲げて実績を残しているオシム監督を推す声も強いようです。更に浦和レッズの闘将ブッフバルト監督も取り沙汰されているようです。

私自身は誰が監督になろうと、日本のサッカー選手の力量がすぐに上がる訳がないと割り切っていますから、選手に具体的な理想像を掲げて指導できる監督を望みます。トルシェエのように、選手を自分の掲げる戦術に当てはめるサッカーの次に、ジーコのような選手の自主性を重んじるサッカー(消化不良ですがね)を持ってきたのは、ある意味正しい選択だと思っています。

そうなると、次の代表監督は強く選手を指導するタイプか?ベンゲルでもオシムでも構わないのですが、年齢的にオシムの指導を受けられるのは長くない気もするので、オシムを推したい気持ちはあります。

一方、Jリーグを見渡すと、大分のシャムスカ監督も将来的には非常に魅力的です。昨年大躍進した大分も、今期はだいぶ研究されたせいか苦戦していますが、シャムスカ監督の建て直しに期待したいですね。日本人監督では、やはりガンバの西野監督とFマリノスの岡田監督に期待したいのですが、お二人とも国際経験は乏しいので代表監督は厳しい。

日本のサッカーの問題点は、指導者の経験不足にありと私は考えています。未だにオリンピックというアマチェア大会での実績しかない人間を幹部に据えざる得ない現状で、世界の一流国と肩を並べるのは至難の業。フランス大会で世界の壁に跳ね返された名波、山口、中田らの世代がコーチ、監督となり選手を育て、協会幹部になって日本サッカーの強化を担うようになって初めて、日本は世界へ通じるサッカーを出来るようになると考えています。

気の長い話ですが、見方を変えればサッカーの強豪国は皆、長い伝統に裏づけされた強化策を持って臨んでいるのです。日本はまだその域には達していないと思います。
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